第17話

       ◆


 アーキを発令所に残して私はセントラルユニット管理室へ向かっていた。

 知性体による最優先操艦権限を承認するためで、私の手には艦長と副長が持つことになる二種類の鍵がある。物理的な、超硬合金製の鍵である。

 他にも耳には骨伝導イヤホンがはまっている。発令所に保管されていた予備で、これで艦内の有線の通信網を介さずにワヴたちと連絡が取れる。そしてサーキュレーターの男たちから没収した拳銃のうちの一丁もベルトに差し込まれている。必要ないだろうが、と言いながら、ワヴは予備弾倉を一つ、持たせてくれた。

 艦の揺れは少しずつ小さくなっている。アーキが緊急時に対応する人工知能へ干渉しているのだろう。もっとも、アーキといえども乗組員による承認なくして、艦を勝手にはできない。欺瞞手段を駆使しての干渉と思われる。自身を欺瞞するというのも変だけど。

 警報はすでに鳴り止んでいる。その代わり、乗組員を格納庫へ向かわせる放送が流れていた。通路に人気がないのは、リーヴァーのメンバーが素直にその指令に従っているからか。

 内通者を装って乗り込んできたサーキュレーターの男たちは、格納庫にある宇宙船の一隻に押し込められていると聞いている。その作業に当たったのが発令所に顔を見せないグリィスとその部下だとも聞いた。

 私の中ではワヴとグリィスは折り合いが悪そうだったが、意外にも呼吸は合っているようだ。

 シューターが稼動しているので、滑り降りるようにして階層を移動し、すぐにセントラルユニット管理室の扉が見えてくる。私が到着したことを察したのだろう、扉がひとりでに開いた。

 中に飛び込むと、人影がある。

 反射的に腰の拳銃を抜く。相手も淀みのない動作で拳銃を向けてきた。

「イレイナ?」

「マナモ!」

 私に向けていた護身拳銃を下げたイレイナが肩から力を抜く。私も銃口を下げ、ゆっくりと進み出た。

 セントラルユニット管理室は通路と比べると今は眩しいほど明るい。見慣れないその様子が逆に不安だった。

 視覚の捉える光量が思考補完型人工知能の機能で加減されるまでのほんの刹那にも背筋が冷える。

 敵などいないのに。

「その格好、いったいどうしたの? 血まみれじゃない!」

 片手に護身拳銃を下げたまま、イレイナが進み出てくる。

 彼女の手が跳ね上がる。

 私はすでに緩慢に流れる世界にいた。

 思考補完型人工知能が知覚を加速している。

 イレイナが銃口を向けようとする緩慢な動作を取るのに対し、私も緩慢ながら横に身を投げ出しつつ、拳銃を向け直す。

 嘘だと思いたいが、現実は目の前にある。

 イレイナは私を撃とうとしている。

 殺さずに無力化できるか。

 いや、殺さずに無力化したい。

 イレイナは本当に敵だろうか。

 とてもそうとは思えない。違う、思いたくないだけだ。

 私の願望。

 こうしている間にも時間は流れる。

 イレイナの銃口が私を捉えようとする。私の銃口も彼女に向いている。

 極々短い時間が、はるかに長く認識される。

 引き金を引く。重い重い引き金だ。

 銃火の瞬きが、まるで爆発のように錯覚される。

 弾丸がすれ違っていく。

 私は避けることができる。

 そして目の前で、ゆっくりゆっくりと、イレイナの体が私の射線から外れていく。

 失敗した?

