第89話事後報告

 

「——おっそい!」


 宿に戻って自身の部屋に入ったのだが、その際にかけられた第一声がそれだった。

 その声が誰のものかなど、今更言う必要はないだろう。このような声をかけてくる知り合いなどスティア以外にいないのだから。


 しかし、なぜ俺はこんな声を聞かなくてはならないのだ? 突然の戦闘と、その後にそれなりに急ぎで魔法を使ったこともあって疲れがある。なので部屋に戻った後は軽く汗を流して眠りにつこうと考えていたのだが……。


 そもそも、ここは俺の部屋であってこいつの部屋ではない。こいつの部屋は他にとってあるのだが、なぜここにいる?


 スティアと一緒に部屋で待機していたルージェがいたので、そちらに顔を向けて問いかける。


「……なんでこいつはまだ寝てないんだ?」

「寝かそうとしたんだけどね。あー……ちょっと話をしてたら君のことを待つんだって言って聞かなくてね」


 話だと? いったい何を話せばこんな時間まで起きて睨もうと考えるのだ? こいつの場合、大抵のことは流してさっさと寝ていると思うのだがな。


「マリアに手を出してないでしょうね!?」


 ……なるほど。どうやら俺はその〝話〟の内容とやらをしっかりと聞き出さなければならないようだな。


「ふう……。ルージェ、話をしたと言っていたな。どんな内容を話していたのだ?」

「……やだなぁ。女の子同士の話を聞き出そうとするなんて、マナーがなってないんじゃない?」

「そうよそうよ! エッチ! 変態!」

「スティア。もう夜なのだ。隣の部屋には他の客もいるのだから、迷惑にならないように静かに話せ」

「……エッチ! 変態!」

「静かに話せばなにを言ってもいいと言うわけでもないのだがな」


 先ほどまで真剣な空気の真っ只中に居ただけに、相変わらずの態度にため息が出てしまう。


「でも、実際のところなにやってたのさ。ああ、個人的なことまで詮索するつもりはないから答えなくてもいいよ」

「そうだな……いや、話しておこう」


 マリアの個人的な話にも繋がるので黙っていた方が良いか、とも思ったが、これは俺だけの問題ではない。

 流れで関わることになったが、この問題はスティア達にも影響してくることだ。詳細まで話す必要はないかもしれないが、おおよその話の流れや今後の注意についてくらいは言っておくべきだろう。


「私、あんたの情事とか聞きたくないけど?」

「そうか。なら部屋をでてろ。なんだったらその窓から飛び降りろ。俺たちの会話など、すぐに聞こえなくなるぞ」

「こんな時間に外に出たら寒いじゃない! あともうお風呂入ったんだから汚れるのは嫌よ!」

「窓から飛び降りること自体は問題じゃないんだ」

「どうせこいつはこの程度の高さでは怪我なんてしない」


 俺の言葉に不満そうな様子を見せたスティアだったが、そんな言葉に取り合わずに軽い戯れの言葉を交わしてから本題へと入る。


「それで何があったかだが——」


 先ほど起こったことを軽く話すが、その話を聞いて最初は胡乱げな様子を見せていたスティアだったが、話しが進むなり驚いた様子を見せた。

 そして、共に話を聞いていたルージェは、こちらもかすかに驚いた様子を見せたが、すぐに何か思い当たることがあったのか納得したように頷いた。


「ああ、だからこんなに時間がかかったんだね。少し騒がしいかな、って思ったのも気のせいじゃなかったわけだ」

「えっ……そんな面白い事態に遭遇してたの?」


 ただ、なぜそうなったのかは分からずとも、何があったのかは理解できたようでそれぞれ反応して見せた。

 だが、ルージェはともかくとして、スティアの感想はどうなのだ?


「なにが面白い事態だ、阿呆。襲われる側としては迷惑極まりないのだぞ」

「でも、話を聞く限りだと、あんたの方から仕掛けてない? まだ襲われてなかったんでしょ?」


 確かに、今回は言ってしまえばただ後を尾けられただけだと言える。

 だがしかしだ。そもそも人のことを尾けるというのは良い行いではない。こんな、武器を持っていたとしても咎められない世界においては、ただ人の後を尾けるという行為だけでも十分に敵対行動となる。


「他人のことを追跡するなど、それ自体が襲っているのと変わらんだろう。お前は普段の生活を誰かに監視されていたらどうする? どこへ行った、誰と話した、なにを着てなにを食べ、いつ排泄をしていつ風呂に入り眠りについたか。それを調べられると言うのは、直接傷をつけていなかったとしても〝害〟であることに変わりないだろう?」

