第22話 たぬきのウソに騙されるな
N……慣石ヨン(女)
優志……医師不信に陥った男
ハールヤ……ねずみのお医者さん。優しいおじいちゃんねずみ。
ミランダ……風の精霊。ワープゲートを出せる。
受付の女性ねずみ……太っちょなねずみが好みのタイプ
謎の声……鍋にして食われろ
————
N「2月21日。
国内で新型ウイルス感染者が100人を超える——。
感染予防のための外出自粛であらゆる業種の売り上げが低迷し、失業者が増加の一途を辿っているというのに、政府から国民に配布されたのは、たった2枚のガーゼマスク。
優志はベッドで寝込みながら、考え込んでいた」
優志(このままでは、病院に行くためのお金も無くなってしまいます。やはり、ねずみの医師ハールヤさんに、一度相談してみますか……。ねずみの世界に繋いでくれたあの不思議な妖精、ミランダさん……長らく呼んでいませんでしたが、ちゃんと出てきてくれるでしょうか……)
N「自然治癒力による治療を教えてくれたねずみの医師ハールヤは、ニセ医療の医者かも知れない——。あの嫌な担当医、中田先生の言葉が忘れられない——騙されないようにしなくては——。
そんな思いが拭いきれない優志だったが、いよいよ追い詰められた彼が思い付く手段は、ハールヤに相談しに行くぐらいしか無かったのである」
優志(中田先生の言うことは正しいかもしれません。しかし、聞いていて私は不安にしかなりませんでした。ねずみの医師ハールヤさんはどこか、安心するような優しい雰囲気のねずみさんでした。私が求める医師像は……まさしくハールヤさんのような医師です……。よし、行くとしましょう!)
N「優志はベッドから出て着替えを済ませ、靴を用意すると、意を決して風の精霊ミランダを呼んでみた」
優志「ミランダさん、来てください!」
N「そう口にすると、突然部屋の中に金色の鱗粉のような光が現れ集まっていき、そこからミランダが姿を現した。
以前とは違って白い羽衣に身を包み、ブロンドの髪を一括りにしている」
ミランダ「優志くん、久しぶりね。またねずみの世界に行くの?」
優志「はい。ハールヤさんのところへ繋げてもらえませんか?」
ミランダ「チップくんたちとは会わなくていいの?」
優志「なるべく早くハールヤさんに会いたいんです。お願いします」
N「ミランダは透明な羽を動かし空中で8の字を描くと、部屋の床に白く輝く円形のワープゲートが現れる。
優志はためらわず、ワープゲートに足を踏み入れた」
♢
N「優志が出た場所、そこは——。
ねずみの都会、“
ねずみの世界は初冬であり、空気はひんやりとしていた。
高層ビルが立ち並び、道路には磁力で走る車が行き交う。緑が多く、都会なのに空気が森の中のように澄んでいる」
優志(あれ……。ねずみさんだけじゃなく、猫さんもいるんですね)
N「歩道には、服を着たねずみと同じように、服を着て二足歩行で言葉を喋る、猫たちの姿もあった。そして猫たちの身長も、ねずみたちと同じである。
過去にあった様々な事情により、今のChutopia2120は、ねずみと猫が共存する街となっているのである。
少し歩くと、“Chutopia厚生医院”と書かれた看板のある建物が、優志の目に入った。
地味なコンクリート製の、2階建てのビルである」
優志(ここが、ハールヤさんの医院ですか)
N「扉を開け中に入ると、受付にいた白衣姿の女性のねずみが、ニッコリと笑って優志を迎えた」
受付の女性ねずみ「こちらにサインをお願いしますね。待合室はあちらです」
優志「ありがとうございます」
優志(人間の私が来ても、驚かれたりしないんですね……。というより、人間がねずみによる治療を受けても大丈夫なんでしょうか……?)
