Ⅺ
扉を潜って玄関から上がりこみ、短い廊下を進んだ先には奇妙な空間が広がっていた。
室内には色とりどりの液体が入ったコップが床と四方の壁に設けられた棚一面に所狭しと置かれていた。
緑、橙、茶、紫、黒。透明なコップは中に入っている液体に彩られていた。室内を照らす蛍光灯から発せられる光の仄暗さのせいか、さながら実験施設のようだった。見た範囲で言えるのは、大量の液体が保存されているという一点において、倉庫の役割を果たしていることくらいだろうか。
そんな一見、窮屈にも見える室内を、怪人物はゆったりとした足どりで床の間にあるとおぼしき細道を歩んでいく。部屋に入る前のところで立ち止まっている僕から見てまっすぐ進んだかと思うと、突き当たった壁の前でピタリと止まった。僕が後を追おうか悩んでいる間、男は手にしたメロンソーダを緑色の液体が集まった棚の一角に置いた。隙間などなさそうなほど、棚の中にはぎっしりとコップが詰まっている上に、容器を寄せて空間を作るそぶりをみせていないにもかかわらず、新たなコップがピッタリとおさまる様は魔法じみていた。
一作業を終えた男はしばらくの間、その場で立ちんぼになっていた。
いったいこれはなんなのだろう。訳のわからなさが胸の中で急激に増殖していくのを感じながら、僕は何をしていいのかもわからないまま、一歩も動けずにいた。
どれだけ時間が経っただろう。ふと、怪人物がゆっくりとこちらへと振り向きはじめた。そう言えば男の顔を見たことがなかったなと、この時になってようやく思い当たる。外見というものが特段関心を寄せる対象ではなかったせいもあり、気にも留めていなかったというのが正しいだろうが、それにしても今まで一度も真正面から向き合っていなかったというのも変な話だと不思議に思った。そうこうしているうちに怪人物の顔面がこちらの視界におさまる。
そこにあったのは一つの
ひゅう、という音が耳に入ってきたかと思ってすぐ、僕は尻餅をついた。少し遅れて耳に入ってくる音が自らが発したものだと気付いた時には、ゆったりとした足どりで洞がこちらに近付いてきている最中だった。僕は廊下へと後ずさる。この時になって、自分が腰を抜かしたのだと理解した。つまり、なにをしているのかといえば逃げているのだと。その間もじりじりと男との距離が詰まっていく。
速く、ただただ速く。這いずるように手を動かしていくが、もどかしいほど遅々とした後ろ歩きとなった。とはいえ、千里の道も一歩から、という通り、進んでいれば目的地には近付いていくものであり、僕の身体は玄関にたどり着いた。後は外に出て走り去るだけだと思った時には怪人はもう目の前にいた。洞は既に眼前にあった。
知ってるぅぅぅぅ?
どこから響いているかわからない言葉の意味が、耳か、あるいは直接頭の中に響く。いや、ただ単に意味を認識しただけかもしれない。とにもかくにも、僕はそのように認識した。また、ひゅう、という音が漏れだす。なにをと聞き返す間もなく、
人間っていうのはたくさんの液体が詰まった筒なんだよぉぉぉぉ。
新たに発せられた言葉を認識させられ、数瞬後に自らの運命を悟って……
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