第8話
◆
強制労働者の居住スペースは最大で十人部屋、最低でも四人部屋だ。
女性に優先的に四人部屋が割り当てられている。私も四人部屋で寝起きしていた。もっとも、男性の生活エリアと女性の生活エリアは完全には区切られていない。それはあるいは間違いかもしれないが、イポン・ナヴィオ重工からすれば、労働者が協力する要素を削るための策にも見える。男女で対立することを煽るという策。ありそうもないか。
労働者の方は平和なもので、密会など当たり前だし、全くそんな色はないけど私がイユスを訪ねたり、イユスが逆に訪ねてきたりした。さすがのイユスも女性の四人部屋に踏み込む時は挙動に落ち着きがなかったけど。
ともかく、その朝、目覚ましで四人ともが一斉に目を覚まし、寝巻きから素早く作業着に着替えようとしている、まさにその瞬間、部屋の扉が予告もなしに開いた。扉は自動で開閉するが、外から開ける時にはパスコードを入力するか、内部に電子音で来意を伝える必要がある。
そのはずだったが、扉は実際に、開いていた。
私を含めて半裸の四人の女性が動きを止める前で、大きな紙袋を抱えた少女が部屋に入ってきて、ぐるりと一同を見回してから、「おはようございます、エンジェル諸君」と口にして、空気は完全に凍り付いた。
同室の女性たちは真っ先に私を見て、次に少女を確認し、少女、アーキが私の前に進み出るので事態を察した。結局、私は「マナーを教えておけ」との叱責の言葉を甘んじて受け、三人を見送るしかなかった。
部屋で二人きりになると、アーキは楽しそうに「怒ってたね」と笑う。
「怒るでしょうよ。あなた、常識ってものを学ばなかったわけ?」
「学んでいるわ。だから今のはいたずら。思ったよりも反応が強かっただけ」
やれやれ、と私が首を振るところへぐっと紙袋が押し付けられる。受け取って中を覗くと、布の塊が丁寧に折りたたまれている。
「なにこれ? 服?」
「そう、昨日言ったでしょう? 作業着じゃ入れないところへ行くのよ。さ、着替えて。時間はあまりないの」
「着替えるって、まだ朝ごはんも食べていない」
唇を尖らせて、アーキがジタバタと手を振って足を踏み鳴らすが、そんな態度を取られても困る。
「あのね、アーキ、人間には食事っていうものが必要で……」
「それくらい知っているわ。マナモの食事は私が用意してありますから。そこへ行くのに服装を整える必要があるのよ」
「どこに食事が用意されているって? まさかフォートラン級の中じゃないでしょうね」
「あー、それも良かったかも。でも違う。技師のための食堂よ。ちゃんとした料理が出るんだから、楽しみにしていてね。ほらほら早く着替えて」
これ以上、この知性体と議論するのは無駄だと判断するしかない。彼女が来訪してから、すでに短くない時間が過ぎている。
オーケー、と私は袋の中身に着替える。
途中から理解していたけれど、それはイポン・ナヴィオ重工の事務員の制服だった。まったく無視していたけど、今のアーキも昨日と同じ制服を着ている。彼女の制服はサイズが合っていないが、私の制服はジャストサイズだった。
着替え終わった私を見て、アーキが目を輝かせる。実によくできたアンドロイドである。
「ぴったりね。マナモの身体データを精密に割り出して用意したんだから当たり前だけど、よく似合うじゃない。誰もあなたが強制労働をさせられているなんて気付かないと思う。お化粧道具も持って来ればよかった。髪飾りも必要だったわね」
一方的にペラペラと知性体がよくしゃべるが、私は部屋の小さな鏡で服装の乱れを念入りにチェックした。なるほど、アーキが言う通り、サイズは寸分の狂いもなくピタリと合っている。知性体の観察力と計算力の無駄遣いだが、我ながら、よく似合うじゃないか。
ただ、アーキの着ている制服のシャツが薄桃色なのに対し、私のシャツは薄い水色だった。
「このシャツの色の違いは?」
「あら、マナモも薄桃色が良かった? でもね、シャツの色は勤続年数で違うの。薄桃色は五年以上働いている人が身につけられて、それより短い人が水色。あなたはとりあえず私より格下ってところね」
