Ⅲ
その後、店の奥に連れて行かれて散々絞られた。とはいえ、不幸中の幸いか、厳重注意だけで済んだ。加えて、この日は珍しく一人で来店していたことと壮年の店長さんの配慮(若い女性店員の苛烈な詰め方に思うところがあったのか)からか、両親に事件が伝えられもしなかった。もっとも、噓吐き扱いはそのままだったから、店長さんの、もうしないようにね、という優しい声には多分に思うところはあったのだが。
僕が食い逃げしようとしたという前提で話を進めないでください。僕より先に、あなたたちの店の食器や飲み物を外に持ち去ってしまった男がいるんですよ。そんな本音が胸の中にありはしたが、仮に訴えたところで、こちらの無実を証明する手段がない以上、ただただ印象が悪くなるだけだというのはいやでも理解できていたため、色々と飲みこんで申し訳なさをよそおった表情を作り、呑みこんだ。
……あれからもう、何年も時が経った。例のファミレスの店員さんも大分入れ替わったかもしれなかったが、いまだに再訪はかなっていない。というよりも、どうにも気が向かない。僕自身の住所も変わっていないから行こうと思えばいつでも行けるし、時折、友人や両親と飯を食いに行く時の候補に上がる時だってある。しかし、あの日以来、件の店への誘いは例外なく断わっていた。
ドリンクバーで選べる飲み物がそんなに好みじゃないんだ。なんて気どって断わるが、実情は大きく異なる。ただただ、あの空間に行くと当時を思い出して、最悪な気分になりそうだというだけだった。
こうしたトラウマを抱えた僕は、しばらくの間、ファミレスというもの自体を恐れていた節がある。当時の僕の友人たちは、育ち盛りの少年ばかりであり、放課後の遊びと食事は切っても切れない関係にあったため、この心の傷跡は友人たちとの付き合いにも、少なからぬ影響をもたらした。件のイタリア料理系のファミレスがお値段的にも比較的手頃であるともなれば、必然的に学生の用いる外食の選択肢の一つとして比較的多くあがることとなる。そんな状況に曝された僕はといえば、時が経った今でさえあの店に行けないのだから、失敗の記憶が生々しい当時など推して知るべしだろう。結果的に付き合いの悪さにも繋がり、徐々に人間関係の風当たりが厳しくなっていき、気分も沈んでいく。半分以上の世界を、学校の友人に預けている頃における親しいものたちとの間にできた溝ともなれば、命にかかわる。少なくとも、あの頃はそう考えていた。
そんな僕を見かねたらしい友人の一人がある日、いいところに連れて行ってやると力強く告げた。いいところってどこのことだろう。当然のように浮きあがった疑問に、友人はにかっと笑ってみせた。
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