雫を温め筆を執って

蒼樹里緒

本編

 大学生になって初めての夏休み、九月上旬。俺は、貯めたアルバイト代で二泊三日の小旅行へ出かけた。宿泊先の旅館には、創作活動を支援するパックもあったからだ。

 その古き良き旅館には、幽霊が出るって噂があった。ホラー好きな俺は、そこでならきっと原稿がはかどるはず。文化祭で出す文芸部の部誌の締切に、絶対間に合わせてみせる。

 電車やバスを乗り継いで来たけど、自然が多くて空気もうまいし、つい写真を撮りまくった。旅館の入口まで続く、何本もの赤い鳥居をくぐるのもわくわくした。

 湯原ゆはら温志あつしって自分の名前をチェックインで端末に入力した時は、初の一人旅なのもあって、ちょっと緊張したけど。

 仲居さんに案内された八畳の和客室には、いわゆる『人間ヒトをだめにするソファ』まであって、到着早々気持ちよすぎて寝そうになった。危ない。

 窓から見たきれいな夕焼けや夜景も、下宿先のアパートからは絶対拝めない。車の走行音や工事の作業音が全然聞こえない環境も、小説執筆に集中するには最適だ。

 コーヒー・紅茶飲み放題、Wi-Fi・電源使い放題、源泉掛け流しの天然温泉入り放題の二泊三日が始まった。

 温泉に浸かる間も、俺は立体映像型AIで小説を書き進めていく。世界や登場人物の詳しい設定と文字数を入力すれば、あとは高性能AIが一定量の文章を出力してくれるから楽だ。自動で音声入力もできるけど、さすがに他人がいる空間でそうするのは気が引ける。十六時前までは日帰り温泉としても開放されているらしいけど、夜の入浴は宿泊客だけの特権だ。

 端末とは違って、立体映像型AIなら濡れた指でも湯煙の中でも操作できるし、故障する心配もない。何より、いつでもどこでも作業できる。最高の道具ツールだ。

「兄ちゃん、熱心だなぁ。あんまり浸かってると、のぼせちまうぞ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 上がっていくおっさんに声をかけられて、俺は苦笑を返す。

 気づけば、自分以外の客はいなくなっていた。

 もうちょっとキリのいいところまで書いてから上がろうと、立体映像のキーを叩き続ける。小説のデータは、ネットワーク上のクラウドに自動保存される仕組みだから、書きかけでも問題ないっちゃないけど。

 昔は歴史的に有名な文豪たちもくつろいだらしい温泉を出て、脱衣所で着替え始める。朱色の浴衣と鶯茶うぐいすちゃ色の褞袍どてらを着て愛用の眼鏡をかけると、不意に電灯と立体映像が全部消えて真っ暗になった。

 ――停電か? うわ、AIも止まったし……ホラーっぽい展開なのはいいけど。

 どの道、電力が復旧するまでは続きが書けない。一応持ってきていた連絡用端末を起動しようとしても、なんでか電源が入らなかった。

 ――しょうがない。暇潰しに読書するか。

 脱衣所の隣には、小説・漫画・雑誌が自由に読めるラウンジのような空間があった。そこにも廊下にも、俺以外誰もいない。停電したならちょっとした騒ぎになりそうなのに、静かすぎる。

 壁に取り付けられた非常用懐中電灯を借りて、その明かりを頼りに本棚を眺めた。適当に薄い一冊を手に取って、ソファに座る。ここのも、人間をだめにするやつだった。

 文庫サイズのその本は、小説っていうよりも手記みたいだ。


「○月×日

 国内のAIイラスト自動生成サービスが、SNSで大炎上した。

 そりゃあそうだ。AIで自動で創るものなんて、人間の心が入ってないし面白味もない。

 普段創作活動しない連中は、手軽にものづくりができて大喜びしてるみたいだけど。自分で一から生み出す苦労を知らないまま創作するなんて、恥を知れ。

 私は、AIなんかに絶対頼らない。死ぬまで自力で小説を書き続けてやる」


 ――うわ、AI反対過激派っぽいな……。

 適当にめくった最初のページを何行か読んだだけで、俺は引いちまった。

 今はAIを利用した創作活動が主流になって、アナログや紙媒体の創作物の稀少価値が高まった時代だ。この手記が書かれたのは、きっとAIサービスについて一番賛否両論が激しかった頃だろう。リリース初期は、散々だったし。

