序6 失意のお人好し③

 それから二日ほど経った。その間は特に視線も気配も感じることはなかった。やはり俺の思い込みだったらしい。心の傷も相当根が深いようだ。



 採掘の依頼も昨日あったばかりだし、今日は暇になるだろうな、なんて考えながらいつも通りギルドに向かっていた。ギルドの扉を開けようとしたら、俺より先に誰かが中から開いてきた。シルファだった。



「クロト!」

「おはようシルファ。どうした、そんな慌てて」

「これ、見て!」



 シルファが手に持っていたのは依頼書だった。それも魔鉱石採掘の依頼だ。ギルド所要、と記載されていて、公的な依頼である旨が見て取れた。



「うわ、珍しいな。こんな頻度でくるなんて」

「でしょ? 私びっくりしちゃって」

「確かに、俺でも驚いた」



 この村にもそれなりに長く滞在しているが、週に二回もギルドからの依頼がくるのは初めてだった。珍事中の珍事だ。



「やろうこれ、やるしかないでしょ!」

「まぁやるけど、ちょっと落ち着け」



 シルファの方が依頼を受けた回数もこなした回数も多いはずなのに、俺よりやる気を出している。この村の通常に馴染んできたということだろうか。ともかく、依頼なんてないつもりで来たので、なんの支度もしてない。




「一旦戻って準備してくるよ。シルファは?」

「じゃあ先に洞窟で待ってる」

「分かった」



 そう言って別れ、俺は装備を整えるために宿屋に戻った。持っていくとしても、回復薬と剣くらいだけど。採掘用の備品なんかはシルファが持っていたから、これで準備完了だ。足取り軽く洞窟へ向かう。

 入口にいたシルファに声をかけて、一緒に中に入った。一応護衛という名目なのでシルファを先頭に、彼女が焚く松明を頼りに洞窟内を進んで行く。



「それにしても、まさか二回も依頼が来るなんてツイてるな」

「ほんとねー」

「五百ギルカ上乗せできるのはでかいよ」

「あはは。だね」



 いつも採掘してる場所の手前まで進んだところで、シルファが足を止めた。丁度分帰路の地帯だ。



「いつも右の鉱脈で掘ってるよね?」

「そうだな」

「今ちらっと見えたんだけどさ、コウモリがいるみたい。それもわんさか」



 困った。二、三匹ならともかくわんさかときた。シルファが対処してくれるとはいえ、負担も大きくなる。やっぱり近くに巣でもあるのだろうか。



「左の道は? 行ったことないの?」

「ああ、そっちは入り組んでるとか地盤が不安定とかで、村の人達にはおすすめはされなかったんだよな。鉱脈自体はあるって聞いたけど」

「じゃあそっち行ってみようか。多少魔物がいたとしても私がなんとかするし。駄目そうなら一旦引き返してもいい」



 行き慣れた道を進んだ方が安全ではあるが、彼女が言うのであれば乗ってみてもいいのかもしれない。油断は命取りだが、如何せん俺の冒険心をくすぐっていた。一人で来たのなら芽生えないであろう感情だった。



「分かった。じゃあ今日は左の道で」

「決まりだね」



 方針が定まったところで、俺達はまた歩き出した。二人分の足音に混じるように、壁の向こうからコウモリの鳴き声が聞こえる。今日に限っては、左側を選んで正解だったようだ。とはいえ、足場の悪い岩場が続いている。シルファの松明を頼りに一本道をひたすらに歩いた。



 そうすること数十分、開けた場所に出た。洞窟の最奥部だろうか。中央部が広く窪んでいて、崖になっている。そのまま降りたら簡単には上がって来れないだろう。



「見てあれ」

「……本当にあったな」



 崖に近付いて窪み広間を見渡すと、確かに鉱脈があった。それも数十か所だ。こんな場所があったなんて、もっと早く知りたかった。

 とはいえ、降りるには苦労しそうだ。梯子なり岩を崩して段差を作るなり、何かしらの準備が必要だろう。今の装備では心許ないかもしれない。



「シルファ、一回戻って準備を」

「どん」



 視界が反転した。何が起きた、落ちていく感覚がしたと思ったら、次には背中に衝撃を受けた。地面に激突したらしい。息を思い切り吐き出してしまう。咳き込みながら上を見ると、シルファが俺を見下ろしていた。



「おま、なんのつもりだよ」

「うーんそうだな、強いて言うならまんまと騙された、ってとこ?」

「は? どういう」

「……正体を隠す必要もないか」



 シルファの声色が変わった。次の瞬間、水が弾ける音と共にシルファの体が歪んでいった。肩までしかない髪がみるみる内に伸びていき、地面に付く程の長さに、亜麻色も淡い青色に変化し、背も伸びて、よりスレンダーになって、最後には顔まで別人になった。肌は白く、どこか冷たい印象のある美女に変貌していた。

