第26話
◆
救護室ではミメがベッドの上で目を閉じている。
すでに医療用アンドロイドは壁際に戻っており、治療を終えたことを示していた。医療用アンドロイドの説明することには、失血により意識が回復するまでもう少しかかる、ということだった。
傷は銃創が一つ。それは丁寧に処置されている。私の左肩と同様、ミメの肩のあたりも厳重に覆われていた。点滴のパックから液体がミメに投与されていた。
ベッドの脇にはワヴが立っていて、格納庫に姿を見せなかったグリィスもいる。
「ニウロタットへ連れて行くしかないな」
そっとワヴの肩に手を置いてグリィスが声をかけるのに、ああ、と短く返事をしてミメを見て、ワヴは何度か頷いた。言葉はなかった。
すでにリーヴァーの面々が宇宙船で脱出する時間が間近に迫っている。工廠衛星アクルィカスを身の回りの物さえ持たないような状態で飛び出したので、荷造りなどということは必要ない。
ワヴも乗る宇宙船は安全地帯に控え、グリィスが惑星ニウロタットの銀河共同体の出先機関に出頭する手はずになっていた。
ミメはまだ目覚めそうもなく、このまま私とワヴ、グリィスと共に惑星ニウロタットへ連れて行き、そこで正規の医療施設に保護してもらうのは絶対だ。フォートラン級で治療できなくはないようだが、宇宙船では追加の処置は不可能だし、動けない状態でいつどうなるかわからない宇宙船に載せるのは論外だった。
「時間だ」
そう言ったのはワヴで、彼は手を伸ばすと優しい動きで一度、ミメの額に触れた。ミメは、反応しなかった。
名残惜しさを振り払うような動きでワヴが身を翻し、扉に歩み寄る。
そこで一度、足を止めると背中を向けたままで、「任せたぞ、二人とも」と短く言葉を残し、開いた扉の向こうに今度こそ消えた。
私がその背中を追うように通路へ出たのは、そこに一人の人物が立っているのがワヴの肩越しに見えたからだ。格納庫へ向かおうとするワヴはその人物に「急げよ」とだけ言った。
私は通路に出て、彼と向かい合った。
「イユス、色々とありがとう」
イユスは普段通りの情けない表情になり、何もしてないよ、と笑った。
「それでも、ありがとう」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、こちらこそ、色々とありがとう。今があるのはきみのおかげだ。それにホント、色々と、ごめん」
「何も謝る必要はないわ。私は勝手にやりたいようにやっただけだし」
そう言ってしまうと、それ以上、何を言うべきか、わからなかった。
時間はない。まるで急かすように艦内放送で格納庫の宇宙船に向かうことを促す放送が流れ始める。アーキがどこかからここを見ているんかもしれない。ふざけた人格の知性体じゃないか。
歩きながら話しましょう、と私はイユスを促した。
二人で格納庫までの通路を歩いても、やっぱり二人の間にあるのは無言だった。長い距離があっという間になくなり、すぐに格納庫の開放された扉が見えてくる。
「またいつか、会えるかい」
格納庫に踏み込んだところで、イユスがやっとそう口にする。
私は即座に「もちろん」と答えた。それだけでは、と思い直して、言葉をつけたす。
「あなたがギャンブルを止めて、まともに生活していたら、会いましょうか」
