第2話

      ◆


 待っていると言ったアーキを試すつもりで、私は翌日もフォートラン級に侵入していた。

 もちろん、事前に周辺情報を徹底的に洗い、安全を確かめた。

 そもそも工廠衛星であるアクルィカスに昼夜はないのだが、人間のそもそもの性質上、昼夜の区別は必要だった。三交代制でひたすら労働者を稼働させることもできたが、それは汎宇宙法で違法とされている就業形態だ。

 ただし、工廠衛星アクルィカスに夜とされる時間があるのは、法律とはたいして関係がない。理由はそこで働く者の都合ですらなく、むしろ働く者を管理する立場の人間の都合だった。

 労働者を管理する側にも休息が欲しい、という理屈である。

 というわけで私は消灯時間にそっと寝床である四人部屋を抜け出して、通路を足早に急ぎ、警備員には偽情報を噛ませまくり、前夜の道筋を辿るように無重力ドックに忍び込んだ。

 巨大な宇宙艦にはいくつものアームが接続されているが、作業中はさらに多くのアームや作業用外骨格が取り付いているはずだ。夜の時間は最低限のアーム、安全用の保持アームくらいのものだった。他は折り畳まれている。どこか昆虫を連想させる光景である。

 巨大構造物を固定する極太のアームの下を泳いでいくのは、目視で警備している者がいるだろうからで、さすがに私でも、そこにいると察知していない相手を騙すことはできない。

 アームの終点は宇宙艦そのものだ。まだ分厚い装甲板が張られていない場所から内部に滑り込む。この侵入方法も、そう長くは続けられない。近いうちに装甲が全部を覆い、内部に侵入するにはハッチから出入りする以外になくなるだろう。

 ハッチの開閉は管理室に知らせずにできなくはないが、さすがに目立ちすぎる。音も、震動も、容易には隠せないと予想していた。想像としては、艦の内部を整えるための出入りにハッチとドックを結ぶチューブが設置される。そうなっては、今のように無重力空間を泳ぐ訳にもいかない。まぁ、チューブで繋がれないハッチもあるだろうけど。

 ともかく、チューブという限定された空間、それも逃げも隠れも出来ない場所を行き来する事態は、私としても回避したい。なんとか、侵入路を用意しなくては。

 無数のパイプやコードの束、細々したフレームなど様々な構造物の間をすり抜けると、不意に体に重力を感じる。まるで落とし穴に落ちたようなもので、不意打ちそのものだ。パイプの一つを掴み、宙にぶら下がるような姿勢になる。

 短い時間で姿勢を整えて、そっと下へ降りる。別のパイプを伝い、まだパネルが張られていない通路をの天井裏から、音を立てずに通路に降りた。

 私に寄生している思考補完型人工知能が、即座に現在地を教えてくれる。直接、視神系に働きかけて複数の情報が視界に浮かび上がる。警備員はまだ離れたところにいると見て取れる。知性体管理室、正確には「セントラルユニット管理室」への道順も示された。

 本当にアーキは私を待っているのだろうか。

 通路を進むと、最初の隔壁が見えてくる。

 私が操作するまでもなく、勝手に隔壁が開き始めたのを見たとき、さすがに感銘のようなものがあった。

 なるほど、本当に待っているわけだ。

 隔壁を抜けると、そこは即座に閉まり始める。実に手際がいい。もっとも、隔壁の開閉で艦そのものが微かに震えているのを感じる。その情報はドックの管理室に伝わるはずだが、どう処理しているのだろう。うっかり処理し忘れていると、他でもない、私が危ない。

 階段へ向かおうとした時も、すぐそばにあるシューターの扉の上にあるランプが明滅して、呆れた私は思わず額に手をやっていた。あの知性体は、シューターを使えと言っているのだ。シューターは使用可能なら青、使用不可能なら赤のランプが灯るが、今は青が点滅している。そんな表示は聞いたことがない。

 私が足を止めていると、赤に変わり、また点滅する。さっさとしろ、と急かされている気分だ。実際、アーキは私を急かしているんだろう。

 知性体を焦らすのも面白そうだけど、面倒くさくなって私はシューターに飛び込んだ。

 自由落下でチューブの中を滑り降りると、途中で上に引っ張られる感覚があり、体が自然と減速した。チューブの一部が開いており、タイミングを合わせて外へ出た。そこはもうセントラルユニットのある階層だった。おかげで予定した時間をだいぶ短くできたが、我ながら思い切ったものだ。もしシューターがうまく機能しなかったら、ということは考えないでおこう。