 


 シルファではない、誰かだった。



「初めましてだな、クロト・アスカルド」

「お前……誰だ?」

ワタシはキューズ。そうだな……傭兵、とでも言っておこうか」



 絶句した。変身魔法なんて聞いたことがない。だけど、現にこいつはシルファになりすまして俺をここまで連れてきた。しかもあの盗賊団と繋がりがあるだって。今、キューズと名乗った女がここにいるってことは、シルファはどうなった、無事なのか。色々な思考が頭を駆け巡っていく。



「シュウ・モダトという名前に聞き覚えがあるだろう」

「……あんた、まさか」

ワタシは奴に雇わてる。不本意ながらな」



 俺が言葉に詰まっていると、どこからか嘲笑が反響した。



「あーあー、もう種明かししたのかい? 楽しみにしてたのに」



 この三か月、忘れたことはなかった。俺を陥れた元パーティリーダー、シュウ・モダトの姿がそこにあった。



ワタシに指図するな小物め」

「おいおい、雇い主に随分な口の利き方をするじゃないか。ええキューズ」

「名前も気安く呼ぶな」

「つれない女だな。まぁいいさ」



 シュウが俺の方を見た。にやけた表情を張り付けている。心底不快な面をしていた。



「無様な恰好だな、クぅロトぉ」

「……なんでお前がここにいるんだ」

「んー? そりゃあ答えは一つだろ? お前に会いに来たんだよ」



 言ってる意味を測りかねていると、シュウは更に顔を歪ませた。



「もっと言えば、お前を始末しに来たんだ」

「なん」

「し・ま・つ。意味分かるか? ひひひ、お前を殺しに来たんだよ!」



 愉快そうに笑うシュウの声がまた洞窟内に反響する。今まで俺を野放しにしていたのに、今更どういうつもりなんだ。そんな俺の困惑を知ってか知らずか、奴は口の端を吊り上げてもう一度崖から覗き込んできた。



「例の噂もほとぼりが冷めてきてね。お前には現場も見られてることだし、そろそろ口封じしとこうかなって」

「口、封じ……」

「そそ。今まではお前の動向があれこれ騒がれてたからなぁ、そんな時に死んだなんて話が出回ったら、本格的鵜に盗賊団の内情が探られちまいそうだろ? だから迂闊に手が出せなかったんだ」



 愉快そうに肩を震わせながら、シュウは舐るように俺を見る。



「キューズにお前をここに誘き出すように頼んだのも僕だ。しっかり釣れたようで良かった良かった」

「まぁそういうことだ。悪く思うなよ、クロト・アスカルド」



 正直腸が煮えくり返りそうだったが、今気にするべきなのは、そこではない。



「シルファは……無事なのか」

「はっ、こんな時まで人の心配かよ! お前のお人好しっぷりも筋金入りだよなぁええ!」

「どうなんだっ!」

「でかい声出すなって。安心しろ、ちゃあんと生きてるよ」



 でも、と続けるシュウの顔は、今までで一番醜く歪んでいた。



「今頃、僕の仲間がお迎えに上がってる頃、だけどねぇ」



 手が届くなら、今すぐにでもこいつを殺してしまいそうだ。殺意と焦燥感がごちゃ混ぜになって動悸がする。



「おい、ワタシは聞いてないぞ」

「睨むなよキューズぅ、追加で金は出すからさぁ」

「何かにつけて金、金だな貴様は」

「まぁまぁ。……さぁて、幼馴染ちゃんの安否も教えてあげたところで、そろそろ始めようか」



 シュウは立ち上がって、懐から小型の杖を出して広間の奥に向ける。一か所だけ穴が塞がれたような岩盤があった。狙いはその岩盤のようだった。



「『火炎弾ブレイズバレット』」



 杖の先から炎の弾丸を撃ち、岩盤を破壊した。

 開かれた穴から音が聞こえる。きー、きー、と。この三か月、何十回と聞いてきた吸魔コウモリの鳴き声だ。一匹二匹どころの数じゃない。十、二十匹はいる声の数だった。やはり、この洞窟にはコウモリの巣があったのだろう。