N「待合室に案内された優志は、フカフカの椅子に腰を下ろし、今更すぎる心配をしていた。
そしてさらに——」
謎の声『ハールヤに話したって、無駄だポン。ニセ医療だということを知ってガッカリするポン』
N「——ねずみの世界に来ても、幻聴は相変わらずである。
優志は深呼吸しながらその幻聴の言葉を、呼気と共にフーッと吐き出し、心を落ち着けていた」
ハールヤ「優志様。よくいらっしゃいました。どうぞ」
N「待合室の扉が開き、ねずみの医師——Chutopia厚生医院院長ハールヤが、姿を現した。ダボダボの白衣姿で丸眼鏡をかけ、つぶらな目を細め、微笑んでいる。
彼の声を聞くだけで、優志は不思議とホッとするのだった」
優志「ハールヤさん、お久しぶりです」
N「ハールヤに案内され診察室へと入り、2人とも腰を下ろす。
暖かな色の照明に照らされ、クラシック音楽のようなBGMが流れる診察室である」
ハールヤ「優志様、あれから経過はいかがですか?」
優志「ハールヤさん、お久しぶりです。実は……」
N「優志はハールヤに、病気を治療する上で抱えている悩みを全て話した。
嫌な担当医のせいで、医療不信になってしまったこと。
自然治癒力を活かした治療は、科学的根拠が無いニセ医療だと言われたこと。
ニセ医療は、現代医学の標準的治療を否定するものもあり、治る病気も治らなくしているという弊害について。
新型ウイルスが拡散していること。
最近、謎の幻聴が聞こえること。
そして持病の胆石症を、ハールヤに治してもらえるか——。
ハールヤは優志の言葉を一切否定せず、うんうんと頷きながら聞いていた」
ハールヤ「なるほど、優志様の世界では、そのようなことになっているんですね。何を選択したら良いか、分からなくなりますね」
優志「はい……」
ハールヤ「主治医とは、まずは信頼関係を築くのが大切です。優志様は、今の主治医をどう思っておられますか?」
N「優志は、視線を斜め下に落とす」
優志「……いや、何というか……苦手でした。何を言っても話を否定されますし……。科学的根拠がないものはニセ医療だと言って、せっかくハールヤさんが提案してくださったことも頭ごなしに否定されまして……」
ハールヤ「なるほど」
N「ハールヤは微笑みを絶やさず、言葉を紡ぐペースを落として解説を始めた」
ハールヤ「まず、体というものは、科学だけでわかる物ではないのです。目に見える科学でわかることは、氷山の一角に過ぎません。科学だけでは……例えばヒトの脳細胞の大部分がなぜ使われていないか、などを説明できないのです。病気が起こるのも治るのも含め、体の働きには“見えざる何かの力”が関わっているんですよね」
N「優志が何か言いたげなのを察し、一旦話を切るハールヤ。
優志は俯いたまま、思ったことを口に出す」
優志「……その見えざる何かみたいな言葉が、何というか嘘臭く感じてしまうんです……。根拠が無いものはみんな嘘だと言うような物言いなんですよね、私の担当医は」
ハールヤ「科学で証明されていないからといって、それが存在しないというわけではないのですよ」
優志「言われてみれば、確かに……」
N「頷きながら、顔を上げる優志」
ハールヤ「それに、科学的に1つのことがわかったら、大体3つの分からないことが出てきます。伝統的な医学は、例え分からないことがあったとしても、役に立つものはとことん利用してきました。大昔の医学はそうやって発展して来たのです」
優志「なるほど……」
ハールヤ「優志様の話を聞いておりますと、優志様の世界の医療では恐らく……病変部ばかりを治そうとしているように思えます。そうではなく、体全体……そして心全体を見ないと、本当の意味での治癒はあり得ないのです」
優志「部分ではなく、全体を見る、と」
ハールヤ「はい、病気には、目に見えない心も関わっていますから、それを含めて全体を診るんですね。……さて、治療を始めましょう」
N「不思議と納得する優志。
胸の内を吐き出しスッキリとした気分になった彼は、別室へと案内された。
そこは何の医療機器もなく、ベッドと観葉植物、そしてハールヤ用のデスクがあるだけの、暖房の効いた部屋だった。
優志は一体、どのような治療を受けるであろうか」
ハールヤ「では優志様、上着を脱いでベッドにうつ伏せに寝てください。今からマッサージを始めます」