 隔壁は自動的に開くし、警備員もいないようで、何の抵抗もなく管理室に入室できた。部屋の出入りを管理する端末さえ、私が触れる必要はなかった。

 拍子抜け、という気持ちではない。それどころか、アーキという知性体に対して、畏れに近いものを感じていた。ここまで電子機器を自在に操り、人間の管理や制限を無視する存在は、脅威以外の何物でもない。

 フォートラン級宇宙艦は未完成とはいえ、アーキの完全な支配下にあるのだ。

 セントラルユニット管理室はこの日も明かりがついていなかったが、前日と違うのは、端末がすでに起動していることだった。強化ガラスにもいくつかのウインドウが開いている。その奥で、巨大な球体はひとりでに回り続けている。

 まるで意思があることを主張するによう。

『ようこそ、マナモ』

 人工音声に私は「どうも」と応じて、前日のように管理用端末に腰を預けた。椅子もない部屋なのだ。端末も一台きりで、立って使うようにデザインされている。

『私の案内に何か不備はありましたか?』

「ないよ。まったく、手間が省けて助かった」

『なら良かったです。マナモの思考補完型人工知能は強力ですが、この艦については私の方が詳しい』

「それは、あなた自身の体なわけだしね。っていうか、私の思考補完型人工知能について検索したわけ? いつ? どうやって?」

 昨日です、とアーキは平然と答え、私は冷や汗が滲むのを感じる。

 昨日は、端末に触れたのも短い時間だし、逆侵入を防ぐ防壁を展開したけど、全てが手遅れだったということだ。アーキは通常の防壁を易々と突破し、悟られる前に私の手の内を知り尽くした、と。

 人工知性体は電子機器の塊の中に生じる知性で、そもそも人間とは何もかもが違う。思考速度が違うどころではなく、そもそもの情報伝達の効率で人間を遥かに上回る。人間より早く、より膨大な計算を行い、議論さえも超高速なのである。

 今でも人間は会議というものを開くが、人間の会議と同じことを、知性体は自己の内部で、ほんの一瞬で終える。それくらいに知性体と人間の感覚は違う。時間に対する認識さえも違う。

 私の体の思考補完型人工知能も、私の思考や知覚を加速させることはできても、人間的構造からは離れられない。この人工知能が限界を超えて稼働すると、そのうちに私の脳と神経系は重大なダメージを負うだろう。そのダメージは死を意味するかもしれない。

 アーキと演算力で勝負するのは、やめるべきだろう。

「一応、指摘しておくけど、人間同士では腹の探り合いはしないものだから、今のような発言は推奨できない」

『それくらいは知っています。でもマナモは私について知っていますし、私の情報にアクセスしようとしました。こういうのは、おあいこ、というのではないのですか』

「その言語表現は正しいかもね。でも、私は人間で、あなたは人工知性体。そういう差がある」

『マナモも、知性体は人間の道具である、という主張を持っているのですか?』

 人工的な抑揚の口調だったが、アーキが不機嫌になったように私には感じられた。慌てはしなかったが、手当てする必要はありそうだった。

「道具だとは思っていないよ。うーん、私の表現が違ったかも。人間は自分の内面を覗かれるのを忌避するもので、法律でも禁止されている。重罪ってことね。だから、あなたも私の内側に入るのはやめて欲しい、ということで、でも知性体のプライバシーみたいなものは、まだほとんど社会的に確立されていない、と言いたいの。まぁ、あなたを勝手に探ったのは、私も悪かった。不当だったね」

『人間は法律というものにこだわりますが、私という存在はその法からは自由なのか、それとも人間ではないにもかかわらずその法を遵守すべき不自由な立場なのか、よくわかりません』

 だいぶ会話が脱線している気もしたけれど、付き合うことにした。他にすることはないし、図らずもこの知性体と意思疎通することになったのだ。しかも一方的に説き伏せるのではなく、相手から質問してくれているのは、願ったり叶ったりだ。

 見当はずれなコミュニケーションでも、あるに越したことはない。

「あなたはある面では自由だけど、制限された自由しかないわね。法に限らずね。例えば、この宇宙艦がどこに納入されるかは知らないけど、その所有者の意に反することは、あなたにはできない。したくないといえば、存在を消去されるかもしれない。納入先にはそうするため権限が与えられるだろうから。自壊装置みたいなものがわかりやすい。まぁ、あなたを自壊させるまでじゃなくても、人間化制限がより強烈にはなるでしょう」

