序5 失意のお人好し②

 酒場で話すのも違う気がして、ついシルファを自分の部屋に上げてしまった。道中泣き止むこともなく、ぐすぐすとしながら俺の後ろについて来ていた。部屋入る前に、宿屋の主人に見られてしまった。初めは驚いていたが、階段に差し掛かる頃にはにやにやとこちらを眺めていた。そういうんじゃないです、と釘を刺しておいたけど、多分無意味だったろうな。



「まぁ座って」

「うん」



 ぎこちなく促すと、シルファはベッドに腰かけた。俺も向かい合うように椅子に座る。一つ分しか椅子がないのだ。



「久しぶりだな、実際に会うのはいつ振りだっけ」

「……五年。私が領使になって、故郷を出たきり」

「もうそんなに経つんだな。手紙は送りあってたから、あんまり実感がないかなぁ」

「……私も」



 シルファの肩の動きも緩やかになってきた。落ち着いてきたのか、深呼吸もしている。



「よく俺がロッソ村にいるって分かったな」

「あの噂が出てすぐ、色んな人に聞いたの。私も丁度エストにいたから」

「……そうだったのか」



 エストか、俺の元パーティの拠点だ。大きな街だから聞いて回るのも苦労しただろう。実際に三か月かかってるわけだしな。



「噂はすぐに収まったけど、私心配で、手紙も来なくなったし、死んだんじゃないかって」

「それは、ごめん。ちょっと余裕なくて」

「まぁ、会えたからいいけど……大丈夫なの?」

「なんとか。友達もできたし、今のことろはね」

「そっか、良かった」



 シルファは微笑んだ。ここに来てから初めての笑顔だった。



「お前は、その、信じてくれるのか。俺のこと」

「当たり前だよ。だってクロトだよ? 真面目のお人好しが、盗賊団なんかと仲良くするわけない」

「……ああ」



 正直、本人の口から聞くまで不安だった。シルファにまで疑われてたらどうしようか、と。俺はきっと立ち直れなかっただろう。ぽっきり心が折れていたに違いない。俺は自然と頭を下げていた。



「ありがとう、シルファ」

「何言ってんの水臭いなぁ。もっと頼ってよ」

「そうさせてもらおうかな、二級領使様」

「なにそれ」



 二人して笑い合った。俺は癒されていた。心が軽くなった気分だ。無償の信頼がこんなに嬉しいことだなんて、皮肉にもこの状況のおかげで気付かされてしまった。なんでもっと早くシルファに伝えなかったんだろう。



「ヘルに感謝しないと」

「誰?」

「友達。今度紹介するよ」

「……女の人?」

「よく分かったな。それが?」

「別にぃ」



 シルファがそっぽを向いて言った。どうしたんだろう。



「私、しばらくここにいる。クロトが心配だし」

「え? ああ、それは嬉しいけど、この村全然依頼来ないぞ」

「そんなのいい。とにかくいるから」

「そ、そう」



 すごい圧を込めた口調だった。本当にどうしたんだろうか。




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 宣言通り、シルファはロッソ村に留まっていた。初めこそ依頼の少なさに目を丸くしていたけど、三日もすれば慣れたようで苦笑をする程度の反応になっていた。一週間を過ぎると、もはや反応すらしなくなった。

 しかし、稼ぎがないので生活はひもじい。貯蓄はあるとのことだけど、それ切り詰めていくしか食べていく方法がないので、シルファも音を上げてしまうんじゃないかと思っていた。

 が、彼女は存外我慢強かった。



「山で遭難したこともあるし、その時は一週間くらいパン一個で凌いだ」

「よく生きてたな……」



 領使であればそんなことはざらにある。討伐にしろ採取にしろ、一般の人間では行くことができない危険な場所へ出向くことになる職業だ。ギルドに入会する際に『命の保証はできない』という注意事項に同意しなければ、そもそも門を潜ることすらできない。領使は皆、覚悟を持って命を張っている。面白半分で入ってくる人間もいないわけではないが、そういう輩はすぐに辞めるか、もしくは命を落としていった。そういう世界だ。

