第4話

       ◆


 さすが、さすが、と隣に座るイユカが感心して言う。

 場所は工廠衛星の居住スペースの一角にある多目的室だった。労働者の休息時間の一つ、シャワーを浴びることができる時間帯だった。

 シャワーと言っても優雅なものではない。一方的に水をぶっかけられ、強風で体を叩かれ、それだけだ。ほんの一分で全てが終わる。というわけで、一番最後に入ることにして、私とイユカはシャワー室に形だけ併設の多目的室で小型の端末をそれぞれに操作しているのだった。多目的室ではシャワーを待つものが他にもいて、それぞれに時間を潰していた。

 私が使っている端末は、もちろん、自分で持ち込んだものではない。

 イユカが手配してくれたのだ。もしかしたら手渡すのがイユカの役目だっただけで、ミメ、もしくはワヴが用意したのかもしれない。ともかく、その古びた端末を受け取った時、さりげなく私はイユカに確認した。

「どこからこの端末は出てきたわけ?」

 私の問いかけに彼は何でもないように、あっけらかんといった。

「魔法じゃないけど、欲しいと思うものは意外に手に入るよ。看守次第だけどね」

 彼が言うには、端末は看守の副業の代行のために使う、というのが本来的な体裁らしい。看守の副業というのはおそらくイポン・ナヴィオ重工から許されてはいないはずだから、体裁も何もないけれど。それを言ったら、強制労働も違法なのだから、ここは無法地帯かと疑いたくなる。

「僕が負傷すると看守たちの副業に差し障りがあるからさ、それで僕はあまり電気銃で撃たれないんだ」

 そんなことも言っていた。いかにも自分は無力というふりをしているけど、私にはイユカはそういうタイプには見えなかった。

 コンテナを運ぶ時も、怠ける態度は見せない。精一杯やっているように見える。それが演技だとしたら、かなりな役者である。したたかで、計算ができる人物と私は見ていた。

 私が端末を与えられた理由は簡単だ。仲間にするかどうか、イユカが調べたという私の背景、偽装された経歴の結果、ワヴたちは私をイユカの助手にすると決め、即座に仕事を任せてきたのだった。

 アクルィカスの構造を徹底的に調べるのが、仕事だった。

 私の作り物の経歴は、工業系の専門学校の元学生、となっている。もちろん世間一般のほとんど全ての専門学生には、これといった特殊な知識はない。重要なのは私の経歴に、電子犯罪により逮捕されるが示談になった、という項目があることだ。この犯罪により、専門学校を除名されたという経歴も作られている。

 あの初めて会議室の裏の集まりに顔を出した後、イユカがそれとなくその前科について確認してきたので、ちょっと企業の個人情報を探ってみた、と私は答えておいた。イユカはたいして驚きもせず、平然と情報防壁をどうしたのかと話を進めた。

「ちょっとした知識があれば、人工知能に解析させて中和できる。イユカも同じでしょう? ミメさんが言っていた八百長を仕込んだって話」

「いや、八百長を仕込んだのは、そこまで大掛かりじゃないよ。電子犯罪とも言えない。ロボット格闘技の賭け試合で、出場するチームにチンピラをけしかけて、無理やり勝敗を決めたんだ」

 電子犯罪ではないかもしれないが、だいぶ悪どい気もする。ただ、確かにそれなら情報防壁云々は関係ない、か。

「人工知能を使って防壁を中和するのは僕も知っているけど、危険じゃないのか?」

「危険だったわね。あの時の人工知能は企業側が防壁が無力化されてるのに気づいて、即座に防壁を再起動した瞬間、に焼き切れて、まぁ、お亡くなりになった。ついでに私が犯人だとそこから割れた」

「ご愁傷様。よく示談に持って行けたものだな。金で解決した?」

「そう。その結果、両親との仲は悪くなって、私はほとんど家を飛び出した形になった。で、何の因果か、両親が借金を重ねて、夜逃げした。私は置いて行かれた。それで、ここへ来た」

「何というか」

 イユカは実に興味深そうに評価した。

「マナモが大人しくしていれば、丸く収まったのでは?」

 かもね、という一言で、私は話を打ち切っておいた。

 私の実際の両親は健在だし、安定した仕事についている。今も健康で、自由に生活しているだろう。

 ただ、私が家を飛び出したも同然なのは事実だった。

 人工知能に興味があったし、その中でも思考補完型人工知能の研究開発は、主に軍事系の研究所が主体になっている。それはニウロタット星系防衛軍も同様だ。

 高等学校で平凡な日々を送っていた私に、星系防衛軍からスカウトが来た時、なんで自分が、と正直、思った。本当に取り柄のない、平凡な高校生だったからだ。

 それがいきなり、研究所で働かないか、というのである。

 話を聞くうちに、それが研究者として働くという意味ではなく、実験体として雇われないか、という趣旨だとわかってきた。両親に相談しなさい、と同席していた学校の教師は真剣な口調で言っていたけど、その言葉を聞く前に私の覚悟は決まっていた。

