第13話

       ◆


 通路を泳いでいる途中で、人工音声で人工重力を発生させるというアナウンスがあった。人工知能の、感情のうかがえない平板な声。こういう時は足を止め、床近くまで降りるしかない。

 つま先が床に触れるところで、少しずつ私を床に引き寄せる力が生じ、強くなっていく力に足が引っ張られ、着地。標準的な重力で安定してから、足早に発令所へ向かった。

 向かう途中の通路ではリーヴァーの面々が座り込み、しかし砕けた、弛緩した表情で話し合っているのを何回も見た。彼らは脱出が成功裏に終わり、ホッとしているのだ。

 まだ第一段階だ。彼らの様子は油断というのは酷だろうけど、あまり褒められた態度ではない。

 事実、フォートラン級は超時空跳躍航行である虚航を始めていない。艦は依然、アクルィカスの至近、ニウロタット星系防衛軍の活動領域に留まっているのだ。フォートラン級はカタログ通りなら足が速いほうだけど、それでも虚航で追尾されれば、足の速さなど些細なものだ。

 そう、ワヴはいつ、どこへ虚航で移動するのか。虚航回路が今頃、計算中だろうが、ニウロタット星系からの離脱は早いに越したことはない。追跡される脅威は軽視できない。

 発令所が見えてくる。扉の前に立つと、自動で開いた。今、身分を確認している余裕はないだろう。自動で開くようにしているのだ。リーヴァーの全員の個人データを入力するのは、いずれは必要でも喫緊の課題ではない。むしろ余計だ。もっと別のことに注力したほうがいい。

 入ってみると、発令所では複数の大型端末の前にリーヴァーの面々が陣取り、場所によっては二人がかり、三人がかりで操作していた。

 艦長席には誰も座っておらず、すぐそばにはワヴがまっすぐに立っている。

 その表情は曇っている。私に気づいた彼は、少し取り繕うように、微笑む。しかし口調からは疲弊が感じられた。

「うまく行ったようだ。驚くべきことに」

「追跡、もしくは追撃を受けるはずです。逃げられそうですか?」

「うん、虚航回路が計算中だ。実は当てがある」

 私はやや呆気にとられたが、言葉がすんなりと出た。

「当てがあるのですか? どこですか? どこが私たちを受け入れるんですか?」

 それは、とワヴが言いかけた時、発令所の扉が開き、数人が踏み込んできた。

 まさに踏み込んできたという歩調だった。律動的で、大胆で、迷いがない。

 服装は作業着だけど、リーヴァーのメンバーが着てるような実用一点張りのそれではない。高級品の、イポン・ナヴィオ重工のエンブレムが刺繍されているような作業着だ。

 その集団の先頭には、ニュートの姿がある。彼も正規工員の作業着に着替えていた。そんな暇がよくあったものだとは思うけど、ニュートの計画の成功がこの脱走成功の最大の要因と言える。服装など、その成果の前では無意味か。

 ニュートはワヴの前まで来ると「首尾よく進みましたね」とにこやかに言う。ワヴも笑みを見せたが、どこかぎこちないように見えるのは何故だろう。ワヴの困惑の理由は判然としないが、私は反射的に、かつ、さりげなく二人から距離をとった。大型端末と格闘している連中もワヴとニュートに気を取られているようだ。

 ワヴが堂々と応じても、空気に混ざる違和感は変化しない。それは、ニューとが引き連れている男たちのせいかもしれなかった。ワヴは彼らを気にしている?

「ニュート、きみの働きには感謝している。際どい計画だったと思うが、よく成し遂げたものだと思う。ありがとう」

「いえ、ワヴさんの統率力あってこそです。俺の仲間は正確に仕事をこなした。それだけです」

 実にあっさりとニュートは話題を片付け、連れてきたものをワヴに紹介し始めた。やはりアクルィカスに所属する正規の工員や技術者で、今回の脱走に内通したものたちだった。とりあえずは十名がそこにいたが、あと二十名はいるという。

 その数の多さに私は驚いたけれど、ワヴは人数の点には触れなかった。この場にいない二十名をどこに配置すればいいか、とニュートに問われ、内通者の処遇という問題を検証する方が重要だった。

「航法システムが練習と食い違っているらしい。グリィスはまだ核融合機関の方に行っていて、ここには来られない。誰か、扱いを知っているものはいるかな」

 もちろんです、とニュートは力強く頷き、仲間を数人、指名した。

 はっきりとした違和感があったのは、その時が最初だった。ニュートが連れてきた内通者は、まるでニュートの部下のように扱われることに不快感を示していない。むしろ、ニュートと彼らは対等の立場ですらないように見えた。私が想定している、ニュートが上に立っているという見方は、勘違いか。

 では、彼らの間にある関係とは?

