第154話再びの友との別れ

「……驚いたな。お前が〝ありがとう〟だなどと口にするだなんて。今まで感謝自体は口にしていたが、こうも直接的な感謝の言葉を聞けるとは……初めてではないか?」


 失礼な。俺はそれほど礼儀知らずではないぞ。ただ、感謝を口にすることも、態度に見せることも少なかったとは思うが。


「初めてなどではないだろう。これまで何度か口にしたことがあったはずだ。まあ、あまり口にしないことは確かだがな」

「だろう? 何か心境の変化でもあったのか?」

「変化といったら、状況そのものが大きく変わったからな。貴族でなくなった以上、無駄なプライドを気にして感謝の言葉の一つも口にしないなど、馬鹿馬鹿しいだろう?」


 貴族である以上、他人からどう見られるのか、ということを気にしなければならない。そのため、感謝の言葉ひとつとってもろくに言うこともできなかった。だが今は違う。貴族ではないのだから誰憚る必要などどこにもない。


「王族もだが、貴族は感謝の言葉一つで状況が悪化することもあり得るからな。まあ、これだけ状況が変わったのなら仕方ないか」

「……だが、きっかけとなる者がいなかったわけでもないな」


 もっとも、俺一人でそのことに気づけたかは微妙なところだ。もし一人で行動し続けていたのであれば、今もまだ俺は無駄なプライドや貴族としての態度を貫いていたかもしれない。


「なに? ……それは、例のスティア王女のことか?」


 唐突にオルドスからスティアの名を聞かされたことで、ぴくりと反応してしまった。

 確かに俺に影響を与えたのはあいつで間違いないが……なぜそのことをオルドスが知っているのだ?


「……なぜその名が出てきた?」

「これでも調査に来たんだ。それくらい調べるに決まっているだろ」

「……はあ。そうだったな」


 まあ、俺がここにいることを知っていて、その上で色々と調べてやってきたのだから、俺のそばでスティアが行動していたことなど知っていて当然か。


「俺も少し話してみたがなかなかにお転婆な姫なようだな。それに、随分と素直な性格をしている。お前と行動をともにしていたと言うのなら、その影響を受けてお前が素直になってもおかしくないだろ。お前自身、その影響を理解しているようだしな」

「まあ、あいつの影響がないとは言わないさ。人間的に好ましい性格をしているのも事実だ」


 付き合いを続けるのは面倒に感じることもあるが、それでも共にいて楽しいと感じることがあるのは事実だし、人間的に好ましいというのも嘘ではない。


 だが、そう言った俺の姿を見て、なぜかオルドスは眉を顰めてしまった。


「む……これは少々まずいか?」

「何がだ?」

「大したことではない。ただ、お前が俺の義理の弟となる道が遠退いたのではないかと思ってな」

「義理の弟だと? ……それは、シルル殿下と婚姻することを指しているのか?」


 一瞬ミリオラ殿下のことかと思ったが、その話が流れたことはオルドスも承知の上であり、そういえばシルル殿下が俺に好意を云々という話をしていたことを思い出した。


「ああそうだ。だが、もしお前に想い人がいるのであれば、強引に話を進めるわけにも行かないと思ってな」

「想い人などではない。それにだ、そもそも殿下とも婚姻を結ぶつもりはない」

「そう言うな。それをあいつが聞いたら悲しむぞ」

「第一、身分の差を考えろ。今の俺は平民だぞ。いや、それどころか普通の平民にも劣る。何せ、家すら持っていないのだからな」


 ミリオラ殿下の婚約者でなくなったとしても、次期当主でなくなったのだとしても、実家にいられたのであれば問題とはならなかっただろう。だが今の俺は貴族ではなく、それどころか平民ですらない浮浪者だ。少なくとも分類訳をするのであれば、そうなる。

 そんな浮浪者と王女が共になるなど、ありえんだろ。


「家ならここがあるではないか」

「わかっていて言っているのだろう? ここを家だと話すことができると思うか? 裏ギルドの拠点だなどと言えば、婚姻どころか捕えられることになるぞ。流浪の民の方がまだマシだ」


