第169話本戦の前日

 ——◆◇◆◇——


「んでんで? 明日から本戦が始まるっぽいけど、今の心境は?」


 全ての予選が終わった日の夜。バイデントに借りた部屋にて、手の中に出したフォークを眺めていると、スティアが問いかけてきた。

 手元から顔をあげてその問いかけに答えようとしたのだが、その格好に関して一言言ってやりたい気分になった。


 確かに今は部屋の中だし、身内しかいない状態だ。だが、その格好はなんだ。

 普段は胸と腰を隠し、全体的にヒラヒラとした薄い生地を纏っている。だが、今はその生地が鬱陶しいのか外されており、本当に胸と腰を隠しているだけの、下着よりも布面積の少ない格好となっている。

 そんな格好で異性の前に出てくるなど、こいつは恥ずかしいとは思わないのか?


 はあ、とため息を一つ吐いてからゆるく頭を振り、スティアの問いに答えることにした。


「心境と言われてもな……。まあ、色々とある」

「いや、その色々の部分が聞きたいんだけど?」

「ふむ……だが、本当に色々と思う所があるからな……」


 実際、明日の天武百景の本戦に対しては、思うことがたくさんあるのだ。それも、明確にまとまっているのかと言ったらそうではない、ぐちゃぐちゃと乱れている思考のかけらとして存在しているだけ。誰かに話すようなことではないし、そもそも話せるような状態でもない。


「スーちゃん。そうやって無理して聞き出しちゃダメよ。アルフ君の状況を考えると純粋に勝ちたいだけだ、とも言えないと思うの」


 マリアが俺の視線を遮るようにスティアとの間に割り込み、スティアを俺から引き離すようにしつつやんわりと諌める。

 こうして一刻の姫がするにははしたないと言える姿のスティアを離そうという気遣いはありがたい。俺から言うことでもないし、スティアの場合そのようなことを気にせずにいつまでも居座り続けそうだからな。

 前々から思っていたが、もしや獣人の国ではこれが普通の格好なのだろうか? もしそうであれば、俺は前世の記憶があるからまだ受け入れられるが、この国の人間であれば困惑するだろうな。


「やー、まあそれはそうなんだろうけどさー。いいじゃんいいじゃん、そんな難しいことあれこれ考えなくったって。考えることはある。でも今は優勝だけ目指して頑張ります、でやらないと、余計なことばっかり考えておかしな考えに落ちるでしょ」


 マリアに誘導されて部屋の隅にあった別の椅子へと座らされたスティアは、行儀悪く体を捩って背もたれに腕を乗せているが、言っていることは確かにその通りだと言える。


「わお。スティア姫も随分とまともなことを言うんだね」

「しっつれいね、ルージェ。私はいつだってまともよ!」

「……どこが?」


 スティアの言葉にルージェは心の底から不思議そうに首を傾げたが、それは俺も同感だ。

 だがそれはそれとして……


「優勝だけを目指して頑張る、か。なるほど、確かにそうだな。余計な考えなど、終わった後に加えればいいだけか」

「そうそう。せっかくのお祭りなんだし、思う存分楽しみましょうよ!」


 こいつにそう言われると、先ほどまであれこれと考えていた自分が途端にバカらしく感じてくるのだから不思議なものだ。


「ってわけで、今日のご飯は私達の優勝の前祝いとしてパーっと豪華にいきましょ!」


 まだ予選が終わったばかりだというのに、いささか気が早すぎやしないだろうか?


「パーッとって、どこかにでも食べに行くの?」

「残念だけど、今日の夕食はもう準備終わってるみたいだよ」

「うぇっ!? そ、そうなの?」

「うん。なんか、最初っから本戦に出場することは分かり切ってるんだから、そのお祝いのために豪勢にしよう、ってことになったっぽいね」


 ああ、そういえばバイデントの阿呆どもが何やら騒いでいたな。


「それじゃあどうしよっかなぁ……」

「どうもこうも、素直に用意されたものを食べればよかろうに」


 夕食が用意されているというのだから、夕食について悩む必要などどこにもなかろうに、こいつは一体何を悩んでいるのだ?


「あ、うん。それは当然食べるんだけどさぁ」

「食べるのは当然なんだ」

「え? だってせっかく用意してくれたご飯を食べないとか、作ってくれた人に失礼でしょ?」

「……この子、本当に素直でいい子だよね。普通の貴族や王族なんて、作った人のことなんて考えないでまだ食べられるものを捨てたりするっていうのに」


 チラリとこちらを見ながらそう口にしたルージェだが、まあ確かにそういった者がいるのは確かだな。だが、それらと俺を同列視しないでもらいたい。俺は無駄に用意させたことも、必要以上に残したこともないのだぞ。


「いや、それもったいないじゃないの」

「でも、そう思わないのが貴族ってやつなんだよね、ムカつくことに」


 ルージェは元々寒村の出だからな。食べることができなかった日もあっただろう。それを考えると、貴族の飽食というのは許せるものではないだろう。貴族に恨みがあることも含めると、尚更だろうな。


 だが、貴族は食事を残すと言っても、それには理由がある。


「……一つ言わせてもらうが、無駄に作らせて残すのは使用人達に対する下げ渡しがあるからだ。決して捨てているわけではない。まあ、中にはそんなことを気にせずに飽食の日々を送る者もいるし、パーティーなどの場合はそのまま廃棄になることもあるが」


 意味なくたくさん作らせているわけでも、残しているわけでもないのだ。少なくとも、全てが全て理由なく余分に作らせているわけではない。


「そういう飽食のバカは処理すればいいけど、パーティーなんて無駄なものをしてるとどうしようもないよね。でも、参加してる奴らもだけど、主催者は何考えてアレだけの無駄な料理を作らせてるんだろうね。ボクには全然理解できないよ」

