第25話

      ◆


 目が覚めた。

 どこだ?

 そうか、フォートラン級の四人部屋で寝たんだった。一瞬、アクルィカスの四人部屋と違いすぎて、混乱したようだ。

 カーテンを開くとまず自分が寝ていたベッドに明かりが灯る。カーテンの向こうは薄暗かった。室内の明かりは最低限の照明だけだ。アーキが隣のベッドに横になったはずだと記憶が蘇ったけど、カーテンは開いていて、しかし誰も寝ていない。代わりに折り畳まれた服が置かれていた。作業着のようだ。真新しく見える。

 よく見ればその上に紙が一枚、乗っている。紙とは、非現実的にも見えたが間違いなく紙だ。しかし、いかにもなメモ用紙だ。古典映画に出てきそうな。

 ベッドを降りて手を伸ばして紙を手に取る。実に機械的な、丁寧な筆跡で短い言葉が書きつけられている。

「とりあえずの着替え。好きに使って」

 その後に、アーキ、と署名があった。

 作業着の他にアンダーシャツがあり、作業着は手に取ってみるとつなぎではなく上下で分かれている。私の左肩を固めている固定具の上からでも羽織れるように、という心遣いだろうか。そう思っておこう。

 履いているズボンを履き替え、次にアンダーシャツを着替えた。左肩が使えないのでだいぶ苦労した。固定具の硬さにも遊びがあるが、捻ると鋭い痛みがするのでひやりとした。

 どうにか着替えてから、作業着の上着を羽織る。やれやれ、これで少しはホッとするというものだ。

 部屋を出る前に、壁に埋め込まれている端末を確認する。グリィスからこの部屋の端末にメッセージが届いており、私が手に入れたデータを確認した、という内容だった。そして、かなり大きな意味を持つ、とも添えられていた。

 グリィスはこれで任務達成、ということか。

 少しずつ全てが落ち着くべきところへ落ち着いていく感覚があった。

 他にも端末にメッセージがあるが、それは艦全体に通知されたもので、格納庫で全体での会議をする、というものだった。時刻が定められている。そこでワヴから今後について話をするのだと推測できた。

 無意識に、思考補完型人工知能で時刻を確認して、まだ間に合うとわかった。

 着替えたことだし、顔を出してみようか。

 自分用の小型端末がないことに気づき、会議に出るべきか否か、誰にも確認できないので、思い切って部屋を出た。武器はいつの間にか失っている。セントラルユニット管理室で負傷した後は、武器を手にする場面がなかった。トキマチの船に行く時には必要性を感じたが、グリィスがいたし、片腕しか使えないのでは万全に使いこなすのも至難だと判断したのだった。

 とりあえず、艦は安全だろう。

 通路には人の気配が残っているけど、姿はない。もう格納庫へ向かったということか。

 足早に進み、途中で迷いそうになって壁の端末で確認した。さらに通路を進み、シューターを使って階層を移動し、さらに通路を進むことで格納庫へ出た。格納庫と通路を隔てる扉は見るからに分厚く頑丈だったが、開きっぱなしだった。

 格納庫に踏み込むと、五十名を超える人々が集まって、めいめいに集団を作って話していた。

 その中でこちらに気づいた一人がさっと手を振って名前を呼んだ。

「マナモ!」

 その声は大きくも小さくもなく、しかし全体に響いたように錯覚された。急に場がシンと静まり返ったからだ。私はできる限り堂々と、ゆっくりとした歩調で人々の間を抜けていった。少しずつざわめきが戻り、元の喧騒に復帰していく。やや空気は変わっていたけど。

