Ⅴ
あのファミレスの件から半年ほどあとのことだったと思う。この頃になると、僕もネットカフェのシステムにも慣れはじめ、時には一人で利用もした。
友人といるのはもちろん楽しい。その一方で、ずっと誰かとべたべたしているのも気持ち悪い。そんな具合の自意識を抱えていた。今になってみれば、我ながらガキだなと感じる一方、そんなものだろう、とも思っている。
とにもかくにも、一人でネカフェのオープン席を借りた僕は、持ってきた漫画の新刊をぱらぱら捲っては、きりがいいところに差しかかる度に立ち上がり、ドリンクバーへと向かって戻ってくるのを繰り返した。
心の傷のできるきっかけの一端は、この飲み物が出てくる魔法の機械ではあったものの、だからといって、ドリンクサーバー自体に苦手意識を持ちはしなかった。それだけ、僕はこの機械が好きだったんだろうと思う。
この頃の僕はドリンクバーの脇に中華スープや梅昆布茶ができる粉が入った包みなどが置いてあるのを知ったばかりで、粉から溶かすタイプのものを試して飲むのに夢中になっていた。異様に濃く調整されている味が、若い舌によく馴染んだというのもあるだろうが、自宅の料理とはまた別の、ジャンクフードにも似た安っぽさを気にいっていたのだ(こうした安っぽさ的な嗜好は、ドリンクサーバーから出てくる飲み物にも通ずるのだろう)。
そして、お湯を注ぐ前準備として紙コップに中華スープの粉をパラパラ入れている最中、横からのそりと黒いスーツ姿のサラリーマンが現れ、まだ誰もいないドリンクサーバーの前を陣どった。
この男が例の怪人なわけだが、前回と同じく、この時点では特段注意を払っていたわけではない。なにせこの国にはスーツを着た男性なんてごまんといるうえに、外見だけでいえば怪人は決して目立たなかったから。
だから、気付くの行動したあとになる。たぶん、コップ内の水表面の泡立ち方からしてカフェラテ辺りだったと思う。ボタン一つで定量まで自動で注がれた飲み物を注ぎ終わると、男は鈍重な動作でサーバーの前から退いた。僕はぶつからないように注意を払いつつ、コーヒーやカフェラテと同じサーバーの端にあるお湯の注ぎ口の下にコップを置いてから、ボタンを押した。
直後、既視感をおぼえた。この感覚の正体はいったい、なんなのか。記憶の中にある似たような状況を漁れば応えはおのずと出てくる。とっさに男の方を見れば、やはりネットカフェの玄関口に向かっている途中だった。お湯を注ぎ終わったあとの中華スープを手にした僕は、前回と同じように男の後を追いはじめた。なにを考えいたのかは、今を持って思い出せない。
お支払いですか、お客様。我に帰ったのは、会計カウンターで声をかけられた時だった。僕はとっさに店外に出たばかりの男を指差そうとしたが、すぐさまファミレスでの件がチラつき、踏みとどまる。
つかぬことをお伺いするのですが。
はい。
不思議そうにする丸い眼鏡をかけた若い男性の店員さんの顔を見ながら、扉の外にある男の後ろ姿を指差す。
あちらに人がいるのが見えますか?
どう聞いていいのかいまいちわからなかったものの、とりあえず僕自身が見えているものを口にすることを選んだ。店員さんは首を横に捻ったあと、いえ、と応じる。
誰もいない、と思いますが。
ありがとうございます。変なことを聞いてしまってすみません。
聞きたいことは聞けた。そう割り切ったあと、僕は、ドリンクバーの横に置かれている粉の在庫にトマトスープがないかというような質問をして、お茶を濁した。
やっぱり、あの男は僕以外には見えていないのだ。それがあらためて確認できただけでも良しとしよう。自らに言い聞かせ、店員さんと別れ、席へと戻っていった。途中に味見した中華スープの一口目は、混ぜていないままなせいか薄く感じられた。
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