第162話元浮浪者と元ならずものと元次期公爵

「バラド! てめえこのくそハゲ! ボスに向かってなんて口きいてんだ!」


 だが、そんなバラドの態度が気に入らなかったようで、ログナーは椅子に座り続けているバラドの元へと近づいていくと、掴みかかるために腕を伸ばした。

 しかし現在は商人として活動しているバラドも、昔は路地裏で暴れているようなならず者の一人だ。掴まれるとわかっていて黙っているわけがない。

 バラドはログナーが伸ばしてきた手を逆に掴み返し、凄みを乗せた視線でログナーを睨みつけた。


「ああ? 誰がボスだって? こいつはもう辞めただろうが。今はお前がバイデントのボスで、俺が三叉路のボスだ。こいつはもう関係ねえんだよ!」

「このやろう——」

「良い。バラドの言うことはもっともだ。そして、それで構わない。そうするように望んだのは俺なのだからな」


 俺としてはバイデントの気持ちはありがたいが、バラドのように好きにやってくれて構わないと思っている。なので、この状況にもバラドの言葉にも何ら不快感など感じない。


 しかし、こいつも言葉にはしないが未だに俺のことを完全に切り捨てたというわけではないようだな。もしそうであれば、今回のバイデントの呼びかけに答える必要などなかったはずなのだから。


 こいつは昔からそうだった。言葉にはせず、ひけらかすことはしないが、身内に何かあると心配し、身内に困ったことが起きたのなら迷うことなく動いた。そしてそのことを感謝されても、鬱陶しそうにしながら追い払おうとする。おそらくこいつはツンデレなのだろう。

 きっと今回も、内心と態度は別なのだろうな。


「しかし、その様子であるならば運営の方は問題なく行えているのだろう? であれば、安心した」


 バラドの身につけているものはバイデントの面々よりも整っており、相応に高価なものなのだろうことが理解できる。そのようなものを身につけているのであれば、商会そのものは問題なく運営することができているということであり、俺が関わっていた影響などは出ていないようだ。


「……何が安心しただ、馬鹿野郎が。なんの挨拶もなく勝手に消えた野郎が、今更保護者面か?」

「そのようなつもりなどない。それに、保護者という年齢でもないだろう?」

「冗談言ってんじゃねえよ。……なんで消えた?」


 バラドはそれまでの怒り顔から、まるで子供が拗ねたかのような不満げな表情へと変わり、問いかけてきた。


「ふむ。理由は知っているのではないか? 以前に手紙を送ったであろう?」

「ああ。ムカつくことに、お前が消えた後に届けられたな。だが俺の聞いてるのはそういうことじゃねえ。わかってんだろうが」

「……ありていに言ってしまえば、私も人間だということだ。俺は、俺が思っていたよりも強くなかったらしい」


 本来であれば、廃嫡されようとも問題なく生活していけるだけの地盤はできていた。バイデントでも三叉路でもどちらでもいいが、頼るべきだったのだろう。

 だが、俺はそういった最善を選ぶことなく、ただ思うがままに街から逃げ出した。それは俺が弱かったからだろう。


「はっ。トライデン始まって以来の天才で、ドラゴンすら相手にならないなんて言われるほどの化け物が、強くねえってか?」

「そうだ。物理的な強さではない。心の問題だ。あの日、父からトライデンを追い出されることになったあの時、俺は全てがどうでも良くなったのだ。だから、生き方を探すため、心に整理をつけるためと嘯きながら……逃げ出した」


 自身の心に打ち勝つというのは、時にはドラゴンを倒すことよりも難しいことだと、今になって初めて理解できた。人はやり方次第では誰であってもドラゴンを殺すことはできるが、自身の心に打ち勝つのは誰にもはできないことなのだ。


「……戻ってきたってことは、もういいのかよ」

「ああ。全てが解決したというわけではないが、少なくとも、ここに来ようと思える程度にはな」

「なら、またトライデンに戻るのか?」

「それは……どうだろうな? 今更戻ったところで何があるというわけでもないし、そもそもあの父が俺を戻したりはしないだろう」


 仮に俺が天武百景で優勝したところで、一度追い出した俺を再び迎え入れるのかと言ったらそんなことはしないだろう。俺が優勝の賞品として願えばあの家にいることもできるだろうが、誰も望んでいないのに無理にあの場所へ戻る必要もないだろう。


「なら、貴族でいることは諦めるってか? お前なら、王族の伝手を使ってどうにかできんだろ」

「そうだな。実際、その打診はあったな。だが、断った」

「そりゃあ、なんでだよ。貴族になりてえってんなら、王族を使うのがいちばんの近道だろうが」

「確かに、お前のいうことは間違いではない。だが、それでは意味がない。誰かに与えられただけの地位など、なんの価値がある? 何かが起こればまた同じように失うようなものに、どれほどの意味がある? 自分で勝ち取ってこそ、私は再び貴族として立ち上がることができるのだ。と、私はそう思っている」

「……自分の呼び方が『私』に戻ってんぞ」

「む。そうか。流石に完全に以前の癖を消すことはできんな。懐かしい顔があるともなれば、尚更だ」


 これでもだいぶ『俺』としての振る舞いが身についてきたと思っていたのだが、どうにも懐かしい顔ぶればかりだからな。以前のように……こいつらと共にギルドと商会を作ったばかりの頃のように戻ってしまったようだ。


