第3話 噂と誤解

「良かったよ。無事に元気そうで」

「はい。ただ意識を失っていただけみたいで、体は特に異常なしでした」

「そうなんだ。本当に良かった」

「ありがとうございます」


 桜島さくらじまさんは頬をほんのり赤らめてにこりと笑った。

 すると同時に、午後の授業前の予鈴が鳴った。

 色々な偶然が重なってすっかり桜島さんと話し込んでしまったが、まずい。先生に呼ばれてるの忘れてた。


「やばい。早く先生のところに行かないと」

「あ、うそですよ」

「え?」

「先生が呼んでたっていうの、うそです」

「……え!?」


 嘘だったのかよ!? ってことは……。


「ごめんなさい。人が集まってる食堂では話しづらい内容だったので、つい嘘をついちゃいました」

「確かに、誰にも聞かれたくないよな。だったら仕方ないよ」

「本当にごめんなさい。あと、できればこの話は……」

「もちろん誰にも言わないよ。安心して。あの時のことは誰にも言ってないから」

「ありがとうございます。二人だけの秘密……ですね」


 そう言って桜島さんは微笑みながら、人差し指を柔らかそうな桜色の唇につけた。

 いちいち仕草が可愛いな! くそ!


「お、おう……」


 クラスのマドンナとの二人だけの秘密。

 想像するだけで自然と顔がにやけてしまう。

 おっと危ない。誰にもバレないようにしないとな。


 桜島さんとは時間をずらし、俺は午後の授業が始まる直前に教室に戻った。

 そして席に座ると同時に、教室にいたほとんどがこちらに視線を向けながらひそひそ話をし始めた。

 またこの展開かよ、とため息をつき、前の席に座っている陽太ようたの背中を叩く。


「俺がいない間になんかあったのか?」

「まあな。今はもう時間ないからまた後でな」

「そうだな、了解」


 今日は色々ありすぎて、すごく頭が痛い。

 気のせいかもしれないけど、朝からずっと視線を感じるし。昼からは周りにいる人ほとんどから視線を感じるし。

 偶然だけど、桜島さんと接点できるし。これは嬉しいから癒し枠だとしても、一日中視線を感じるというのは心地よいものではない。桜島さんはそれが日常であることを考えると、普通にすごいなと思う。


「はぁ」


 もう疲れた。どうせ午後の授業内容は頭に入らないだろうし、何も考えず寝るとしよう。

 鬱陶しい周りからの視線なんて、寝ればきっと忘れるはずだ。そう思いたい。



 疲れがたまっていたからか、起きる時には午後の授業は既に終わっていた。

 どうやら一切起きずに、きっちり二時間寝ていたらしい。


「おはよう綾人あやと。寝心地はどうだったよ?」

「最高」

「だろうな。そんな最高な気分なところ悪いが、お前とんでもない噂が流れてるぞ」

「……噂? もしかして授業前の鬱陶しい視線と関係してるか?」

「ああ」

「それで? とんでもない噂って、なんだよ」


 陽太は突然立ち上がって俺の腕を掴み、強い力で廊下に引っ張り出す。

 クラスの奴らがとんでもない噂とやらをしていたのだから、教室で話すわけにはいかないと思ったのだろう。

 人気のない場所まで連れて行かれたところで、ようやく俺の腕は解放される。


「で、なにがあったんだ?」

「一つ聞きたいんだが、綾人は今まで彼女ができたことは?」

「中学のときに一人だけいたことあるけど、一週間とかで別れたな」

「じゃあ、実質彼女いない歴=年齢ってことか」

「なぜそうなる!? 一週間だけ彼女いたって言っただろ!?」

「よかったぁ……」

「……おう、殴っていいか?」


 確かに世の中のカップルみたいにイチャイチャしたことないけど。ちゃんと長続きする恋人作りたいけど。

 俺は彼女いない歴=年齢じゃないぞ。一週間だけ彼女いたことあるからな!

