第22話 ポケットの中身

「痛っ」


 しかし、楓子がスマホで警察に通報することはできなかった。それより早く、雅琉がスマホを持った腕を捻り上げたからだ。部屋の奥で美耶の近くのソファに座っていたはずで、楓子たちとは結構な距離があったにも関わらず、一気に距離を詰めてきた。瞬間移動かと思うような早業だった。


「あなたたちに逃げ道はありません。あきらめて、ねえさんと僕と一緒に四人で仲良く幸せに暮らしましょう」


 雅琉は楓子の耳元に低い声でささやきかける。どうして、そんなことが言えるのか、楓子には理解できない。自分たちは恋愛関係の振った振られたの関係であり、決して一緒に仲良くなんて暮らせるはずがない関係だ。ましてや、四人などという人数でうまくいくわけがない。


「は、はなして」


 腕をつかまれていては、スマホは使えない。それでも何か逃げ道はないか。四人での生活などまっぴらごめんである。楓子は必死で頭を働かせる。しかし、事態は悪化の一途をたどっていた。


「痛っ」


 先ほどの楓子のような悲鳴が隣から聞こえてくる。慌てて隣を見ると、弟の紅葉が美耶に腕をつかまれていた。こちらも瞬間移動をしたのではないかという距離の詰め方だ。腕をつかまれている紅葉は美耶から逃れようと必死になっていた。


「逃げちゃダメ。もし、また逃げようとするのなら……」


 いったい、何をされてしまうのだろうか。楓子と紅葉はごくりと唾をのんで、親友の言葉の続きを待つ。実際に雅琉は楓子の腕をつかみみつつ、もう片方の手はポケットに入れたままである。ポケットの中になにが入っているか想像したくない。


「雅琉、ポケットの中身を出して、2人に見せてあげて」


 楓子の視線が雅琉のポケットにあることに気づいた美耶が、中味を取り出すよう伝える。


「す、スタンガンとか、正気の沙汰じゃない!」


 ゆっくりと美耶の指示に従って、雅琉はポケットに入っていたものを取り出す。


それは捕まえた相手を逃がさないため、もし逃げようとしても逃げられないようにするための道具。漫画や創作物の中でよく見かけるものだ。


 紅葉は取り出された道具を見て叫びだす。こちらも美耶に腕をつかまれて身動きできない。



「これを使われたくなかったら、おとなしくすることね。とりあえず、今日はこのホテルに泊まって、明日私たちが住む家に案内するわ」


 楓子と紅葉は一気に逃げる気が失せてしまった。もし、雅琉が持っている道具が自分たちに使われたらどうなるか。実物を見たのは初めてだが、威力は知っている。ものによって違うかもしれないが、確実に自分たちを無力化できる。ここまでの事を計画した美耶が弱めの商品を持ち込むわけがない。


 ただ、静かに頷くことしかできなかった。楓子はあきらめてスマホを持つ手の力を緩めた。


 ドン。


 スマホがホテルの部屋の床に落ちる。姉のあきらめの態度に紅葉も同じように、美耶につかまれている手を使い、ポケットにあったスマホをわざわざ取り出して、床に放り投げる。


「ありがとう。じゃあ、今日はホテルの設備を思う存分、使い倒しましょう!」


 楓子たち姉弟が逃げる意思を放棄したことを確認した美耶は、急に上機嫌になり、鼻歌を歌いながら部屋の中央に戻っていく。美耶から解放された途端、紅葉は床に膝から倒れこむ。


「これから、俺たちは……」


 紅葉の顔は真っ青になり、空調が効いて部屋の温度は快適なはずなのに背中が震えていた。いつの間にか、雅琉の手は楓子の腕から外れて楓子は自由になっていた。しかし、既に楓子と紅葉の心は折れかけていて、逃げる気にもなれなかった。



「じゃあ、まずは少し早いけどお風呂にしましょう!ここは温泉も気持ちがいいって有名なんだ!」


「いいですね。行きましょう」


 ホテルの部屋の空気はどんよりとしていた。その原因は主に楓子と紅葉にあったが、それをものともせずに、美耶だけはテンションを上げて一人楽しそうに話している。その話に相槌を打つのはおとうとの雅琉である。楽しそうなわけではないが、不機嫌そうでもない。ただ淡々と姉の言うことに従っているように見えた。


「ねえちゃん、実は俺……」


 ここで紅葉が楓子に罰が悪そうに小声でつぶやく。楓子は何事かと紅葉の言葉を聞くために顔を寄せる。


「ええと……」


「漏らしちゃったんでしょ。もう、雅琉が物騒なものを取り出すから、恐怖でちびったわけね。仕方ないよ。あんなもの急に出されて怖くないわけがないもの」


 姉に話したつもりだったのだが、美耶たちにもばっちり聞かれてしまった。ばっと顔を赤くした紅葉は、両手で股間を隠したが、表情と行動が図星だと語ってしまっている。


「ちょうどいいじゃない。服は事前に楓子も紅葉の分も用意してあるから、お風呂に行って着替えてさっぱりしましょう」


(紅葉がこんなことになったのは、もとはと言えば美耶のせいなのに)


 紅葉は自分の痴態を知られて顔を真っ赤にしていたが、お風呂言う言葉にパッと顔をあげる。気持ち悪い下半身をさっぱりしたいのだろう。


 四人はホテルの浴場に向かうことにした。

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