 その後の文章も、AI創作物についての愚痴や恨み言が延々と書かれていて。そっと本を閉じて、棚に戻した。

 俺ハ、何モ見ナカッタ。そういうことにしよう。

 ――あーあ、おとなしく部屋に戻るか。

 まったり読書する気分じゃなくなった。たまたま手に取った本が悪かっただけだろうけど。

 廊下を進んで階段を上る間も、やっぱり誰ともすれ違わなかった。さすがに不自然だ。部屋で待っていれば、電力も復旧して館内放送で報告もされるだろうか。

 部屋の鍵を開けて入ると、さらさら、カサカサと小さく音が聞こえた。

 ――え、俺、窓も鍵閉めて出たよな……? てか、閉め忘れた場合でも、退室後十分以上経ったら自動的に閉まるって仲居さんも言ってたし。ネズミでも出たのか?

 停電の上に野生動物の侵入なんて、勘弁してくれ。

 内心げんなりしながら、懐中電灯を音のするほうに向ける。

 そこには、藍色の浴衣と赤地に白い団子柄の褞袍どてらを着た女がいた。

「いや、誰だよ!?」

「は? あんたこそ誰?」

 眼鏡と首にかけた手拭いがずり落ちるかと思った。

 畳に勝手に寝そべった二十代後半くらいの短髪女は、紙のノートに何かを書き留めているみたいだ。俺は電子機器しか持ち込んでいないから、本人の私物か旅館のレンタル品だろう。

「ここ、俺の予約した部屋なんですけど!? お間違えじゃないですかね!」

「私だって、この部屋に泊まってたの!」

「泊まって? なんで過去形? てか、鍵閉まってたのに、どうやって入ったんだよ!?」

「わかったよ。説明すればいいんでしょ?」

 めんどくさそうに、女はノートの一ページに何かを書いて俺に見せた。寝そべった姿勢はそのままで。

「――三途河みとかわしずく?」

 ご丁寧に、ふりがな付きだった。

「そう、私の筆名ペンネーム

「本名じゃないんかい!」

「教えたところで、どうにもなんないから。あんたは?」

「……ペンと紙、貸してください」

 彼女の名前の横に、俺は本名をふりがな付きで書いた。

「湯原温志くんね。学生さん?」

「はい。文化祭で出す部誌の原稿を書こうと思って」

「へぇ、読んでみたいな」

「停電中だと見せられませんよ」

「なんで? 紙じゃないの?」

「大学の講義も全部端末でやる時代ですし、AIのほうが楽ですから」

「よりによってAIぃ~!?」

 急にガバッと体を起こして、三途河さんは鬼みたいな形相ぎょうそうになった。

 至近距離でガン見されて、俺も思わず腰が引けちまう。

「そ、そんなに驚くことですかね?」

「AIで自動で創るものなんて、人間の心が入ってないし面白味もないでしょ」

 ハッとした。その言葉には、覚えがありまくる。

「あの本棚にあった手記、あんたのかよ!」

「え? あー、そんなのも書いてたね」

「なんでそんなにAIが嫌いなんですか……」

 ため息まじりに聞く俺に、彼女もしぶしぶ口を開いた。

「昔、この旅館に泊まった時、食中毒で病院に救急搬送されたんだよ」

「マジですか」

「夕飯で出た金目鯛の活け造りに、ヤバいウイルスが付いてたみたいでね。運悪く、そのまま病院で死んだよ」

「ってことは……あんたは幽霊?」

「そうなるね」

 さらっと言われても、すぐには信じられない。まあ、密室のはずだったここに侵入できている点は怪しいけど。

 噂通りに幽霊が出たんだとしても、この展開はなんか違う、そうじゃない。

「俺、霊感ゼロですけど。なんでえてるんでしょうね?」

「さあね。で、私は冬コミで売るオリジナル読切短編小説の原稿を書いてたんだけど、未完の遺作になっちゃったんだよね。その未練が、どうしても断ち切れなくてさ」

「なるほど」

 ノートには、その小説が書かれているわけか。

 未練を持ったまま、この人は旅館に居座り続けているんだろう。こうしてナチュラルに会話できるなら、悪霊や怨霊じゃなさそうだし、俺にも成仏の手助けができるんじゃないだろうか。

