第11話
◆
脱出作戦決行日の前夜、と言っても作戦開始の八時間前、リーヴァーに与するものが会議室に揃った。
今までで一番数が多いが、私は長い時間をここで過ごしたがために、知らない顔はない。座り場所がないのでみんなが立っていたけれど、挨拶をしたりなんだりで、部屋は賑やかだった。
遅れてワヴがやってきて、彼に近いメンバーが続いていくつもの箱を運んでくる。そこから取り出された包みが手から手へと渡され、全員に配られていった。
私のところへもやってきた。抱えるくらいの大きさの包みの中身は、簡単な防弾チョッキと、二連発の護身拳銃だった。
「いいか、みんな」
全員に装備が行き渡ったところで、ワヴがいつも通り、静かで、落ち着いた声で言った。
「俺たちはただの労働者だ。戦闘訓練を受けているわけじゃない。チョッキは安全のためで、護身拳銃はまさに身を守るためにある。もっとも、チョッキじゃあ殺傷出力の電気銃には意味がないし、護身拳銃の小口径弾じゃ警備員は倒せないがな」
そこここで笑いが起こる。ささやかなジョークで緊張は十分にほぐれたようだ。
「作戦は事前の通達の通りに進めるぞ。変更はない。夜明け前を狙って、迅速にフォートラン級に侵入、内通者の手を借りて端末から機能中枢へ同時飽和攻撃を仕掛け、乗っ取る。グリィスが指導したメンバーを操艦の主体として、フォートラン級を緊急発進させることになる。アクルィカス側には内通者が働きかけ、無重力ドックからの脱出をサポートする」
一息にワヴがそう言うと、その時にはもう室内に緊張が戻っている。ただ、ほどよい緊張、といったところだ。
この作戦を前に、まったく楽観できるものなどいないだろう。私でさえ、綱渡りとしか言えない作戦に緊張する。
綱渡りという言葉で表現するほど楽ではない、とも思っている。フォートラン級に侵入するにしても、ゲートを幾つか抜ける必要がある。センサーだけのゲートではなく、扉が閉じているゲートをだ。私がアーキに連れて行かれた経路を思い出せば、最終的には四、五枚のゲートは抜ける必要がありそうだ。
ニュートはどこにいるだろうと室内に視線を巡らせると、ミメのすぐ横に背筋を伸ばして立っている彼が視野に入った。
ミメとニュート、二人が用意した内通者がゲートに細工をすることになっているけれど、もしそこで問題が生じれば一巻の終わり。もっとも、フォートラン級を制圧したところで、アクルィカスの側が無重力ドックを封鎖してしまえば、やはり極端な至難が生じる。
過激な手段だが、工廠衛星の構造物を破壊しなくてはいけなくなることも、含んでおくべきだろう。ただ、そこまでしてしまえば、私たちの行動は宇宙艦の強奪というだけではなくなる。器物損壊、なんて甘いと言わざるをえない展開だ。
今、こうしてニュートとミメを見る限り、二人には不安はなさそうだった。私の心の内にあるものと同じものが、二人にはないのか。
グリィスはどこにいるか、と姿を探すと、やはり彼直属のような立場の男たちと何か小声でやり取りしている。遠すぎて聞こえないし、いやらしいことにグリィスも彼の仲間も口元を手で覆っている。唇を読まれないためにか。どうしてそこまでするのだろう。
ワヴはスケジュールについて確認した後、各自の持ち場を確認した。端末の乗っ取りを行う班はニュート自身がリーダーとして指揮し、その下にイユスがフォローでつくという。ミメもニュートの補助をするという話もあった。
グリィスは艦の操作をすることになるメンバーで構成された班のリーダーだ。
「マナモ、お前は真っ先にセントラルユニット制御室へ行け」
ワヴの言葉に、私は「わかりました」と即答した。アーキと最も接点があるのは私だ。ワブとしては計画が破綻したとしても、最後の線でアーキを頼ることを想定したんだろう。アーキを説得する役目は、私しかできない。
思い役目だが、逃げることは許されない。
「俺は発令所で指揮を執ることにする」
簡潔にそう言ってから、順列を決める、とワヴが続けた時、室内にはささやかなざわめきが起こった。その室内の困惑を完璧に無視して、ワヴは言う。