 ニュートは強制労働を課せられた立場で、彼自身が債務者だと聞いている。それが、イポン・ナヴィオ重工の正規雇用者の上に立つ? 正規雇用の技術者が、底辺のような立場の者の言うことをすんなりと聞くとは、どういうことだろう?

 自然と考えれば、ニュートの方が格下だ。たった今のやり取りで、ニューとが見せたのは、演技? いや、偽装?

 ミメの意見が聞きたい、と思ったが、この場にミメはいない。ワヴに聞こうとしたが、ワヴはニュートと話しており、次々とニュートの連れてきたものが大型端末の前へ移動し、リーヴァーの男たち、女たちに指示を出したり、交代して端末の前に着いたりしている。

 ニュートはワヴのそばを離れず、ワヴも艦の状態が気になるのだろう、いくつか質問を向け、その質問にはニュートではなく、内通者たちが答えていく。実に的確で、ノウハウがあるのがわかる。

 その光景は、ニュートはさほど知識がなく、内通者に頼っている印象も受ける。どうしても、何かしらが、不自然だ。

 発令所のメインスクリーンに、虚航回路が超時空跳躍航行の計算を完了したことが表示された。虚航回路の稼働に必要なエネルギーを求める表示に、端末についている内通者が「エネルギーを回していいですか」と確認する。

 ワヴが「問題ない」と答える横で、ニュートはメインスクリーンを眺めている。

 スクリーン上で、虚航回路が臨界に達し、いつでも虚航が可能になった旨の表示が出た。

「では、ワヴさん、行きましょう」

 促すようなニュートの言葉に、ワヴが頷く。

 そしてワヴが指示した。威厳があるようで、どこかに不安もあるような、微妙な声で。

「虚航回路、始動」

「始動します」

 対して、内通者の一人の素っ気ないような声の後、私は眩暈のようなものを感じた。

 体が揺れ、足元がぐらつく錯覚。

 超時空跳躍航行は、虚航回路が圧倒的なエネルギーによって、艦そのものや搭乗員を丸ごと情報化させるところから始まる。

 三次元の物体や、それより高次元のものを、全て情報化したのちに、計算によって割り出した座標で再物質化する。情報化は永久的に作用するものではなく、全ての物体が自然と物質、本来の形に戻ろうとするため、再物質化は自然現象を制御する意味合いが強い。

 目眩は私という存在が、意識も含めて情報化された感覚だった。

 それもほんの一瞬のこと。情報化しての転送は刹那という表現でも長すぎるほどの一瞬で完了し、再物質化も意識できない極短時間で完了する。

 体がフラフラするのを踏ん張って支え。

 私はメインスクリーンを見て。

 体が横に傾くのに反射的に足を送ってこらえる。

 艦が不規則に揺れている。いや、それより、非常灯の赤い光が灯り、警報が鼓膜を痛めるような音量で鳴っている。

 なんだ? とワヴが声を漏らし、そちらに視線を送った私は、複数の銃口を見た。

 ニュートの背後に控えているままだった内通者だ。五名が、拳銃を抜いている。端末を前にしたリーヴァーの面々も呆気に取られているが、銃口は彼らにも向いている。そう、端末についていた他の内通者も、今は拳銃を手にしていた。