ごもっとも、とイユスは笑っている。彼の中で決着がついた雰囲気が流れたのに、私は安堵した。私自身が何にも決着をつけることができていないからだ。
格納庫の真ん中にある宇宙船は昇降口を開放しているが、すでにがらんとした空間に人の気配はない。五十人なりが宇宙船に押し込められているかと思うと、ちょっと笑える。
私は足を止めて、「またね、イユス」と別れの言葉を告げた。
軽く顎を引くように頷いたイユスは、何かを決心した顔で私に歩み寄ると、そっと私の体を抱きしめた。
私は息を止め、動けなかった。
不快ではない。
当然のようにも思えるのは、何故か。
間近にいても、お互いに無言。
すっとイユスが離れ、真っ赤な顔で「また」と言うと、逃げるように駆け出して宇宙船の昇降口の傾斜を駆け上がり、船内に入っていった。そこへ間を空けずにシャトルの発進シークエンスが始まるアナウンスが格納庫に流れ始めた。
安全な位置まで後退した私は、シャトルの昇降口が閉まり、ふわりと浮き上がるとその場で回頭していくのを見守った。解放された隔壁から漆黒の宇宙へ滑り出していくのを、私はやはりただ見ていた。
フォートラン級はすでに超時空跳躍航行でトキマチが案内した宙域を離れており、現座標からなら、宇宙船の航行能力でグリィスが用意した避難場所へ辿り着ける。物資などはグリィスの協力者が都合してくれるそうだ。諜報局とは無関係の、そういう商売のものらしかった。
次に決断し、行動するのは私の番だった。
イユスの行動の真意を考えながら、私は発令所へ向かった。通路を進む最中にも、艦が動いているのを感じる。ニウロタット星系へ超時空跳躍するのだ。
それにしても。
イユスは魅力的な男性だったかもしれない。離れてみると途端にそんなことを思うのだから、人の気持ちというのは不思議なものだ。また会いに行ってあげてもいいかもしれない。私の気持ちも、しばらくすればフラットになるだろうし、イユスも冷静いなるには時間が必要だ。
脱走から始まる、ある種の祝祭日が終わったら、案外、お互いに感じた感情に不自然なものを覚えるようになるかもしれない。
それがいいことなのか、寂しいことなのかも、その時に判明するはずだ。
発令所へ戻ると、グリィスがニヤニヤして私を見た。怪訝に視線を返すと「感動の別れだったな」といった。それですべてわかった。
くそったれの知性体め。デリカシーのない奴。
本能的に発令所のメインスクリーンを睨みつけて、唸ってしまった。
「アーキ、あなた、実は礼儀なんて言葉、知らないのね」
そう言ってやると、格納庫の映像がスクリーンに出た。私とイユスが映っていると思ったら、イユスが私を抱擁する場面だった。録画していたらしい。しかも同じ部分が繰り返し再生される。
文句を言うのも嫌になり、思わず溜息を吐く私に、クワバラクワバラ、とグリィスが古典的でマイナーな呪文を唱えている。
「アーキ」
『何でしょうか』
知性体の見ている前で二度と迂闊なことはしないと心に誓って、冷静に指示を出す。
「惑星ニウロタットへ超時空跳躍航行。私のプライベートを覗いていて、仕事をしてないなんてことはないわよね。計算は終わっているのでしょう?」
『完了しています。いつでもどうぞ、艦長』
艦長?
