第14話

       ◆


 時間の流れが遅くなる。

 世界の時間が遅くなったわけではない。

 私の神経系に行き渡っている思考補完型人工知能が、五感の全てに干渉し、知覚速度を操っていく。

 私の動きは緩慢だが、それは知覚が加速しているだけのこと。実際には、極端に無駄を省いて最適化された動きは、常人の動きよりも格段に速い。

 見張りの一人がこちらに気づいて、ゆっくり、ゆっくりとこちらへ銃を向けようとしている。

 床が揺れるのはまるで波打つよう。

 知覚と連携した高速思考が即座にフォロー、姿勢は乱れない。

 男が引き金を引く様もまざまざと見て取れた。

 銃口の位置から、射線を断定。

 姿勢を崩すように体を沈めたところで、かすかなガスの蒸気を残して、弾丸が突き進んでくるのが見えている。

 体の動きがあまりにも鈍いのに対し、銃弾は見える速度で、しかし格段に速く動く。

 見えるということは重要だ。

 見えてさえいれば、対処できる。

 私の肩を掠めるようにして弾丸が抜けていく。作業着が裂けもしない。

 もう一発が、今度は正確に頭部を狙ってくるが、逆へ跳ねる姿勢を作りつつ、首を傾ける。

 耳元を弾丸が走り抜け、聴覚に異常が出るが、思考補完型人工知能が補正し、周辺の認識と解析を続行。

 その間に、私は見張りの一人に組み付いている。

 相手の手元を抑えて銃口を逸らし、同時に姿勢を作りつつ、足を掛けに行く。その全ての動作がじれったいほど遅く、相手の体は途方もなく重い。

 思考補完型人工知能の稼働時間が限界に近い。神経系へのダメージを回避するべく、一時的に支援を解除する。

 動作のスピードが通常に復帰する。

 勢いのままに男の一人を投げ倒し、銃を奪い、発砲。

 起き上がろうとした男がうめき声をあげて、倒れ込む。

 声を上げてもう一人がこちらを照準。

 そこへ横合いからワヴが組み付いた。任せるしかない。揉み合っている二人に発砲すれば、あるいはワヴに当たってしまう。

 ニュートが自分の拳銃を抜いたが、そこへ私は蹴りを放って手首の骨を砕き、手を離れた銃は宙に舞っている。顔を歪めるニュートに後ろ回し蹴りを叩きつけ、彼は床に叩きつけられて気を失った。

 他に敵は七名。すでに動き出している。

「動くな」

 私は銃口をぐったりとしているニュートのこめかみに突きつけた。

 もし彼に意識があれば、仲間を制止したかもしれない。

 私にも予想外だったのは、ニュートはあっさりと見捨てられたのだった。銃口は私を向いたまま動かず、何の躊躇いもなく引き金が引かれる。

 知覚を切り替える。思考補完型人工知能が作動し、七つの弾丸が視認できる。

 超高速の計算により、弾丸の向かう先が確定し、私は七発の間隙に体を割り込ませる。

 今度ばかりは負傷しないことは不可能だった。一発が左上腕を掠め、もう一発は脇腹を裂いて行く。さらに一発がどうにか半身になった私の胸元を抉る。

 痛みは人工知能の介入により一時的に消去。

 七発の弾丸をやり過ごす間から、私は手元の銃を相手に向け、引き金を引いている。

 銃弾を物理法則が許す限り避けられるように、思考補完型人工知能の支援があれば、どんな無理な姿勢でも銃弾を正確に当てることは格段に容易い。

 回避不可能な地点へ、的確に弾丸を送り込んで行く。

 首筋が燃えるように熱い。視界が明滅する。思考補完型人工知能の稼働が停止しそうになるのを、強引に引き伸ばしていく。

 それでも稼働が停止し、感覚が通常速度に復帰した。

 複数の銃声が同時に響き、私の背後の壁に弾痕が開く音がし、警報は鳴り止まず、艦は軋み、男とワヴは声を上げながら揉み合っており、そしてニュートの仲間のうち六人が弾き飛ばされたように倒れこんだ。

