第9話

        ◆


 夜間は光量が落とされていたせいで、私もフォートラン級の内部を詳細に観察できるのは初めての経験だった。

 思考補完型人工知能が私の視覚を強化しているとはいえ、明るい中で見る方がわかることも多い。

 すでに内装はおおよそ整っている。私が初期に利用していた内部構造の隙間や、まだ手がつけられていない内装パネルのない空間は今やほとんどない。これを目にしてしまうと、テスト航行も間近なのも頷ける。

 ニュートが指摘していた、細かな端末もいくつか目にした。船室の管理用の端末は無数にあり、さらには艦内で映像通信をするためだろう、モニター付きの端末も設置されている。乗組員は個人で端末を持つだろうが、非常事態を想定すれば、通信手段は複数確保するのが妥当である。

 アーキは会議室から食堂から、食糧貯蔵庫から、シャワーから、格納庫から、トイレまで私に見せた。私はほとんど黙ってついて行ったけど、そのどこにも共通して言えることは、まだ物資の搬入がされていないということだ。食糧貯蔵庫は空だった。トイレを見学した時は、「まだ使えないからね」とアーキは口にした。最新鋭艦の贅沢な仕様として水洗だという。その水がまだ積まれていないとアーキは言う。

「トイレに行きたくなったら行ってね、案内するから。一度、艦を降りないといけないけど」

 いつになくニヤニヤと笑っているアーキは、自分がトイレに行く必要がないことを冗談にしているらしい。

「知性体には実感できないでしょうね、人間の生理現象というのは」

 言い返してやると、アーキは可笑しそうに笑う。

「人間には知性体の苦労はわからないでしょうね」

 どうやらこの知性体をやり込めるのは不毛なようだ。

 案内は続き、発令所も覗いた。すでに大型端末が揃っているが、電源は入っていない。ここの端末に枝をつけることができれば、と思わなくもないけど、ニュートにそこまでの仕事はこなせないように思えた。ただ、もし成功すれば、脱走計画の功労者の筆頭がニュートになるはずだ。

 私は端末に近づいて、様子を覗き込んだ。昔ながらの計器類が並び、私にも何を示しているか理解出来る。操艦には特別な新技術は盛り込まれていないらしい。グリィスが仲間に操艦技能について教育を施していると聞いている。グリィスも最新の情報とノウハウを学んでいるはずだし、彼に教えられた能力はフォートラン級でも活かせると私は判断した。

「マナモって、艦の運用について知識があるの?」

 背後に控えていたアーキを振り返ると、彼女は艦長席に腰掛けて優雅に足を組んでいた。もしアンドロイドが十代の少女のそれではなく、二十代の女性のそれだったら、やり手の女艦長に見えたかもしれない。

「最低限はね。でも私は専門じゃない」

 とっさに答えてから、やや口を滑らせたか、と気付いた。

 アーキを前にしては誤魔化しなど通じない。知性体は人間に誤魔化されるような甘い存在ではない。

 実際、アーキは踏み込んできた。

「あなたは私のところへ来るくらいだから、肉体労働派なのね。強制労働をしているくらいだし。何が専門?」

「専門は」

 どう答えるか迷うが、それさえも読まれているだろうし、私の真意をアーキは察するはずだ。

 逃げるべきではない。正面からぶつかり、わずかに逸らす方が目がある。

「電子戦よ」

「それは知っているわよ、あなた、私に会いに来る時、監視装置に偽情報を噛ませていたでしょう。あんなことをするのは電子戦の専門家よ。ついでに、警備員の目を盗んだわよね。あれは容易な技能じゃない」

「コツがあるの。あの時は、視覚には働きかけたけど、他は放っておいたし」

「あら、そうなの。人間って目に頼るからね」

「知性体は情報に頼りすぎる」

 言うわね、とアーキがケラケラと笑う。

「でもね、マナモは強制労働をさせられているというより、意図的にしているように見える。本当に借金したの?」

「私だって借金するわ。私の両親もね」

「それって調べても大丈夫?」

 私はじっとアーキを見た。彼女が宿るアンドロイドの瞳は人間のそれと大差ない。高級なガラス製で、人間の目とはまるで違う性能があるだろう。それでもそこに感情が宿るような気がするのは、何故だろう。