 私を呼んだイユスが申し訳なさそうな顔で出迎える。イユスと話していた数人は気を利かせたのか、私を避けたのか、自然と離れていった。イユスと私、二人だけの場ができた。

「悪い、目立たせてしまったみたいで」

「呼んでくれてありがろう、おかげでこうしてうまく混ざれた」

 なら良いんだ、と微笑んでから、不安そうな顔でイユスが私の腕を見た。

「ものすごい処置がされているけど、大怪我じゃないの? こんなところにいていいのか?」

「いけないかもね。でも薬が効いていて、大丈夫。医療用アンドロイドがちゃんと処置したし、いずれはちゃんと治るでしょう」

「なんて言ったら良いか、その……、僕たちの為にありがとう」

 実に照れくさいことを言われて、私は笑いをこらえ切れなかった。

「半分はリーヴァーのため、半分は自分のためだよ」

「星系防衛軍の仕事ってこと?」

「まあね。オフレコだよ」 

 もちろん、とイユスが真面目な顔で律儀に頷く。

 そこでざわめきが大きくなり、視線が自然と一点に向いた。私もイユスも、周りの視線の先を追い、そちらを見た。

 ワヴとミメが入ってくる。その少し後ろに、アーキの入ったアンドロイドが付いてくる。全員が彼らに向き直り、姿勢を正した。アンドロイドがほんの一瞬、私の方を見て微笑んだ気がした。気のせい、ではないだろう。

「楽にしてくれ」

 まずワヴはそう言って全員を見た。静かになり、全員が自然とワヴの言葉に集中する態勢になっていた。

 その全員に視線を巡らせ、ワヴは口を開く。

 言葉は重く、静かだった。

「俺たちはこれから、一時的に証人として保護される。イポン・ナヴィオ重工の違法就労の実態を知る証人としてだ。引き受けてくれるのは、まずニウロタット星系の防衛軍で、そこから銀河共同体議会の調査委員会の管理下に移る予定だ」

 声を漏らしたものは少数だった。ワヴはそれに対して口を閉じ、場に沈黙が戻り、完全な落ち着きが整ってから続きを口にした。

「イポン・ナヴィオ重工の罪が明らかになれば、俺たちには損害賠償として金が手に入る。ここからが重要だが、その金はきっと、さほど大きな額ではない。一生を暮らすほどではない。つまり誰もが、新しい生活を始めるしかない。故郷に帰ってもいい、新天地を探してもいい。とにかく、俺たちはまた、日常へ戻る。そういうことだ」

 今度は誰も何も言わず、無言だった。

 重労働から解放されたとしても、それで全てが終わるわけではない。どうにかして、生きていかなくてはいけない。工廠衛星アクルィカスからの脱出の成功は、ある意味ではゴールだった。