 無事だった一人にはリーヴァーのメンバーが一斉に組み付いている。多勢に無勢だった。

「隔壁を閉鎖して! 格納庫から援軍が来る!」

 私が叫んだときには、仲間の一人が端末に飛びつき、全隔壁を緊急閉鎖させた。

 ワヴが一人で男を一人制圧し、それで発令所は静かになった。私は肩で息をして、激しい頭痛に耐えていた。知覚の加速の反動は限界を超えると揺り戻しが激しい。久しぶりの感覚だった。

 腕、脇腹、胸元の痛みにも息が詰まる。手で触れてみると出血していて、手のひらが赤く染まった。

「マナモ」

 声の方を見ると、ワヴが奪った拳銃を手にして、こちらを見ていた。

 その拳銃、銃口が私に向いている。

「武器を捨てろ。両手を上げるんだ」

 結局、こうなるのだ。

 わかってはいたはずだ。しかし、現実になってみれば、悲しいものだ。

 私はそっとを身を屈めて、すでに銃弾を撃ち尽くした拳銃を床に置いた。もう一発あれば敵をもう一人仕留められたのに、と思わなくもないが、今、遊底が下がっている状態になっているのは幸運だった。もし残弾があれば、ワヴの態度もより強いものになったはずだ。

 そう、その時は、仲間に向ける態度を逸脱するほどに。

 両手を上げて、私はワヴを見た。警告を示す赤い光の中で分かりづらいが、彼は青白い顔をしていた。私の視線を受けて、少し怯んだようだったが、すぐに持ち直す。私に向ける言葉にも淀みはない。

「お前は何者だ。今の動きは、まともじゃない」

「偶然だった、じゃ通用しないですよね?」

「当たり前だ。銃弾を避けるなど、偶然ではありえない」

 遠巻きに見ていたリーヴァーのメンバーに「拘束しろ。なんでもいい、自由を奪っておけ」とワヴが命じる。その言葉で意を決したように、数人が私を取り巻き、謝罪の言葉を口にしながら私の両手を背後で縛った。

 仮に私がサイボーグなら容易に破壊できる程度の拘束だったけれど、サイボーグの強制労働者はいないと事前にはっきりしている。サイボーグを使役するのは色々と難しい要素が付きまとうものだ。生身の人間の方が、管理しやすい。

 制圧されたニュートの仲間たちも、私同様に拘束されたが、十人のうち六名は絶命している。私が射殺したのだ。手を汚す仕事はこれまでにもこなしている。躊躇いなく行動できるが、それでもどこかから生じる罪悪感は拭えない。

 今は忘れるとしよう。

 内部で何が起こったにせよ、フォートラン級宇宙艦はまだ揺れているし、警報も止まず、今は私もスクリーンにいくつも表示される警告を見ることができた。

 惑星ハーテンバーが近づいている。主推進器は起動しない。理由は不明。ハードを確認せよ、という表示は艦を管理する人工知能の意見だろう。ソフト面では問題ない、という意思表示にも見える。

 私が視線を向ける先で、ワヴは苦り切った顔をしている。

「戦力にはなるが危険、といったところだな」

 低く彼が呟く。どうやらそれがワヴの私に対する評価のようだ。

 一応、指摘しておこう。

「格納庫の連中に早く対処したほうがいい」

 言われなくても、とワヴが応じ、すぐに仲間と端末を操作し始める。襲撃者の正体はわからないがはっきりしていることもある。それはニュートはともかく、その仲間は荒事に慣れているだけではなく、宇宙艦の操作に関するノウハウも持っていたということ。