「あの、俺も続きを書くの手伝いましょうか?」

「は? AI創作物を肯定する奴の手なんか、借りたくないし」

「えぇ……?」

 あの手記の通り、三途河さんはAIを断固拒否する方針らしい。

 彼女がその考えになった理由を知らないと、俺も納得できない。

「手記に書いてあった、AIイラスト自動生成サービス大炎上のせいですか?」

 AIで小説が自動生成されるサービスが始まった時、俺の胸は躍った。

 ――マジ? 書いてる途中で話の展開に行き詰まっても、AIが書いてくれるってことか!? これで手間が省ける!

 早速公式サイトにアクセスした。

 AIが認識できる文章量は、無料版だと三千字から四千字程度。既に書かれている文章の口調や書き方、フォーマットを真似しようとする。最低でも四、五十行程度のインプットが必要。多少の添削も手動でしながら書き進めるらしい。場面転換までしてくれるなんて有能だ。

 ――こういう便利なツールを待ってたんだよなぁ。

 新規登録して書きかけの小説を試しに流し込むと、すぐに続きの展開の文章や台詞が出てきた。自分でプロットを用意していたけど、途中で展開が気に入らなくなってずっと放置していた。

 結構いい感じだし、補助としてAIも使っていけば完成できるかもしれない。

 学校の課題なら、当然AIに頼らず自力で書き上げるけど。小説は今のところ趣味の範囲だし、使えるものは遠慮なく使う。

 AI開発者やサイト運営スタッフに感謝しまくった。

 ――AIがどんどん進化していけば、作業効率が上がるし楽ができるなぁ。

 実際に使ってみて、俺は満足していた。そのサービスは、小説書きにはむしろ歓迎されたような風潮だったのに。

 三途河さんは、うんざりしたような表情かおになる。

「絵を描かない奴らがあれを使ってトレパクし放題になるって思ったんだよ、当時は。運営は、サービス利用者の善意と性善説を信用しすぎてた」

「いや、公式サイトのガイドラインに『アップロードしたイラストに権利侵害があった場合は、元の権利保有者に権利が帰属します。他人のイラストを勝手にアップロードしないでください』ってハッキリ書いてあったじゃないですか。あと、AIが流行る前からトレース盗用問題なんていくらでもありましたたよ。人間の悪意のせいでしょ」

「他人に勝手に使われたり自作発言されたりするのが嫌なので、私の描いた絵はAI学習禁止です、って言ってた絵描きにも同情したわ」

「現行法でも、AIによる学習は禁止できませんよ。その言い分だと、たとえば大手検索エンジンに使われてるAIだってアウトになるじゃないですか。ほかの用途はよくて絵だけダメって、個人の好き嫌いの問題でしかないですよね」

「AIの描いた絵が、コンクールやコンテストで受賞しまくる未来なんて見たくなかったなぁ」

「小説の場合、あのイラストサービスが出る数年前から、AIで書かれた作品が受賞してましたよね? それでプロ作家やアマチュアの小説書きが毎回ギャーギャー騒いでるのなんて、全然見たことないですけど」

「AI創作物の投稿を許容するサービスも、創作者の敵だよ」

「じゃあ、そのサービスを退会して個人サイトやポートフォリオでも作ればいいんじゃないですかね。SNSが流行る前は、それが主流だったんですし。ものづくりの努力はできるのに、そういう労力はかけたくないんだなって思いましたね」

