1.マツリのハナシ

 列車に揺られて着いた国はお祭り騒ぎ。列車が着いた日が記念日というよりも列車を歓迎したお祭りだろう。

 こういう出迎えは素直に嬉しいし、国への期待と好感が高まるけど、いきなりクラッカーを鳴らされた時は頭が真っ白になるほど驚いた。

「こんにちは、旅人さん。僕はケリー。名前を伺ってもよろしいですか」

 正装した少年に名を聞かれたので私はナナシと名乗った。

「うちは宿屋を経営しているのでよろしかったら宿泊先にどうですか?」

 列車が発車するのは明後日。それまでの宿泊にあてがあるわけでもないから、とりあえず様子見で案内してもらった。

 まだ十歳前半ぐらいの子供に紹介された宿は清潔な部屋で、金銭的にも申し分が無かったので即決。旅の荷物を降ろした。

「よければ観光案内もしましょうか? この国について教えたいことがたくさんあるんですよ」

 国を探検するのも良いが迷子になるのは御免なのでケリーの言葉に甘えた。

 この国では牛の畜産が盛んなようで、家が何軒も立てられるほど広大な芝生が柵の先にあり、そこで牛を放牧していた。それらは私のような旅人が乗っていた列車の保存食にも使われているほど質が高く、量も多い。そんな牛の乳から作ったアイスクリームなる菓子はとても冷たくて驚いた。さらには普通の牛乳より甘くて濃厚だった。初めて食べたがとても美味しかった。

 勢いよく食べて頭に細い針でも刺されたような痛みも新鮮で良い体験だった。

 夕食に振舞われたビーフシチューも肉が柔らかくて久々の香辛料を多量に使った料理は心も腹も満たされた。


 二日目は観光がてら旅に必要なものを整えた。その手の道具や食料を扱った店にケリーが案内してくれたおかげで手早く済んで助かった。

 それからもケリーに案内されて色々な場所に案内された。昔の偉人の銅像。一面が虹のような花畑の公園。国の知識を詰め込まれた本屋。小さな体で駆け回ってこの国の魅力を全力で伝えようとしてくれているのが見て取れた。

 空が茜色に染まる頃に案内されたのはこの国で最も高い時計塔の展望台。そこから見える夕日。家族や友人と笑って帰る国民。とても心温まる景色だ。

「この国は、どうでしたか?」

 後ろからケリーが質問してきたので正直に答えた。

「色とりどりの綺麗な街並みで料理も美味しくて。何より国民がみんな笑顔なのがとても良くて温かい心が和む国だと思ったよ」

「では、この国に移住しませんか?」

 振り返った先には笑顔のケリーがいた。まるで好きな子に告白でもしているかのようだ。

「旅は常に危険と隣り合わせ。この国と同等な豊かで安全な国なんて早々ありはしません。あなたはこの国の魅力を理解している。そして僕のような少年を見下さないで対等に接してくれた。あなたみたいに誠実で心優しい人こそ、この国に住むべきです」

 観光案内している時も度々あったが、この少年の愛国心はかなり高い。この年頃なら、いや、この年頃だからなのだろう。友人をつくって遊ぶよりも好きなのだろう国のために素性の知れない旅人にもこうして臆さず提案してくる勇気には敬意も抱ける。だからこちらも正直に答える。

「では私の秘密をばらそう。少年、それが君の告白への答えだ」

 十八時を示す時計塔の鐘の音が国中に響く。私がケリーに告げる秘密を他の誰にも届かないようにしているかのようだ。

「私には、名前が無い。名無しだ」

 鐘の音の中、ケリーに届くように告げた。

「名前っていうのは枷だ。髪は染めれば変色する。顔も化粧をすれば誰だって化ける。しかし名前だけは違う。増えることがあっても減ることも変わることもない。その一言でそいつが何者なのかを決めつけられる」

 そこで大きく息を吸う。

「そんな名前(モノ)は私の旅に邪魔だ!」

 この宣言はもしかしたら鐘の音を超えたのかもしれない。

「私は行ってみたい場所に自由に行く。食べたいものも自由に食う。私は偉人になりたいわけでも、英雄になりたいわけでもない。私がただ楽しみたいだけで誰の記憶にも残らなくて良いと思っている」

 私に必要なのは何にも縛られない自由な身だから。

「私はできるだけ身軽で走り続ける。どこでどう怨まれようと、称えられようと、そんな重荷を背負わないためにも誰にも名前は言わない」

 荷物が増えればそれだけ体が重くなる。走る足が鈍って疲れたと骨と筋肉が軋む。

「私に移住のことを聞くならまず私から『名前が無い』以外を言わせろ」

 自分から枷をつけるということは、そこに私自身を定住させるということだから。

 秘密を暴露し終えたと同時に鐘の音が止んだ。

「そっか。僕、フラれたのですね」

 ケリーは悔しそうに唇を嚙みながら強がるように笑顔の表情を浮かべる。

「私情を挟んで申し訳ありません。案内人として最後まで、宿まで送ります」

 その後、二人の間で会話が弾むことはなく、夕日に照らされながら、静かに宿へと帰った。


 翌日の早朝。まだ山向こうから陽が顔を出ていない時間に荷物を纏めて階段を下る。誰もいないカウンターに部屋の鍵と硬貨を金貨二枚払った。

「その金額はさすがに払い過ぎですよ」

 厨房から現れたのはこの宿屋で給仕をしていたケリーの母親。父親が料理をしているようだ。

「いいえ。宿泊代とチップ。それに息子さんにしてもらった案内料を入れればむしろ足りないくらいです」

「では半分はあの子に渡しておきます。それとこれはそのケリーからの餞別です。こうなると予想して昨日のうちに用意していました」

 渡されたのは紙袋。触れた感触から中身は柔らかいものだ。

「できれば傷む前に美味しくいただいてもらえると幸いです」

「ありがとうございます。では、これで」

「幸運を祈っています」

 宿を出て無事、満員になる前に列車に乗ることができた。荷物を降ろして座席に腰を下ろしたタイミングで腹の虫が鳴った。紙袋を開けると、中にはサンドイッチと一通の手紙が入っていた。

『ナナシさんへ。

 僕が見送る前に列車で去ってしまうと思い、こちらで別れの挨拶をさせてもらいます。

 僕は今でもナナシさんにこの国に住んでほしいと思っています。ですが、今のあなたにこの我儘を聞いてもらえないのは、昨日の件でわかりました。

 だから、待ちます。

 あなたが旅を終えて、居場所を求めて再びこの国に来訪してくれるまで待ちます。それがいつになるのかわかりませんが、それまでに絶対、今よりもナナシさんが住みたがる国にして見せます。見てもらいますから、絶対また来てください。本当の名前も聞きたいですから。

 さよならではなく、また会いましょう。

 あなたの旅に幸運を。

 案内人の少年ケリーより。

 追伸。お弁当は父に見てもらいながら僕が作りました。お口に会うと幸いです。もっとおいしいものを振舞えるようになって待っています』

 随分と気に入られてしまったなと思いながらサンドイッチをほおばった。薄切りの牛肉に新鮮なレタス、それらを優しく挟むパン。それらが相乗効果で二つだけなのに満足感があって美味しかった。

 列車が蒸気を吹きながら線路の上を走る。

「期待しているよ。少年」

 窓から宿屋があるだろう方向を見ながら呟いた。

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