「ワヴさん、とりあえずは壁際へ移動してもらえますか」

 落ち着き払ったニュートの言葉で、私は事態が思わぬ方向に転がったことを確信した。

 ニュートに向けられた銃口は、ない。一つも。

 ワヴも理解しただろうし、彼はこの場では最も冷静だった。

「こんなところで銃を撃つ間抜けはいないだろう」

 冷ややかなワヴの言葉にも、ニュートは平然とした態度を崩さなかった。

「実際に撃たれてからも、そう言えますか?」

 私は身動きをせず、観察に努めた。密通者たちが手にしている拳銃は、ガス銃だろう。口径は小さくない。大型端末が破損するだろうけど、それよりもリーヴァーのメンバーが身につけている薄手の防弾ジャケットは貫通するかもしれないのが問題だ。貫通しなくても、衝撃は並大抵ではない。

「ほら、全員、壁際に並べ。銃は捨てろ。床に置け」

 内通者たちが銃口を左右に振る。

 ワヴが「言う通りにしろ」と言ったことで、全てが決定した。そっと護身拳銃を置いたものから、ゆっくりと壁際へ移動していく。私もそれに倣った。

 ニュートが何をしようとしているのか、内通者たちの正体は何なのか、それを知らなくてはいけない。

 警報が鳴り止まない。最後に見たメインスクリーンにも警告示す表示が無数に出ていた。艦が細かく揺れ続けているのも気になった。

 私は壁に向かって立ち、両手を壁に置いた姿勢で、ニュートとその仲間たちの間で交わされる声を聞くことに、全神経を集中する。

 会話の内容を総合すると、フォートラン級は虚航回路のエラーで、ほとんど動いてもいないという程度の距離しか超時空跳躍航行を実行できなかったらしい。ニウロタット星系を形成する惑星の一つ、ハーテンバーの至近で再物質化し、たった今も、その惑星の重力に捉われ、緩慢に引き摺られている。

 私は記憶を探り、ハーテンバーの実際を思い出した。

 ほんの小さな範囲だけが生存可能な環境に改良されているが、他は赤土の荒野だったはず。大気はほとんどないと記憶している。重力はかなり強く、生存可能圏は大型の装置を使い、重すぎる重力を中和する重力調整がされていると資料で見たのを思い出した。

 ニュートたちはフォートラン級の主推進器を起動させようとしているようだが、何故かエラーが出ていると、内通者のふりをした男たちが答えている。ニュートが苛立ちを隠せない口調で、再起動を実行するように指示を出した。

 ニュートが出した指示の中に、格納庫の中に収まってる宇宙船に合図を出し、フォートラン級を全て制圧する作戦を開始せよ、というものもあった。

 はっきりとわかった。

 彼らは本来的な作業員や技術者などではない。

 暴力に慣れた集団だと私はやっと理解したが、遅すぎる。

 このままだとフォートラン級の内部で、リーヴァーのメンバーは目も当てられない事態になる。相手は武装しているのに、リーヴァーの面々は護身拳銃しか持っていない。

 ワヴはどうするだろう。ミメはどこにいるのか。イユスはどうしているだろう。

 私に見えるのは壁だけだ。

 行動するべきか、それとも待つべきか。

 発令所の揺れは収まることはなく、警報も止まない。

 不意にアーキのことが思い浮かんだ。知性体がこの状況を知らないなんてことがあるだろうか。この宇宙艦はまさに知性体の肉体であり、内部は体の内側に等しい。そして人間が自分の体内に関して知り得ないのとは違い、知性体は艦内のことは詳細に、手に取るように理解できはずだった。

 私を試しているのか。

 咄嗟にそんなことを思った。

 ありえない。しかし、本当に?

 アーキは何を考えている?

 私は悟られないように首を捻り、ニュートの方を見た。彼はこちらには注意を向けていない。自分の指示した通りに進まないことで、頭に血が上っているのだ。

 視野の端で、内通者のふりをしていた男が二人、こちらを警戒しているのがわかった。しかしリーヴァーのメンバーでこの場にいる十人なりを、たった二人で細部まで監視するのは不可能だ。他のものは、端末についているはずだけど、目視での確認は私の位置からはできなかった。

 決断した。

 私がやるしかない。

 思考補完型人工知能が機能を発揮し始める。男二人の眼球の向き、顔の向きから細かく視野を割り出し、両者の視野から自分が外れるところを探る。

 タイミングは思ったよりも早く来た。

 艦が不規則に揺れることさえも、今の私には緩慢に見える。

 二人の見張りの視線が、私から外れる。

 私は床を蹴り、低空で突っ込んだ。



(続く)

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