「ああ。それはそうね。それじゃあやられても仕方ないっか」


 最初は首を傾げていたスティアだが、俺の言葉を聞くなりすぐに納得して頷いてみせた。


 だが、かと思ったら再び首を傾げて口を開いた。


「しっかし、世の中には面白い人もいるもんよね」

「なにがだ?」

「え? なにがって、自分から倒されに来るなんて、面白くない? 彼我の戦力差なんて、一目見ればわかるもんでしょ? あ、こいつ弱いなー、とか、戦ったら怪我しそうだなー、とか。で、それがわかれば襲撃とかしないでしょ。いくら数を揃えたって言ってもさぁ」


 何気ないスティアの言葉に、俺もルージェも呆気に取られてしまった。

 何せ、いまスティアの言った言葉は常識からは外れたことなのだから。


「それ、普通の人には分からないことだよ」

「武に精通している者であれば概ね敵が強い弱いを理解することはできるが、ならばこそ見誤ることもある。自身の武は優れているのだ、負けるはずがない、とな」


 呆れたように首を横に振ったルージェの後に続いて話したが、そうだ。普通の者は他人を見ただけでその者がどの程度の能力を持っているのかなどわかるものではない。


 今回の暗殺者達のように、相手の不意をついて集団で襲いかかるしか能のない者達であれば、他者の実力を理解することなどできようはずもないのだ。

 もちろん全く分からないというわけでもないだろう。

 なかなかやるな、こいつはそれなりに戦えるだろう、この感じは戦士ではなく暗殺者の類だ。

 と、その程度のことはわかるだろうが、刃も言葉も交えずに正確に彼我の戦力差を見極めることができる者は希少だ。


「え、そう? そんなもんなの?」

「そんなものだよ。あとは、集団になっていて気が大きくなってた、ってこともあるかもね」

「それにだ。仮に敵との戦力差がわかったとしても、仕事として受けている以上は襲わんわけにも行かんだろう」


 あの騎士達に雇われてこちらを襲ったとのことだったので、仮に戦力差を理解していたとしても依頼主からの命令は逆らうことができなかっただろう。


「仕事って言っても、負けたら死んじゃうんだし、だったら最初っから挑まない方が良くない? あとで怒られるんだとしても」

「負けたとしても、襲った、と言う事実が必要なのだ。純粋に命が助かることだけを望むのなら戦わないのが正解だが、人間というのは命の他に金や名誉、その後の生活と言った保身を考えるものだ。負けそうだから襲いませんでした、ではそれらを守ることができん」

「ほあ〜。それってバカみたいよねぇ。死んじゃったら元も子もないのに」

「そう思えるかどうかが、生き残る者か死ぬ者かの違いだろう」


 獣人がどうなのかは分からないが、少なくとも人間は何もせずに手を引くということが出来ない……いや、許せない生き物だ。それが個人的な考えなのか、上司の性格なのかは分からないがな。個人としては逃げたくとも、それを上司が許さない場合もあるだろう。


 だからこそ、失敗するかもしれないと、失敗するだろうと分かっていても手を出す。


 これが個人、あるいは命令を出した上司が有能な者であれば、敗色が濃ければ手を出さずとも引くという選択肢をれるのだろうが、大抵の場合はそうではない。

 いかに失敗が見えていたとしても、そのまま引くことを悪とし、被害を出したとしてもとりあえず挑戦させ、無駄とわかっていても行動を起こすことを正義とする者もいるのだ。


 そして、そういった考えの元動いた者達は、得てして早いうちに死ぬものだ。


「それはそれとして、何か聞き出せたの?」

「特には。なぜマリアを狙ったのかを確認できたが、本人から聞いた話の裏付けになっただけだ。あとは、殺しの依頼を受けた。他に仲間がいる。その程度だな」


 衛兵が来る前に聞き出さなくてはならなかったので少々急ぎになった。そのため完璧に聞き出せたとは言い切れないが、それでも概ね必要な情報を聞き出すことはできたと言ってもいいだろう。


 その情報によると、今回襲撃してきた『樹林の影』という裏ギルドは、当然と言うべきかあの者達以外にもメンバーが存在しているとのことだ。

 もう依頼主である騎士達は殺したが、このまま手を引くのかは微妙なところだろう。話を聞き出した者の証言では、おそらくは手を引かない、と言っていた。


 まあそうだろうな。こういった争いというのは表も裏も大した違いなどない。要はプライドやメンツの問題だ。


 依頼を受けた。襲撃した。返り討ちにあった。だからもう襲わない、などということになれば、裏社会での立場が落ちることになる。


 加えて、もともと裏に属するような者達だ。やられっぱなしで手を引くなどという大人しい性格をしているわけがない。

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