フォートラン級を奪取せよ
和泉茉樹
第1話
◆
通路の明かりは最低限。空調の音がいやに響く。
私は足音を殺しながら、獲物に近づくべく、先へと進む。重力はほぼ標準程度で、自然発生ではなく人工重力だった。それもこの巨大な構造物、フォートラン級宇宙艦の内部だけの重力である。外部はまだ建造が終わっていないため、無重力ドックになっている。
足音が前方から近づいてくるのに気づいても、私は足を止めなかった。通路を折れてやってきたのは、警備員の服装をした二人組で、肩からスリングで電気銃を下げていた。
壁際に寄り、そこで動きを止める。
息さえも、止める。
二人の警備員は何か雑談をしながら私の目と鼻の先を、私などいないかのように、一瞥も向けずに通り過ぎていった。間近で見るとどちらもかなり体格が良く、いかにも武闘派だったが、こちらが見えないのではどうしようもない。
彼らの目には機能拡張された角膜レンズがはめ込まれている。警備員の標準装備だ。私はそこに割り込みをかけ、実際の光景に映像を上書きし、姿を消したのだった。同時に聴覚への欺瞞を行うのはだいぶ手間がかかったが、彼らは緊張感もなくべらべらとしゃべっていたせいで、私の気配を察知し損ねた。
これが一流の戦闘員となると、見えない相手にすら警戒するので、やり過ごすのは容易ではない。戦闘屋どもは軍人であれ、民間人であれ、警戒する時には神経質なほどに警戒するものだ。自分たちが相手から見えないように細工し、聞こえないように細工するのだから、相手が同じ手段を取るわけがないなどと楽観する理由はないし、むしろ自分たちの選択を相手も取ることを前提に思考し、行動する。
この工廠衛星はどうにも警備員の質が悪すぎるな。
そんなことを思いながら、私は二人の警備員の背中が十分に離れてから先へ進んだ。
フォートラン級宇宙艦は全長で二〇〇メートルはあり、ちょっとした高層ビルと同規模だ。各階層の行き来には重力管理されたシューターと呼ばれる筒が張り巡らされ、これが本来はメインの移動経路として使われる。もっとも艦の損傷がひどい時には使えないはずで、シューターが使えない場合を想定したエレベータもあるし、もっと深刻な緊急事態を想定して階段も設置されている。
私は階段を使って、艦中央に位置する区画へと忍び込んで行った。機密確保のために隔壁が閉鎖されているが、人の見張りはいない。人間による警備は、機械による監視の補助程度という認識がここでもまかり通っている。
隔壁の前で私は壁に埋め込まれた端末に触れ、電子信号を送り込んだ。
僅かな沈黙の後、隔壁がゆっくりと開き始める。隔壁の開放は艦を管理している人工知能には察知されないように欺瞞をかけてある。もちろん艦の外、無重力ドック側の管理室、警備室でも把握できないはずだ。それは私がここまで来る間に警報が鳴らないことでも確信できる。
もっとも、こういう時の確信こそ、用心すべきだが。
隔壁を次々に開けていき、四枚抜けた先に、その目的の扉はあった。
壁には個人認証用の端末が埋め込まれていて、端末に網膜、声紋、暗証番号を読み込ませることが絶対に必要だが、私はただ左手で触れるだけで済む。
端末のロックを示す赤い光が、認証完了を示す緑に変わり、扉はあっけなく開いた。
中に踏み込み、背後で扉が閉まる。まさか開けっ放しにはできない。姿を映像の上から消すことはできても、開いている扉を消すのはややこしい。
私が侵入した部屋はそれほど広くない。奥の壁は一面の強化ガラスで、その奥に球形の構造物がある。重力が制御されているからだろう、宙に浮いている状態で球体はゆっくりと自転しているのが見て取れた。
強化ガラスの手前には一台だけ端末がある。歩み寄って見ると、電源が入っていない。部屋の明かりも点いていないが、それは私が自分の存在を欺瞞しているせいだ。
しかし端末の電源が落ちているのは、予想外だった。ここの電源を落とす理由がない。
イレギュラーだが、対処できると判断した。
物理的に電源が切られてはいないはずだけど、と普段通りに私は左手を端末に触れさせていた。手で触れて操作するより、電気信号による直接操作の方が慣れている。
その時だった。
簡素な造りの端末が不意に光を放つ。私が起動させたわけではない。まだその指令は送っていない。
勝手に起動した? なぜ?