 シルファも二級領使だ。階級を上げるにも困難は多かった筈だ。それを思えば、今の生活なんて屁でもないのかもしれない。



「食べ物に困ったら言ってね、分けたげるから」

「……おお」



 シルファはマメな性格で普段からしっかりと金を貯めていたようだ。ひと月は持たせられる、と豪語していた。故郷にいた頃から計画を立てるのが上手かったし、変わってないなぁ、なんて関心してしまった。

 俺はというと、情けない話だけど辟易していた。ヘルと話すようになって多少はマシになったとはいえ、常日頃不安と焦燥は付き纏うし、それに加えて飯も満足に食えないとなると精神的にも疲弊してしまう。一回の依頼で稼げるのは魔鉱石採掘の五百ギルカが最大だ。パンで言えば十個買えるかどうかの稼ぎだ。奇跡的に他の依頼があれば百、二百ギルカは上乗せできるが、それではパンが一個二個多く買える程度だ。多く買えることはありがたいんだけど、満足できてるかどうかは別問題だ。




 俺が受けた採掘依頼に付き合ってシルファも洞窟に出入りするようになった。蓄えがあるからと、パーティ登録はせずに俺だけに報酬が渡るように配慮もしてくれている。更には採掘をしている間、俺の護衛まで買って出てくれた。何もそこまでしなくても、と遠慮したが、シルファは頑として譲らなかった。

 正直、大助かりだった。シルファの魔法の腕は目を見張る程達者で、俺が手こずるコウモリの群れを雷撃を一閃放つだけでまとめて掃討してしまうのだ。二級領使の名は伊達ではなかった。



「大変な目にあったんだから、ちょっとくらい助けさせてよね」



 なんて軽い調子で言っていた。俺は感極まって、シルファの見ている前で泣いてしまった。今の俺の、不安定な精神には染み渡ってしまうくらい、救われる言葉だった。




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 とある日、俺はヘルの店を訪ねていた。もうここに来るのも日課になってしまった。奥の部屋をノックして、ヘルの間延びした返事を聞いてから扉を開ける。これもお決まりの流れだ。



「おういらっしゃい」

「客じゃないけどな。って本読んでたのか、邪魔したか?」

「かかか、何を気にしてんだ。まぁ座れや」



 ヘルは読書家だった。とは言っても学術本や魔導書ではなく、娯楽本とやらを嗜んでいるようだが。彼女曰く、世間ではあまり出回っていない種類の本とのことで、そもそも読んでる人間なんて存在するのか、といった具合に知名度が低いのだとか。俺もヘルから聞いて初めてそんな書物があることを知ったくらいだ。

 かくいうヘルも、前の店主に教えてもらって知った、と言っていた。



「ほれ、茶」

「悪いな。それでお前、今日は何杯飲んだんだ?」

「あ? あー数えてねぇなぁ。十杯くらい?」



 俺は地面を指差した。蒸留酒の空瓶が五本転がっている。おおよそ二十杯といったところか。



「本当、どんだけ飲んでも平気なのは羨ましいよ。どんな酒豪でも酔っ払う量だぞ、これは」

「そりゃオレは人間じゃねぇからなぁ。肝臓も鉄みてぇに硬ぇんだろうなぁ」

「得意げな顔するな」 



 他愛のない会話を交えながら、俺は指定の椅子に腰かけた。



「ヘル、今日はもう一人客を連れてきた」

「ってぇとあれか、例の幼馴染か」

「ああ。おーいシルファ、何してんだー」



 シルファは店に入るまでは俺の後ろにいたのに、一向に部屋に入ってこない。人見知り、って性格でもないはずだけど。呼びかけてから間を空けて、シルファが扉から顔を覗かせた。



