第19話

      ◆


 惑星ハーベンバーの至近に再物質化した巨大な構造物がある。

 元は駆逐艦として設計されたが、複雑な改造を施された宇宙艦「ロマンサー」である。

 サーキュレーターが奪い、我がものとした宇宙艦である。目撃者や記録から巧妙にすり抜け、実在するとはされても、実態はほとんど秘匿されている。

 サーキュレーターの切り札だ。

 それがハーベンバーの大気のない地表へ、高速で降下していく。

「フォートラン級を捕捉しました」

 ロマンサーの発令所では、思い思いの私服姿の乗組員たちが端末を操作している。慣れた手つきで、合理的、効率的に作業が進行していた。

 艦長席の男が、報告した一人に言葉を返す。

「どうだ、本当に墜落したのか?」

「地表に深い溝ができていますから、不時着というべきでしょう。艦に異常が生じたようには外観からは見て取れません」

「つまり、死んだふりか? 下手な演技もあったものだ」

 その艦長に別のものが報告する。

「フォートラン級から非常回線で警告が飛んでいます。核融合機関が暴走しているという内容です。脱出するものを優先して保護することが汎宇宙法で定められている、そういう警告です」

「馬鹿な。それも演技だ」

「俺もそう思います。しかし実際に、脱出しているシャトルが二隻と、いくつかの救命ポッドを確認しました」

 これには艦長席の男は唸り声をあげた。

 サーキュレーターとしてはフォートラン級を拿捕するのが目的であり、破壊する意図も意味もない。惑星ハーベンバーに誘導したのは、ニウロタット星系防衛軍の艦隊が到着するまでの時間稼ぎのためと、自分たちが至近に展開していたからにすぎない。

 そもそも墜落も不時着も必要ないはずだった。リーヴァーを名乗る脱走集団を利用し、フォートラン級は内部から制圧されて、あっさりとサーキュレーターの手に落ちる計画だったのだ。

 それが、内部にいるはずの工作員から連絡は途絶え、フォートラン級はまるで制御されていないように、緩慢に、しかし確実に惑星に落ちていき、今、核融合機関が暴走しているなどという。

 ありとあらゆることが計画にないシチュエーションになっている。

 艦長席の男は人工知性体パウロニアに質問した。

「パウロニア、お前はどう見る?」

『はい、マスター』

 流麗な女性の声が発令所に流れる。優雅とも言っていい調子だった。

『フォートラン級の核融合機関が事故で暴走する可能性は低いと思われます。仮に核融合機関が暴走するとすれば、フォートラン級自体を消滅させる意図があると考えられます。ですが、フォートラン級にそうする理由はないはずです。つまり、非常回線での警報は欺瞞です』

「リーヴァーとやらの知恵かな」

『ありえません。最新鋭の宇宙艦を専門知識もなければ訓練も経験も積んでいない労働者が、万全に運用できるなど夢物語です。脱出したシャトル、ポッドには実際に人が乗っているのでしょう』

「では、フォートラン級は無人か? 知性体が制御している?」

 思わず舌打ちした男は、内心で潜入したはずの部下を呪った。

 知性体が収まっているセントラルユニットは、積極的に艦の運用に関与し、乗組員の負担を肩代わりする。その一方で、知性体そのものが艦を実際的に掌握することは不可能に近い縛りが設定されている。公には安全のためとされているが、それは観測者によって見解は異なるだろう。

 ともかく、その縛りこそが、人間が物理的に操作しない限り解除できないものであり、解除するには二つの鍵がいる。フォートラン級、そして工廠衛星アクルィカスに潜入させたものに、その解除キー、物理的な鍵を盗ませるのは絶対に必要なことだった。

 だが、おそらくその鍵はリーヴァーの手に渡ったのだろう。仮に潜入しているサーキュレーターのものが失敗しても、セントラルユニット管理室がそもそもサーキュレーター側に制圧されているはずだったが、それも失敗したらしい。