 犯罪者と流民や浮浪者であれば、まだ後者の方がマシだろう。


「だろうな。だが、身分差などどうとでもなるだろ? 天武百景で優勝すればいいじゃないか。優勝者が姫をもらう話など、よくあることだ。お前が王族に婿入りすることなど、問題にはならないさ」

「それは俺が優勝できた場合の話だろう? そもそも婚姻するつもりがない」


 貴族としての立場を取り戻すために天武百景で優勝するつもりではあるが、正直なところその後のことなど考えていない。婚姻だなんだと考えるのは、貴族としての地位を手に入れることができてからになるだろう。


「嫌いではないんだろ?」

「それはそうだが……好ましい相手だからと言って、それが恋愛感情を持っているかといったら別ではないか」

「まあ、お前も天武百景に参加すると言うのであれば、そのうち本人と会うことになるだろう。その時に話すといい。そうすればお前の考えも変わるかもしれないからな」

「会う機会などあると思うか? 見物に来られたとしても、今の俺が接触する機会などないだろうに」


 優勝者は王族と会う機会などいくらでもあるだろうし、本戦の出場者は大会後に記念パーティーに誘われるのでその時ならば会う機会もあろう。だが、逆に言えばその時になるまで会うことは難しいはずだ。


「それがな、あるんだよ。あいつ、自分自身が天武百景に参加するつもりなんだ」

「……なに? 姫自身がだと? 正気か?」

「そう珍しいことでもないだろう? 王族が自国の力を見せつけるために参加することなど、よくある話じゃないか」


 天武百景を開催する国は、その国の王族を参加させることがよくある。今回はこの国で開催するのだから、この国の姫であるシルル殿下が参加するのは理解できるが、だからと言ってあの方が出場するのか? 戦う力があることは知っているが、王女だぞ? だったらまだ目の前にいるオルドスが参加すべきではないか? まあ、それはそれで王太子の手の内がバレるという問題があるではあるが。


「それはそうだが、その場合、元々天武百景に参加するべく鍛えてきた者だろう? だが、シルル殿下はそうではないはずだ」

「まあそうだな。参加すると決めたのはお前が消えた直後だったから、まともに鍛えたのはここ一年程度なものだ」

「それで優勝できると?」

「いや、流石にそれは無理だろうと思っている。——が、いいところまでは進むだろう。少なくとも、予選は通るはずだ。そうなれば、お前と話しをする機会くらいはできるだろうな」

「殿下が予選をか……」

「できないと思うか? あいつは魔法の天才だぞ。お前には劣るかもしれないが、それでも十分に『化け物』の範疇だ」

「それは……わかっている。基礎理念を教えたのは俺なのだから」


 元々はオルドスと共に勉強をしていた時に、休憩していた際に魔法の話をし、それをシルル殿下に聞かれたのが始まりだった。

 シルル殿下は、『アルフレッド・トライデン』ではない『俺』の知識を元に考えられた魔法理論や創意工夫についての話がいたく気に入ったようで、シルル殿下は俺に魔法の話をせがむようになった。以来、時折シルル殿下には魔法のことをお教えすることがあった。


 実際、あの方の魔法の才能はかなりのものだ。それこそ、大人顔負けと言っていい程度には魔法を使いこなすことができている。そこらの魔法使いではシルル殿下に勝つことは不可能だろう。