 私の銃弾はイレイナには当たらない。

 しかし、何故。

 外すつもりはなかった。殺すつもりで撃ったはずだ。

 背筋を灼熱が走る。思考補完型人工知能の知覚速度への干渉が強制終了する。

 時間の流れが元に戻った。

 銃声の残滓の中で、すぐそばを小口径弾が突き抜けていく。

 それは無視して床に転がった姿勢から最低限の受け身を取り、跳ねるように起き上がって銃を構え直した。

 が、強烈な衝撃が手元で起こり、拳銃は弾き飛ばされる。人差し指に激痛。しかし構っている暇はない。拳銃は壁際まで床を滑っていく。

 イレイナは一発を外し、もう一発で私の拳銃を弾いた。護身拳銃は二連発。なら次の弾丸はこない。

 片膝をついた姿勢の私の前で、イレイナが明るい表情を見せている。

 晴れ晴れしい笑顔。

 場違いなほどに。

「私の思考補完型人工知能の方が優秀みたいね」

 言いながらイレイナが腰からナイフを抜く。軍用品のような、刃渡の長いナイフだ。

 彼女も私の同類らしい。そして、サーキュレーターの一員か。

「武器がないのはかわいそうだけど、恨まないでね」

 イレイナがスルスルっと間合いを詰めてくる。躊躇いがなく、よく訓練された身のこなしだった。

 得物もなしに近接格闘膝とは悪夢だが、まずは膝をついていては対応できない。

 横へ跳ねて距離を稼ぎ、立ち上がろうとするところへ、間合いを詰めたイレイナからナイフが来る。

 背を反らせて仰け反り、首筋を裂こうとする切っ先を紙一重で避ける。しかし姿勢が乱れすぎた。

 さらに下がって、次々と繰り出される刃を避けていく。

 致命傷は避けられても、完全には斬撃を避けられない。体のそこここに痛みが走るけど、もはや考える余地はない。集中が乱れるだけで確実に殺される。

 イレイナの動きは洗練されている。しかしそれは、思考補完型人工知能による最適化された動きではない。

 純粋な訓練による格闘術。

 私が知る限り、思考補完型人工知能による身体機能への干渉は、長時間の継続が技術的に不可能だ。知覚速度、反射速度を底上げできるのは、個体によって差があるものの限られた時間になる。

 つまり、思考補完型人工知能を移植されている者同士が戦う場合、能力を先に起動してしまえば、そこで畳み掛けて相手を倒さない限り、補助を失った先手は攻め手を失い、後手に回った方が有利になる。

 時間切れになってしまうと、相手の最適化された猛攻を消耗した状態で凌がなければならないが、非現実的だ。

 思考補完型人工知能の能力は、知覚に干渉するだけだが、常人につけ入る要素はない。

 今、私とイレイナの間でやり取りされているのは、ただの攻防ではなく、思考補完型人工知能を起動する瞬間、勝機をめぐる駆け引きでもあった。

 しかし、そう悠長に構えている余裕はない。

 かなりの熟練度の技で、鋭く翻ったイレイナの刃が私の胸元へ突き込まれる。

 致命的な一撃。

 考えている暇はなかった。このままではひと突きにされて死ぬ。

 思考補完型人工知能が稼動し、時間の流れが遅くなったように錯覚される。

 無理やりに体を捻る。

 知覚に置いていかれている肉体。

 最適化ではなく、強引な動きが体に指令され、背中から脇の筋肉に極端な負荷が走り、痺れる。

 それさえも鈍く長い痛みであり、即座に補完型人工知能が動きに支障が出ると判断し、痛覚を誤魔化した。

 ナイフの先が肩を浅く削いでいく。

 傷にも痛みにも構わず、イレイナの手元へ手を絡めていく。

 それにイレイナが反応。しかし動きに無駄が多い。やはり正攻法、思考補完型人工知能の起動を遅らせている。

 イレイナの手を理想的な動きで払いのけつつ、絡め取って投げにいく。

 読んでいたように、イレイナが手首のスナップだけでナイフを宙に浮かせるのが見えた。

 途端、イレイナの動きが変化する。

 思考補完型人工知能を稼働させたのだ。

 私は強引に投げを続行。無理やりな運動に腕から肩まで痛みが駆け抜けるのを、やはり思考補完型人工知能が打ち消す。

 ついにイレイナの体が宙に浮く。

 浮いたが、空中で回転していき、逆に私の腕が極められている。

 工作員としての訓練で格闘技は嫌というほど習ったが、イレイナのそれには私の能力では対処できないと、この時になって悟った。

 腕を折られるのを防ぐために、私も床を蹴る。すでに思考補完型人工知能の稼働限界間近で、背筋はまるで焼けた棒を突っ込まれたように痛む。この痛みは思考補完型人工知能でも切り離せない。使用者の体を守るための、最後の警告なのだ。

