第22話

       ◆


 セントラルユニット管理室の強化ガラスに星海図が表示されたけど、私にはどこか分からなかった。ニウロタット星系の至近ではない。濃密なガスの渦の狭間のような場所で、正規の航路が走っているとも思えない。

「どこだ? ここは」

 私のすぐ横にいるグリィスにも分からないようだった。その間にも星海図は向きを変えていき、それはアーキが、というかアーキをサポートする人工知能が、艦の現在存在する座標を探ろうとしていることを意味する。アーキも即座に把握できないということか。

 状況を訊ねようとアーキの方を振り向くと、彼女は明後日の方向、何もない斜め上を見ている。

「アーキ?」

 彼女は、視線を動かさない。まるで人形のようだ。

 その口が開く。

「彼が呼んでいる。あなたに会いたいそうよ」

 焦点が合っていないような光り方をしていたアーキの瞳が、瞬きをすると普段通りに戻り、私を正面に見る。

「彼? 海賊のこと? それが私を? どうして?」

「興味があるんでしょう。私をほだした人間として」

 ほだした……。

 あなたはどうする? とアーキに言葉を向けられたグリィスは「宇宙海賊には興味があるね」と答えている。先ほどの冷や汗のことはもう忘れたらしい。

 アーキも気にした様子もなく、何度か頷く。

「じゃ、三人で行きましょうか」

「ワヴはどうするの?」

「別に一度しか会合を持たないわけじゃないでしょ。正式に対面するために、先に個人的にマナモに会いたいのよ。グリィスは護衛ということにしておくわ」

 個人的に、か。その辺りがアーキのいうところの「ほだした」人間に興味がある、ということらしい。

「ドレスコードもないし、行きましょうか」

「え? もう接舷しているの?」

「格納庫に入るサイズじゃないから、移動用のチューブを渡してある。第五エアハッチ。すでに気密は確認済みよ」

 第五エアハッチの場所を思い出そうとする前に、「案内しましょうね」とアーキが離れていく。私がそれについていくのに、グリィスも付いてくる。彼は救護室を出るときから電気銃を帯びているけど、今もストリングで肩から下がっていた。

 電気銃からグリィスの顔を視線を移動させると、彼は肩をすくめてからアーキの背中に声をかけた。

「武装は許されているわけだよな。まぁ、許して欲しいところだが」

「彼はそんなことは気にしないわよ」

 何でもないようにアーキが答えるのに、ちょっと鼻じろんでから「そうかい」とグリィスはこの話題を終わりにしてしまった。知性体が不気味だったか、それとも宇宙海賊が不気味だったか、どちらかだ。

 通路を進むと遠くで人の気配がしたが、顔をあわせることはなかった。リーヴァーの面々が戻ってきているが、まだ配置は済んでいないのだ。シャトルに押し込められて、体調を崩していなければいいのだけど。

 第五エアハッチにはすんなりと着いた。壁に組み込まれている端末を操作してハッチを開けるのかと思ったら、アーキが無線で操作したのだろう、勝手にハッチが開いた。

「ここまで知性体に自由にさせるのは、危険じゃない?」

 思わずそう言葉にする私に、すでにハッチをくぐってチューブの中に進んでいるアーキが振り向いて、さっと差し伸べる。

「だからこそ、知性体と仲良くしなくちゃね」

 やれやれ……。

 アーキの手を掴むと、すっと彼女が私を引っ張る。チューブの中は無重力だった。グリィスも私とアーキに続いたが、彼の背後で一人でにハッチが閉鎖された。退路を断たれるような印象を受けたけど、もしもの時に備えたのだろう。

 そう、アーキは油断していない。知性体は油断とは無縁か。

 宇宙海賊をアーキは信用しながら、警戒もしているようだ。知り合いでも油断はしないという姿勢は、合理的なんだろうけど、人間同士の関係では座りが悪い感覚だ。知性体の価値観や感覚は、やはり人間と違う。

 チューブの先はハッチで、そちらがもう海賊船だ。ハッチがゆっくりと開き、匂いの違う空気が鼻先を掠める。

 ハッチをくぐった先は、狭い通路だった。薄暗い通路を目の当たりにすると、フォートラン級がいかに贅沢にスペースを使っているかがわかる。

 その通路を音を立てて、旧型のロボットが進んでくる。私たちが見守る前で、ロボットは目の前まで来ると一礼するような動作をする。ぎこちなく状態を屈めるような動き。

「マスターがお待ちです。こちらへ」

 アーキの人工音声とも違う、不思議なイントネーションの声だった。ハードの型が古いせいだろうか。まさかソフトではないだろう。

 ロボットに案内されたのは、戦闘指揮室と表札が貼り付けらた扉の前だった。

 ごゆっくり、などと言ってロボットがどこかへ去っていく。

 一言も言わずに、アーキがその扉をノックする。アンドロイド特有の重く低い音がする。

 宇宙船なのだ、内部で返事などあっても聞こえないのが当たり前だ。大抵の宇宙船は端末が壁に埋め込まれ、それで部屋の内と外で意思疎通し、ドアの開閉をする。

 そのはずなのだが、この戦闘指揮室の壁には端末がない。

 どうなるのだろう、と考えた時には、不意に扉が開いた。アーキはなんでもないように自然と中に入っていくが、私はすぐには足を踏み出せなかった。グリィスに至っては、電気銃の位置を加減していた。

