第18話

       ◆


 セントラルユニット管理室で、私は肩の傷を縫われ、止血剤を塗りこまれ、パッチを当てられた。パッチは救急キットの中での一番大きなものでやっと間に合った。このパッチは場合によっては切り分けて使うのだけど、私は丸ごと一枚、肩に貼った。

 その間にグリィスがやったことは目を覚まさないイレイナを拘束し、連絡をしていた彼に近いリーヴァーのメンバーに飲み物を届けさせたくらいだった。彼は水を受け取ると部下をどこかへ戻し、それからはセントラルユニットそのものである巨大な球体と部屋を隔てる強化ガラスの表示を熱心に観察していた。

 こちらに興味がないようなグリィスが調達してくれた飲み物をありがたくストローで吸いながら、ミメが特殊な増血剤を投与してくれるのを眺めるうちに、私も意識がしゃんとしてきた。実に効果のある増血剤で、その辺りはフォートラン級が軍艦であることを意識させられる。万全の装備がテスト航行の段階でも揃っていたことに感謝しよう。テスト航行で艦内で負傷者が出ることを想定していたとすれば、いやはや、恐れ入った。

 点滴されている増血剤のパックを手にしたミメがグリィスに声をかける。

「私は発令所へ戻るけど、あなたは?」

「俺はもうちょっとここにいよう。何者かが狙ってくるかもしれない」

「リーヴァーの中に裏切り者がいるってこと?」

「そうなるな。事実、一人、紛れ込んでいたわけだし」

 三人の視線が反射的に仰向けに寝かされているイレイナを見るが、彼女は実に安らかに眠っていた。胸がかすかに上下している。死んではいない。

 ミメは私を見て、「あなたはどうする?」と聞いてきた。

 私はできれば横になって休みたかったけど、セントラルユニット管理室では床に横になるしかない。椅子さえないのだ。管理端末は立って扱うようにできている。

 救護室があったはずだ、と言おうとした時、「私が案内しようかな」と第三者の声がした。

 機敏に、よく訓練された動きでグリィスが声の元、通路に通じる扉に銃口を向ける。

 そこには少女がにこやかな表情で立っており、この艦にそんな少女は一人しかいない。

 アーキの操るアンドロイドだ。

 自然な足取りで入ってくると、「すごい姿ね」とアーキが呆れたように言う。私は左肩を治療するために上半身は下着だけだったし、履いているズボンも汚れていないところを探す方が難しい。

 そのアーキの一言で、やっと私はグリィスが強化ガラスの方ばかり見ている理由がわかった気がした。艦の状態を知りたかったのと同時に、私に遠慮して、視線を外していたのだろう。

「ちょっと拍子抜けするけど、私の服を貸してあげる」

 言うなり、アーキが服を脱ぎ始める。またグリィスがさりげなくそっぽを向いた。

 アンドロイドはこの時も明らかにサイズの合わない服を着ていて、それが逆に都合が良かった。それでもアーキを裸にするわけにはいかないので、イポン・ナヴィオ重工の事務職用制服のボレロとスカートだけを借りる。アーキは長いシャツを一枚着ているだけになったけど、丈が長すぎるほどなので、卑猥ではない。いや、逆に卑猥か?

 私も実に頓珍漢な服装になったが、肌の露出は減った。

 振り返ったグリィスが顔をしかめて、「おかしな夢を見ている気分だ。それも、うなされそうな夢だ」と漏らしていたけど、女性二人と知性体は聞かなかったふりをした。非常事態だという意識がそうさせるのと同時に、男性への幻滅もあったかもしれない。

 ともかく、私はアーキに支えられて立ち上がり、救護室へ向かうことにした。点滴されている増血剤のパックはまだ少し中身があるので、普段とは格段に重く感じる右手で自力で持った。その右脇にアーキが首をつっこむようにしている。

「何かあれば、すぐに連絡して」

 ミメはそんな言葉を残して、私の血で汚れた服のまま、発令所へ戻っていった。グリィスは先の発言の通り、セントラルユニット制御室に残った。

 人気のない通路を救護室へ歩きながら、私はアーキに問いかけた。

「あなた、イレイナの裏切りに気付けなかったの?」

「怪しいとは思っていたかな。でも私からすれば、人間の敵味方なんて、曖昧なものだし。それでもあなたを向かわせたのは、正解だったでしょう? あなたじゃなければ、返討ちは確実だから」

 褒められているのか、空気が読めていないか、微妙な発言だ。これでも重傷を負っているんだぞ。

 済んだことは水に流すことにして、別の話題を振ってやる。

「艦はハーベンバーに墜落したようだけど、これからどうするの?」

 アーキはなんでもないように答えた。

「墜落じゃなくて、不時着。これからあるはずの近接戦闘の前に、乗組員を一度、脱出させようと思う」

「近接戦闘っていうのは、追撃があるということね」

「ほぼ確実にあるでしょう。私を迎え入れるつもりでね」

「戦闘になるのなら、あなたに任せるしかない。リーヴァーの乗組員は邪魔でしょう。それで、脱出ってどうやって実行する?」

「格納庫にシャトルが都合よく二隻あるから、片方にサーキュレーターのみなさんを押し込んで、放り出す。どうせ、後詰が来るんだから勝手に回収するでしょう。もう片方には、リーヴァーの皆さんに入ってもらう。窮屈だけど、仕方ない。乗れない分は、私の緊急時脱出用のポッドを使う」