「だが、どうやるつもりだ。貴族になんて、そう簡単になれるもんでもねえだろ」

「それを聞かずとも、すでにわかっていよう?」


 実際、バラドも予想はついているのだろう。疑問というよりも、不安そうな表情を見せている。


「……天武百景か」

「それが最もわかりやすく、早い方法だからな」

「言うは易し、ってなもんだろ」

「だろうな。だが、そうたやすく負けるつもりはない」


 成し難いことなど承知の上だ。その上で、優勝してやると言っているのだ。そして、その優勝をもって俺は貴族へと戻る。


 そう改めて心の中で言葉にしていると、こちらをじっと見つめていたバラドが突然立ち上がった。


「どうした?」

「仕事だ。お前が動くんだってんなら、今から準備しとかなきゃ間に合わねえだろ」


 先ほどあれだけ不満そうにしていたくせに、また俺に手を貸すつもりか。それも、頼んでもいないのに勝手に。まあそれも、いつも通りと言えばいつも通りのことか。不満を口にしつつも身内のために勝手に動くのがこの男なのだからな。

 しかし、今から動くとは言ったが、まだ俺がどうなるのかなど決まったわけではないのだがな。


「まだ優勝すると決まったわけではないぞ。それに、別に俺が貴族になったとしても、お前が急ぐ理由はなかろう?」

「バカ言ってんじゃねえぞ。優勝は逃したとしても、お前のことだ。本戦には最低でも残るはずで、本戦の中でも上位に入るはずだ。そんな強者を、国が放っておくわけねえだろ。優勝者の願いとしてじゃなくとも、お前を貴族として取り立てて囲おうとすることもあり得る。特に、お前は魔創具が問題で家から追い出されたってだけで、その能力や血統はなんの問題もねえんだからな」


 その可能性も、ないとは言い切れないな。それなりの結果を残しさえすれば、王宮から打診が来ることは十分に考えられる。実際、過去には準決勝に進出した武芸者に役職を与えて国に士官させたことも多々あったはずだ。

 そもそも、全国から集まる武芸者の中から本戦に出場するメンバーに選ばれるだけでも凄いと評して構わない成果なのだ。そんな本戦で一度でも勝ち進めたのであれば実力を疑う必要などなく、優勝しておらずとも国の力となるのは明白だ。そんな人物を国が逃すわけがない。


 それを考えると、俺が本戦に出場することになれば、それだけで目的を達成することは可能だろう。

 元々の血筋、廃嫡の理由、現在の戦力。それらを考えると、優勝などしておらずとも貴族として取り入れるのはそう難しいことではないのだから。


「んで、お前が貴族にったらそん時は色々と入り用になんだろうが。それに、またぞろなんか無茶言ってくんだろ。それに対応できなきゃ、商人の恥ってもんだろ」

「入り用になるのは確かだが、無茶など言ったことがあったか?」


 貴族になるのであればそれに相応しい家や服、小道具が必要になるのは理解できるが、無茶とは何のことだ?


「はあ? お前今までのこと思い出してみろ。最近ではネメアラの姫に手紙を渡せだなんつー無茶を頼んできやがっただろうが」

「ああ、言われてみればそうだな。それに関しては助かったぞ」


 以前港町に寄った時に偶然三叉路の従業員に遭遇したことがあり、その際にスティアの状況を知らせるための手紙をネメアラの使節団に渡すように頼んだことがあった。確かに、あれは無茶といえば無茶か? ネメアラとも王家とも繋がりのない単なる商会の者が使節団としてやってきた王女に手紙を渡すというのは、まあ普通ではないな。

 もっとも、バラドであればできると判断して頼んだのだし、実際に出来たのだから無茶ではなかったということだ。


「その前には、お前が消える時に教会の補修だ支援だと、言うだけ言って消えやがって」

「ふむ。そういえばそれもあったか。トライデンから金を引っ張ったとはいえ、面倒をかけたな」


 俺が廃嫡され、家を出て行く際に、今まで行なっていた教会への支援が急に途切れたら教会としても困るだろうと考えた。ついでに、理不尽な理由で廃嫡されたこともあり、嫌がらせをしてやりたいと考えた結果、トライデンの名前を使って金を用意し、教会に支援することにしたのだ。

 あれは確かに少し無茶だったかもしれない。実際に金を用意したのは俺とはいえ、金の流れを調べれば三叉路に辿り着いたかもしれない。そうなれば面倒なことになっていただろう。

 とはいえ、法的には何ら問題ないのだから、多少動きづらくなるだけだったはずだ。それでも面倒なことに変わりはないが。


「面倒だと思うんだったら頼むんじゃねえよ、ったくよお。そのせいでトライデンから睨まれたんだぞ。一時は兵まで出された」


 裏で手を打つ、くらいのことはしてくると思ったが、まさか直接兵を出すとは……。父は外聞を気にする人物だから、睨まれたとしてもそこまで分かりやすい行動をするとは思っていなかったのだが……少し金を使いすぎたのだろうか?


「それは、よく問題なかったな」

「教会が守ったからな。大貴族様であるトライデン公爵家よりも、メチャクチャな額の寄付をしてくれたお前との繋がりの方を重視したってことだろうよ」

「そうか、教会が……。だが、なんにしても問題ないのであれば良い。これからも面倒をかける。頼んだ」

「……はあ。あんまし手間かけさせんじゃねえぞ」

「しかし、あのお前が『商人の恥』ときたか。時間とは偉大なものだな」


 昔は路地裏でそこらの輩どもをまとめているだけの荒くれだったのだが、そんな男が自身のことを『商人』と呼ぶとはな。振る舞いも、〝らしい〟ものになっているのを見ると、随分と時間が経ったのだと理解させられるものだ。


「本は裏でチンピラをまとめてただけのハゲだったのにな」

「うっせえよ! てめえもそこらの浮浪者と変わんねえだろうが!」


 元浮浪者と元チンピラのボスがお互いを罵倒しあっている様子を見て、何となく〝戻ってきた〟のだなという気分になりながら近くにあった椅子に腰を下ろした。

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