「あなたの外見で五年以上働いているというのは無理があると思うけど」
「違う、違う。私のこの服装は、形だけなの。みんなこの私の体がフォートラン級のアンドロイドだって知っているし、制服も私の趣味だって理解しているわ。あなたを連れて歩くのは、そんな私が個人的にあなたを案内している、という体になる。だから大人しくしていてね」
「あなたの周りにいる人は、あなたにこそ、おとなしくしていて欲しいはずだけど、そういう指摘はしておいたほうがいい?」
「それって嫌味? 皮肉?」
「事実確認」
ふんと鼻を鳴らして不満そうな顔をするけれど、すぐにアーキは楽しそうな表情に戻る。ちょっとやそっとの悪口くらいは聞き流せるほど機嫌がいいのか、知性体の精神とでも呼ぶべきものが人間のそれと似ているようで違うのか、その辺りは判断が難しい。
「さ、行きましょう。美味しい料理が待っているわよ」
「私は構わないけど、あなたは私が食べている間、どうするの?」
「見ている。だって食べることができないんですもの。体には最低限の機能はあるけど、それは演技のためについているのであって、食事を楽しむためじゃないし。結局、ゴミになるなら、他の人間が食べて血肉にしたほうがいいわ」
凡俗なような、超越的なような。ま、どちらでもいいか。
私は身分証を身につけようとして、アーキに「これを使って」と別のカードを差し出される。アクルィカスではいくつかのゲートで身分証の提示が求められる。もっとも、強制労働を課せられているものが出入りできる場所は限られている。
実は身分証を身につけようとしたのは演技だった。私が調べた範囲では、強制労働者用の身分証ではアクルィカスの九割のスペースで通報される。だからアーキは私を連れ出す以上、私の身分証に記録されている身分を書き換えるか、全く別の身分証を用意すると踏んだのだ。
そしてアーキは新しい身分証を用意した。
私は受け取ったそれを表にして、裏にして、よく観察し、理解した。
「フォートラン級宇宙艦の社内見学イベントの、欠席者? とんでもない身分ね」
「無理やりだけど、ちょうどそんな身分があってね。明日、本当の欠席者が何人か艦内を見学するの。あなたは明日は都合が悪くて、今日に振り替えた、って形」
「あなたは明日も見学者をエスコートする?」
「そ。人間とのコミュニケーションを体験するために。本当はマナモとお話しする方が何倍も意味も価値もあるんだけど、技師の人にはそれは伝わらないわね」
「そんなことないでしょう。幅広い経験値は重要なはずよ」
「イポン・ナヴィオ重工の社員はこれといって特徴がないの。まぁ、お仕事柄そうなるのでしょうけど。私の教育係はもっと独特で、クセがあったわね。マナモにもクセがある」
「それって褒めている?」
「お好きなように受け止めて。さ、無駄話はここまで。行きましょう」
アーキが身を翻したので、私もそれに続く。
彼女は迷いなく通路を進み、まずは強制労働者のための区画と、一般の区画の間のゲートを抜けた。ここは実際の扉があり、見張りこそいないが容易に封鎖できる仕組みだ。アーキが近づくと自動で扉は開き、私もそれに続く。身分証を端末に触れさせる必要もなく、無線で承認された。
さらにいくつかのゲートを抜けるが、それは素通しで、ただ警報装置が壁に埋め込まれているだけのこと。扉を三枚抜けると、一気に空気に人の気配が濃くなる。どうやら一般職員や作業員、技師の生活スペースに踏み込んだらしい。
「こっちよ、マナモ」
アーキの背中を追うと、確かに食堂にたどり着いた。食堂では食事の最中の人が大勢いる。部屋は広く、数百人が入れそうで、カウンターに自由に取っていい料理がずらりと並べられている光景は、私には今は新鮮だった。長く身を置いている強制労働者の食事の風景とは比べ物にならない。
