第8話 勉強なんてやってられない

 次の日、俺たちは図書館に集合し、勉強道具を広げていた。

 陽太ようたは部活が一日練習であり、この場にはいない。そのため今日は俺と海佳うみか遥香はるかの三人で勉強をすることになった。

 俺たちが集まったのは昼過ぎからだが、館内を見回すと席はほぼ埋まっている。一人で黙々と勉強している人や、俺たちみたいに複数人で集まって勉強している人たちもいるようだ。


「ねぇ綾人あやと、ここ分かんない」

「はいはい」


 俺たちは今、数学を勉強している。

 基本的には、海佳と遥香が分からないところがあると俺に聞いてきて、俺が教えるという形で勉強を進めていた。

 といっても、高校数学において序盤は簡単な問題ばかりだ。教えなくても二人自身が理解している箇所も多く、俺が教える場所は大体応用問題になっている。


「綾人くん、ここ分からないんだけど」

「はいはい」


 海佳の分からなかった問題を教え終わると、すぐに遥香に呼ばれる。

 海佳と遥香は隣り合って座っているため、そのまま横に移動したが…………。


『(問)あなたに好きな人はいますか?』


 なんだこの問題。数学のワークの端に可愛らしい文字で付け足された超難問。

 分からないと聞いてきた当の本人は、若干頬が赤くなっているように見える。そして小悪魔を思わせる笑みを浮かべ、この問を指差していた。

 遥香のやつ、もう集中切れたのか。まだ勉強始めてから一時間経ってないぞ。


「これは答えなきゃいけないのか?」

「当たり前でしょ。教えて、先生」

「はいはい。分かったから、その呼び方はやめろ」

「早く教えて、先生。いるの? いないの?」

「はぁ……いないよ」

「ふぅん」


 納得いってなさそうな顔をしているが、嘘を言ったわけではない。納得してもらわなきゃ困る。

 あと、先生呼びはやめろ。次呼んだら、その二本の栗色縦ロールがどうなっても知らないからな。


「ねぇ! いつまで話してるの? 私も教えてほしいとこあるんだけど」

「今行くよ」


 頭を切り替え、海佳のもとへ向かう。

 どうやら海佳はまだ集中力が続いているようだった。

 そして約二時間ほど勉強を続けたところで、目の前に座っている二人は限界を迎えた。


「もう無理……」

「疲れたぁ……」


 二人して魂が抜けたように机に突っ伏している。

 約二時間半の数学勉強。嫌いな人からすれば、かなり酷な時間だろう。

 二人とも頑張っていたし、少しくらい休憩した方がいいか。これ以上無理に勉強させても身が入らないだろうし。


「じゃあ――」

「「モール行こ!」」

「……ん?」

「スタベ飲みたい!」

「私も飲みたい!」

「「よし行こう!」」

「……んん?」


 この流れだともしかして……。


「「美味し〜! 生き返る〜!」」


 どうしてこうなった。

 俺たちは今、ショッピングモールに来ている。モール内にあるスタベに入り、フラッペとカプチーノが合わさった飲み物を飲んでいた。

 少し休憩をさせようと思った矢先、二人は息を合わせて勉強から逃げ出したのだ。

 中学の時から勉強を教えていたから分かる。こいつらはもう、絶対に勉強をしに図書館へ戻らない。


「全く……もうテスト二週間前だぞ」

「大丈夫大丈夫! まだ二週間もあるから!」

「昨日も同じこと聞いた気がする」

「一週間もあればなんとかなるよ!」

「それも聞いたな」

「「息抜きも大事だよ!」」

「……だよな」

「「勉強なんて忘れて遊ぶぞー! おー!!」」

「……」


 どんだけ勉強したくないんだよ。

 斯くして、今日の勉強はたったの二時間半で終わりを告げた。

 テストに向けた勉強量としてはかなり少ないが、二人がそれでいいのなら仕方ないだろう。


 スタベを飲み終えると、モール内をウィンドウショッピングすることになった。

 死んだ魚のような目をしていた勉強直後とは打って変わって、スタベを飲み終えた今では二人とも元気を取り戻している。

 談笑しながらしばらくモール内を歩きフードコートで一休みしていると、ふと思い出したのか「そういえば……」と遥香が口を開いた。


「知ってる? 少し前、うちの高校の子がストーカーに遭ったらしいよ」

「え!? ストーカー!?」

「うん。犯人は逮捕されたんだけど、お母さんがちょうどその現場を見たって言ってた」

「えー、怖い……」

「確か男子高校生が助けに入って、なんとか犯人を逮捕できたんだって」


 これ、もしかして俺と桜島さくらじまさんの話……じゃないよな?

 少し前、うちの高校の子がストーカーに遭った。犯人は男子高校生のおかげで逮捕された。

 確定で俺と桜島さんの話である。


「へー! かっこいいなー。私だったら惚れちゃうかも」

「分かるー。海佳がストーカーに遭っても綾人くんがきっと助けてくれると思うよ。ね? 綾人くん」

「ももももちろん?」

「えー、なんか頼りなーい」


 失礼な! 頼りなくて悪かったな!


「でもさ、実際に身近で事件が起きてるわけだし、怖いよね。先生たちが登下校の時間見回りしてたとしてもさ」

「うん……」

「安心しろ」

「「……え?」」

「もしも何かあったら、いつでも俺を呼べ。すぐ駆け付けるから」

「綾人……」

「綾人くん……」


 大事な友人を傷付ける奴は絶対に許さない。

 海佳と遥香は何があっても守ってみせる。


「俺が頼りないなら陽太もいるしな。俺たちは二人を必ず守る。だから、安心しろ」


 二人は安心しきった様子で頷いた。

 その直後、俺は誰かに見られているような感覚に陥った。どこから見られているのかは分からない。確証はないが、こちらをじっと見られていたような気がしたのだ。


「……綾人?」

「綾人くん? どうしたの?」

「……いや、なんでもない」


 気のせいだろうか。

 だが、あの日――桜島さんをストーカーから助けた数日後からずっと視線を感じている。最初は事件を間近で見たせいで、敏感になっているのだと思っていた。

 気のせいじゃ、ないんだろうか。

 ……まさか俺は本当に、ストーカーに遭っているのだろうか。

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