 ゴールだったが、新しいスタートでもある。

 誰もがそのスタートラインを前にして、思うところがある。

 明るい未来を見るものもいれば、次にやってくる苦難に気を重くする者もいる。

 しかし何をどう解釈するにせよ、生きているのだ。先へ進むこと、選ぶことは、避けられない。

 幸福を手にするか、平凡に生きるか、再び絶望に喘ぐかは、運と努力の結果であると同時に、選択を放棄することができない、生きるということ、そのものなのだった。

 それからワヴは全体に、今後の身の振り方を考え、一両日中におおよその回答を出すようにと伝えた。それをワヴとミメで取りまとめて、差配するようだ。

「フォートラン級はニウロタット星系軍に引き渡す。途中まではそこにあるシャトルで移動するしかない。窮屈だろうが、我慢してくれ」

 そのワヴの冗談には、笑い声が漏れた。格納庫に鎮座している一隻の宇宙船は、五十人分のシートはない。すし詰めになる未来は、冗談としては最適だった。

 穏やかで、明るい空気の中で、計画は成功したのだと、私はやっと実感した。

 まさにその空気が弛緩した瞬間、それが起こった。

 空気が抜けるかすかな音。

 ガス銃の発砲音。

 同時に甲高い音が短く鳴り、それに続いて短い悲鳴。

 ワヴをミメが突き飛ばし、ワヴが倒れこんでいた。

 銃声の方を見る。

 リーヴァーのメンバーの一人がガス拳銃を手にしている。

 銃口は起き上がろうとするワヴに向いている。そのワヴの上にはミメが倒れかかっていた。生死は不明。

 銃を構えている男のすぐそばにいる他のものは、しかし咄嗟のことで動けない。

 引き金を引く猶予は十分にある。

 私はそれを察し、理解していても、あまりにも距離がある。

 万全の体であっても、いきなり数メートルを移動することは、物理的に不可能だ。

 最悪の展開が幻視された。

 躊躇いなく数発の発砲音が重なって鼓膜を打った。

 しかし、想像は現実にならなかった。

 小柄な人物がワヴとミメの前に立ち塞がり、両手を広げて二人を庇った。

 その体が細く震えるように揺れるが、それだけだった。

 やっと状況を理解した男たちが、ワッと弾を撃ち尽くした銃を手に立ちすくむ男に飛びつき、床に引きずり倒して乱暴に拘束した。

 私はへたり込みそうになるのをこらえて、ワヴの方へ進む。視線の先では、ミメが床に寝かされ、鎖骨のあたりから出血しているのを数人の男女が必死に押さえて止めようとしていた。彼らの手が血の真紅に染まっていく。

「医療用アンドロイドがすぐに来る」

 そう言ったのは、まっすぐに立ったままミメを見下ろしている少女だった。

 人ではない。

 アンドロイド。

 アーキの仮の身体。

 そのアーキが私に気づいて、ちょっと得意げに胸を張った。

「どう? 私もなかなか役に立つでしょう」

 彼女の服には弾痕ができているが、体自体は破損はしていないようだ。

「そのアンドロイド、頑丈だったのね」

 我ながら場違いなことを言っているが、まだ状況が飲み込めていないのだ。

 最後までリーヴァーに混ざっていたサーキュレーターの一員の報復だろうか。油断とはこういうことを言うのだろう。ここでワヴやミメを襲撃しても何も意味はないが、意味のない行動をとってはいけない道理はない。

 アーキも状況の把握ができないのか、ニコニコしている。

 それともアーキには、人の死を本質的には理解できないのか。

 私も、ミメが今、危険だということが理解できていないところがあったけど、背筋を這い登る寒気は、理解の兆候だろう。

 軽い調子でアーキが喋るのが、どこか遠くからの声のように聞こえる。

「あなたがセントラルユニット管理室で襲われてから、実は戦闘用アンドロイドに交換したの。出番があってよかった、なんていうと不謹慎だね。まぁ、転ばぬ先の杖という言葉もある」

 どこかで習った古典的格言に、なんとなく頷きながら、私はミメの方を見た。横になっている彼女は目を閉じていて、顔はすでに白っぽくなっていた。周りにいる人たちの必死さと対照的だった。アーキも私の視線の先を見て、やっと口を閉じた。

 ワヴはミメのすぐそばに膝をつき、彼女の手を握っていた。

 医療用アンドロイドが到着する。二体だった。すぐにその場で処置が始められ、その頃には襲撃者は完全に武装解除され、拘束されて格納庫の壁際に寝かされていた。今にも暴力を加えそうなリーヴァーの男たちが取り囲んでいる。

 ミメのそばを離れたワヴは、仲間たちに歩み寄ると「適当な部屋に入れておけ。ロックして外に出すな」と声をかけた。一人が「それだけで済ますのか」と反論したが、語尾は激しい怒りのためか、興奮のためか、擦れていた。

 しかしワヴが発散している気配、紛れもない殺気は、離れている私の背筋を震わせるほどの凄みがあった。

「それで済ます。俺たちはそういう人間だ」

 それだけで男たちは怒りと憎しみに折り合いをつけたようだった。正確には、折り合いをつけようとし始めた。ワヴの怒気はそうさせるのに十分な迫力があった。

 まだ不満もあるだろうが、男はどこかへ連れて行かれ、格納庫から消えた。

 入れ違いに、アーキそっくりのアンドロイドが重力制御されたストレッチャーを持ってやってきた。アーキが二人いるのが自明になり、やや混乱する私だった。その場にいるリーヴァーの面々も困惑は隠せないようだ。

 しかしそれにはアーキも医療用アンドロイドも一顧だにせず、あっという間にミメをストレッチャーに乗せると、さっさと救護室へ引き上げて行った。

 そうなってやっと、ワヴが全体に解散を告げた。

 後味の悪い形になったが、もはや引き返す道はなく、選べる道もない。

 誰もが新しい一歩をここから、暴力と殺意の一場面から始めるしかなかった。

 床には血だまりができている。

 それは、進むための犠牲の必要性を暗示しているのか。

 そう思う自分を、私は嫌悪した。



(続く)

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