 退屈な日々。変化のない日々。何事も起こらない、静かな日々。

 そういう全てを離れることができそうだった。

 未知への好奇心、日常からの解放、色々な要素があったけど、とにかく、私は全てを捨てる気になった。

 両親は反発、というか猛反発し、喧嘩になり、父は怒りのあまり壁に拳で穴を開け、母は泣きじゃくった。私はといえば、歯を食いしばって二人を睨みつけた。殺意を込めて。

 構うものか、とその時の私は思ったものだ。両親を説得する方法は世界中を探してもないし、こうなっては自分だけで決めるしかなかった。

 翌日には用意された書類にサインし、それを私は両親に差し出した。サインしてください、と言うことも、頭を下げる必要もなかった。やはり二人を睨みつけ、二人はそれぞれどす黒い顔と死人みたいな顔で私を見ていた。

 サインするしかない、と両親は感じただろう。

 一枚の書類が意味するところは、自分たちの娘からの恫喝であり、裏切りの証明だった。

 巣立ちなどという美談的な要素は少しもない。絶縁、という奴だ。

 両親は書類にサインした。私は家を出て、軍の研究所に入った。

 様々な訓練を受け、試練を乗り越え、苦痛にも耐え、新たなる日常をこなした。軍が一般的な高校生の私をスカウトしたのは体質に関する素質を見抜いたからで、事実、私の体は軍の施す処置に素早く馴染んだ。

 思考補完型人工知能は私の深部まで侵食し、私は常人とは一線を画す、ある種の兵器になっていた。実験体という立場から、実際の任務をこなす工作員となり、危険と隣り合わせの日々が幕を開ける。そうなっても続く、より一層厳しい訓練と、連続するきわどい任務。

 秘密作戦が多く、公からの支援がほとんどない任務が多かった。

 気づくと両親のことなど少しも考えないようになっていた。声も、顔も、思い出せなくなっていた。これは不思議なことだった。私の体に寄生する思考補完型人工知能は、私の記憶を自在に探り、私の意識に差し込めるはずだが、何故か両親の記憶だけは検索されない。

 人工知能が体に寄生する前だった、という理由だけではないだろう。人工知能との共生が始まった初期は、私の記憶には両親やそれにまつわる情報が無数にあったはずだ。

 私は無意識に、両親の記憶を消去したのかもしれなかった。思考補完型人工知能の力を借りれば、不可能ではない。今の私が両親に関して知っていることは正しく情報であって、感情が付随する記憶ではなくなっていると言える。

 アクルィカスではそんな過去を話す必要もなければ、意識する必要はない。ただ、強制労働を強いられている労働者たちは、頻繁に自分の家族について口にする。恨み言を口にするものもいれば、懐かしがるものもいる。思い出話として語るものもいる。そんな時、私は本当の両親について少しだけ考え、何もすくあげられない自分に気づくのだ。

 何も思い浮かばないことに、落胆とも、安堵とも言えない感情を覚え、それだけ。宙に浮いた正体不明の感覚はすぐに霧散する。

 ともかく、私は情報に関する工作の腕を買われて、イユカの助手のような立場になった。

 イユカのテクニックこそ、私には驚きだった。

 電子犯罪、情報犯罪と呼ばれる分野があるが、電子機器を不正操作したり、記録情報を盗むことがそれにあたる。一般的なノウハウでもなければ、アンダーグラウンドで学習できるノウハウでもないのに、イユカはまったく堂々と、旧式の小型端末でアクルィカスの中央記録装置にアクセスしているのは、驚き以外の何物でもない。

 アクルィカスの管理用人工知能群の防壁は強固なはずだが、容易く擦り抜けている。鮮やかなお手並みだが、どう転んでも犯罪、しかも犯罪としては一級の犯罪だった。

「さすがに前科者はすごいな」

 イユカは機嫌が良さそうだ。

「私が前科者なら、あなたも前科者でしょう。前科を含めても、私よりあなたの方こそ凄いと思うけど」

 答えながら、私は自分の端末の展開しているキーボードを素早く操作する。思考補完型人工知能を使えば簡単にできる処理を、実際のタップでこなしていく。研究所時代から基礎技能の一つといて徹底的に仕込まれたので、慣れている。

 私のような職業のものと同等以上の力を発揮するイユカは、明らかに異質だった。

 ただのギャンブルで破滅した若者、ではなさそうだ。

「いやいや、これでも必死なんだよ」イユカは端末をまっすぐに見て、十本の指を忙しく動かしながら答える。「人工知能群はそれぞれの個体が担当部分を決めているからさ、そのグレイな部分をそれとなくついてやると、意外にうまくいくんだ」

