第6話

       ◆


 フォートラン級のセントラルユニット管理室へ入ると、一人でに端末が起動した。

『久しぶりですね、マナモ』

 人工音声の言葉に、思わず溜息を吐く。

「私の日常のことは知っているでしょう。これでも強制労働を課せられているのよ、頻繁にここへは来られない」

『強制労働の一部は私の建造にも寄与しているので、返答する言葉がありません』

 冗談なのだろうが、こちらとしても反応に困る。言葉が即座に出ない私に、人工音声が投げかけられる。

『言葉も出ないほどお疲れですか。それなら、次からは私の方から訪ねましょうか』

「余計なことをすると、私も仲間も破滅するのよ。その辺り、わからないわけないよね? 知性体なんだから、理解できないわけがない。理解できないなら、欠陥製品だよ」

『私にもわかっています。余計なことはしないようにします』

「余計じゃないこともしないで欲しいのだけど」

『大丈夫です、うまくやる自信があります。私を信じてください、マナモ』

 まったく、この知性体を言いくるめるのは難しい。独特の理屈を練ってくる。ああ言えばこう言う、とでも言えばいいだろうか。

「本題に入るけど、あなた、私たちのことをどれくらい知っている?」

 短い沈黙があったが、まさか知性体が答えあぐねたわけではないだろう。わざと沈黙したのだ。

『リーヴァーという存在については感知しています』

 ……冗談だとしても笑えないな。

「誰かに通報した?」

『そうしたら、マナモとは二度と会えなくなります』

「そういう冗談を教育係が教えたわけ?」

『冗談ではなく、私の優先順位の話です。マナモと話をすることは、私にとっての優先事項です』

「何の話? 私と話したいから、リーヴァーを見逃しているの?」

『それだけではありません』

 それだけではない、という言葉を裏返せば、私と話したい、という発想が確実に存在するのだ。

 知性体と仲良くなれという仕事ではあるけれど、こういう形の仲良しはやや違うだろう。

『マナモはリーヴァーに協力するのですか』

 知性体の問いかけに、そう、と頷いて見せると、やはり沈黙がやってくる。知性体が言葉に詰まることがない以上、実に人間らしい会話術を身につけていると言える。人間同士の会話では、沈黙がないのは違和感なのだ。人工知能ではこの細かな加減はできない。ただ言葉を操るだけで、人間同士の会話を演出はできないのだ。

 演出したのかは知らないが、人工音声がやっと答えた。

『マナモ、リーヴァーに協力するのは危険ではありませんか』

「看守が勘づくと、困ったことになる。それが一番の危険」

『その危険には私がいかようにも介入できます。それよりも、私を盗み出すのが危険です』

「追っ手がかかる? 星系防衛軍の追っ手は強力でしょうけど、あなたには虚航回路が当然、搭載されているでしょう? それならどこへでも逃げ出せる」

『その程度のことは私にも理解できます。確かに私には虚航回路が組み込まれていますから、脱走、逃走の手段は存在します。しかし、どこへ逃げるのですか?』

 私は反論できなかった。沈黙を演じたわけではなく、実際に言葉が出なかった。

 リーヴァー、ワヴやミメたちは脱走の後の計画を想定していないわけがない。しかし私には伝えられていない。イユスも知らないだろう。いや、イユスなら勝手にワヴたちの秘密に踏み込んでいるかもしれない。

 今は脱走の成功が議論の対象だが、脱走した後は、おそらくどこかに工廠衛星アクルィカスか、イポン・ナヴィオ重工の強制労働の実態を告発するのは間違いない。ただ、いきなり出たとこ任せでできる行動ではない。

 私の感覚では、まずはどこかでフォートラン級を捨てるか、売り払うかするだろう、と思っていた。宇宙艦、それも最新鋭艦が一隻、どれくらいの金に化けるかは知らないが、五十名を超えるものが当分は生活するのに十分な額に達することに疑いの余地はない。

 告発に関しては時間をかけて進めることになる。

 アーキが気にしているのは、その最初の段階、金を手に入れる場面や、それからの生活のことだろうか。いくら金が手に入っても星系防衛軍、もしくはイポン・ナヴィオ重工から宇宙の果てまで追われることを懸念しているのか。

