第12話

     ◆


 居住スペースの壁に埋め込まれている時計が、ニウロタット星系時間で四時を告げる。

 作戦開始だった。

 すでに私と同室の四人は支度を済ませている。荷物なほどほとんど最初から無いに等しい。

 まだ明かりが最低限の通路へ出て走り出すと、次々と仲間たちが通路へ出てくる。あっという間に五十名を超える集団になった。

 最初の問題は強制労働者を押し込めるスペースから出るためのゲートだった。物理的な壁で隔てられているし、見張りもいるはずだった。

 その扉が見えてきたところで、ひとりでに分厚い扉が開放されていく。見張りもいないようだ。どう細工したのか知らないが、クリア。

 次々とゲートを抜けていくと、空気は清浄なものになり、匂いさえ変わる。壁も床も天井も美しい内装に変化し、埃など少しも落ちてはいない。輝度は変わらないはずなのに明かりさえもきらめいて見える。

 不意に前方で声が上がり、怒声と罵声が交錯した。脱走集団の足が止まったのもほんの短い時間で、動きが再開する。

 私は横目でそれを見た。気を失っている警備員が一人。顔が血まみれだが、肩が上下している。死んではいないのだ。電気銃が見当たらないのは、仲間が奪ったのだろう。個人で携帯する端末が残されているかも即座に確認したが、やはり奪ったようだった。端末をそのままにしていたら、今この瞬間にも警報が鳴るのが道理だ。警備員が指でボタンを押さえるだけで済む。

 とにかく先へ進む。集団は駆け足になっていた。

 足音が幾重にも響く。

 もしただの作業員などと鉢合わせると、それは不運な展開になる。脱走集団は規律が取れているようで、冷静とは程遠い。無言で先へ進んでいても、精神は興奮し、気が立っている。その高揚を鎮める方法は、きっとない。

 ある種の熱狂が、リーヴァーという集団を駆り立てていた。

 また一つ、ゲートをくぐる。警報は鳴らない。見張りもいない。

 そしてついに目的の地点に到達した。

 無重力ドックの一角。フォートラン級が一望でき、その艦内へ続くエアロックまでチューブが伸びている。脱走集団の先頭はすでにそこに雪崩れ込んでいくところだ。私もそれに続いた。

 チューブと言っても細くはない。人が四人は横に並べる。もっとも無重力だから同時に四人が動くのは、体がぶつかり合って難しい。

 私もチューブに飛び込み、宙を泳ぐ。チューブ内には赤い水滴が無数に散っており、私はそれを手で払いつつ先へ先へと進む。

 空中にぐったりとした人間が浮いている。二人。警備員の制服を着ていた。電気銃、端末はやはり奪われている。

 チューブの終着点、ハッチにあたる部分にワヴの姿があった。部下を二人従えて、電気銃を構えている。彼は私に気付くと「イレイナは先へ行った。お前も行け」と声をかけてくる。ワヴはここで追っ手を防ぐつもりらしい。まだ騒動が工廠衛星には広まってはいないが、時間の問題だろう。

 私はワヴの横を抜けた。

 フォートラン級の艦内に入る。

 薄暗い。そして人工重力が切られている。すでに完成しているからだろうか。すぐそばの端末に張り付いて、自分の小型端末を接続して操作している仲間がいる。思考補完型人工知能が私の視界の隅に時刻を表示させる。作戦開始からまだ三十分。いや、三十分は短い時間ではない。

 通路を泳ぎ、先へ先へと進む。壁に埋め込まれた端末のほとんどに仲間が配置されているのが見て取れた。艦中枢への飽和攻撃までの時間を意識。あと三分。

 シューターは使えないが、階段はもちろん使える。無重力を利用して素早く滑り降り、目的の階層でドアを開放。空気の流れに引き摺られながら通路にまろび出て、壁を蹴り、床を蹴り、先へ。

 セントラルユニット管理室の扉は開いたままだった。イレイナが開けたのだろう。

 中に入ると、そこも明かりは最低限のそれだけ。しかしセントラルユニット、巨大な球体は強化ガラスの向こうで回転を続けている。

 生きている、と本能的に理解した。アーキも、フォートラン級も、死んではいないし、眠ってもいない。

「マナモ、やっと来たわね」

 管理端末の前にいるイレイナが振り返る。薄暗い中でも、彼女が困惑しているのは理解できた。

「問題発生?」

「端末が起動しない。電源が入らないのよ。これじゃあモニタ出来ないわ。まさかどこかに原始的なスイッチでもあるのかな」

 私は管理端末の前に立ち、そっと左手で触れてみる。

 思考補完型人工知能が稼働し、脳から脊髄、そして例外的に左手の指先まで浸透している有機粒子結合帯が干渉を開始。この能力はイレイナには教えていないが、隠している場合でもない。

 脳裏にメッセージが閃く。私はそれを読むのではなく直感する。

(何が起こっているのですか?)