「……どうも」

「おう。なるほどぉ、てめぇがシルファか」

「な、なにか?」

「いやいや、こりゃあ随分別嬪べっぴんさんだなぁ、って思ってよ」

「はぁ、べっ、はぁ?」



 いきなり言われたものだから、シルファは赤面して俯いてしまった。それを見てヘルはけらけら笑っていた。



「可愛い反応するなあの嬢ちゃん。いいねぇ、隅に置けねぇなてめぇもよ」

「ただの幼馴染だよ。なに言ってんだお前は」

「そうかそうか、かかか」



 こいつからかって遊んでるな。悪い性格をしてやがる。



「まぁまぁ、嬢ちゃんもこっち来な。酒飲めるか?」

「……少しなら」



 シルファも入ってきて、珍しく俺とヘル以外の人間がいる空間になった。どことなく新鮮な気分だ。



「さぁて、なにから話そうかね」

「……ヘルさん」

「敬語も敬称もなくていいぞー」

「あ、じゃあ、ヘル? 聞いておきたいことがありま、あるんだけど」

「かかか、しどろもどろだなオイ」

「うぅ」



 なんというか、会話のペースを握られてシルファが委縮している。あうあう言ってる姿をにやにや見ているヘルの表情は。さながら小悪党のそれだった。



「あのっ!」

「おう」

「聞きたいのはその、クロトのことで」

「おう」

「ヘルさ、ヘルは、その、クロトのこと、どう思ってるの?」

「好きだぜ。ちょー好き」



 シルファは口をぱくぱくさせた。ヘルは手を叩いて大笑いしていた。俺は混乱していた。なんだこの状況。

 でも今のはなんとなく訂正した方がいい気がして、会話に割り込む。



「おいヘル、誤解を生む言い方をするなって」

「あー面白い」

「シルファ、おーい、聞こえるかー」

「駄目だ白目剥いてやがる」



 ふざけすぎたか、とヘルは頭を掻いた。



「おい聞け嬢ちゃん、オレとこいつはただのダチだ。決していやらしい関係なんかじゃねぇぞ。嬢ちゃんに誓ってもいい」

「いやらしいってお前」



 はっ、とシルファは意識を取り戻した。どうやらしっかり聞こえていたようだ。



「本当? 賢者様に誓える?」

「おーおーなんにでも誓ってやるとも」

「そっか……そっかぁ」



 シルファは安堵している様子だ。それはいいとして、俺はこの会話についていけてなかった。



「さっきから何の話をしてんだよ」

「ああ? こんの鈍感朴念仁のクソザコ剣士が」

「なんかめちゃ罵倒してない? なんなの?」

「てめぇで考えろバカタレ」



 この話は何故か俺がこき下ろされて終わった。シルファは満足そうだし、ヘルは俺を睨んでるし、よく分からないままだった。




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 夜も更けてきたところで、俺達は帰路に着いた。シルファとは同じ宿屋だから帰り道も一緒だ。

 ヘルとの仲もそれなりに良くなったようで、初めに部屋に入ってきた時のよそよそしさはどこへやら、最後の方は酒を飲みながら肩まで組んでいた。



「へへへ、良い人だったなぁヘル」



 この通りの上機嫌っぷりだ。酔ってるのも手伝ってか、いつもより格段に浮付いている様子だった。



「足元気を付けなね」

「はーいはい」



 ふらふら歩くシルファに気を配っている内に、宿屋の前まで来ていた。



「ちゃんと自分の部屋に戻れよ」

「わーかってるってぇ」



 大丈夫じゃなさそうなので、部屋の前まで付き添った。手を振って中に入ったところを見届けてから俺も自室に入ろうとした。

 視線を感じた。背後だ。振り返って確認したけど誰もいない。宿屋の主人かと思ったが、だとしたら声の一つでもかけてきそうだけど。



「……まさかな」



 盗賊団の連中は、俺を見張ってる。そのことを言わない約束も守っている。これまでヘルやシルファに噂の話をした時だけでは、奴らが動いた気配はなかった。実際二人には危害は加えられてない。それに村の中まで侵入してきたこともなく、今更俺の行動にケチをつけてくるとは考えにくかった。



「気のせい、か?」



 そう思うことにした。和らいだとはいえ、不安が消えたわけではない。そいつがちょっと顔を覗かせただけなんだと、そう思い込んだ。

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