 その事実さえわかれば、おおよそはニュートたちの正体も推測できる。

「どうやら俺たちは『サーキュレーター』に利用されたらしい。俺たちはおまけで、奴らはフォートラン級が目的だ」

 ワヴがひとりごちるように言うと、リーヴァーの面々が呻くような声を漏らす。

 私もサーキュレーターと呼ばれる組織は知っている。ニウロタット星系を中心に活動する非合法組織で、反乱組織とも目されている。独自の戦力を有し、また、兵器や弾薬、場合によっては兵士さえも用立てる戦争屋でもある。

 過去十年で数回のテロを決行し、犠牲者は少なくない。犠牲者とは戦死した兵士、そして巻き込まれた民間人の死者のことである。

「しかし、ワヴ」リーヴァーのメンバーの一人が言う。「サーキュレーターがなんで、こんな回りくどいことをするんだ? ここへ来る前に、さっさと俺たちを殺すこともできたはずだ」

「奴らの発想など、知らんよ。もし俺がサーキュレーターのメンバーだったら知っていただろうがな。今はなんとか、艦の状態を整えることだ。仲間に通信して、格納庫から出てきた奴に対処させる。位置はおおよそわかったぞ」

 答えたワヴに応じるように、メインスクリーンに艦内図が展開され、明滅する区画がいくつかある。こういう時の対処法は簡潔で、空気を抜くか、機密が破れた時に使う硬化剤を流し込むかだ。今は硬化剤は後片付けが面倒だから、空気を抜くことになる。

「スーツを着ているかもしれない」私はとっさに助言していた。「先にカメラでチェックするべきよ」

 どうも、とワヴが素っ気なく礼を口にして、しかし私の意見をいれてカメラを起動した。結果、宇宙船から出てきたらしい数十名は、全くの平服であるとわかった。その代わり武装しており、電気銃を装備しているのがまず見えた。それ以外の武器も持っているはずだ。

「武器の方から転がり込んでくるとは、ありがたい。調達しておきたかったところだ」

 そんな感想とともに、ワヴは端末を操作し、狭い区画の空気を抜いたようだった。カメラの中で男たちが悶え苦しみ、倒れていく。そのまま殺すのではないかとひやりとしたが、ワヴは改めて端末を操作し、それから気を失ったものを確保するようにどこかへ指示を出していた。失神で済ませたようだ。

「マナモ、お前にはしゃべってもらう必要があるぞ」

 向き直ったワヴに、私は何も言えなかった。

 話すべきことは多くある。

「艦の制御が先じゃないかな、ワヴ」

 一人がそう進言したところで、ワヴは首を左右に振って、意志を曲げなかった。

「最低限の人工知能は生きている。なんとかなるだろう。それよりも、マナモの存在こそが艦を救うかもしれん。こいつが知性体に最も近いのだから」

 私が答える前に、行くぞ、とワヴが歩き出した。私は左右を仲間だった男たちに挟まれ、それについていく。左右の二人はどこか私を恐れているようにも見えた。

 自分が普通の人間とは違うと、こういう時に実感する。

 人間のはずなのに、すでにその領域からはみ出している存在。

 名前のない存在。

 通路の途中で、イユスを見かけた。彼はいつも通りのぼんやりした表情で私たちを見送っただけだった。もしかしたら何も状況がわからず、途方に暮れていたのかもしれない。いや、それはないか。彼のことだ、ただぼんやりしていただけだ。

 そのまま私は小さな会議室に入れられ、一度、一人にされた。ワヴにはやることがあるのだろうとは想像がついたが、ではここに誰が来るのか。

 視界の隅で思考補完型人工知能が十分が過ぎようとしているのを表示したところで、部屋の扉が開いた。

 入ってきたのは一人きりで、女性だった。

 ミメ。

 真っ青な顔をした彼女は、テーブルを挟んだ私の向かいに腰を下ろすと、発令所で制圧された男たちの持ち物だろう拳銃をそっとテーブルの上に置いた。

 なんでもない一丁の拳銃には、暴力を暗示する圧力以上に、ミメの強い覚悟が感じられた。

 私は、ミメの覚悟に飲まれないように、無意識にわずかに顎を引いていた。



(続く)

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