第15話 上書き

 次の日の朝、俺は学校に向かうべく外に出ると玄関前にはにっこりと笑う海佳うみかがいた。

 桜島さくらじまさんからお菓子をもらったと伝えてから、ずっとこんな感じだ。顔は笑っているが、目の奥が笑っていない。本当に怖い。


「おはよ、綾人あやと

「お、おはよう……」

「どうしたの? 体調悪いの?」

「いや、普通に元気だけど……」

「でもなんか顔色悪いよ? 大丈夫?」


 キミが怖いからだ、なんて口が裂けても言えない。


「学校休んだら? 私が看病してあげるけど」

「いや、大丈夫だ。学校行こう」

「そっか。残念」


 なんで残念なのか、俺には分からない。助けて。


「あ、そうだ。これ作ってきたの。食べる?」


 そう言って海佳がカバンから取り出したのは、ちょっとどころかものすごく見覚えのある小包。

 よく見てみると、昨日桜島さんから渡されたものと全く同じ包装をしてあった。さらに、中身まで全く同じで生チョコトリュフが入っている。


「これ……」

「食べて?」

「……おう、ありがとう」


 有無を言わせず食べるように言われ、俺は恐る恐る包装をはがして生チョコトリュフを一粒取り出した。

 少し様子がおかしい海佳を横目に、取り出した生チョコトリュフを口に入れる。その瞬間、とても甘いチョコの味が口に広がった。恐らく、昨日桜島さんがくれた物よりも甘い。

 海佳はいつも作るお菓子をクラスのみんなに渡すため、ここまで甘ったるいお菓子を作らない。砂糖の分量を間違えたのだろうか。


「どう? 美味しい?」

「そりゃ美味しいけど、珍しいな。海佳がこの甘さのお菓子を作るなんて」

「いつもはみんなにも配ってるけど、今日は特別」

「特別?」

「うん。その生チョコトリュフ、綾人のためだけに作ったんだ」


 海佳はにっこりと、妖艶な笑みを浮かべた。

 そのような顔を今まで、俺は見たことがなかった。小さい頃からずっと一緒にいたのに、初めて見る顔だった。

 思わず目が吸い寄せられ、やがて彼女と目が合うと離そうと思っても離すことができない。


「桜島さんのと私の、どっちが美味しい?」

「……」

「綾人?」

「……海佳のやつの方が、美味しい」

「よかった」


 気がつくと、もう既に言葉に出ていた。完全に無意識。

 昨日桜島さんからもらった生チョコトリュフもすごく美味しかった。

 だが今の俺の頭の中は、いつの間にか海佳のことでいっぱいになっていた。まるで桜島さんからもらった味を、海佳に上書きされたような感覚。

 もう海佳のことしか、今は考えられなくなっていた。


 学校に着いてからも、海佳の様子はおかしいままだった。

 授業中はさすがに離れているが、授業中以外は大体くっついてくる。周りのことなんてお構い無しで、俺からは一切離れない。

 そのせいで周りからは「とうとうあいつら付き合ったか?」とか「ヤったのか?」と色々言われている。

 当然、陽太ようた遥香はるかも似たようなことを言っていた。桜島さんの方も一瞥してみるが、彼女はこちらを真顔で見つめていた。


 だが、どうしてだろう。桜島さんとのことで色々言われた時は周りの視線がすごく気になったが、今は何も感じない。

 俺が周りを見回していると、やがて小さな両手で頬を包まれて視線は海佳のもとへ戻される。

 そうか。今の俺は海佳で頭がいっぱいだから、周りが気にならないのか。


「ねぇ、なんで私以外の場所に目を向けるの? こんなに可愛い彼女が目の前にいるのに」

「海佳は俺の彼女ではないだろ」

「そうだっけ? じゃあ、今から付き合う?」

「……冗談はやめてくれ」

「冗談じゃないんだけどなぁ」


 海佳は妖艶な笑みを浮かべる。

 そんな彼女を目の前にして、俺は理性を保つだけでも精一杯だった。


「綾人、お昼ご飯はどうする?」

「購買で何か買って食べようと思ってる」


 今日は時間の流れがいつもより早い気がする。

 ふと気がつくと、もう昼休みになっていた。


「そっか。私、綾人のためにお弁当作ってきたんだけど、どうする?」

「……え、まじ?」

「うん」


 海佳は一度自分の席に戻り(もちろん俺も一緒)、可愛らしいお弁当箱をカバンから二つ取り出した。

 男が食べる量としてはちょっと少ない気がするが、すごく美味しそうだ。


「どうする?」

「俺のために作ってきてくれたんだろ? もちろん食べるよ」

「ふふ、よかった」

「ありがとうな、海佳」

「全然。私がしたくてやったことだもん。外で一緒に食べよ」


 腕を引っ張られ、俺たちは廊下に出た。

 俺の目にはもう、海佳しか映っていない。

 いつの間にか、目が離せなくなっていた。

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