 アーキからのメッセージだ。

(アーキ、これからあなたに飽和攻撃が仕掛けられる)

(マナモがそのようなことをするとは信じられません)

 本当に信じられないのか、すっとぼけているのか、この知性体の考えは読めない。構わずに即座に応じる。時間がない。

(脱走集団が艦を掌握する。それで工廠衛星を脱出する)

(ドックは通常の状態とはいえ、閉鎖されています。破壊するのですか)

(開放する手はずになっている。うまくいくかは賭けだけど)

(私は賭けたくありませんし、自分を賭けの対象にして欲しくもありません)

(悪いと思っているわよ。でも他に方法がない)

 ここまでの会話がほんの一秒に満たない間で行われた。知性体であるアーキには容易だろうけど、私は背筋が熱を発し、汗を滲ませている。思考を強引に加速させた有機粒子結合帯が発熱しているのだ。

(私は何をすればいいのですか? マナモ)

(死んだふりでもしておいて。ややこしいことは避けたい)

(あなたたちのいいなりになれと? それは不安です)

(もし事故でも起こしそうなら、うまくサポートしてちょうだい。お願い)

(あなたのお願いを聞く義理はある気もしますが、危険です)

(よろしく)

 私は左手を制御端末から離し、額の汗をぬぐった。

「マナモ? どうしたの?」

 不思議そうなイレイナに頷いてから、改めて時間を確認。

 飽和攻撃まで、一分を切っている。アーキに、艦の制御能力が決定的に破壊されないように防御態勢をとるようにと言うのを忘れたけれど、それくらいは勝手にやるだろう。私が一を言えば十以上を察するところがあるし。

「来るわよ」

 私がそう言葉にした時、飽和攻撃の発動時刻が来た。

 物理的な変化はない。

 ただし、照明がほんの一瞬、完全に消えた。

 その闇を払ったのは赤い表示だった。セントラルユニットの制御端末が起動し、強化ガラスにも一面に警報が表示された。

 人工音声が流れ始める。

『全艦の制御機能がダウンしています。再起動まで五分』

 淡々とした声は、アーキのそれとは違う。知性体のそれではなく人工知能のそれ。アーキの演技だろうか。

 私は強化ガラスに表示される警報を一つ一つチェックした。核融合機関、確認中。重力発生装置、確認中。空調全般、確認中。電気系統、確認中。電子兵装、確認中。非常安全装置、確認済み。なんだ、やっぱりアーキの演技じゃないか。安全装置はちゃっかり最優先で確保したのだ。

 非常安全装置は搭乗員の安全を確保しつつ、機関部の暴走による周囲への被害も最小限に抑える機能を持つ。その機能の一部に、知性体の中枢であるセントラルユニットの保全も含まれる。いざという時は、今、目と鼻の先にある球体は艦を捨て宇宙へ飛び出していくわけだ。

 明滅するウインドウがあり、そこに目をやると、艦内の警備員への一時退避が通知されているという表示だった。アーキの配慮なのか、警備員の数も表示されている。四名だった。やや多い。問題はチューブを脱走集団の誰かが押さえていると、内部の警備員と外部からの警備員に挟撃されるかもしれない。

「イレイナ、ワヴさんたちを発令所へ向かわせて。中から警備員が逃げ出していくから、それを逃げるに任せるように」

 そう言いながら、私は制御端末に取り付き、警備員の所持する端末から位置を割り出した。制御端末はちゃんと動いている。これもアーキの支配下にあるのだろう。

 隔壁を閉じたり開けたりして、警備員を誘導する。もう脱走集団のほとんどは飽和攻撃のための端末を離れているが、出くわさないように配慮した。その仕事を途中でイレイナに任せたのは、短い電子音が鳴ったからだ。