「そんな簡単なこと? 言うは易し、って感じね」

「実際、簡単だよ。今、僕の行動は人工知能の一つに偽装している。他の人工知能からは、自分の仲間が情報にアクセスしているようにしか見えない。もしどこかの人工知能が僕の偽装に気づけば、あっという間に逆襲を受ける。防壁で接続を切るどころか、逆流させて超過負荷でこの端末を焼き切るくらいの反撃はあるだろうね」

「もしそうなれば、リーヴァーは危険じゃないの?」

「だろうね。それを言ったら、リーヴァーは最初から危険だよ。建造されている宇宙艦を奪い取って脱走しようとするんだから。現実になったら、イポン・ナヴィオの連中は全員、卒倒するだろうな。成功すれば連中の間抜けヅラが見れるが、さて、もし失敗すれば僕たちはどんな目にあうのやら」

 言葉の割に、イユカは平然としている。横顔をうかがうと目元だけに笑みを浮かべた表情で、一心に端末のモニターに視線を注いでいた。瞳孔の位置が小刻みに動くが、まるで人形が端末を操作しているようだった。

 しばらく二人で作業をしているうちに、休憩時間が終わる頃合いになる。イユカが端末を閉じ、椅子に座ったまま腕を伸ばし、背を反らす。そのまま椅子から転げ落ちそうになり、慌ててバランスを取り直す。彼はいつもそれでオンとオフを切り替えているのだ。椅子から落ちそうになるのも含めて。

 私も最後のキーをタッチして、画面の中で情報をダウンロードが完了した表示が出たところで、端末を閉じた。

「どこまで潜った?」

 両手を揉みほぐすようにしながら、イユカが問いかけてくる。

「言われた通り、アクルィカスに搬入される物資のタイムスケジュールは手に入ったよ。そっちは?」

「宇宙艦の建造状況の詳細が手に入った。分析には時間がかかりそうだな」

 私が掠め取った情報より、イユカが手に入れた情報の方が重大だった。

 リーヴァーは脱走を計画しているが、その脱走のためには宇宙船が必要だった。

 アクルィカスと出入りする宇宙船で、民間人が乗り込む船は極端に少ない。それは工廠衛星とはいえ、この巨大な構造物に生活に必要な全てが揃っているということもあるし、技術者や正規の工員は滅多に外部へ出て行かない。外に出ることに魅力を感じないか、興味がないらしい。

 宇宙船の条件としては、全部で五十名程度が逃げ出すだけの容量が必要で、さらに言えば、超長距離航行が可能な性能は是が非でも必要だった。そしてできることなら、追撃を振り切る能力も欲しかった。

 そうなると、宇宙艦は都合がいい。機動力、耐久性、そして超長距離航行と長い逃避行に必要な設備が一通り揃っている。

 アクルィカスで建造中の宇宙艦を掠めとる、なんてことは無理難題に思えるが、もし成功すれば、とも思う私だった。

 それは快感を伴うような、ある種の偉業だ。

 イユカは情報を精査するスケジュールを口にしてから、シャワーを浴びに行った。私もそれに続きながら、自分の本来の任務と、リーヴァーの一員としての役目を頭の中で検討していた。

 リーヴァーの計画を成功させたい。

 それは私の本来の任務とほとんど衝突しないが、どうしても相容れないのは、私がリーヴァーに協力するということは、星系防衛軍がイポン・ナヴィオ重工に干渉したことになる、その部分だ。

 私は非公認、非公式の工作員としてここにいる。

 私の存在が露見することは星系防衛軍からすれば望ましくなく、下手をすると星系防衛軍の瑕疵となる。

 それでも、と私は思っているのだった。

 リーヴァーに協力したい。

 その想いが膨らんでいくのを感じながら、さらに数ヶ月が過ぎ、私はワヴから直接、一つのことを依頼された。

 宇宙艦であるフォートラン級に実際に潜入し、その艦を制御する人工知性体に接触せよ。

 イユカは私を心配するでもなく、支援して欲しい項目を確認してきた。警備をどうするか、監視をどうするか、電子系の設備のログをどうするか、などだ。私は自分でやると答えておいた。リーヴァーのメンバーには伝えていないが、思考補完型人工知能を使えば容易なのだ。逆に、私の能力がイユカにモニタリングされるのを防がないといけない。

 もっとも、彼の観察も同時に欺瞞は可能、赤子の手を捻るほど容易だった。

 アマチュアとプロは、別種の生き物だというこういう時に実感する。優越感はないけど。

 そうして私は、フォートラン級の人工知性体と接触したのだった。

 ものすごく変な人工知性体とは、少しも想像はしていなかった私だった。



(続く)

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