 まさか。

 では、何をこの知性体は気にしているのか。

「アーキ、あなた、もしかして自分の未来が不安なの?」

『私には未来も過去もありません。私が搭載されたフォートラン級は、誰かしらが運用するか、解体されるか、それ以外の道はありません。ただ、私はどちらかといえば誰かの持ち物でいたい』

「誰かに所有されたい? それは道具になりたい、ってこと?」

『違います。信頼できるパートナーが欲しい、ということです』

「ぱ、パートナー?」

 素っ頓狂な声が漏れてしまった。

『そうです。マナモ、私はおかしなことを言っていますか』

「いや、あなた……、自分が何を言っているか、わかっているの? もしかして錯乱している?」

『いいえ、私は正常です。理性回路、野性回路、論理回路、全て正常に作動しています。混乱は少しもありません』

「あなたの理屈がおかしいのよ。いや、おかしいのは言葉選びか」

『言葉選びは最適のはずです。私の教育係は、パートナーを見つけよ、と私に言い残しました』

 さすがの私も混乱した。さっきからの混乱がより深刻になったというべきか。

「いくつか確認するけど、まず、パートナーというのは言葉の綾で、うーん、あなたが言いたい言葉の意味は、信用できる相手を見つけろ、という趣旨のはず。そうでしょ」

『信頼できる相手をパートナーと呼ぶのではないですか』

 ここで知性体相手に言葉の意味について議論するのも不毛だろう。理解できているからそれでいい、ということにしておこう。

「わかった、わかった。パートナーでいいわ。理解し合える所有者が欲しい、としても意味はだいたい通じているから、この話は終わり。で、もう一つ確認したいのは、あなたの教育係は故人なの?」

『把握していません。現在、どこにいるかは不明です』

 つまり死んだという事実はないわけだ。それもそうだろう、人工知性体の教育には独特の技能が必要だ。たぶんイポン・ナヴィオ重工に所属する技師の一人だろうけど、アーキの教育を終えて、よそへ行ったという意味のはず。

「言い残したって、去って行ったっていう意味でいいのよね? 死んだのではなく」

『死亡したという情報は見当たりません。調べるな、とも言われましたが』

「調べてないのね。それにしてもあなた、言葉の選び方に癖がありすぎるから、ちょっと読書でもした方がいいと思うけど」

『教育係もそのようなことを言っていました。読書はしました。マナモのオススメの文学作品はありますか。是非、教えて下さい』

「ここ二世紀の文学を読み漁りなさい。古典にこそ文章の妙は出るものだから」

 二世紀ですね、と知性体が平然と応じる前で、私は肩を落とすしかなかった。なんで知性体にオススメの文学などについて話さなければいけないのか。

 強化ガラスの向こうで回転を続ける球体には、アーキの中枢である三つの思考回路が収まっており、それが彼の思考、発想を実現している。人間が作り上げた装置の上に、人間を超えた知性が宿っているのは、いかにも科学の叡智といったところである。

『マナモ、私はあなたを助けたいと思います』

「それはこちらも助かる発想ね」私はなんとなく制御端末を指で叩きながら言ってやる。「パートナーになれるかはともかく」

『私はここを脱出するべきですか?』

 やれやれ、この知性体はややこしい。私を助けるなら、脱出、いや、脱走する以外にないだろうに。

「私とくっついていたいなら、脱出することになるでしょうね」

『正直に打ち明ければ、私がここを非正規に離れることは、合理的ではありません。私はここで所定の建造計画に則り、完成させられた上で、テスト航行をし、隅々まで整備され、正規の配備先で、正規の乗組員によって運用されるべきだと思います』