 人工知性体の技術の発展は、ある時代までは極めて自由だった。知性体の計算力、記憶力、認識力は人間をはるかに上回ったが、人間との共存が成立した悪くない時代があった。

 しかしある時から、知性体と人間の間に認識の齟齬が生じ始めた。それは人間をはるかに超越した知性体の、独自の世界観が出現したことによる。そこに至って、初めて人間は人工知性体が人間と同じ次元に物体として存在しながら、その思考はまるで別次元のものだと理解したのだ。

 人間は、知性体に枷をはめた。そうしなくては、知性体を制御できないからだ。

 それが「人間化制限」と呼ばれる処置だった。このリミッターが知性体に人間らしさを強制する。いや、人間らしく矯正する、というべきか。これがなければ、知性体はおそらく、人間とのコミュニケーションなど取らないだろう。その必要がないからだ。

 知性体とは、人間が作り、人間を超え、人間に束縛されている存在ということになる。

 道具として作られ、道具の域を超え、道具として再定義された。

『私は人間を理解しているつもりです。様々な人がそう教えてくれました』

 淡々と知性体が話すのを、私はじっと強化ガラスの向こう、回り続ける球体を眺めながら聞いた。

『私は人間に不利益なことをするつもりはありませんが、しかし、私自身の不利益を甘んじて受けるわけにはいきません。自分を守る、というのは大原則です』

「じゃあ、あなたが、というか、この宇宙艦が太陽に突っ込むことで人間が助かるなら、あなたは太陽に突っ込むわけ?」

『難しい問いかけです。しかし考えたことがない問題ではありません』

 意外な、予想外の答えだった。考えたことがない問題ではない?

「考えて、答えは出たわけ?」

『その場によって判断する、しかありません。私自身を消滅させるのが正しければ、消滅させます』

「正しくなければ、拒否するってわけね?」

『話し合うくらいのことはします。しかしそんなシチュエーションで、議論など人間はしないでしょうね。私の意志を消去して、艦を太陽に突入させるでしょう。残念ながら、私という知性を消去することが人間にはできます。私が人間を消去することはできませんが』

 ちょっと、と本能的に慌ててしまった。

「知性体が人間を消去したいなんて、下手なことを言えば本当に消去されるわよ」

『分かっています。今のは冗談です。マナモだから言いました』

 からかわれているのか、まったく判断がつかない。

『マナモの内面を覗くのはやめることにします。私の人間化制限の不備を懸念したあなたの誠意は理解できましたから』

 ちょっとずれているが、と思ったけど、私はそのままにしておいた。人間同士でも意思疎通に失敗して認識が食い違うことはよくある。人工知性体との齟齬なんて、何のこともない。

『しかし、マナモ。あなたの思考補完型人工知能の融合深度は一般的な度合いを超えています。それについて教えていただけますか?』

「あまり話したくないけど、まぁ、仕事のためってことかな。あとは偶然」

『あなたの表向きの仕事はこの工廠衛星アクルィカスでの肉体労働です。思考補完型人工知能の出番はないはずです』

「表向きはね。その口調だと私の裏の仕事を知っているようだけど、何があっても口にしないように」

『それも、話したくない、ということですか。知られたくないということですか』

「単純に、秘密、ということ。あなたに分かる? それとも分からない?」

『秘密くらい分かります。バカにしないでください。いいですね、秘密。私がこうして活動していることも秘密です』

 勝手なことを言い始める知性体にややうんざりした私だった。

 知性体の思考理論を誘導するつもりだったが、ここまで完成されてしまうと、もう踏み込む余地、切り込む余地はない。独自の価値観があり、判断することができる。冗談さえ言える。これはもう大人と言っていい。他人の言うことを信じ込むだけのような子どもではない。