 そして鍵は魔法の鍵へと変わり、フォートラン級の知性体を解放したのだ。

 ややこしいことになった。鍵の偽造が困難である以上、鍵は必要だったが裏目に出た。

「ボス」

 端末の一人が緊張した声を漏らした。

「フォートラン級が警告の発信を停止しました。沈黙です。それと、脱出したシャトルの片方から潜入したニュートの端末の信号が発信されています。救難信号です」

「ニュート? 誰だ?」

「強制労働者のふりをさせて送り込んだ奴です」

 そんな奴もいたな、というのが男の感想だったが、それは胸の内にとどめて、「そうか」とだけ言った。

 パウロニアに確認するまでもなく、フォートラン級はロマンサーにシャトルの片方、ちょうど離れようとしている一隻を収容させようと誘導しているのだ。それでロマンサーを物理的に遠ざけ、足止めし、時間を稼げる。しかもそのシャトルには仲間が乗っているのだから、サーキュレーターからすれば見逃せない、という打算もあるだろう。

 ふざけたことを、とは口にしなかった。

 乗ってやるものか、と思ったからだ。

「シャトルは無視する」

 男は一言で決断し、発令所の誰もが反論しなかった。下手を打ったものは、相応の末路を辿る。それがサーキュレーターの考え方の一つだった。シャトルはいずれ回収すればいい。どれだけが無事かは知らないが、シャトルの中で感じた恐怖は彼らの意識を変えるだろう。

 勝者になるべし。それがサーキュレータの理念の一つである。

「これよりフォートラン級を拿捕する作戦に入る。全艦、戦闘態勢」

 その一言で艦内にサイレンが鳴り、発令所以外でも一〇〇名を超える乗組員が動き始める。改造駆逐艦ロマンサーは滑り降りるようにフォートラン級へ接近していった。

 フォートラン級が、わずかに震えたのをロマンサーの発令所のメインスクリーンに見たものは、ほんの数名だった。

 次の一瞬には土砂が吹き上がり、激しい土煙にフォートラン級は覆い隠されて見えなくなった。ロマンサーの操舵士が舵を引き上げ、艦首を持ち上げたロマンサーが沸き立つ粉塵の上をすり抜ける。

 一度、パスしてから、急旋回。発令所でも激しい横Gを感じるほどの強引な機動だった。艦が軋む音が響き、乗組員たちの肝を冷やした。

 惑星ハーベンバーは重力が強い。大量の塵はあっという間に地表へ落ちるが、その幕を突き破ってフォートラン級が飛び出していく。

 ちょうどロマンサーの先を行く形になった。

 こうして艦対艦の近接戦闘が始まった。

 唐突にフォートラン級が艦首を真上に向けた。緩慢な動作ではない。まるで木の葉が風に翻るような機敏さだった。

 乗組員が死ぬような動きに、ロマンサーの発令所の面々が絶句する。

 だが、驚きはさらなる驚きに塗り替えられる。

 フォートラン級はさらに艦首を振り回し、正確に百八十度回頭すると背面の姿勢でロマンサーと向かい合っていた。

 常軌を逸した光景、常識はずれの運動だったが、ロマンサーの操舵士は驚きこそすれ、最後の一線で思考を放棄しなかった。それはサーキュレーターの一員として、実戦を経験していることが作用したと言える。

