霞むダイヤモンド

西野ゆう

第1話

「またなくなった……」

 最初の頃は、ただ単に私が忘れただけだと思っていた。

 水族館で買ったシャープペン。同じく消しゴム。

 ショッピングモールのイベントでもらったクリアファイル。

 金額にしたら大したことないものばかり。

 今日なくなった裁縫セットも百円均一の店で買った物だ。

「どうかした?」

 特に仲が良いわけでもない、隣に座っているだけのクラスメイトが、溜息を吐く私に首を傾げて見せた。

「ううん、なんでもない。今日は一段とかったるいなあって」

「ああ、だよねえ」

「だね」

 本当に仲が良いわけでも、悪いわけでもない。そんな彼女に対しても、疑いの目で見てしまう。そんな私が堪らなく嫌だ。

 悔しさと悲しさと情けなさで、私の血液が透明になって目の周りを覆い始めた。

 ダメだ。私の物を盗んだヤツに、こんな顔を見せたら喜ばせるだけだ。

 私は教室を出て廊下を速足で歩いた。

 廊下の窓は換気のために全部開けられている。私の味方をする春の風が、涙を拭う仕草から感情を吹き飛ばしてくれた。誰が見ても、埃か花粉のせいに見えたに違いない。

 私は泣いてなんていない。こんなことに負けたりしない。

 卑怯者になんて屈しない。


 私の強気なその誓いが呼んだのだろうか。トイレから戻り、次の授業の準備をしようとした私の机の中から、一枚の紙がひらりと膝に落ちた。

 ――今日の天気はダイヤモンド。いつも決まって鐘がなる五分前に降るダイヤモンド。アクション映画も、クラシックも、列車の旅もダイヤモンドと同じ場所。

「なに、これ?」

 意味は分からないが胸を妙にざわつかせる。きっと何かの意味がある。そんな暗号のような文章の後に、今日の日付と「どうしようもなく意気地のない、あなたのクラスメイトより」という一文が書かれている。それだけの手紙。

 私は、春霞で白く見える遠くの海を窓越しに眺めた。空は快晴だが、視界はきらびやかではない。

「この天気がダイヤモンド?」

 違う。そういうことではない。

 どうしようもなく意気地のない、という言葉が、この手紙の差出人も霞で覆っている気がする。

 見せたいものをはっきり見せられない。伝えたいことをはっきり伝えられない。そんな気持ちが込められているようだ。

 天気がダイヤモンドと言いながら、次の文ではあたかもそれは場所であるかのように書かれている。アクション映画、クラシック、列車の旅。

 そして、わざわざ書かれた今日の日付。机に忍ばせる手紙に必要のない情報だ。

 次の授業まであと五分。しかし、当然ながらダイヤモンドは降ってこない。

 手紙の内容と、差出人が誰なのか。そんな思いに頭の中を埋め尽くされた授業が終わるまであと五分。

 やっぱりダイヤモンドは降ってこない。

 その後学校では、アクション映画を目にする機会はなかった。放課後になって吹奏楽部が奏でるクラシックを耳にし、列車の旅とは呼べない電車に乗っての家路にはついたが、何も起きなかった。

「ただいま」

 疲れた。今日はいつも以上に。もちろん裁縫セットがなくなったのも理由のひとつだが、変な手紙に振り回された疲れが大きい。

「おかえり。ごめんね、ママもちょっと前に帰ってきたばかりだから、ご飯ちょっと待ってね」

 炊飯器のスイッチを入れた母は、いつも丁寧に食事を作ってくれる。今日のメニューは聞かない。楽しみが減るから。ただ、台所に立つ母の姿を見るのは好きだ。

 何かしらの葉物野菜を水で洗い、まな板の上に乗せ、ざくりと包丁で刻み始めた母に「今日の天気はダイヤモンドってどういうことかな?」と聞こうとして、やめた。高校生の娘がする質問としては馬鹿馬鹿しすぎる。

 私はとりあえずソファーに身を投げ、テレビの電源を付け、新聞を手にした。

 その新聞の日付を確認する。我が家では昨日どころか一昨日の新聞が当たり前にテーブルに乗っていることもある。二月二十七日。確かに今日の新聞だ。

「今日は二月二十七日。……今日の天気。……今日の新聞」

 急に全てが繋がった。新聞のテレビ欄を見る。一日数回、五十五分に放送される天気予報を表す四角で囲まれた「天」の字。その「天」の字の前にはひし形がある。ダイヤのマーク。

「アクション映画と、クラシックと、なんだっけ。……ああ、列車の旅」

 それぞれの番組名の前には、四角に囲まれた「SS」の文字。

「イニシャル、かな?」

 クラスでイニシャルが「SS」なのは一人だけ。

 私は家を飛び出し、隣の家のチャイムを押した。

「……やあ」

 私の家から夕飯のメニューが予測できるような香りが漂ってきた頃、ようやく出てきた幼馴染の手には、これまで私がなくしたものが入った紙袋が握られていた。

「手紙入れたのも?」

「うん。ごめん」

「どうして……」

 答えは聞かなくても分かっていた。そんな彼を私は許せても、同じ時間を歩くことはない。なぜまだ彼はこんなにも子供なのだろう。

「ダイヤモンドなんて降らないんだよ」

 手を出した私に、彼は「ごめん」と繰り返すだけだった。

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霞むダイヤモンド 西野ゆう @ukizm

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