「確か、右の方にもコウモリがいたんだっけなぁ」



 シュウは後ろを向いて、もう一度魔法を放つ。ここからでは見えないけど、壁が崩れる音に混じって、魔物の声がする。



「自分の手は汚さないつもりか?」

「くくく、クロトごとき魔物で十分だよ。無様に干からびて死んでくれ」



 言ってる間にも鳴き声は近づいてくる。俺一人でどうにかできる数じゃない。一匹ずつならまだしも、群れを相手どったことは一度もない。



「じゃあキューズ、クロトの死に様をしっかり見届けておいてくれ」

「どこに行く?」

「折角こいつの幼馴染ちゃんを捕まえたんだ。楽しみたいだろ、色々と」

「ふん、高尚な趣味だな。勝手にしろ」

「はいよ。あ、死体は後で回収するから見張りもよろしくねー」



 死ねない。生きてシルファを救けにいかないと。俺は剣を握り締めた。

 


 一匹、コウモリが穴から姿を現す。

 それを皮切りに、コウモリの大群が広間になだれ込んできた。



「うおおおおお!!」



 向かってくるコウモリの先陣目掛けて剣を振る。二匹倒した。二陣、三陣、と矢継ぎ早に沸くコウモリは、俺を認識すれば一目散に突進してくる。構えを直し、突進を身を屈めて躱す。すかさず剣を薙いで、数を減らす。

 気持ちは逸っているが、頭は冷静だった。三陣目を斬り伏せたところで、一旦距離を取った。



「ぐっ!」



 背後、二匹のコウモリに噛み付かれる。身を捻って振りほどき、一撃を与えようとしたけど避けられてしまう。上の道からきたコウモリだろうか、そう考える暇もなく俺は既に包囲されていた。



「くそっ!」



 仕留め損なったのはまずい。少なく見積もっても三十匹はいる。一匹でも多く倒しておきたかった。思考を邪魔するように、次々に襲ってくるコウモリに斬撃を放ち続ける。ひたすらに、一心不乱に腕を振り続けた。



 どれだけ時間が経ったのか、倒しても倒しても数が減っている気がしない。もう何陣目なのかも分からなくなっていた。



「はぁ、はぁ」



 息も切れてきた。剣を振る速度も落ちてきて、倒す間隔が段々長くなってくる。コウモリは絶えず俺に噛み付いて、止む気配がない。数の暴力とは正に今の状況を表しているんだろう。

 肩、背中、腹、胸、腕、足、耳、頬、頭、あらゆる場所を噛まれ続けた。俺ののおかげで、魔力切れによる疲労はない。でも単純に傷を負い過ぎてる。痛みで意識が朦朧としていた。



「はぁ、はぁ、ぐぅっ」



 なけなしの力を足と腕に集中させて、コウモリを薙ぎ払う。動きを止めなかったのが功を奏したのか、気が付けば指で数えられる程に減っていた。ようやく終わりが見えてきた。

 


 あと五匹。

 あと四匹。

 あと三匹。

 あと二ひ――



 「ギャオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォ!!」



 大きな鳴き声、いや咆哮が広間に響き渡った。丁度最後の一匹を倒したところだった。冷や汗と脂汗が止まらない。心臓に爪でも立てられたような、絶望的な感覚だった。

 視認した。死を覚悟するには十分すぎる正体がそこにあった。



「これは、駄目かも、しれない」



 群れのボス。

 目の前には二メートル大の吸魔コウモリが、青い瞳を歪に光らせて、巨大な翼を禍々しく羽搏かせていた。



 酷い痛みだ。もう立ってられない。膝から崩れ落ちて、そのまま地面に突っ伏してしまう。




「ギャアアアオオオオオオオオオ!!」




 子分のコウモリを殺されて怒ってるのだろうか。威嚇を繰り返している。そんなことしなくても、俺はもう剣すら握れない。その大きな口で頭でも食いちぎれば簡単に仇は討てるだろう。



 俺は、瞼を閉じた。

 ごめんシルファ。俺はどうやらここで死ぬみたいだ。

 助けに行けなくて、本当にごめん。






「よく持ち堪えたな」



 なんだか聞き慣れた声がして、目を開けた。

 顔を少し上げてみる。黒く靡く長髪が印象的な友人が、そこにいた。



「間に合って良かったぜ、マジで」



 横顔が見えた。

 ヘルだ。ヘルが、立ち塞がるように俺とコウモリの間に割って入っていた。



「ギャオオオオオオッ!!」



 ボスコウモリが高速で突進する。ヘルは迎撃の体制を取った。

 接触するか否か、廻し蹴りを勢い良くコウモリの頭に叩き込んだ。

 骨が砕ける音がした。頭蓋をかち割られたコウモリは、地に落ちることなく霧散していった。



 そこまで見届けて、俺は意識を手放した。




 

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