 追突する、とまず思った。

 だが、そうならない。

 フォートラン級が姿勢制御用スラスターだけで後ろへ向かって進んでいる、後進していると遅れて気づいた。

 そして次に、フォートラン級の武装が解放されているのを見て取った。砲塔がせり出している。

「防御態勢!」

 火器担当するものが叫びながら、素早く端末を操作する。

 フォートラン級の両舷に展開されていた粒子ビーム速射砲が明滅する。

 指向性の特殊粒子が数発、回避行動をとったロマンサーに着弾。装甲を瞬時に溶かすが、貫通する威力はない。

 それだけで済んだのは即座に展開した対粒子防御フィールドが、細かな紫電に粒子ビームを分解して防いだからだ。

 この時、ロマンサーの火器担当者は即座の応射しようとした。もちろん、対粒子防御フィールドを展開している以上、実体弾しか使えない。

 艦は捻れるように機動しつつ、以前、背面での後進を続けるフォートラン級と向かい合ったままだ。

「ミサイル攻撃! 短距離、高速、多弾頭!」

 艦長席の男が口早に指示を出す。

 復唱して火器担当者が素早く他弾頭ミサイルを選択。発射管一番から四番を開くと宣言。

「一番二番、発射!」

「一番、二番、発射!」

 ロマンサーから小型のミサイルが二発、目と鼻の先のフォートラン級に向かう。

 この時、ロマンサーの発令所にいたものは、まるで空間が歪んだような錯覚を覚えた。

 フォートラン級が艦そのものを捻るように運動し、一発のミサイルを最低限の動きで回避した。弾頭が炸裂し小型の誘導爆弾がばら撒かれたが、あまり間合いが近すぎたためにフォートランを捉えきれない。

 ただもう一発がある。

 それもまた、常識では考えられない動きでフォートラン級がやりすごしていく。

 水面で魚が跳ねるようだった。

 ロマンサーと正対している艦首を軸に艦尾が上に上がり、倒立し、倒れこむ。その様はまるでロマンサーに覆い被さるようにも見えた。

 二発目のミサイルは健気に目標を追尾しようとし、あるいは弾頭から誘導爆弾を放射すればフォートラン級を捉えられたかもしれない。 

 しかし、そんなことをすればほぼ確実に、ロマンサーも巻き込まれた。それほどにこの時、ロマンサーとフォートラン級は接近していた。巨体を感じさせない、素早い動きだが、艦内で何が起こっているかは想像できない。

 結局、ミサイルは安全装置が稼働し、誘導爆弾をばらまく前に明後日の方向へ逸れていく。

 デタラメな回避術に目を見張っている暇は、ロマンサーの乗組員にはなかった。

 横向きの強烈な衝撃がかかり、艦が横滑りする。発令所のメインスクリーンに警告がいくつも並ぶ。装甲の一部が歪み、艦の骨格に軽微の損傷。それと地表が迫っているという警告である。

 こいつ、と思わず艦長席の男が言葉を漏らす。

 フォートラン級は実際的にロマンサーの上に覆いかぶさり、艦に艦をぶつけ、そのまま全力で押し込んできている。それは、惑星ハーベンバーの地表との間にロマンサーを挟もうとしているのが自明の行動だった。

 聞いたことのない戦い方だった。そんなことをすれば仕掛けた方も無事では済まない。

 いや、フォートラン級なら耐えられるのか。

 逡巡している間にも、ロマンサーは抑え込まれ、地表との高度を示す数字が見る見る間に桁を小さくしていく。

 ぶつかる、と誰かが言ったような気もしたが、仮に言ったとしても、実際には耳に届かなかっただろう。

 激しい衝撃、激しい揺れにロマンサーの乗組員は翻弄され、体を支える何かがあったものは幸運だった。捕まるところ、すがるものが何もない乗組員は壁に、天井に、床に衝突することになった。艦内の重力制御が追いつかない事態だった。