グリィスを見ると、彼は無言で空席の艦長席を示す。しかし表情にはからかう色が強かった。
いつの間にか、私をからかうと面白いという認識が出来上がっているらしい。気分がいいものじゃないな。
それでも私は艦長席に腰掛けた。
「アーキ、虚航回路を起動。超時空跳躍航行、始動」
『了解』
スクリーンに「虚航回路起動」の表示が出る。
ぐらりと目眩が起こり、姿勢が乱れる。一瞬の不自然な脱力が消え、姿勢を戻した時には、スクリーンの表示は「跳躍完了」に変わっている。
メインスクリーンいっぱいに巨大な惑星が映る。
惑星ニウロタット。
が、のんびりと眺めている暇はなかった。警告音が響き、さらにスクリーンにいくつかの警告が出た。アーキの音声も流れるが、こちらは冷静そのもの。
『ニウロタット星系防衛軍の迎撃戦闘機が緊急発進。全部で二十四機。第二方面の迎撃艦隊がこちらに急速接近中。照準されるまで六〇秒』
オーケーと私は答えたけど、口の中はいつの間にか乾いている。緊張しているのか。
舌をもつれさせないように、指示を出す。艦長席に座るんじゃなかった。
「星系防衛軍に攻撃の意思のないことを伝えて。投降するとも。減速して、推進器は完全に停止。核融合機関、緊急停止」
『了解。メッセージを送信。推進器、出力ゼロです。核融合機関は停止まで一〇〇秒』
これでも攻撃されたら、どうしようもない。
戦いに来たわけではないのだ。
やがて戦闘機が飛来し、フォートラン級の周囲を飛び回り始めた。対艦ミサイルのロックオンをアーキは警告したけど、私は対処させなかった。戦闘機からも、こちらの意図を問う通信が入る。投降する、という旨のことを伝え、それ以上は口にしなかった。
一度、慣性で流されている艦を止めるように命じられ、私はアーキに実行させた。スラスターを最低限だけ起動させ、フォートラン級、静止。その頃には迎撃艦隊の宇宙艦が四隻、フォートラン級を取り囲んでいる。
しばらくの後、惑星ニウロタットの星系防衛軍軌道基地への入港が認められた。軍港である。私はここまでで身分を明かしていない。それが入港を認められるということは、グリィスが働きかけた結果だろう。
アーキが微速前進で艦を軌道基地へ近づけ、巨大なリング状のそれに十六カ所存在する桟橋にフォートラン級を接舷させた。ロボットアームが伸び、拘束具がフォートラン級をポートに完全に固定する。
「ここでお別れだな」
発令所でグリィスがそう言うと私に手を差し出してくる。そっと握り返すと、グリィスは嬉しそうに笑う。
「次も味方同士として出会うことを願っているよ」
「私も同感、と言っておくわ」
手が離れるところを狙ったようにアーキが声を発し、『星系防衛軍の海兵隊がハッチを破壊するか議論しています。破壊されるのも癪なので、開放していいですか』と確認してきた。
「ハッチは開放してあげなさい」
『了解です。艦長とその友人の安全を願っています』
気が効くのか、冗談が好きすぎるのか、よく分からない知性体である。
この後、私とグリィスは突入してきた海兵隊員に確保された。二人とも武装していないので、手荒な真似はされなかった。苦労したのは負傷者がいるということを伝えることで、彼らが安全に、ミメを確保したかは私には観察できなかった。しかし、まさか横になったまま意識がない、動けないものを乱暴にはしないだろう。
私はグリィスとも引き離され、独房のようなところへ連れて行かれた。
軌道基地は星系防衛軍の最大の拠点であり、構造物としても巨大である。ここには四軍の中枢が存在していて、全体を完璧に知るものはいないともされる。私が入れられた独房は、おそらく諜報局の独房だろうけど、私は見るのも入るのも初めてだった。
快適ではないが、長くいられる場所ではない。
私は拘束と同時に思考補完型人工知能の機能を制限する器具を首にはめられていた。これは容易には外せない。それでもおおよその時間はわかる。独房で過ごすこと十四時間の後、私は武装した兵士によって外に出され、今度は取調室に連れて行かれた。
そこは何度か仕事で使ったのことある取調室で、一人の男性が待っていた。
諜報局第三室の室長。
私の上官。
アーロン。
痩せ気味の壮年の男性は私に口元だけの笑みを見せ、まるでお茶の席に呼んだ客人にするように、椅子に座るように進めた。私が腰掛け、彼も坐り直す。私を連れてきた兵士は、アーロンによって退室させられ、部屋には私とアーロン、二人だけになった。
「異例だが」
アーロンが切り出す。唐突で、突き放すような口調だった。
「この部屋でのこれからのやり取りは記録されない」
私に去来するのは、緊張と、安堵。
このまま秘密裏に消されるかもしれないし、アーロンは本音を口にするのかもしれない。
私は緊張を解かずに、彼の目をまっすぐに見た。
諜報畑にありがちな、底の見えない沼、虚無の瞳。
私には馴染まなかった瞳の色だった。
(続く)
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