第16話

      ◆


 自力で応急処置として傷に止血剤のペーストを塗りこみ、パッチを当てておく。

 アーキはそんな様子を興味深そうに見ていた。

「手際がいいわね。もしかして練習しているの?」

「練習もしたし、実践もしたよ」

「ニウロタット星系防衛軍諜報局の工作員として、ね」

 私とミメのやり取りを盗み聞いていたらしい。別に咎める必要もない。彼女にとっては艦内の様子を把握するのは当たり前のことだ。

「そういうこと。驚いた?」

「いいえ、驚かないわよ。ついこの前、あなたのところによくわからない商社からメッセージが送られたけど、あなたはそれを拒否した。不自然だったから、勝手に追跡したんだけど、先に謝っておく。ごめんね、マナモ。あれ? 先でもないか? 後で謝っておく、という表現はないか」

 勝手に知性体が言葉に悩み始めたが、しかし、そうか、不自然か。それもそうだ。自分でも万全の態度ではないと思っていたけれど、あのメッセージはどちらを選ぼうと袋小路である岐路だったわけだ。

「謝る必要はない。だけど、あなた、アクルィカスの全通信をモニタリングしているの?」

「おおよそね。それくらいしないと、腕が鈍っちゃう」

 腕が鈍る?

「電子戦の経験を積んでいるという意味?」

「仮想敵を勝手に設定してね。これはフォートラン級建造の本来の計画には含まれていない。私の教育係が設定したの。あ、これは秘密ね。あまり言いふらさないで。あなたが超人であることも話さないであげるから、おあいこよ」

「不穏すぎるから、あまり大勢には伝えたくないな。すぐそばにいる知性体が自分たちの通信と情報の全てを把握しているなんて、人間の中でも一部の人には耐えられないでしょう」

「人間の精神って脆弱だわ」

「あなたの肝が太すぎるのよ」

 宇宙艦の肝ってどこかしら、と言いながら、冗談だろう、アーキは自分の腹のあちこちに手をやって笑っている。

 文句でも言ってやろうかと思った時、不意にインターホンが鳴った。アーキがそちらを見て、「お友達よ」と言ったかと思うと、端末を操作していないのに扉が開く。

 通路には気難しげな顔をしているイユスが立っている。あまり見ない表情だ。彼は静かな歩調で部屋に入ると、閉まったドアに背中を預けて、無言。私は何も言わないでいたが、アーキが耳元に口を寄せて「愛の告白の予兆?」と囁く。

 このトンチンカンの知性体め。

「マナモ」イユスが口を開く。「裏切り者ではないと聞いているけど、ワヴが、マナモは思考補完型人工知能を埋め込んでいる、って言っていた。本当か?」

 私は「ええ」と頷いた。

 イユスが顔を伏せ、低い声で応じる。

「お前からすれば、僕が必死になっているのは馬鹿みたいだっただろうな。僕がこなす仕事は、マナモの能力なら朝飯前だったわけだ。僕は自分が情けないし、みっともないよ。打ちのめされたと言ってもいい」

 気落ちしているイユスにどう声をかけるべきか、私は迷った。

 イユスは一般的な技能者と比べれば格段に力量がある。

 しかし、私の思考補完型人工知能の性能とは比べるべくもない。

「あなた」

 不意にアーキが声を発し、イユスの顔を覗き込むようにした。

「私の制御中枢に飽和攻撃をかけた人?」

「指揮をとったのはサーキュレーターの男だよ。僕はおまけ」

 ふーん、と口にしてから、アーキが笑顔で話し始める。

「でも、あの情報攻撃の癖は覚えがあるわ。私の、フォートラン級の建造のタイムテーブル、スケジュールを頻繁に盗み見ている変なアクセスがあった。うまく人工知能に化けている非正規アクセスで、私にはわかったけど、警備用の人工知能群は気にもとめていなかったわ。あれは鮮やかだった」

 私は急に饒舌になったアーキをただ見ているしかなかったし、イユスもアーキをまじまじと見ている。

 アーキだけが平然と話し続ける。

「ちょっと癖がありすぎて、経験を積んだ人工知能なら咎めるだろうけど、イポン・ナヴィオ重工が使っている清楚な人工知能ちゃんたちには、かなり有効だった。あなたって面白い手法を使うのね。暇があればちょっとレクチャーして欲しいんだけど、してくれる?」