 限界だ。

 とっさに思考補完型人工知能の機能を停止。

 肩から激しく床に叩きつけられても、体に染み付いた動きが受け身を取らせる。

 だが、私の上にはイレイナの体があり、彼女が掲げた手の中に、つい数瞬前に彼女が宙に放ったばかりのナイフの柄が滑り込むように収まっていた。

 負ける。

 イレイナが絶対零度の無表情で私を見下ろし、一息にナイフの切っ先を額に叩きつけてくる。

 知覚が加速されているわけでもないのに、全てが緩慢に見えた。

 一瞬が一秒になり、さらに遅くなる。

 死ぬ。

 ここで死ぬ。

 後悔はない。できることは全てやった。

 諦めと達成感がないまぜになった意識の中で、私の右手が動いていく。

 意識していない、無意識の動き。

 ナイフを横手から逸らそうとする。しかも素手でだ。

 紙一重だった。

 ナイフに触れた私の右手で火花が散り、ナイフは逸れ、私の耳を引き裂く。

 切っ先が床を削る耳障りな音がすぐ間近でした。

 目と鼻の先には驚愕するイレイナの顔。

 すぐに彼女の殺意が復活し、ナイフがそのまま私の首元へ横薙ぎに走る。

 防ぐ手段はない。自分にのしかかっているイレイナの体を即座に跳ね除けるのは不可能でも、体を入れ替えるために力を込める。

 四肢、腰、胴が合理的に機能し、わずかに床から背中が浮く。

 ただ、その時にはイレイナのナイフが狙いを逸れながらも、私の肩に食い込んでいた。

 皮膚が裂け、肉が断たれ、肋骨に刃が食い込む。

 激しい痛みに、全身が硬直、震える。次には力が抜けていた。

 イレイナの顔にはやはり感情はないが、瞳の奥には愉悦の揺らめきがある。

 獲物を仕留めたものの顔に見えた。

 終わった。

 音。

 火薬が連続して爆ぜるような音と、激しい閃光の瞬きが目の間で炸裂した時も、すぐには何が起こったか、理解できなかった。

 肩口が爆発したような感覚があり、声が漏れてしまった。

 私の上にいたはずのイレイナの姿が、ない。

 肉が焦げる不快な臭いがいつの間にか立ち込めていた。

「大丈夫かい、お嬢さん」

 不敵な声とともに、足音が近づいてくる。床に仰向けになった姿勢から身を捻ると、部屋に入ってくる男の姿が見えた。

 グリィス。

 手には電気銃を下げている。見覚えがあるのは、アクルィカスの看守たちが持っていた電気銃だからだ。

 視線を巡らせると、少し離れた場所で床にイレイナが伸びていたが、姿勢が不自然で、激しく痙攣している。強出力の電気銃の一撃が直撃したのだと遅れて気づいた。

 どうやら、私は命拾いしたらしい。

「おい、本当に大丈夫か。出血しているな」

 すぐそばに来たグリィスに抱えられて、私は上体を起こした。彼は電気銃を床に置くと、素早く着ている作業着の袖を力任せに破り、私の肩を押さえた。それでも激しく傷口が痛む。くそ。

「耳もやられているな。ま、あと任せだ」

「どうして……、ここに?」

 自分の怪我の状態よりも先にグリィスがここにいる理由が気になった。彼はそんな私に不敵に笑ってみせると、トントンと自分の耳元を指で叩く。見ると私がつけているのと同じイヤホンが入っている。