 発令所も同様だった、全員がシートに体を固定している。ベルトが体に食い込むのに耐え、彼らは激しい動揺を乗り切った。

 いや、揺れは続いている。そして警報も警告も続いている。

 馬鹿な、と艦長席の男が漏らす。

 ロマンサーは完全にフォートラン級と地表の間に挟まれ、身動きが取れなくなっていた。フォートラン級は健在だった。

 化け物め、と呟いた声は警報の中に埋もれた。

『艦長』

 不意に静かな、落ち着き払った声がロマンサーの発令所に流れる。

 知性体、パウロニアの声だった。

『拘束を脱出する手段があります』

 発令所に流れた空気を、表現する言葉はなかった。

 安堵でもなければ、怒りでもなく、すがる思いもなければ、突き放す意識もない。

 投げやり、が一番近かっただろうか。

「言ってみろ」

 艦長の言葉に、パウロニアはなんでもないように進言した。

『シャトルを撃ちます』

 これにはさすがに発令所の空気の温度が急降下した。艦長席の男でさえ、わずかにたじろいだようだった。

「シャトルというのは、フォートラン級から脱出したシャトルか」

『そうです。まず私たちの仲間の乗る船を撃ちます』

「撃ってどうなる。仲間を殺すのか」

『おそらくフォートラン級はシャトルを守ります』

「ありえない。無視されるだろう」

『知性体は人間を無視できません。ロマンサーからまずシャトルをロックオンしてください。フォートラン級を揺さぶります。一発目を際どく外すのも効果的です』

 デタラメなことを言う、と艦長席の男は思ったが、他に手段はなさそうだった。このままでは規格外の頑丈さと機動力を発揮しているフォートラン級によって、惑星ハーベンバーの地表に押しつぶされる。

「仲間を死なせるな」

 その一言は重い一言だったはずだが、パウロニアは『もちろんです』となんでもないように答えた。そしてやはり同様の口調で『照準を補佐します』と宣言し、これで火器担当者は我に返った。

 ロマンサーの長距離粒子砲に充填されたエネルギーが収束される間に、火器担当者は離れた地点に浮かぶ宇宙シャトルの一隻を照準した。そうしている間もロマンサーは揺れ続けている。照準は定まっては外れるを繰り返すが、まだ撃たない。

 シャトルが照準されていると察しているはずのフォートラン級の様子にも変化はなかった。

 火器担当者は照準モニターを祈るような気持ちで見ていた。

「撃て」

 艦長席からの声に、覚悟を決めた。

 照準は、合っている。ロックオン。

「発射」

 宣言と同時に引き金を引く。

 当たる。

 この一瞬の間に起こったことは、後にならなければ全体は把握できなかった。

 ロマンサーの至近で激しい放電現象が起こり、艦の振動が消えた。

 その時にはロマンサーを押し込んでいたフォートラン級もまた、消えていた。

 ロマンサーが発射した粒子ビームはまっすぐにシャトルへ向かって飛び。

 粒子ビームとシャトルの間で、情報化でロマンサーの至近から消失したフォートラン級が再物質化する。

 再物質化した直後のフォートラン級の装甲が粒子ビームを逸らす。装甲には融解した赤い筋が入り、一度は液化した装甲の一部がキラキラとした結晶となって宙に散る。

 ありえない、とロマンサーの発令所で、艦長席の男が漏らす。

 パウロニアの発想は正しかった。フォートラン級は人命を優先した。そのために自身を危険に晒しさえした。

 どういう発想をしている。人命のためなら撃沈されても構わないということか?

 それとも、すべては計算の内か。撃沈されるはずはない、と。

 知性体の思考は、人間には理解できない。

『艦長』

 パウロニアの勝ち誇るでもない普段通りの口調に、発令所の面々は我に返った。

「なんだ」

『増援です。「ラピスラズリ」が来ました』

 ラピスラズリもサーキュレーターが運用する宇宙艦だった。強奪したものを様々に改造し、ロマンサーと同等の戦力である。

 しかし、これでフォートラン級を安全に拿捕できる、とはロマンサーの誰も思っていなかった。

 むしろ、二対一になったことでフォートラン級が決死の行動をとることもありえた。

 たった今、フォートラン級は敵が乗っているシャトルを守った。なら、リーヴァーとやらのメンバーが乗っているシャトルはなおのこと、守るだろう。つまりフォートラン級はここで戦闘をせず、超時空跳躍航行で離脱するという選択肢がない。それを選べるのは、シャトルを回収してからだ。

 つまり、フォートラン級はラピスラズリの登場により、戦うことを選ぶしかなく、それも相手を無力化するような戦い方を選ぶ可能性が高くなった。

 ロマンサーの艦長席で、自分たちが成功に近づいているのか、それとも無謀なことをしようとしているのか、サーキュレーターの男は逡巡していた。

 フォートラン級はゆるやかな弧を描いて移動し、ロマンサー、そして軌道上から降りてこようとするラピスラズリを伺っているように見えた。

 それは、獲物を前にした肉食獣のようにも見えた。

 機を見ているように。



(続く)

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