「子供が子供に魔法を教えるなど、はたから見ればおままごとの一種に見えたことだろうな」

「そこまでは言わないが、まあ教師ではもの足りなかったかもしれんな」

「かもしれない、ではなく、実際にそうだった。お前の奇抜な話がなければ、あいつは今もその才能を発揮することなく『可愛らしいお姫様』の役を続けていただろう」


 奇抜な話というのは、魔法に科学の知識を混ぜるという、まあありふれたもの。あるいは、知っている神話や寓話をもとに魔法を構築したりするなどというものだ。

 それは純粋な俺の手柄や成果というわけではないから、なんだか素直に喜ぶことができない。


 だがそれはそれとして、あの方が天武百景に出るのか……


「天武百景に出るほどお転婆になられたのであれば、そのまま大人しいお姫様のままの方が良かった気もするがな」

「なんだ。お前は大人しい子の方が好みか?」

「そういう問題ではない、阿呆が。お転婆もすぎると、勝手に護衛を巻いて逃げ仰ることになりかねないのだぞ」


 実際、スティアがそんな感じだ。力を持っていることは大事ではあるが、その使い方というか、保有者の行動には気をつけていなければならない。


「実際、城から抜け出そうとしたな」

「シルル殿下が? ……それは冗談だろう?」


 あの方がスティアのようなことをするとは思えんぞ。


「いや、本気だ。それこそ、お前のことを探すために城から抜け出して旅に出ようとしたくらいだ」

「まさか……いや、だがそんなことにはなっていないだろうな?」

「今のところはな。お前のことを襲った奴らを処理するのが優先だとして宥めておいた。それに、天武百景に参加すると決めたからか、仕事と調査と訓練を真面目にこなしている毎日だ。そのため、今のところは大人しい限りだ。あくまでも、〝今のところは〟ではあるが」

「シルル殿下がそれほどだとは……」

「世の中、お前が知っていることばかりではないということだな」


 俺とて世の中の全てを知っているなどとほざくつもりはないが、それでも〝まさか〟という思いが強いな。


「——さて、無駄話が過ぎたな。俺はそろそろ行くとしよう」

「せっかく様子を見にきたのだから茶でも出すが?」

「街に戻ってきてそのままここに来たからな。色々とやらねばならんことが残っているのだ。それに、この街にいられる時間もさほど残っているというわけでもない」

「城へ帰るのか?」

「ああ。お前の様子を見届けたことだし、明日には帰るつもりだ。元々ここでやることは終わっているのだから、無駄に時間稼ぎもできん。少し急ぎになるが、流石に今の状況で時間を使うのは無駄だからな。おそらく、明日は挨拶に来る時間すらないだろうから、ここで別れの挨拶としておこう」

「天武百景の準備で忙しいだろうに、面倒をかけたな」


 俺の生存を確認するため、というのもあるだろうが、この忙しい時期に魔創具の再生成の方法をわざわざ教えにきてくれるとは、なんとも友達甲斐のあるやつだ。こちらから一方的に縁を切ったような状態であったにも関わらず、未だに友達で居続けてくれるというのだから、ありがたいことだ。


「だからそれは……まあいい。なんにしても、お前も天武百景に参加するんだ。なら、またその時に会うとしよう。今度は、シルルを交えてでもいいな」

「……そうだな」


 オルドスの話を聞いていると、なんだか俺の知っているシルル殿下とは違っているようで、会うのが恐ろしく感じられるな。


「ふっ。シルルの前ではそんな顔をするなよ。少し行き過ぎているのは確かだし、お前からしてみれば突然のことだったかもしれないが、心配していたことだけは間違い無いのだからな」

「ああそれは理解している。また会うことができた際には直接言うつもりだが、殿下には心配をかけたことを謝罪していたと伝えておいてくれ」

「わかった」


 頷きと共にオルドスが手を差し出してきたので、その手を握り返す。


「これから急ぎで準備して帰ることになるだろうから、お前のところに話に来る余裕はなくなる。だから、今回はここで別れだ」

「ああ。流石に一般人としても裏ギルドとしても、王太子の見送りに行くことなどできないからな。……あまり無茶はするな」

「無茶と言ったら、お前の方だろ。再開した時に怪我が増えていることがないようにしておけよ」


 そう告げると、オルドスは後を追ってきた従者達を引き連れて領主の館へと帰っていった。

 本人が言ったようにこの街を離れるのは明日になるのだろうが、おそらくはもうこの街でやつと会うことはないだろうな。少なくとも、今回はこれでしばらく会うことはないだろう。

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