私が思わず足を止めるのを、手を引いてアーキが部屋に入っていく。数人がアーキに声をかけ、アーキもまるで人間がそうするように答える。私は会釈をするだけで、黙っていた。まったく、化粧道具が今ほど欲しいこともそうそうないな。
料理を受け取り、アーキが自分の身分証で会計をした。私の偽の身分証のデータが残るのを避けつつ、アーキが予約した料理をアーキが受け取るという自然さも演出したようだ。
席の一つにつき、ニコニコしているアーキの前で私は食事に取り掛かった。
「どお? 美味しい?」
「ここで食事をしている連中に、私が普段、何を食べているか教えてやりたいくらい、美味しい」
「素直な表現ね。嫌味ったらしいけど」
「あなたに人間の食事の概念が詳細に分かっていれば、嫌味を言わないではいられない感覚が理解できるでしょうね」
「核融合機関の燃焼核が粗末なものから良質なものに取り替えられたら、もう質の悪い燃焼核は受け付けない、みたいなものでしょう」
意味不明な知性体の理屈は放っておいて、私は食事に集中した。
焼きたてのパンの小麦粉は天然の小麦粉だろうか。卵はほぼ間違いなく天然物。ハムは合成肉っぽいけど、加工には手間がかけられている。ホットミルクでさえも違和感がない。甘さが心地いい。添えられているプリンも上等だった。
つまり半年以上ぶりのまともな食事、文明的で、文化的な食事だった。
全部を食べ終わって満足していると、アーキも嬉しそうに笑っている。
相手が食事に集中しているのを見ているしかできないのは、それはそれで苦痛かもしれないと思う私だった。
「じゃ、いざ見学に行きましょうか。私の体の中をしっかりと見せてあげる」
「しっかりと見させてもらうわ」
席を立つと、アーキがまた先に立って歩き始める。空になった食器を返すときでさえ先に立つというのは、本当にアーキは張り切っているらしい。私にボロを出して欲しくないというより、自慢げな雰囲気だった。
私を作った人たち、私を作った施設はこんなに凄いんだぞ、と言うような、どこか子どもっぽい気配がする。
私はそれに茶々を入れることもなく、ただ従った。アーキの気分に水を差すのも野暮だし、アーキの気持ちもわからなくはない。仲間、もしくは家族を誇りたい感情は、人間にもあるだろう。私も家族はともかく、仕事上の仲間に誇りを持つ気持ちはある。
食堂を出て、通路を進む。すれ違う作業員の何人かがアーキに声をかけた。「何してんの?」とか「お仕事ご苦労様」とか、実に親しげだった。彼らは私のことを知らないはずだけど、アーキが一緒だからか、気にも止めていない。
知性体が自分たちを裏切ると思えないのは、ありそうなところだ。知性体は人間に教育され、人間に都合のいい態度をとる、と認識している人間は多い。私も完成された知性体が人間をすすんで裏切るというシチュエーションは想像しづらい。
やがて通路は広い空間に出て、そこは無重力ドックのキャットウォークだった。体が浮かびそうになり、壁に設置されている手すりの一本を手に取り、流されるのを防ぐ。アーキは器用に宙に浮いていた。
宇宙ドックにあるのは、フォートラン級宇宙艦だった。無数の作業用のアームが稼働している。装甲板が取り付けられている最中だ。
「うーむ、自分の体ながら、壮観ね。抜群のスタイル」
宇宙艦にスタイルも何もないだろうが、確かに壮観ではある。
行きましょう、とアーキが空中で体をひねり、すぐそばの手すりを蹴って宙へ進み出る。
私も力を加減して、宙に飛んだ。
今回はとりあえずは公式にフォートラン級の内部を見物できるのだ。余さず、細部までチェックさせてもらおう。一応、昨日のニュートの発想が成立するか、そこも確認することにした。
巨大な宇宙艦が迫ってきて、視野いっぱいに広がった。
こんな巨大なものを盗み出すのだ、と思うと、どこか、尻込みするような気分にもなる私だった。
我ながら、無謀なことに加担しているじゃないか。
(続く)
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