第15話
◆
艦は間断なく揺れ続け、全てが震えている。
テーブルの上では拳銃が小刻みに音を立てて、少しずつ少しずつ、移動していた。
「怪我をしているのね」
最初にミメはそう言った。私はなんの治療も受けていない。作業着は部分的にぐっしょりと血を吸っていた。
「死にはしないと思う。それに、みんな忙しいだろうし」
場違い、見当外れなことを言っている自覚はあったけど、その言葉を選ぶことでこれからの取調べの性質を変えることはできたかもしれない。
ため息を吐いたミメがゆっくりとかぶりを振る。
「私は人を信じることができるし、信じてもらえると思っていた。それはまったくの自惚れだったわね」
「ニュートのこと? 彼はあなたを利用しただけよ」
「危うく仲間を失うところだった」
「あなたは悪くなかったと思うけど。ニュートはこちらが喉から欲しいものを提供することで、うまく食い込んだわけだし」
ただ、と私は内心で思った。
フォートラン級のような存在を、素人集団がどうこうできるという方が、本来的にはおかしいのだ。ワヴやミメは私が知っている範囲では正しく状況を観察するタイプだった。フォートラン級に関しても、もし奪取が不可能となれば、すんなりと手を引いただろう。
そこにもたらされたニュートの都合の良すぎる話にミメが協力したことが、今回の件の最初のきっかけではある。ワヴも苦悩しているだろう。ミメという存在は必要だが、ミメは責任者の一人であり、鎮圧されたとはいえサーキュレーターの件には、どう考えても責任を負う立場になった。
今、これからすぐに責任問題を追及する余地はない。艦は惑星ハーベンバーに引きずられており、このままだとうまくいっても不時着、失敗すれば、墜落し、大破。艦がバラバラにはならなくても、もしかしたら再起不能で座礁したままになるかもしれなかった。
想像したくない展開、最悪の展開を回避するのが最善で、乗り込んでいる組織の責任問題、あけすけに言えば人間関係は二の次だ。
ミメは一度、目を閉じた。瞼が上がった時には気力の戻った顔で、私を正面に見た。
「マナモ、あなたは何者なの? ワヴが言うには、一人で八人ほどを圧倒したとか」
「まあ、そうなるね。非常事態だった」
「相手を殺したとも聞いている。私たちが言うべきではないけど、犯罪よ」
「殺しのライセンスがある」
そっけなく応じると、ミメは眼光を鋭くさせた。
「殺しのライセンス、というのは冗談ではなさそうね。あなたは誰なの?」
艦の揺れは変わらないし、艦が傾いているのもわかる。長く話している余裕はないか。
「私には名前はない。所属はニウロタット星系防衛軍諜報局第三室。階級は軍曹」
「星系防衛軍? 軍人ってことね」
「軍人というよりは工作員」
「格闘、射撃、その他が人間離れしているのはそのため? 殺しのライセンスというのも、与えられた任務の中において他人を傷つけ、殺すことになっても罪に問わない、ということかしら」
おおよそは、と答えるとミメが肩をすくめた。しかし普段とは違う。私をに恐怖し、気後れしている。それを隠すための動作だった。
感情の揺れを抑制し、ミメは問いを重ねる。
「どうしてイポン・ナヴィオへ来たの? 任務の内容は?」
「強制労働の実態調査と、強制労働を課されているものの内部に存在するという脱走集団の実態の調査」
「私たちの現実を知るためだけに侵入したの? それがどうしてフォートラン級を奪取するなんてことに関与した? 強制労働で何があったかも、リーヴァーのことも、全部知っているでしょう。通報すればそれであなたの仕事は終わったはずだけど」
当たり前、常識的な理屈だ。
私の行動はそういうところから外れているのだ。
「私は、あなたたちを送り出すと決めた。任務を逸脱してね。フォートラン級でどこかへ逃げて、私も身を隠す、というぼんやりとした筋書きだけど」
「そんなことをすれば、あなたは脱走か敵前逃亡で、星系防衛軍から指名手配を受けるでしょうけど、それをわかって言っているの?」
「わからないわけがない」
「残念だけど、私の感覚では、あなたが本来の任務を放り出す理由がない。それともまだ別の任務があって、今もこの艦に残ることでその何かしらの任務を達成しようとしている? もしくは、星系防衛軍と通じて、今もここへ向かっている艦艇を待っているとか?」
「もう任務はないし、星系防衛軍は事態を把握しているでしょうけど、この艦が惑星ハーベンバーの至近に移動したことは予想できなかったと思う。むしろそれを言うなら、発令所を一時的に制圧したサーキュレーターの細工で現在の座標にフォートラン級が移動した、と見る方が合理的だと思う。ここへ来るのは、星系防衛軍より、サーキュレーターの艦艇が先なんじゃないかな」
ミメは腕を組み、指で肘のあたりを一定の間隔で触れる。冷静になろうとしているのは一目瞭然だ。
「今の私は人を信じるのが難しい」
苦悩の滲む声がミメの口から漏れる。
「しかし、あなたを信じるべきだと思う自分がいる。もしあなたが裏切ったら、自分も死のうと思ってもいる。馬鹿みたい」
「私は今、リーヴァーに協力したいと思っている。心の底から。なんとかみんなを安全な場所へ避難させたい」
「私は私自身への不信で、あなたを認められそうにない」
どう説得することができるだろう。できる気がしない。ミメの心は血を流し、後悔に苛まれている。それを無視させる要素は、私にはない。
ひときわ大きい揺れが艦を震わせ、艦内放送で衝撃に備えるようにという警告が流れた。
ミメがぐっとテーブルを掴む。テーブルは床に固定されているので、ひっくり返ることはない。しかし私は両手を拘束されたままだ。
どうやって、衝撃に備えろと?