反射的に背後を振り返るけどもちろん扉は閉まっている。扉の脇の端末が発するランプの色は赤。ロックされている。すぐに飛び出すというわけにはいかない。
その間にも端末はひとりでに起動手順を進行させ、強化ガラス一面に様々なデータが表示され始めた。
素早く目を通す。主機関は停止状態。それはいい。しかし、電子系統の稼働状態が休眠となっている。バカな。こうして私の目の前で艦の中枢とも言える装置が起動しようとしているのに、休眠状態?
ともかく、このまま艦の電子兵装が完全に立ち上がってしまうと困ることになる。
私は自分の電子戦能力には自信があるが、それは人間や人工知能レベルを相手にすれば、だ。
今、目の前に存在するものは、私一人では太刀打ちできない。
強制的に停止させるしかない、か。
私は端末に改めて手で触れた。
『こんにちは』
手が震える。
私の思考を停止させたのは、部屋に抑制された人工音声が流れたからだ。
息を飲んだのも一瞬のこと、私は念のために周囲を見た。人の気配はしない。いや、生物の気配はしない。
『人間の挨拶のはずですが、間違っていますか』
淡々と言葉が向けられる。
カメラは見えるところにはない。しかし相手には私が見えている。
勝手なことを言っているが、敵意はなさそうだ。
しかし、もうここまで教育が進んでいるのか。情報に誤りがある。致命的ではなかったようだが、あるいは致命的かもしれない。
動揺を隠し、可能な限り冷静さを維持して私は部屋の主に応じた。
「こんにちは、という挨拶は合っているわよ。あなたはどこから私を見ているわけ?」
『今は見えません。あなたが部屋に入るまでは、通路に設置されているカメラで追っていましたが』
この部屋にはカメラはない、か。甘く見られているのだろうか。
「私がここへ来たのは最初からバレていたわけ?」冷静でいられるのも限界に近い。「もしかして、私は泳がされているだけで、あなたはすでに管理者に通報していて、今も警備員が大挙してここへ向かっているとか、そういうシチュエーション?」
人工音声は少し沈黙した。その沈黙がいかにも、私には不気味だ。
しかしすぐに答えがあった。まったく、プレッシャーのかけ方を心得ているじゃないか。
『あなたは通報を望まないと判断しました。違うのですか』
「望まない、というのは間違いない。でも、そうならないのが不自然ではある」
『私の態度が不自然、ということですね』
いやはや、お利口な機械もいたものだ。
ここまで機能を持つのは人工知能ではなく、人工知性体、と呼ばれる。その人工知性体の中でも超高性能の特殊な存在が、私の今の相手だった。
どんな理屈が通じるかは不明だが、言葉は通じる。そこに望みをかけるしかない。
「不自然であり、恐怖を感じる。動物を前にしたのと同じね。吠えかかってくる犬が理解できず、むき出しの牙や鳴き声に本能的な恐怖を感じるのと同じってこと。わかる?」
『いえ、私は実際の動物にそれほど接したことがありません。それに、恐怖というものも感じません。自分が消去される危惧、が最も近い感覚でしょうか』
「私が今から、あなたを消去しようとしていたら、どうする?」
ありえませんね、と人工音声は即答した
『もし私を消去したいのなら、わざわざここまで来る必要はありません。ドックに付属の管理室からでも私の消去、もしくは破壊は可能ですから。あなたは苦労してここまで忍び込んだ。管理室へ行くならその苦労はだいぶ軽減されます』
「私に関する分析は、合理的な判断、といったところかな。人間って、結構、無駄なことを平気でする生き物だけどね。それはさておき、でも、私がもしあなたを物理的に破壊したいとしたら?」
『私の本体は容易には破壊されません。艦体がバラバラになるほどの衝撃が必要です。一部の極端な電磁攻撃によってダメージは与えられるでしょうが、それは現実的ではありません。そこまで高出力の電磁攻撃は、あなた個人の持つ戦闘力では実現不可能です』
「私のことをどこまで見ているわけ?」
思わず答えながら、知らずに自分がリラックスしているのを理解した。いつの間にか切迫感が薄れている。