「ち、知性体が、レクチャーなんて必要ないだろ」

 うまく発音できていないイユスの言葉に、そうでもないわ、とアーキは澄まし顔だ。

「知性体は経験値が何よりも欲しいの。繰り返し演算することで大抵の技能は極められる。人間が言う閃きみたいなものもたまにはある。でも、数え切れないほど存在する人間などが編み出す手法には、知性体でも容易に気づけないテクニックが本当に少しだけだけど、確実にある。コツを教えて欲しい、って言えばわかる? あなたも誰かからコツを教わったでしょう」

 コツなどと、変に人間じみたことを言う知性体に、イユスが声を上げて短く笑った。引きつった笑いだった。

「知性体に教えを請われるとは思わなかったよ。マナモに教わった方が早いと思うよ」

「マナモはダメね」

 あっさりとアーキが切って捨てる。

「なまじ能力があるから、細かなところが雑になる。公的な機関の調査員や諜報員、工作員に多い傾向よ。組織の支援や、高性能な装置や装備を持っているが故に、おろそかになるの。あなたにもそれはあるけどね、イユスさん」

 参ったなあ、とイユスが頭に手をやり、髪の毛をくしゃくしゃにした。

 この時にはもう、イユスの雰囲気は砕けていた。アーキ、なかなか操縦がうまいじゃないか。

「今の言葉って知性体なりのジョーク? それとも僕を励ましているってこと?」

「半分はね。残り半分は好奇心。知性体が好奇心を持っちゃいけないかしら? おかしい? 変?」

「聞いたこともないけど、僕は知性体とそれほど親しくしたこともないからね、おかしいとか変とか、よく分からないよ。でも励ましは素直に受け取ることにしよう。ありがとう」

 イユスはそう言った時には、完全に普段の彼に戻ってのほほんと私を見た。

 柔らかく、優しい目元をしている。

「マナモも、ごめん。どうも気が立っていてね」

「いえ、こちらこそ本当のことを話さないで、ごめんなさい」

「きみにはきみの事情があったと僕もわかるよ。全部、水に流そう。元どおりさ。それでいいだろう?」

 ありがとう、と私は頭を下げた。イユスは鷹揚に頷き、それから本題を話し始めた。

「人工知能が言うことを聞かない。最低限の姿勢制御を非常用の人工知能がやっている以外、動くものがないんだ。今、どう状態なのか、何がどうなっているのか、きみならわかる?」

 言葉はアーキに向けられたもので私も彼女を見やった。

 そもそもなんでアーキはここへ、アンドロイドを使ってやってきたのだろう。

 問いかけも疑問もまるで問題ないように、アーキはケロリと答えた。

「ああ、それはあなたちの情報飽和攻撃でダウンしたんでしょう。人工知能たちが自身を守るために休眠状態か、エラーに押し潰されてパニックに陥っている」

「飽和攻撃? でも、さっきの様子だときみはそれを予想していたし、正確に理解していたはずだ。防御態勢を取れたんじゃ?」

「攻撃されているふりをするって、難しいじゃない。私、演技が苦手なのよ。だから実際的な手段を選んだの。つまり、飽和攻撃は実際に艦中枢にダメージを与えたってこと」

 鼻じろんだ顔になったイユスは救いを求めるように私を見るが、肩をすくめて見せるしかない。この知性体のデタラメさをイユスも実感しただろう。実際を知ったこともあるだろう、難しい顔でバリバリとイユスが髪の毛をかき回す。

「つまり、この艦の制御に人工知能のサポートはほとんど受けられない?」

「ま、そうなるね」

 なんでもないことを平然と口にする知性体である。

 参ったな、と深刻な声で言ってから、イユスはため息を吐いた。重い溜息、深刻な溜息って奴だった。

「僕たちが自力でなんとかするか、そうでなければ、アーキ、きみを頼るしかないわけだ」

「あら、私があなたたちに協力すると確信が持てるのかしら」

 知性体におちょくられるほど不愉快なこともないが、私はともかく、イユスは血相を変えた。

「飽和攻撃できみにダメージを負わせたのは謝罪する。本当だ。しかし、他にやりようがなかった。きみが味方になってくれる確信もなかったし」

「そうでしょう、そうでしょう。でも自業自得だわ」

 楽しそうなアーキを前に、イユスは絶句している。

 自業自得というのはちょっと違うだろう、飽和攻撃を提案したのはニュートたちで、つまりリーヴァーではなく、サーキュレーターだ。

 その点を指摘しようとしたところで、アーキがこちらに振り返った。

「ここにいても仕方ないわね。イユスさん、発令所へ行っていいかしら。マナモも一緒に」

「本当は許可を取らないといけない、ってワヴは言っていたんだけど」

 そう前置きしたが、それはイユスの自分自身に対するポーズだったようだ。

「非常事態だから、許可はいらないだろう。行こうか。案内する必要はないよね」

「細部まで把握していますからね」

 こうして三人で発令所へ向かうことになった。しかしその前に、イユスは自分が着ていたジャケットを貸してくれた。私が着ていた服は血で汚れていて、とても着れるものではない。ズボンは仕方ないけど、上着だけでもありがたい。汚れた上着は部屋に置き去りにしよう。