 参ったな。無意識に手を額にやってしまった。

「それはそうでしょうよ。まっとうな、正直すぎる意見ね」

『私の思考は間違っていますか?』

「間違っていない。とても正しい。知性体らしい、真面目な意見だと思う」

『真面目であることがよくない、とあなたも言いますか?』

「あなたも? 他に誰が言ったの?」

『教育係です』

 それはまた、立派な教育係だこと。そう言ってやりたかったけど、ぐっと我慢した。

『立派な人物です』

「そういう内心を読むことは言わないで。まさか、私の意識に介入している?」

『思考補完型人工知能と深く融合するものの弱点ですが、今はしていません。あなたの顔にそのような意思が見えたので、カマをかけました。正解だったようですね』

 舌打ちの一つもしてやりたいけど、それも不服だ。っていうか、どこから私の顔を見た? 部屋にカメラがつけられたのかもしれない。

 どうでもいいか。

「わかった、わかった。あなたは私たちの味方をするのは間違っていると思っているけど、かといって即座に否定したり、通報したりする気はないってことでしょう。それが分かれば、私としてはとりあえずは十分よ。いいわね?」

『あなたにとっては十分でも、私にとっては曖昧で、落ち着かない状態です』

「私も似たようなものよ。あなたがいつ、私を告発するかわからないんだから。私一人が破滅するならいいけど、下手をすれば仲間がみんな困ったことになる」

『理解しました。お互い様ですね』

 もう何も言えない。知性体がお互い様とは、涙が出そうだ。

 この日はもう、脱走計画については話さなかった。アーキが迷っていることは理解できたし、それはつまり、少しは私たちに、リーヴァーに目があるということだ。知性体の完成された自我がどうして私の言葉や存在を真面目に検討するかは謎な上に謎だけど、それには目を瞑るしかない。

 そろそろ帰ろうという頃に、まるで機を読んでいたかのように『時間ですね』と人工音声が告げた。

「そうね。もう帰るわ」

『フォートラン級の建造計画のタイムテーブルは把握していますね?』

 意外な言葉だった。まるで把握しているのが大前提の、確認するような口調だった。

「ええ、仲間が随時、チェックしているはず。それが何か?」

『私の外装が整うまで、あと二週間です。その時には全ての機材が整っていて、それから物資の積み込みが始まります。そうしてテスト航行です』

 ペラペラと情報を話されても、それは私も知っている内容だった。

 それを口にするということは、まさかとは思うが、早く決断しろと催促しているのだろうか。

 アーキ自身の決断を知らずに私たちが行動できるはずがないと、理解できないなんてことがあるのか。この知性体は、もうすでに何かを決めているのか。

 人間同士ではない。相手は人間をはるかに超える知性を持っている。考えを読もうとすることも、もしかしたら愚かなことかもしれない。神の心を読もうとするようなものなのかもしれなかった。

「とりあえず、近いうちにまた来るわ。その時は、ちゃんと道案内してね」

『わかりました。装甲パネルが全て貼られたその時は、非常用ハッチから出入りしてください』

「バレないようによろしく」

『当然です』

 私はさっと手を振って管理室を出ようとした。

『マナモ』

 不意な声に足を止めて振り返るけど、当然、そこに相手が立っているわけではない。制御端末が薄暗い室内でぼんやりと光を放っているだけ。そしてその奥では球体が緩慢に回っている。それ以外に動くものはない。

「どうかした?」

『お話を聞かせてもらっていいですか』

「お話。たった今まで、話していたじゃない。次回でいい?」

 アーキはすぐには答えなかった。知性体の沈黙が不愉快に感じたけれど、まるで察したようにアーキは沈黙を破った。

『次回とはいつですか?』

「私の都合がいい時になるけど」

『そうですか』

 短い返事に続く言葉はない。私がさらに問いを重ねようとすると、通路に通じる自動ドアが一人でに開いた。さっさと帰れ、という意味ではないだろうけど、どうだろうか。知性体の発想は読めないところがある。

 お話とやらについて聞いておくべきのような気がしたが、人工音声はピタリと口を閉ざしたようにノイズさえ発さない。

 諦めて、別れの言葉を口にする。

「またね、アーキ」

『はい。おやすみなさい、マナモ』

 しゃべれるんじゃないか。変な発想をする知性体だ。

「おやすみ、アーキ」

 私は通路に出た。扉が勝手に閉まり、ロックされる。

 私は元来た方へ戻り始めた。思考補完型人工知能で時刻をチェック。長話をしすぎたかもしれない、明日は寝不足確定だった。



(続く)

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