「アレにも意味があるのだ。無駄に豪勢な料理は、余らせ、捨てても問題ないほどの豊かさがあります、と喧伝するためにある小道具の一つだ」


 その小道具によってその後の政が上手くいくのであれば、それは必要な無駄ということだ。


「だとしても、その捨てた小道具があれば救える命もあるってことを理解してほしいよね。餓死なんて、それこそ毎日そこらじゅうで起こってることなんだから」


 だが、そんな事情があるのだとしても、それは飢えたことがないものの理屈だ。今も飢えているものがいるのは事実だろうし、それによって死ぬものがいることも事実だ。そんな者達からすれば、必要な無駄など、単なる無駄と変わらないことなのだろう。


「……すまん。だが、それは俺にはどうすることもできない」

「……いいよ。ボクだって、謝って欲しくて言ったわけじゃないし、アルフ一人でどうこうできるものだとも思ってないから。ただ、話に出たから言っちゃっただけ」


 ルージェ自身、俺に言っても意味はないと理解していたのだろう。俺が謝ったことで罰の悪そうな表情をして頭を下げてきた。


「……あ、で、結局スーちゃんは何を悩んでたの? 夕食は用意してくれたものを食べるんだよね?」


 少し暗くなった雰囲気を変えるためにマリアが口を開くと、スティアは特に何も考えていないような口調で答えた。


「あ、うん。そうなんだけど……なんかいい感じのお店を見かけてさぁ。今日のご飯はここ! って、もうそんな感じの気分だったのよねー」

「へー。それってどんなお店だったの?」

「『お肉屋』よ」


 まあ、お前のことだからそうだろうな。こいつが野菜専門店の類を選ぶわけがない。だが、店の名前が分からなければどんな店なのか想像できないのだが? 探せと言われても探すこともできない。


「店の名前はなんだったのだ?」

「だから、『お肉屋』だってば」

「……もしかして、店の分類が肉屋なのではなく、『お肉屋』という店名なのか?」

「だから、そう言ってんじゃない」


 もしやと思って問いかけてみたのだが、まさかそのような名前の店があるとは……。


「いや、今の会話ではわからんだろ」

「っていうか、そんな店あるんだ」

「大通りのところにあったわよ? まあ今日は仕方ないけど、今度みんなでいきましょ!」

「まあいいんじゃない?」

「そうだな。四位までに入賞することができればそれなりにまとまった額の賞金も出るようだし、それを使えば俺が奢らずとも好きなだけ食べることができるぞ」


 もっとも、こいつの場合は姫なのだからそんなことは気にせずに好きなだけ食べることができるかもしれないが。


「ふふん。その時は私がみんなに奢ってあげるわ!」

「お、それは頼もしいね。その時を楽しみに待ってるよ」

「んまっかせなさい! ……あ、でもなんで四位? 三位じゃないの?」

「三位決定戦はやらないからな。やってもいいのだが、表彰者が一人でも多い方がさまざまな国が表彰される機会が増えるだろう。複数の国が協力して開催しているのだから、その方が好ましいのだ」


『天武百景で結果を残した人物』というのは、どの国も欲しがるものだ。たった一人ではあるが、その結果を残した人物の枠を増やすために、三位決定戦はやらず、同率で三位として扱うことになっている。だが、実際のところは同率で三位というよりも、同率四位であると一般では考えられている。


「いや、そうじゃなくってさ。その言い方だと、まるで私が優勝できないみたいじゃない」


 なるほど。三位か四位かという部分ではなく、自分が優勝できないように言われているのが気に入らなかったのか。だが、それは当然だ。


「ああそういうことか。それは仕方ないだろう。俺としては、俺が優勝するつもりでいるのだからな」


 俺が優勝するのだから、必然的にこいつは二位以下のどこかになるに決まっている。


「優勝は私です〜」

「まあ、お前はそう思うだろうな」

「うーん。誰だって自分こそが、って思うものなんじゃないかな?」

「だろうね。っていうか、優勝するつもりがないのに参加する人なんて……あー、力試しとかはいるか。でも、その程度の思いの人が本戦に出るほど甘くはないだろう?」

「中には本当の天才がいて、今までの修練結果を確認するため、という場合もないとは言い切れないが、大半は自分こそが優勝してやると思っているものであろうな」


 参加している以上は優勝を目指すものだろう。目指していないにもかかわらず出場するものというのは稀だ。確固たる意思がなく本戦を勝ち抜くことなど、そう簡単にはできないのだから。


「まあ、優勝するのは私なんだけどね!」

「ああそうだな。精々頑張れ」

「何よー、その言い方。ふーんだ。そんな態度するんだったら、私が優勝してもあんたには奢ってあげないんだからね!」

「そうか。だがお前が優勝を逃したとしても、俺が奢ってやるから安心しろ」


 優勝賞金を考えれば、こいつ一人奢ったところでなんら問題ない。


「なんか、随分自信がついたっぽいじゃん」

「まあそうだな。自信というか、それ以外に考えなくてもいいと言われたからな。自信などなくとも、そんなことは気にせずに勝つことだけを考えていればいい」


 そう。今は天武百景で優勝することだけを考えればいいのだ。それ以外のことは全て、終わってから考えてもどうにかなるのだから。


「およ? それったあんたが勝ったら私のおかげってこと?」

「なぜそうなるのかわからんが、まあ全く関係ないとも言い切れないだろうな。もっとも、そんな話は勝ってからするものだが」

「それもそうねー。じゃあ、明日に向けて英気を養うために、いーっぱいご飯食べましょうか!」

「まだ夕食の時間じゃないけどね」

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