 人間の本能に刻まれた錯覚か。

「その権利はある」

 私がそう答えると、フゥン、とアーキは目を細めて、足を組み替えた。

「権利はある、というのは、権利はあるけどして欲しくない、ということね?」

「それはあなたの自由よ、アーキ」

「私に罪悪感があるとあなたは予想している? 予想じゃないわね。想定しているってところ?」

「あなたの善意を頼っているようでは、私も迂闊というところかな」

 面白いわね、とアーキは不意に立ち上がった。彼女の体の重さのせいだろう、椅子がかすかに軋んだ。

「あのね、マナモ、私はあなたのことが結構、好きなの」

「好き? それはどうも。私もよ」

「そんな口先だけの言葉が欲しいわけではないけど、嬉しく思う。あなたが今、達成しようとしている目的は、何? それを教えて。あなたの口から聞きたいの」

 私はじっとアーキを見るけど、彼女は私と視線を合わせることなく、ゆっくりとした歩調で歩み寄ってくる。すぐ横を抜け、彼女の手が大型端末の表面を撫でる。

「私をどうするつもりでいるのか、知っておきたいわ」

「アーキ」

 この知性体を騙すことはできない。そう確信した。

 確信してしまえば、言えることは限られる。

「私は今、イポン・ナヴィオ重工に強制労働させられている人たちの脱走計画に加担している。あなたを利用して脱走する計画よ」

「どうやって私を利用するの?」

「ありとあらゆる手段を使って、という感じかな。私があなたに接触したのも、その一環」

「じゃあ、都合がいいじゃない。私はあなたになびいている。願ったり叶ったりだったわけだ」

 どう言葉にすればいいか、私は口を閉じた。沈黙がやってくる。人間の会話にはつきものの、知性体には必要性のない沈黙。空気が重い。思考さえも重くなる。それでも私は思考を巡らせた。必死な思いで。

「アーキ、私はあなたを一個の人格として理解している。もし、私たちの考えに反対なら、そう言えばいい。私は落胆はするけど、あなたを責めたりはしない。対等なのよ。私も不思議だけど、あなたには人と同様の格がある。そう理解している」

「私のことを私が決めていい、ってことね? 人間が決めるように」

「そういうことかな。全てにおいてそうよ。あなたが私の背景を探りたいなら、探ればいい。その決断をすることがあなたにはできるはず。私はそれを否定しない。人間はみんな自分で決めて、行動するのだから、知性体がそれをしていけない理由はない」

 アーキが大型端末へ向けていた顔を上げ、私を見た。ちょっとだけ目が見開かれている。

「似たようなことを、教育係が私に教えてくれた」

 似たようなこと、か。

 私は是非にもその人物と会いたいと思ったけど、不意に点と点が繋がった。

 アーキは教育係の消息を調べていないと言った。それはアーキが自分で決めたことなのだろう。教育係の薫陶を、彼女なりに理解し、解釈し、行動しているのだ。

 私が両親に対して取った行動と同じ。

 人間と大差ないじゃないか。アーキは優れた知性体だ。自由で、同時に縛られている。

 人間と一緒。

「マナモと教育係は似ているわ。だからあなたのことが気になるのかも」

 そう言ってから、アーキは笑顔を取り戻した。私は安堵するような気もしながら、何も解決していないことを意識する。アーキは私に働きかけてきたけど、何も明言していない。彼女の性能が発揮されれば、リーヴァーの実情や構成員、私の背景さえも暴けるはずだ。それをしないとアーキは言っていない。

 不安を感じるべきだろうか。それともアーキの善意を信用するべきか。それは、あまりにも危うい。人間の善意を信じることができるか、と問われれば、私は信じられない、と答える。人間の善意を信じないものが、知性体の善意を信じられるわけもない。

 ただし、人間と知性体は同様のコミュニケーションを取るが、その本質がまるで違うことは、断定を保留する要素になる。

 知性体の善意とは、人間における善意とはまた違うのではないか、という理屈には価値がある。

 観念的、空想的だが、ありえないことではない。

 私を好きだとアーキは言う。その好意でさえも、人間同士の好意の交換とは違うのかもしれなかった。私は反射的にアーキと好意を交換したが、私の受け止めと彼女の受け止めが同様とは限らない。

 アーキの心を知りたいとは思うけど、人間は人間の心を知ることはない。科学技術の発展で、人間は他人の頭の中、意識や記憶を探る手段を手にしているが、今では非倫理的として全面的に禁止されていた。知覚への干渉さえ、犯罪である。

 アーキという知性が機械で作られた構造物の中に存在するとしても、アーキの深層を探ってはいけないはずだ。

 できることは、人間同士がするように、理解し合うことだけか。

 あるいは、理解していると錯覚すること。

「そんな顔をしないで、マナモ」アーキは楽しそうだ。「私のことを少しは信じて」

「信じているつもりだけどね」

「そんな顔をして?」

 思わず手で顔に触れる私に、「人間の表情は不合理ね」とアーキは笑いまじりに言う。

「次は私の心臓、核融合機関を見せてあげる。見える部分はほとんどないけど。ほら、行きましょう?」

 自然な動作でマナモは私の手を取り、歩き出す。私はそれに従った。

 アンドロイドとは思えない柔らかい感触の手だった。

 とても作り物とは思えない。

 アーキは自然な歩調で進んでいく。その動作にも乱れはなく、まったく自然だった。

 人ではないが、人を超えた存在。

 私は無力だ。実感として理解できる。

 すぐ目の前をいく小柄な少女の能力、知性と比べれば、何の力もない。

 何の力もないからこそ、仲間が必要であり、知恵を絞る。

 では、知性体が仲間を得て、知恵を手にすれば、何が起こるのか。

 足を止めないアーキの背中を私は見ていた。

 彼女は実に楽しそうに、ウキウキと歩いていく。

 その背中は、私の内心など理解する気がないようにも見えた。



(続く)

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