 てか、彼女いない歴=年齢ってお前のことだろ。嫁百人とか言ってないでいい加減現実を見やがれ。


「まあまあ、落ち着けって」

「落ち着いてられるかっ! で、その彼女の有無がとんでもない噂と関係あるのか?」


 なかったらまじで許さん。


「ああ。、ってクラスの奴らは騒いでた。ちょうど二人がいない時にな」

「どうしてそうなった。俺と桜島さんに接点なんて一切ないはずなんだが」

「騒ぎになった発端が……これだ」


 陽太に見せられたのは二枚の写真。

 一枚目は食堂での写真。後ろから桜島さんに声をかけられ、ほんの少しの間だけ話した時のものだ。なので俺と桜島さん以外にも陽太が写っている。

 二枚目は俺の後ろ姿と、可愛らしい笑顔の桜島さんが写った写真。これは職員室に向かう途中に話していた時のものだ。

 だがたった二枚の写真でなぜ、俺と桜島さんが付き合ってるなんてふざけた噂が出回るのだろうか。

 手を繋いでいたとか、キスをしていたならまだ分かる。でもこれは普通にクラスメイトが話している写真だ。誰がどう見ても付き合ってるようには見えない。


「ただ話してるだけで付き合ってるなんて言われるなら、この世の男女はほとんど付き合ってることになるぞ」

「……いや、ただ話してるだけじゃないから騒がれてるんだよ」


 は? どう見ても普通に話してるだけだろ。


「桜島さんの笑顔が、みんなに向けているものとお前に向けてるのとで全然違うらしい」

「え、笑顔? 別にみんなに向けられてるのと変わらないだろ」

「俺もそう思う。だが、クラスの奴らはそう言ってる。付き合ってないのなら、少なからず桜島さんは綾人に好意を抱いているのではないかって言ってる奴もいたぞ」

「意味わかんねぇ……」


 桜島さんにとっては迷惑極まりないだろう。

 ただストーカーから助けた時のお礼をされただけだ。と言えれば、こんなありもしない噂は払拭できるんだが。二人だけの秘密、だもんなぁ。


「まあ、俺にはもう嫁がいるから関係ないし? せいぜい頑張れよ」

「他人事のように言いやがって……」

「実際関係ないしな」

「親友が困っているのに見捨てるのか!?」

「ああ。見捨てる以外に選択肢ないだろ。巻き込まないでくれ」


 いくらなんでも酷すぎる。普通親友が困ってたら助けるもんだろ!?

 もうこいつと親友やめようかな……。

 なんて思ったところで、目の前から見知った二人が駆け寄ってくる。


「やっと見つけた! 話したいことがあったのにHRが終わってすぐどっか行っちゃうんだもん。もう」


 ぷくりと頬を膨らまし、可愛らしく怒っているのは東雲海佳しののめうみか

 肩下まで伸びた栗色の髪と、髪と同じ色の瞳が特徴的。そして、とても背が小さい。本人曰く155cmはあるらしいが、絶対にそんな高くない。150cmあるかないかくらいだ。

 家が近いこともあって幼い頃からの付き合いであり、暇な日は大体一緒にいるような気がする。


「二人でなんの話してたの? ……あ、もしかして邪魔しちゃった? ごめんね」


 次に、頬を赤らめてよく分からない妄想をしてそうなのは汐見遥香しおみはるか

 海佳と同じ栗色の髪で、学校ではあまり見られない縦ロールのツインテールをしている。好きなキャラと同じ髪型になりたいから、という理由でしてるらしい。

 顔立ちはかなり幼いが、身長は海佳と違って女子の中では高めである。

 遥香とは中学からの仲で、海佳の親友だ。そのため中学時代はよく、今集まっている四人で一緒にいた。


「昼休みから綾人の噂がすごかっただろ? それについて話してたんだ」

「私もそれ! それを聞きたかったの! 桜島さんと付き合ってるってほんとなの!?」

「ばっ……! 声でけぇよ! なわけないだろ!?」


 どうやら海佳と遥香も噂は耳にしていたらしい。二人とも同じクラスだから当然と言えば当然か。


「海佳〜よかったね〜」

「うん、よかったぁ」

「まあ、綾人くんと桜島さんじゃ釣り合わないしね〜」

「うんうん! 綾人なんかじゃ桜島さんの隣に相応しくないもん!」

「えぇ。遠回しにめっちゃディスってくんじゃん……」


 確かに言われている通りだが、さすがに泣いていい。


「大丈夫だって! 綾人なら身近に可愛い女の子いるし!」


 自慢げに言う海佳。

 しかしいくら周りを探しても、その可愛い子とやらは見当たらない。


「…………え、どこ?」

「見えないフリしないの!! 下にいるでしょー!!」

「あ、ごめん。小さすぎて見えなかった」

「んーーーー!!!!」


 海佳は頬を膨らませて、胸をポカポカと殴ってくる。結構力を入れて殴っているようだが、あまり痛くない。

 そしてその光景を見て、陽太と遥香は腹を抱えて笑っている。

 三人のおかげで、クラスのみんなから向けられた視線による気持ち悪さはいつの間にか感じなくなっていた。



***



 しかし、そんな四人の様子を物陰から少し顔を出して、真顔で見つめている者がいた。

 近づいて、話しかけようとする素振りは見られない。隠れて、ただずっと見ているだけ。

 当然四人は気づかないまま、やがて教室に戻っていってしまう。

 見失わないように、少し距離をあけて付いていく。

 それはさながら、ストーカーのよう。

 やがて教室に入っていくのを見届けると、まるで最初からいなかったかのようにひっそりと姿を消したのだった。

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