 強化ガラスに投影されたウインドウの一つを見ると、核融合機関の安全が確保されたという表示が出る。私は自分の端末を手に取り、ワヴへ連絡。すぐに応答がある。

「こちら発令所」

「セントラルユニット管理室です。核融合機関の安全が確保されたのはそちらでも把握していますか」

「できている。今から始動させる手はずだ」

「ドックの開放はどうなっていますか」

「ニュートかミメから報告があるはずだ。任せるしかない。少なくとも、フォートラン級は大人しいものだ」

 アーキがそう見せているだけだ。

 知性体は私たちに味方したのだろうか。それとも、想像もつかない深謀遠慮があるのか。

 私が自分の端末の通信を切ったところで、核融合機関が始動したという表示が出た。少しの間も置かず、艦内の明かりが正常の状態になり、空気が流れ始めるのがかすかな流れで察せられた。セントラルユニット管理室も明るくなったが、小さな管理端末しかないので、ガランとして見える。

 私とイレイナは、強化ガラスに表示されている情報や、何枚かの映像を見ているしかできない。

 航法プログラムが立ち上がり、スラスターが待機モードに。主推進器に核融合機関から莫大なエネルギーが流れ込む。フォートラン級は接近戦を想定しているために、主推進器は規格外の四発である。

 あとはドックが開放されれば……。

 小さな電子音。視線を向けると、無重力ドックが緊急開放されるという通達が出ていた。人間のそれではなく、アクルィカス側の管理用人工知能がそう指示したようだ。複数の人工知能のやり取りを、アーキが即座に読み取って表示していくがログの流れが速すぎて常人では読み取れない。私も無理に読み取ろうとしなかった。

 人間の介入を何故か人工知能が却下し、数秒の後、ドックの開放が始まった。

 巨大なフォートラン級を収めている巨大な筒が、ゆっくりと移動していく。もしアクルィカスを遠くから見れば、筒が球体からせり出す様が見えただろう。

 フォートラン級を収めた円筒が完全に宇宙空間に露出すると、ドックを構成するその筒が四つに割れていく。セントラルユニット管理室にも外部映像が映され、徐々に宇宙そのものの光景が広がっていくのを目にすることができた。

 ドック側の最終安全アームがロックを解除、離れていく。

 何の合図もなく、フォートラン級が前にせり出し、そのままドックを離れて宇宙へ漕ぎ出す。

 脱走は成功、ということなのだろうか。

 こんなにあっけなく?

 私はどこか落ち着かない様子で、離れていくアクルィカスの様子を見ていた。

 またも電子音が鳴る。アクルィカスから小型のシャトルが二機、追いかけてくる。追撃ではないことを示すように、表示には武装していないことが確認されているという一文が添えられていた。おそらくアクルィカスに食い込んでいた内通者だろう。ニュートとミメが用意した工作員だ。

 フォートラン級は速力を抑えて、シャトルを迎え入れる。ハッチから格納庫にシャトルが滑り込む様を、艦内のカメラの映像で私は見ていた。シャトルが固定され、そこで映像は途切れる。

 別の表示では主推進器が稼働率を上げ、見る間にアクルィカスを離れるのが見て取れた。

 追っ手はない。あるとすればこれからだろうか。

「これからどうするのかしらねぇ」

 私のすぐ横でイレイナがそんなことを言うので、私は笑ってしまった。

「なるようになるでしょう」

「マナモ、あなた、帰る家があるの?」

 帰る家。家ではないが、帰るべき組織はある。こうなっては受け入れられてもらえないかもしれないが。そうなれば私は流浪の身になるのだが、実感がなかった。

「私にはあるの」

 イレイナはそう言って笑うと、ちょっと目を細めた。

「どうしても帰りたいから、リーヴァーに参加したの。だから、今、すごく嬉しい」

 私はただ頷いて、強化ガラスに映る無数の表示を眺めた。

 私にもイレイナにも帰る場所があるとして、アーキはどうなるのだろう。

 アーキこそ、帰る場所を失ったと言える。

 そのことを知性体に直接、質問したかった。ただ、今ではないだろう。まだ脱走計画の現在の状況を把握していないから、時期尚早だ。

 このまま脱走の第一段階が完了すれば、また会議があるはずで、そこで現状については共有されると思われる。その場で私はアーキについて報告する必要があるだろうから、会議までには知性体に質問する機会は用意しないといけない。

 私たちの身勝手に、知性体がへそを曲げてないといいのだけど。

「とりあえず、発令所に行ってくる」

 私がそう告げると、ここは任せて、とイレイナが力強く頷いた。

 私は回転し続ける球体を一瞥してから、セントラルユニット管理室を出た。



(続く)

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