「入って来なよ」

 アーキに促されて、私は室内に入った。奥する気持ちは即座に押し込めた。気を飲まれている場合ではない。グリィスも続いたところで扉が閉まる。この時もまた、閉じ込められたような錯覚がある。

 戦闘指揮室は通路以上に薄暗く、見通しがきかない。部屋の中央に円筒が立っており、それを取り巻くように無数の映像が映し出されいる。その明かりが室内の明かりの全てだ。

 目を凝らしたところで、円筒奥から誰かが進み出てくる。

 長身だった。ニウロタット星系ではあまり見ない背の高さ。弱重力の環境で育ったのかもしれない。中性的な面ざしだけど、口元を見ると男性らしいとわかる。口の引き結び方がそう連想させる。髪の毛は長くし、背中に流している。判然としないが、灰色、もしくは銀髪のようだ。

 目元はバイザーで覆われている。瞳は見えないが、視線は感じた。

 私を見て、次にアーキを見る。

 わずかに口元に笑みが浮かぶ。

「久しぶりだな、アーキ。無事に完成したようで何よりだ」

 ガラス細工が喋ればこんな声になるだろう。高く澄んでいて、硬質だった。

 アーキは「まあね」と答えてから、「あなたのおかげよ、トキマチ」と付け足した。

 鼻を鳴らした男性、トキマチという名らしい人物は、少しだけ笑みを深くした。

「戦闘経験の一部を移植しておいてやったのが良かったな。役に立っただろう?」

「正直、あれがなければ手も足も出なかったかも。でも、私に適した戦闘経験でもなかった」

「贅沢を言うな。勝てばいいんだ。沈まなければいい」

「まさにその通り。だから感謝しているでしょう」

 正直にもなったな、と男は頷くと、それからやっと私を見た。

「工作員だな。雰囲気に覚えがある」

 雰囲気に覚えがある? 工作員というのはアーキが事前に伝えたのかと思ったが、違うようだ。アーキが油断しない姿勢を見せていたことで、私も緊張していたつもりだが、一層、気を引き締める必要があるようだ。

 態度も、言葉も選ぶ必要がある。

「私はあなたに覚えがない。私のことを知っているのですか?」

 軽く男が顎を引く。

「思考補完型人工知能には癖がある。宿主の癖だな。意識や思考の癖が露骨に出る。ニウロタットで何度か、お前の気配を感じた。それだけだ」

 癖。そんなものがあるとは聞いたことがない。ハッタリだろうか。そんな雰囲気ではないが。

 私の逡巡を察したのか、男がさりげない様子で手を掲げた。

 その指先で本当にかすかに光が瞬いた気がした。

 その次には私の左腕に痺れが走り、名状し難い何かが頭に飛び込んできた。

 何かの設計図。いや、組織図。

 付随する情報が多すぎるが、それは今は問題ではない。

 問題にするべきは、目の前の男性が手も触れず、私の体に寄生する思考補完型人工知能に働きかけ、情報を強制的に送り込んだことだ。思考補完型人工知能を宿すもの同士なら、接触することで情報交換は可能だが、それもお互いに承認が必要になる。一方的に押し付けることはできない。防壁が拒否する。

 私の防壁は今も展開されている。されているはずだが、突破された?

 固定されて動かせない左腕の痺れに手をやる私の前で、男はしかし平然としていた。泰然としていると言ってもいい。

「もう少し防御に気を使うべきだな。情報を抜かれるぞ」

 あなたは、と言いかけて、そこで言葉が詰まってしまった。

 トキマチという目の前の男も、思考補完型人工知能を宿している。間違いない。

 それも、私とは比べ物にならない深さまで、融合している。

「あまり彼女をいじめないで、トキマチ」

 アーキが間に割って入るように位置を変えると、トキマチが肩をすくめる。

「ちょっとした教育だ。迂闊な奴を見るのは我慢ならん」

 それに、とトキマチがいうのとほぼ同時に通路に通じる唯一の扉が開き、何かが入ってきた。薄暗いが、先ほどのロボットの輪郭が見て取れる。何かを運んできている。なんだ?

「それに、飲み物が来るまでの暇つぶしだよ。座る場所もないが、しばしご歓談、ってことになる」

 グリィスが刺々しい目つきで見据えるが、トキマチは彼を無視していたし、その態度を変える様子はない。トキマチからすれば、グリィスが何をしても、何が起こっても対処できるという風でもあり、私やアーキとは違ってグリィスには興味が全くないようにも見えた。

 トキマチは円筒の奥へ戻ると、そこで椅子に腰掛けた。部屋で唯一の椅子だった。

 ロボットが私のそばに来て「粗茶ですが」とすぐには意味が理解できないことを言ったけど、それはどうでもよかった。コーヒーの良し悪しなんて、私にはわからない。

 それぞれに飲み物を手に取ると、ロボットはトキマチにもカップを渡しに行った。悠然とそれを手に取り、彼は口を開いた。

「フォートラン級をどうするつもりだ?」

 決めていない、と私が答えようとするのに、グリィスが割って入った。

「あんたには関係ないはずだ。それとも力づくで奪うかね。宇宙海賊らしく」

「関係はある。フォートラン級を教育したのは俺だからだ」

 これにはグリィスも言葉を失い、私はすぐそばに突っ立っているアーキに反射的に視線を走らせていた。

 そんな私に、彼女を悪びれた様子もなく答える。

「言うのが遅くなったけど、私の教育係が彼、トキマチなのよ。フォートラン級を強奪する計画を立てて、私に接触したわけ」

 ……そういうことは先に言え。



(続く)

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