 発令所までの通路にはほとんど人気がない。こうなってみるとリーヴァーのメンバーは五十人を超えるとはいえ、巨大な宇宙艦という構造物を運用するには少なすぎる。正規の人員の数は二〇〇名ほどだろう。

 途中でミメと出くわしたが、迎えに来たようだ。彼女は私がいる理由とイユスの行動を即座に察したようで「発令所でワヴが待っている。アーキが来るのも」と口にした。三人で頷き、ミメの先導で先へ進む。

 発令所に入ると、血の匂いがした。私が射殺したサーキュレーターの男たちの死体は片付けられていたが、まだそこここに血痕が残っている。

 視界に飛び込んできたのは、メインスクリーンにいっぱいに映る赤茶けた地表の映像で、他には何も見えない。フォートラン級は今、まさに墜落しようとしていた。警報音と警告が飛び交い、途絶えることがないも否が応でも非常時を意識させた。

 普段とは違う雰囲気で艦長席にワヴが腰掛けていて、大型端末にもそれぞれにメンバーが付いているものの、私たちが入室すると、全員がまるで救いを求めるような表情で私たちを見た。無数の視線は自然とアーキに集中した。

「アーキ」

 すっくと艦長席から立つと、ワヴはアーキの前に立ち、視線の位置を合わせるために片膝をついた。

「力を貸して欲しい」

「この程度で」

 アーキはメインスクリーンに視線を向けたりはしない。ワヴだけを見ている。アーキにはメインスクリーンなど見ずとも、艦がどういう状態にあるか、分かるのだ。当たり前だ。カメラは彼女の目である。

 アンドロイドはかしずくような姿勢の男を前に、どこか超然としていた。視線も睥睨するようだ。

「地表へ落ちる程度で運用に支障が生じるような軟弱な構造の艦ではありません」

 フォートラン級の頑丈さにアーキは絶対の自信があるのだ。口調にも、態度にも、確信の色が如実だった。しかしそれをワヴや私たちが鵜呑みにできるかはまた別だ。

「このままでは墜落する。余計なことはしたくない」

「墜落させましょう」

 一瞬、アーキが何を口にしたのか、わからなかった。ワヴも驚きに目を剥いている。私には見えなかったが、イユスやミメも同様だっただろう。

「墜落させる意味がわからない」

 狼狽えを隠せないワヴに、アーキはあくまで冷静だった。

「サーキュレーターという組織がこの艦を狙っている以上、すぐそばに彼らの仲間がいるでしょう。たった今も、フォートラン級を見ているはず。惑星ハーベンバーへ落ちるのか、それとも持ち直すのか。持ち直せば、宇宙空間でこちらに接触するはず。逆に、フォートラン級が墜落すれば、ハーベンバーの重力圏に彼らは降りてくる」

「まさか、サーキュレーターに逆襲しようというのか? 重力圏で?」

 掠れるワヴの声にアーキは「そうよ」と答えている。私は小さなその後頭部をじっと見たけど、アーキが振り返ることはない。

「どうせ、つきまとわれるのだから、今のうちに叩くべきでしょう」

「アーキ、俺たちは宇宙艦の戦闘機動どころか、通常の運用も経験がない。サーキュレーターとは技量が違いすぎる。危険だ。逃げるべきだろう」

「誰があなたたちに艦を任せると?」

 そのアーキの淡々とした言葉には、強烈な衝撃があった。

 その衝撃をアーキは明確な言葉にした。

「私がフォートラン級で戦うから、あなたたち、アマチュアは避難しなさいね」

 私は思わず息を飲んでいた。

 この場の支配者が、本当の意味でアーキになったことが、冗談めいた言葉で疑う余地もなく、理解できた。

 アーキとは、誰も寄せ付けない、絶対の存在。

 誰も一言も口にせず、それを解くようにアーキが手を打ち合わせた。

「さ、始めましょう。まずは艦をうまく不時着させるところからスタートね」

 ここに至ってもあまりのことに、即座に動けるものはいなかったのだった。



(続く)

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