その時、まったく唐突に通路に通じる扉が開いた。ミメも私もそちらを見る。
入ってきたのはサイズの合わないイポン・ナヴィオ重工の事務員の制服を着た少女。
アーキ。
ミメの手が机の上の拳銃を掴み、即座にアーキに照準する。
「やめて!」
私は反射的に立ち上がり、アーキとミメの間で真っ直ぐに立った。
スライドこそするが倒れる仕様ではない椅子が壁スレスレまで滑り、反動でゆっくりとテーブルの側まで戻ってくる。
室内には沈黙。
誰も一言も発さない。
「私を守る必要はないと思うけど」
やっとアーキがそう口にした。ミメは緊張した様子を崩さず、銃も下げない。私も動かない。いや、下手に動けない。
止血もされていないので血は流れ続け、私の作業着は体にまとわりついてくる。立ってみると、意外に重い。ついでに、それまで無視して痛みがより強く意識された。
アーキの入るアンドロイドを守る必要は、確かにないかもしれない。交換可能な、仮初めの体、機械人形なのだから。
しかしアーキを危険に晒したくなかった。
私やリーヴァーの面々が、こうしてこの艦に乗っていられるのは、全てはアーキの意思だった。
恩を仇で返すようなことはしたくない。
知性体を道具として扱いたくない。
私たちは、この艦にいるものは、アーキによって生かされている。
私の感情は、支配者に媚びへつらうのに近いのかもしれない。
近いかもしれないけど、違う。
この微妙な機微を、誰が理解してくれるだろう?
重苦しい空気の中で、ミメがゆっくりと拳銃を下げた時、私は続く振動のせいもあるだろう、わずかによろめき、倒れそうになるのを背後からそっとアーキが支えてくれた。
「これで、マナモはあなたたちの仲間ってことでいいのよね? 違うの?」
アーキの確認するような言葉にミメは力ない笑みを見せてから「ワヴに話してくる」と言い、それから私の両手を自由にすると「まずは救急キットを持ってくるから、ここにいて」と言い残して部屋を出て行った。
ホッとして椅子に座る私の前、アーキは実に気楽な様子でいる。良かった良かったなどと言って、振動を苦にせずダンスのようなステップを踏んでいた。何の意味のあるステップだ?
「アーキ、あなた、何をしているわけ? っていうか、今まで何をしていたの?」
「何って、様子を見ていたのよ。何やら人間が仲間割れをし始めて、これは一体、どちらが正しいのか、判断に迷っていたわけ」
嘘おっしゃい、と言ってやると、アーキは舌をちょっとだけ見せた。
「それはね、あなたが味方する方が私が協力する側だからね。それにしても、本当にあなたたちは仲間割れしたの? 何人か、私が見たことのある正規労働者がいたけど」
そうだ、それだ。
「制圧しようとして逆にされたのはサーキュレーターという反体制組織みたいな集団のメンバーよ。身分証はないだろうけど、顔やその他の個人情報から、情報ネットを探ることはできる?」
「できなくはないけど、私の居場所が知られちゃうわ。それじゃあマナモは困るでしょう」
「きっとサーキュレーターにはすでに把握されている。現在の座標も割れているわ。どこでアシがついても構わないから、調べてみて」
了解であります、と冗談めかしてアーキが言った時、ミメが戻ってきた。彼女はアーキに「手当を任せていいですか。発令所へ戻らなくちゃいけなくて」とめちゃくちゃなことを言い出して、私が口を挟む前にアーキが「了解であります」と気軽に答えたことで、ミメは小走りに部屋を出て行ってしまった。
医療品が収められている小さな箱を前に、アーキが実に楽しそうにニコニコしている。
「お医者さんごっこ、一度でいいからやってみたかったのよね」
ごっこ遊びではない。本番だ。
私はアーキの手元から医療品を丸ごと、かっさらったのだった。
(続く)
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