「イラストも全部AIで描いた疑惑を持たれたくないからって、タイムラプスを毎回載せる手間まで増えた絵描きたち、かわいそー」

「魔女狩りかよ。現代から中世にタイムスリップするの、やめてもらっていいですか?」

「AIのせいで絵描きの仕事が奪われる、って人も多かったね」

「絵描き以外の職業についてはガン無視ですか、そうですか。たとえば作曲AIもあるけど、その影響で作曲家や音楽家の仕事が奪われることはないって音楽関係者が言ってるインタビュー記事も出てましたよ。そういう人たちには、ぜひ読んで欲しいですね」

「補助的な使い方だけならともかく、AIで長編小説が最初から最後まで完璧に生成できるようになったら、私もAI嫌いになるかも……」

「そうなった今でも、俺はAI出力後に自力で修正して、自分が思う最高の物語ストーリーにしてますけどね」

 俺が言い返すたびに、三途河さんの眉間のしわが深くなっていった。ペンを握る指も、それをへし折りそうなくらい震える。

「何なの、あんた!」

「AIを有効活用してる小説好きの学生ですよ。一意見なんで、三途河さんがAI嫌いなのを変えようとは思いませんけど、こういう見方もあるってことで」

 絵や小説やその他の創作物を『人間にしか生み出せない高尚なもの』って捉える考え方があるのもわかるけど。ぶっちゃけ、それはもう古いし時代遅れだ。

「ほんと、一部のクソデカボイスの有名絵描きは、どんな意見だろうが大量の信者が賛同、扇動してくれるから楽でうらやましいですよね。俺みたいなアマチュアの小説書きなんて、ほぼ人権ないようなもんなのに」

 ついみにくい卑屈からの嫉妬が湧き上がっちまって、ため息を吐き出す。

 三途河さんも、それについては多少共感してくれたのか、何も言い返してこない。

「確かに、新技術が世に出ると賛否は出るし、よくも悪くもでかい衝撃を受けるでしょうね。たとえば、カメラや写真が発明された頃、風景画をメインに描いてた画家とか。タイプライターやワープロが発明された頃、原稿用紙に小説を手書きしてた作家とか」

 この旅館で食事や温泉を楽しみながら原稿を書いていた文豪たちも、きっと例に漏れない。

「ただ、創作にも役立ついろんな文明の利器を作ってきたのも、また人間ですよね。個人の感覚でAIを嫌うのは仕方ないことですけど、それを創作に有効活用する人のことまでいちいち否定しないで欲しいんですよ、俺は。ノートや原稿用紙に手書きするやり方も、その人に合ってるならいいと思いますし。今までの日常生活でパソコンやスマートフォンやタブレットやアプリやソフトを一切使わないで創作してきた人なら、AI創作物を否定する権利があると思いますよ。そんな人も、現代にはほぼ存在しないでしょうけど。三途河さんは、ずっと手書きだったんですか?」

「……パソコンは使ってたよ。AIが流行り出す前からね」

「ですよね」

「でも、それとこれとは――」

「自分で考えた世界やキャラの設定をAIに読み込ませてストーリーを出力するのも、『自分で一から創ってない』ことになるんですか? 設定を考えるのだって、立派な創作だと思いますけど」

「うぐっ……」

 三途河さんは、ばつが悪そうに言葉を詰まらせた。

「俺は『自分の脳内にある世界を表現する』ために、小説って手段で創作してるだけです。AIにほぼ完璧な世界を出力してもらえるなら、そのほうが断然いいですし。でも、三途河さんみたいにAI技術に嫉妬して悔しがる気持ちも、創作の原動力にはなると思うんです。創作物は必ずしも楽しい、明るい感情からだけ生まれるものじゃないですし」

「どんなに便利でも、私はAIを使おうとは思わない。自分がほんとに燃えて萌える作品は、自分にしか生み出せないんだから」

「そう、それ。俺も同じ気持ちです。どんな道具や方法で創作しようとね」

 俺は一次創作オリジナルでも二次創作ファンフィクションでも、そういう心意気で小説を書いてきた。たとえサッパリ見向きもされなくても、自分が楽しいから、生きた証として遺したいからって動機で。そこにAIを道具ツールとして取り入れたところで、創りたいものも方向性も今までと変わらない。