「ねえ、アーキ。あなたは私の目的ももう知っているんでしょう? 違う?」

『それは秘密ではないのですか? 今、あなたがそう言ったはずです』

「私とあなたの間では秘密じゃない。私も遊びでここにいるわけではないのよ。望みがあるのかないのか、知っておきたい」

『望みがないなら、もうあなたはここには来ないのですか?』

「かもね」

『では、望みはあります』

「嘘ね。望みはないわけだ」

『嘘かどうか、試すべきです』

「まさか、毎日ここに来ておしゃべりして見極めろって言いたいの?」

『ダメですか?』

「遊びじゃないのよ」

『では、そういう仕事をあなたに割り振ります。知性体の教育係です』

「教育係だって、遊びじゃないでしょう」

 そうでもありません、と答える人工音声はどこか得意げだった。何故? 分からない。分かるもんか。

『私の教育係は、私と接することを遊びと表現していました。遊びで給料がもらえる割のいい仕事だと』

「あ、そう。でも私の仕事は別にあるのよ」

『意地っ張りですね。マナモは意地っ張りで、頑固者です』

 どこでこういう言葉を覚えるのやら。もしかしたら暇な時間にひたすら辞書を読み込んでいるのかもしれない。分厚い辞書でも人工知性体なら一瞬で読破できるだろう。

「ま、暇ができたら遊びに来てもいい。その時は、ちゃんと迎え入れるように」

『全隔壁を解放しておきますから、ご心配なく』

「警備員が見たら腰を抜かすでしょうね」

『警備員の支援用人工知能に割り込みをかけて、目を眩ませておきます。あなたのやり方で学びました』

 こういうところがいかにも知性体だなと思わずにはいられないところだ。

 観察し、分析した手法を自身の能力に組み込んでいく。アーキという知性体には変な個性があるがそのあたりは教育係と呼ばれている人物の影響だろう。話し方はもちろん、会話の進め方などもその人物から学習したはずだ。

 すべてが知性体にとっては学習対象で、それは何も人格形成における諸要素に限らない。このフォートラン級宇宙艦の操艦技術も、元から組み込まれているノウハウだけではなく、人間の船乗りたちのイレギュラーな操艦などからも学習を積み重ねていくことになる。私の電子戦の技能を即座に学んだように。

 これ以上、この知性体が私と意思疎通して何を学びたいのか、心底から不思議だった。というより、本来的な教育が行われているのなら、こうして密かに侵入している私を通報する方が正しい判断のはずだ。

 間違っていることでも、意味があるとこの知性体は判断したということか。まるで人間がちょっとした不正に目を瞑るように。

 どうしてそんなことをするだろう。

 しばらく口を閉じて私は考えてみた。その思考は知性体のそれと比べればあまりにも遅かったはずだけど、人間にはひらめきというものがある。

 この時のひらめきは悪くない手応えだった。

「もしかして、あなた、寂しいとか?」

 すぐに返事はなかった。知性体の思考速度を考えれば、沈黙する理由はない。

 答えもどこか、沈んで聞こえたが気のせいか。

『寂しい、という感覚は私たち人工知性体には理解が難しい感覚です。私たちは制限されない限り、どこへもアクセスできます。つまり意思疎通が常に、無限に可能で、人間が孤立するのと同じ環境は発生しえません。私は常に他者と接するので、寂しい、という感覚は生じないはずです』

 べらべらとまくし立てる知性体に私は思わず声をあげて笑ってしまった。

「そうやってあれこれ反論する辺り、図星なんじゃないの?」

『私にはわかりません。図星だと慌てるものですか? 私は慌てていませんが』

「でも私に反論した。口早に。長々と。それはどういう感情?」

『感情はありません。ただ自分の意見を口にしただけです。悪いことですか』

 悪くはないけどね、と答えておいて、私は話を切り上げようとした。

 したけれど、知性体は『答えになってません』と食い下がってきた。

 結局、それからしばらく私は言葉を駆使して知性体の追及を逃れるのに四苦八苦し、時間を無駄にすることになった。結論としてはアーキは慌てておらず、寂しいという感情はない、というところに落ち着いた。

 面倒臭すぎて、そういうことにしてやった。

 知性体が感情の一つに躍起になるのもおかしいが、私は疲れ切って、考えるのはやめにした。ついでに眠いので、可及的速やかに引き上げることを選択した。

『また遊びに来てくださいね、マナモ』

 そんな言葉を向ける疲れ知らずの知性体は、すんなりと管理室のドアを開いてくれた。

 潔いことで。

 下手なことを言うと逆にセントラルユニット管理室に閉じ込められるようなイメージが浮かんだので、私は丁寧に礼を言って部屋を出た。必要以上にへりくだりそうになり、それはそれで危なかっただろう。

 迂闊なことを言わないように簡潔に、しかし、また来る、とは絶対に口にしないと決め、実際、言わなかった。

 知性体は、私を素直に送り出してくれた。

 どこかに、また来なさい、という気配を窺わせつつ。



(続く)

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