 宇宙艦同士の近接戦闘がどういうものか、私は知識でしか知らない。それも人間の乗組員が操艦しての近接格闘だ。知性体の直接制御下での近接戦闘とはどういうものだろう。

 果てしなく長く感じる通路を進みながら、アーキは話を続ける。

「どうもリーヴァーのメンバーの中に、まだ敵が混ざっているかもしれない。なので、予告なしに退艦が必要な警報を出して、乗組員を無理やりに放り出すことにするわ。それが一番、艦の安全に繋がるし」

「内部で破壊工作をさせない、ってわけね」

「さっきはかなり危なかった。危機一髪、って感じかな。セントラルユニット管理室の強化ガラスは並大抵の攻撃には耐えるけど、絶対に破壊されないわけじゃない。それに、しばらく前からセントラルユニットへの不正規アクセスを試みる動きもあった。あの部屋に寝ていた彼女がやったの。まぁ、そちらも私の防壁を突破するには足りなかったけど」

 落ち着き払っているアーキの言葉に、私はすぐそばに密着している少女の中身が恐ろしく感じられた。

 人間と同じ器に入っているだけの、次元の違う存在。

 その畏怖が危うく言葉になりそうになるのを、グッと堪える。

 重いなぁ、と言いながらアーキが無造作に私を揺すり上げて、揺れで肩に激痛が走った。その痛みのおかげで、私はどうしても思い出すアーキへの畏れを少しだけ忘れられた。

 狙ってやったとすれば、手に負えないが。

 ついに救護室にたどり着く。扉はひとりでに開き、内部に勝手に明かりがつく。アーキが操作しているようだ。医療用アンドロイドが勝手に起動し、私を運ぶのをアーキから引き継ぐ。このアンドロイドは人型とはいえ、アーキが使っているアンドロイドほど精巧に人間そっくりにはできていない。いかにもなロボットという外見である。

 ベッドに寝かされ、医療用アンドロイドが各種センサーで私を調べ始めたところで、アーキがさも疲れたように背筋を伸ばす動きをする。疲れるわけもないだろうに。

「じゃあ、マナモ、また会いに来るね。そこでしばらく、じっとしているように」

 軽い調子でそう言ってアーキは救護室を出て行った。

 声をかけようとする私の視線の先で扉が閉まり、アーキが見えなくなり。

 急に照明が赤に変わる。同時に艦内放送が流れ始めた。

 核融合機関が暴走している。非常事態につき、乗組員は速やかに脱出せよ。

 その内容が繰り返される。本物の非常事態だと思わせるリアリティがあるのは、アーキが本当の非常事態に起こることを再現しているからだ。まさに本物のなのである。

 不安になるのは私も同じだ。私の体をスキャンし終わり、増血剤の点滴の針を無造作に抜いて、勝手に別の点滴を始めようとしている医療用アンドロイドを見た。見たが、特に手を止めるようではない。

 このアンドロイドには非常事態が虚構だとわかっているのだろうか。そうか、アーキが艦の全てを掌握した以上、医療用アンドロイドさえも支配下に置いているのか。

 淡々としながら、脅迫感のあるアナウンスも、非常灯の赤い光も、医療用アンドロイドの仕事を妨害しなかった。鮮やかにして繊細な動きで点滴の針を打ち直し、次に左肩の治療に移る。止血剤が効果を発揮しているようだが、それでもパッチは赤く染まっていた。

 ミメの治療は最適ではなかっただろうけど、医療用アンドロイドは傷口を縫い直したりせず、止血剤を塗り直しただけだった。もし人間の医者だったらミメの処置に文句の一つでも罵声まじりに口にしたかもしれないが、アンドロイドは無口だ。

 フォートラン級は内部の騒々しさとは別に、物体としては静かなものだ。ピクリともしない。不時着したままということだ。

「処置は終わりました」

 私の左肩を完全に固定して、その上で裂けていた耳にも処置をしてから、医療用アンドロイドがそう言った時には、脱出を求めるアナウンスが鳴り始めて、だいぶ時間が過ぎていた。

 アンドロイドが優しげな、しかし機械的な音声で告げる。

「このベッドを中心に重力場を展開します。お休みになられてください」

「重力場?」

「放り出されることはありません。締め付けもありませんが、姿勢はベッドの上で安定します。ご安心を」

 つまり私はフォートラン級から降ろされることはないらしい。それもそうか。我がことながら忘れそうになっているが、重傷を負っている。それにこうして一度、横になってしまうとすぐに立ったり歩いたりするのは億劫だ。どうにも体の感覚が怪しい。やけに眠いようにも感じる。薬のせいか、失血のせいか。

「私はすぐそばにおりますから、何かあれば、なんでもお申しつけください」

 そう丁寧に宣言すると医療用アンドロイドは壁際に移動し、それきり動かなくなった。省エネということらしかった。もしくは安全のためか。ベッドに覆いをかけていないから、不規則な衝撃でアンドロイドが私の方にすっ飛んでくることは、ありえなくはない。もっとも狭い医務室なので、最悪、アンドロイドが部屋中を跳ね回って私がそれに巻き込まれることはありうる。

 冷や汗が流れる想像はやめにして、私は一度、目を閉じた。

 眠ろうとは思わなくてもそうすると自然と眠くなる。

 感覚が曖昧になり、意識の輪郭が滲んでいくのが不思議と俯瞰するようにわかる。

 ついに意識は拡散し、私は眠りに落ちた。

 何も聞こえなくなり、見えなくなった。

 静寂。

 漆黒。

 安定。

 無。



(続く)

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