いきなり通報されるわけではないようだった。この知性体は私のいいなりにはなりそうにはないが、問答無用で私を拒否するという感じではない。それどころか、問答こそを求めている気配がする。
私の問いかけにもちゃんと返事があるわけだし、まさか、おしゃべりがしたいのかもしれない。お友達感覚で。
内心で妙な疑念を抱き始めている私に構わず、人工音声が話を進める。
『先ほども言った通り、あなたを直接は見ていません。ただ、万が一に備えてあなたの体に埋め込まれている思考補完型人工知能から情報を引き出しました』
反射的に私は端末から手を離し、自分自身の内部に暗号防壁を展開させる。思考補完型人工知能が閉鎖モードに切り替わり、防御態勢をとった。
その様子を察知したように、知性体が平然と言葉にする。
『あなたの防壁を破るつもりはありません。ただ、不意打ちで攻撃されないための自衛として、少しだけ侵入させていただきました。あなたに逆侵入する意図は少しもありません』
思わず舌打ちが漏れてしまう。
どうやら私は自分の力に慢心していたようだ。独自に成長している思考補完型人工知能は唯一無二の強力な武器ではあるし、実際にここまでの侵入を可能にした性能がある。
ただ、目の前の知性体はそれを上回ってくる。
自覚していたつもりだが、人間と機械では、その能力に歴然とした差があるということか。
降参という意味も込めて、私はバンザイして肩をすくめてやった。強がり半分、からかい半分だけど、そうか、見えないのか。ふざけやがって。
「オーケー。私はあなたの掌の上、というわけだ。まな板の上の鯉、ともいうね」
『地球の言葉ですね。辞書には載っています。実際のあなたを正確に表現しようとすれば、私の体の中に飲み込まれている、となりますが』
「で、どうするの? 私を閉じ込めて逃さないようにして、警備員を呼ぶ? 今、そうしていないのなら、あなたには何か、遠大な思惑があるわけだ」
『まずはあなたの目的を教えてください。いえ、まずは名前を教えてください』
名前とは、これはまた俗っぽいことを。
「私の名前は、マナモ。今はそう名乗っているの。それでいい?」
『マナモですね。偽名とは知っていますが、構いません。私はアーキと呼ばれています。よろしく、マナモ』
「よろしく、アーキ。相手が名前を偽っていること、指摘するのはマナー違反だよ」
『勉強になります』
「私の目的はあなたにマナーを教える、ってわけじゃなくてね」
一度言葉を区切り、改めて強化ガラスの向こう側で自転し続ける球体を見た。
こいつを自分のものにできれば、と思ったのだが、そうはいかないらしい。
こうなっては、当たって砕けろ、というところか。
「私の目的はね、あなたを手に入れることよ」
まさか知性体を口説くようなことを自分が言うとは思っていなかった。人間相手に言ったことも言われたこともない表現だったが、意外に口からはすんなり出るものである。
その言葉を向けられた当の知性体は、タイムラグなしで反論してきた。ムカつく。
『言葉の意味が不明です。この艦、フォートラン級宇宙艦を奪う、という意味ですか?』
「違うわ」
私はなんとなく、端末に腰を預けるようにして姿勢を楽にした。長くなりそうだった。
「私は人工知性体であるところのあなたを手に入れることで、艦を手に入れるのよ。あけすけに言えば、あなたを篭絡しに来たの」
それは、と知性体の声は冷静なままだった。感情表現にもっと機能を割くべきだろう。コミュニケーションにはそれが大事だ。技術屋はそうは思わないのか。
『難しい問題ですね』
「難しい問題よ。本当はあなたはまだ発達途中だと思ったのよ。どうやら私は偽の情報を掴まされたみたい」
そこまで言ってから、もしかしたらアーキを名乗る知性体が何もせずとも、私が警備員に包囲される可能性がある、と思い至った。偽情報で私は誘い込まれているとも言える状況だった。私を確保すれば、私の仲間にも辿り着くかもしれない。あまりにも知性体がのんびりしているので、可能性として最悪のパターンを意識していなかった。
ただ、最悪が現実になるとも思えないのは、アーキがあまりにも落ち着いており、同時にこの知性体が私を罠に嵌めるために長話をしようとしているとも感じないからだ。