N「ハールヤに言われた通り、優志は部屋の中央にあるベッドにうつ伏せになった。
ハールヤは、優志の背骨の左右あたりをそっと指の腹で押さえる」
ハールヤ「やはり、
優志「……触っただけで、体の中のことが分かるんですか?」
ハールヤ「はい。背中の凝り具合で、どこが悪いかはすぐに分かります。では、治療を始めますね。足から首の方まで、丁寧に揉み上げますから、リラックスしていてくださいね」
N「ハールヤは、優志の足、腰、背中、肩、首までを丁寧にマッサージしていった。
時々押すと痛む場所があり、そこをより丁寧に揉みほぐしていくと、段々と痛気持ち良い感覚に変わっていく。
1時間ほど後——。
優志の脇腹の痛みは、いつの間にかスッキリと消えていた。さらに、体がポカポカと温かくなっている。優志は不思議な幸福感に包まれていた」
優志「ハールヤさん、私は整体などでツボ押しを体験したことがありますが、ハールヤさんが一番上手いですよ。すごく気持ちが良いです」
ハールヤ「全身には、体内の各臓器に対応する
N「人間の世界では、ツボ押しなどは医療類似行為として、医療行為とは厳密に区別されている。しかしねずみの世界では、マッサージは治療効果があることが証明されており、正式に医療行為として認められているのである」
優志「マッサージは、ただ気持ち良いだけではなく、実際、体にもいいんですね」
ハールヤ「はい。それに加え、正しい食事、適度な運動、そしてメディテーション、以上の4つを組み合わせて治療します。これにより“氣と血の巡り”が良くなれば、生き物は健康になれます」
優志「なるほど……。あ、1つお聞きしてよろしいですか?」
ハールヤ「はい、何でしょう?」
N「優志はベッドから起き上がると、少しの沈黙ののち思い切って、最近彼を悩ませる症状を打ち明けた」
優志「最近、幻聴が聴こえるんですよ……。お前の病気は治らないポン、だとか、お前はガッカリすることになるポン、だとか……。とにかく私を落ち込ませるような言葉ばかり聴こえるんです。ハールヤさんはそのような変な幻聴、聴いたことはありませんか? 誰にでも聴こえるものなんでしょうか?」
N「優志を悩ませる、謎の幻聴。
聴こえるたびに気分が悪くなるので、それもハールヤの治療で治せるなら治してもらいたいと、優志は淡い期待を抱いていた。
ハールヤは答える」
ハールヤ「それは、優志様に刷り込まれた間違った知識による、優志さん自身の心の苦しみの声かも知れません」
優志「間違った、知識……ですか」
ハールヤ「はい。その声は、自分が何か行動しようとすると、私には無理だ、失敗するからやめておこう、などと
N「優志は目を瞑って、うんうんと頷いた」
優志「なるほど。確かに子供の頃……私は親や先生、友達から、お前はダメな奴だ、だとか、やめとけ、お前みたいな奴には無理だ、みたいに言われたりしました。それも何回も」
ハールヤ「その言葉が無意識に、今の優志様自身の人生に制限をかけているんですよ。でも、それらの言葉はよくよく考えてみれば、みんなウソだと分かります」
優志「ウソ……ですか」
ハールヤ「はい。まだ純粋な子供の頃に否定的な言葉を言われると、それを信じてしまう。しかしその言葉は、思いつきなどで何の根拠もなく放たれた言葉でしょう。優志様自身が実際に本当かどうか確かめたわけではなく、ただ周りから言われたことを信じたがために、心の奥深くに刷り込まれてしまい、人生にブレーキがかかる。その否定的な言葉を打ち消すには、自分の本心をよく見ることです」
N「ハールヤは微笑みつつも、彼の語調は力強いものであった。鋭く輝く瞳は、真っ直ぐに優志へと向けられている」
優志「私の、本心……?」
ハールヤ「優志様は、本当はどう生きたいのでしょうか。それが見えるとまた、否定的な声が聞こえるでしょう。しかしそれはウソ。ウソなのに信じてしまうから、ホントになってしまう。否定的な声に惑わされず、優志様の本心に従ってみてください。優志様の本心は、必ず上手くいくことを知っていますから。上手くいく体験をされれば、否定的な声がウソだとハッキリ分かるのです」
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