「だから、ちょっとだけでもいいんで、三途河さんの原稿を手伝わせてくださいよ。たかが学生が色々偉そうに説教くさいこと言っちまって、申し訳ないですけど」

「……まあ、いいよ。あんたの考え方もわかったし、勝手に部屋に上がった私も悪いから」

「ありがとうございます!」

 態度を軟化してくれた三途河さんに、俺はほっとして頭を下げた。

 創作のための夜更かしや徹夜なら、元々どんとこいだ。

「で、未完の小説はどんな内容なんですか?」

「現代もののホラー。白蛇を使い魔にしてる女子高生が、悪霊退治する話」

「マジですか! 俺もホラー大好きなんですよ」

「そうなの?」

「文化祭用の原稿も、旅館が舞台の和風ホラーにしようと思ってるんです」

「それを早く言ってよ、助かるわ。私も、ホラー苦手な人にわざわざ手伝わせようとは思わないし」

 さっきまでつんけんしていた三途河さんは、温泉に浸かった人みたいなやわらかい笑顔を見せてくれる。

 旅館の一室で初対面の男女が二人きりなんて、ほんとはよくないんだろうけど。相手は幽霊だし、せっかくできた縁なんだから、本人が満足するまで付き合おう。

「純文学の怪談だと、泉鏡花の表現がほんと秀逸だと思うんだよね」

「わかります。大学の講義で読んで、わくわくしましたよ」

 俺たちは共通の趣味ですっかり意気投合して、三途河さんの小説も夜明け前には仕上がった。たまには、AIなしで創作するのも意外といいもんだ。

 宿泊初日に旅館が停電して幽霊と遭遇するなんて、ついているのかいないのか微妙だけど。彼女と過ごした時間は、間違いなくめちゃくちゃ楽しかったんだ。


   ◆


 いつの間にか寝ていたみたいで、目が覚めた時には窓から朝の光が射していた。

「三途河さん……?」

 布団も敷かないで畳に寝転がっていたせいで、体を起こすと節々が痛む。

 女性作家の幽霊は、いなくなっていたけど。机には、本人のノートが置かれていた。そこには、しおり代わりなのかポストカードが挟まっている。

 抜き取ると、片面に三途河さんのきれいな字でメッセージが書かれていた。

「楽しかったから、この小説は私たちの合作として、温志くんが発表していいよ。手伝ってくれて、私の未練を断ち切ってくれて、ありがと」

 もう片面には、鮮やかなフルカラーイラストが描かれていた。寝そべってペンを手に小説を書く三途河さん。創作のネタでも考えているかのように、腕組みをして立っている俺。旅館やその周りの風景、備品、料理。

 本人が描いたのかどうかはわからないけど、全部があまりにも一致していて。実質遺言だろうメッセージとあわせて見ると、胸と目頭めがしらが熱くなった。温泉に浸かった時よりも、ずっと。

 怪奇現象とはまた違うけど、この不思議な体験も、きっといい思い出になる。今と昔の文化が融合したこの旅館だからこそ、時空の狭間はざまみたいなものが発生して、三途河さんとも出会えたのかもしれない。

 ノートに書かれた小説を何度も読み返しながら、俺はちょっとだけ泣いた。

 そして、十月中旬に大学の文化祭が開催された。文芸部の部長に原稿のページ数増加を頼み込んで、部誌には無事にあの短編ホラー小説が掲載された。

「温志、このあとがきにある三途河雫って誰だよ」

「ついにおまえにも彼女が……?」

ちげえよ。でも――」

 からかってくる友達に、俺は爽やかな秋空を見上げて笑った。

「旅館で知り合った、面白い人だよ」

 旅館から持ち帰ったノートとポストカードは、今も大事に保管している。

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雫を温め筆を執って 蒼樹里緒 @aokirio

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