「俺の次はミメが指揮を執る。その次はグリィス、その次はイユスだ」
全員の視線がまったく同時にイユスに向いた。ただ彼は寝ぼけ眼のまま、ぼんやりと視線に視線を返していき、それでも何の話があったのかわからない顔をしている。
シャンとしなさいよ。
「イユス」
たまりかねたようにミメが諭すように声をかけた。
「ワヴ、私、グリィスが倒れたら、あなたが全体の指揮を執るのよ。わかった?」
「僕が指揮を執る? 何で?」
「ワヴがそう決めたの。従いなさい」
僕がぁ? とイユスが呻くが、それは笑いしか生まなかった。
いや、ニュートとその仲間だけは、笑っているように見えて、目は笑ってない。それもそうか。本来的にはイユスより先にニュートが来るはずだし。
任せたぞ、とワヴは簡潔にこの話題を終わりにした。
あとは各担当ごとに集まって打ち合わせをして、解散となった。
私には一人、メンバーが補佐でつくことになった。イレイナという女性で、二十代だった。
「とにかく、セントラルユニット管理室に飛び込めばいいってことですね」
姉御肌のイレイナはやるべきことを実に単純な言葉にしてくれた。
「まさに。あとは成るように成る」
「アーキさんは協力してくれるのですか?」
まさか、と言いたいのを私はグッとこらえる。口から漏れそうになる言葉を飲み込むのにだいぶ苦労した。
フォートラン級は彼女の体そのものだ。その一部の機能を奪うのだから、アーキがいい気分でいるわけもない。きっと不快だろうし、怒るかもしれない。知性体とは機械の領域を既に超越している。人間が不快に思うことは当然、知性体にとっても不快なのだと想像できる。
ただ、人間と全く同様の価値観の持ち主ではないところに、難しさがあるとも言える。人間だったら、ほぼ全ての人が恥ずかしいと感じたり、屈辱と感じたりする何かがある。それがそっくりそのまま知性体にとって恥ずべきことだったり、屈辱かは判然としない。
人間は単純な足し算を間違えると恥ずかしいが、知性体は単純な足し算の失敗に恥ずかしい以外の何かを感じるかもしれない、と想像すると少し整理できる。
何はともあれ、アーキは私に心を開いている。その一点だけで、寛容さを求めるしかできない。私たちの乱暴狼藉を、人間が持ちえない寛容さで黙認してもらうなど、虫がいいにもほどがあるが、他の手段はない。
イレイナとの話し合いはすぐに終わり、彼女は帰って行った。きっと彼女も今夜は眠れないだろう。私だって眠れる気がしない。
改めてワヴ、グリィス、ミメ、ニュートの様子を見るが、とりあえずはまとまっているようだ。
私が口を出すことはないし、早く休むようにしよう。
会議室を出て、通路を進んでいる途中で、腰のポーチに入れている小型端末が小さな音を立てた。その端末はイユスが用意してくれたもので、仲間内でのやり取りにも使われている。
誰からか、と素早く手に取ってみると、未登録のアドレスからメッセージが届いているという表示だった。
素早くそばに誰もいないのを確認してから、私は近場で人気のない場所を思い描き、いつかの女性用更衣室に向かった。
中に入るともちろん、人はいない。
端末を左手で掴み、思考補完型人工知能の力で情報ネットを遡る。端末が連結されているリーヴァーのネットワークの外からの通信なのは間違いない。どこからだ? アクルィカスのネットワークに自然と侵入し、さらに遡行していく。
メッセージの出どころは、アクルィカスではない。
履歴を確認。メッセージはいくつもの小規模ネットワークを経ている。
たどり着いたのは、小さな商社。ニウロタット星系で営業している企業。
私はそこで追跡をやめた。その企業がどういう企業か、知っていたからだ。
端末から手を離し、私は端末に表示されているメッセージをダウンロードするかの確認を、拒絶した。表示は消える。
思わずため息が漏れる。
メッセージの送信先はわかった。
私が本来所属する組織だ。今回の秘密任務、潜入任務において、定時連絡は設定されていない。それは私が自由であるのと同時に、何の支援も受けていないことを意味する。組織としても、下手に関われば身が危うい。