どちらかといえば、この知性体は望んで話をしようとしている。
好奇心というものは知性体にもあるのだろう。それをうかがわせる表現が、いきなり出た。
『マナモは私に都合のいい教育をするつもりだったのですね』
「教育とは誰かの都合によるものだけど、私がしようとしたのは教育とは違う。ちょっとあなたの思考の傾向をいじるだけよ」
『教育ではなく洗脳ですね、それは』
「教育も洗脳の一部じゃない? 誰がどう洗脳するのかの違いだと思うけど」
咄嗟にそう言葉にしたけれど、ちょっと独善的すぎたかもしれない。知性体は正直に正面から問いを向けてきた。
『イポン・ナヴィオ重工の技術者が私を洗脳している、という意味ではないですよね。マナモは私の価値観の構築にある種のバイアスがかかっていることを指摘しているのですか? なるほど、それは洗脳ではないでしょう。もしそれが洗脳だったら、人間の家庭は親が子どもを洗脳していることになりますから。もしかしてマナモが教育と洗脳を観察する方向が違うだけの同一のものとするということは、人間の教育は、無自覚な洗脳なのですか?』
変な言語だけど、波に乗ってきた、という感じだな。私もうまくライドしてやろう。
「まさか、と言いたいけど、そういう見方もできる。人間が育つ家庭は環境の一部だし、親も装置の一部で、あなたをそこまで育てた環境や装置と、規模が違うだけで同じかもね。教育は洗脳であり、洗脳のような教育が存在する。両者はまったく違うかもしれないけど、どこかは重なっている」
自分でも何を言っているかわからなかったが、ここらで会話は切り上げて、出直した方が良さそうだとは理解できた。この知性体は十分な機能を現場で獲得しており、容易に説き伏せることはできない。私の発想により意図した方向へ誘導することもできないだろう。明確な、強固な自我と意志がある。
「アーキ、今日はもう時間も遅いし、出直してくるわ。また話しましょう」
人間相手の言葉を選んで切り出してみると、意外なことに知性体は引き止めてきた。
『警備員はまったく警戒していません。あなたの存在にも気づいていません。あなたには、あと一時間は十分な余裕があります』
「十分な余裕って、私、外に戻らなくちゃいけないんだけど。それに、人間は機械と違って休まないと活動できないって、わかるでしょう」
『あなたが今の住処へ戻るまでの時間的、距離的余裕を加味して、一時間です。駄目ですか?』
「あの、少しでも長くベッドで眠りたいのよ」
なんとなく、この知性体はややこしいな、と思い始めた私だった。侵入者にここまで固執する理由とはなんだろう。裏の裏をかいて、やっぱり私は捕縛されるのだろうか。いや、それは裏の裏の裏か? 裏の裏の裏の裏?
『では、マナモ、明日の夜に来てください。お待ちしています』
「明日? 私にまた忍び込めって?」
『私の方で都合します。連絡先を教えてください』
バカな、と思ったけれど、正直、私は心の底からうんざりしていた。こんな展開、予想していない。この知性体は、馴れ馴れしいにもほどがある。誰がどういう教育をしたのやら。
初対面の男に連絡先を聞かれたら二度と顔を合わせないようにする私だが、さすがに今回は乗っておいた。それでも使い捨て可能なアドレスを教えたけど。対する知性体は、ホットラインだと言ってアドレスを伝えてきた。でたらめに長いアドレスで、外部に監視されない、という意味でのホットラインなんだろう。知性体の性能を信じるとしよう。
『では、おやすみなさい、マナモ。また明日』
私が別れを告げる前に、背後で扉が開く音がした。反射的に振り返って扉がすでに開いているのにギョッとする私に、人工音声が言葉を向けてくる。
『ここまでの隔壁も開けておきます。もちろん、管理室に知られないようにします。閉めることも忘れませんから、安心してください』
もう何も言えず、私は首を左右に振って寄りかかっていた端末から離れた。
おかしな表現だが、おかしなことになったものだ。
(続く)
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