「ワヴの采配だ。間に合ってよかった」

 やれやれ。

 しかし、アーキの奴は何をしていた? この部屋にはカメラがあったはずだ。それともカメラはなかったんだったか。

 私は一つ息を吐いて、立ち上がった。左肩は痛むどころではない。ちゃんとした治療が必要なのは間違いない。そのことをグリィスも言おうとした気配があったが、私はそれより先に片手に握っていた鍵を見せる。

 イレイナのナイフを弾くのに役立った、幸運のアイテムだった。

 もっとも、本来の用途とはかけ離れていたけれど。

「手伝って。片手が不自由でね」

 すぐに事情を察したようで、グリィスが手を差し出す。私は鍵の一つを渡し、来て、とグリィスを部屋にある唯一の端末、管理端末の前に立たせた。左手で触れると、すぐにアーキと繋がる。

(大丈夫ですか、マナモ。ミメがそちらへ向かっています)

(鍵を差す穴は?)

(端末の両側面に、鍵穴があります)

 両側面?

 探すと確かに鍵穴がある。意外に雑な作りだ。普通、もっと仰々しいものだろう。

「グリィス、そっちの穴に鍵を差して」

「穴?」グリィスが私の反対側で身を屈める。「こんなところに鍵穴を作るとは、まともじゃないな」

「複製不可能な鍵よ」

 言いながら私は鍵を差し混もうとするが、入らない。

「ごめん、鍵を交換して」

 オーケーとグリィスが鍵を差し出してくるので、交換する。今度はちゃんと差し込めた。グリィスも差し込んだようだ。

「同時に捻るわよ。三、二、一、今」

 同時に二人が手元を動かす。

 すぐに変化が起こった。管理端末の表示がまず変わり、次に強化ガラス一面に表示されていた情報が一度、全部消えると、全く違うものが表示された。

 その中央に「知性体による完全制御状態」を示す表示がある。

 うまくいったようだ。

 私は思わず座り込み、グリィスは興味深そうに一面の表示を見ている。

 通路とを隔てる扉のあたりに人の気配がしたが、私はもう動けなかった。グリィスは素早く振り返って電気銃を構えたが、すぐに銃口を下げる。

 部屋に飛び込んできたのはミメだった。

 私は眩暈を感じながら、自分の体の半分がまるで滝に打たれたように濡れているのを、初めて理解した。これはなんというか、大変な失血だ。

 ミメが自分が怪我を負っているような顔で私に飛びつき、すぐに処置を始める。グリィスも助手として手伝い始めた。

 痛み止めを打たれた時が、一番楽であり、逆に怖かった。

 このまま眠るように死ぬのでは、怖すぎる。

 痛み止めの効果にかかずらっていられなかったのは、艦内放送で衝撃に備えるように、という放送が流れたからだ。それも、緊急、緊急という言葉が付け足されていた。

 治療途中の私にミメが飛びついてきたのには驚いた。それをグリィスがさらに抱えるようにした。

 何が起こるのか、と思った次には、今までに感じたことのない衝撃が真下から突き上げてきて、体が浮き上がりそうになった。

 さらに激しい揺れが連続し、体が翻弄されそうになるのをミメとグリィスがかばってくれた。二人がいなければ、横になって動けない私はバウンドして、何度も床に叩きつけられただろうことは想像に難くない。そういう衝撃だった。

 長く感じる動揺が収まった時、これまでずっと続いていた艦の揺れはピタリと止まり、静かになっていた。

「墜落は免れたようだ」

 グリィスが感心したように言う。視線は強化ガラスの方に向いているが、どうにも、私は目が霞んでよく見えない。

 しかし、そうか、今の長い衝撃は、フォートラン級が惑星ハーベンバーの荒野に不時着した衝撃だったのか。

 ミメもホッとした顔で、私の治療を再開した。

 何も解決していないが、私も少し安堵していた。

 意外に緊張していたのだと、やっと意識が追いついた私だった。



(続く)

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