それが今、ここに至って私に接触しようとしている。
私がメッセージを受信しない理由は二つ。
一つは下手に通信を行えば、アーキに露見する。知性体は私という存在の真の姿に気付いている節もあるが、これまで明言はしなかった。知っていても言わないでおく、という選択ができるのだ。私からも口にしていない。もしここで組織と連絡を取れば、アーキとの関係や、アーキの私という存在への認識にどんな影響があるか、わからなかった。
もう一つは、組織から与えられた本来的な任務を放り出しつつあるという事実だ。
イポン・ナヴィオ重工の違法行為とその実態を私はおおよそ理解している。それで任務のほとんどは達成されているのだ。情報は確保してあり、それを提出すれば、おそらくイポン・ナヴィオ重工は正式に告発される。
それはそれで強制労働者は解放されるかもしれなかった。どういう未来が待っているにせよ、彼らは重すぎる不当な労働から解き放たれて、堂々とアクルィカスを出ていける。
正しいと言えば正しい方法だ。正解と言ってもいい。
ただ、私はそれを選べない気持ちだった。
フォートラン級を強奪したところで、明るい未来があるわけではない。何も保障されていないし、むしろ危険の度合いは増している。露骨な犯罪行為に走っている点もマイナスだ。
言い訳はできなくはない。仮にイポン・ナヴィオ重工を告発しても、証拠隠滅のためにより悲惨な事態が起こるかもしれない。それに、フォートラン級を強奪した上で当局に出頭し、事実を白日の下にさらす、という手段も取れる。その時はフォートラン級の強奪は必要な行動だったと主張すれば、あるいは許容される、という展開も見える。
しかしそこには、また別の問題、最大の問題がある。
ワヴでさえも、アクルィカスを脱走した後のことを未だに全体に口にしないのだ。
永遠に宇宙を漂流することはできない。
どこかで決着をつけなくてはいけないのだ。宇宙艦を捨てるにせよ、どこかに身をひそめるにせよ、何らかの計画がなければ、この作戦は決行する前から破綻していることになる。
何かはあるはずだ。ワヴがそんなデタラメを実行するわけがない。
しかし、何が用意されているだろう。
私は自分が何を望んでいるのか、この半年を超える長い期間で考え続け、迷い、答えを見失っていた。今も見失っている。私を動かしているのは本能、衝動だった。
本来的な任務を逸脱し、私は犯罪の片棒を担ぐどころか、望んで犯罪に加わろうとしている。
紛れもない裏切りだった。組織への裏切り。そして一方では、脱走集団さえも裏切っている。
本当の理解者の不在は、珍しいことではない。その頼りなさも慣れているつもりだ。
それでも苦しい思いに囚われることはある。
私はしばらく端末を手にしたまま、その場に留まった。
メッセージは受け取らない。それが答えなのだと、自分に言い聞かせた。
自分がどこへ向かっているのか、想像もつかなかった。
何もかもを正常に戻す機会が、今だとはわかっていても、行動には至らない。
冒険が私を駆り立てるのでもなく、正義が私を突き動かすでもなく、全く別のものが私の中にはっきりと存在していた。
本能に食い込み、衝動を急き立てる存在。
アーキ。
あの知性体を放ってはおけない。脱走集団に利用されるとしても、あの知性体をしかるべきところへ、しかるべき形で落ち着かせるべきだ。
本来なら、宇宙艦として納入先の星系防衛軍の一角として活動するべきだろう。
私は、それをアーキが心の底からは望んでいないことを、察している。
錯覚だろうか。他人には理解できないだろうけど、私には確信に近いものがある。
しかしいったい、今、この場で愚かなのは、誰なのか。
いや、私は間違いなく、愚かだろう。そう、私は愚かだ。
時計を見る。脱出作戦の開始まで、あと六時間。
私はもう一つ、ため息を吐いてからベルトに端末を戻した。
引き返す機会は、失われている。
あるいは最初から、引き返すことは許されなかったのかもしれない。
(続く)
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