第9話 傷つけられたのは誰の心? 「恋と鍋」
「こんなもの入れたのは誰なの」
ハナちゃんが箸で持ち上げたのはグズグズに崩れたドーナツだった。いや、持ち上げたらグズリととろけてしまった『かつてドーナツであったもの』なのだが。
残りの3人が笑い声をあげるが、ハナちゃんは渋い顔で言う。
「いくら何を入れてもいいっていう決まりでも、もうちょっと鍋のルールにのっとってよね」
ツトムが首を傾げて笑う。
「鍋のルールですか」
俺は笑いながらもハナちゃんの援護をする。
「確かに。やっぱり鍋の味を根本的に崩すものと、煮込みに耐えられないものはアウトだな」
「でもね。これはもっと駄目です」
フーちゃんが箸で持ち上げ、外へ出したのは陶器でできた食パンだった。
「これに較べればドーナツは遙かにセーフでしょう?」
「つまり、ドーナツはフーちゃんか」
ツトムが指摘して、自らはカットした白菜を鍋に投入する。
「えへへ、バレましたね」
「すまん。偽の食パンは俺だ」
俺が白状すると、ハナちゃんが「もうっ」と睨みながら
「何かちょっと見、美味そうじゃないか?」
俺の言い訳は誰の賛同も得られない。
「後は、豚肉、鶏肉、ソーセージも入ってるわね」
ハナちゃんが鍋をお玉であらためる。
「ソーセージは味が強く出過ぎるんで、あまり良くないんだけど…まあいいか」
「厳しい。ハナ鍋ルール」
ツトムが言って、みんなクスクス笑う。
肉、魚、ソーセージ、野菜各種もろもろが入った鍋にみんなで箸をのばし、ビールを飲む。場が盛り上がってきた。…というとき事件は起こった。
「あ、灯が」
灯りが消えた。アパートの外を見ると真っ暗だ。
「停電ですね」
フーちゃんが言う。
「鍋がだいたい出来上がってからで良かった。ムグムグ」
ツトムが何かを食べながら言ったので、俺は驚く。
「何も見えない状態なのに、よく食えるな」
ツトムは平然としたものだ。
「これが闇鍋の醍醐味だね。何が当たるかわからなくてスリルがある」
「うう、鍋にスリルなんて求めてないわよ」
この嘆きはハナちゃんだな。
「…モグモグ、あれ、ドロリと甘いものが…なんだろ」
泣きごと言ってたはずのハナちゃんも、言葉とは裏腹に食事は続けていたようだ。
「俺、大福入れてみたんだけど」
「もう。太郎はなぜそんな悪ふざけばかり!」
「ワハハハ、こういうのがないと『何でも鍋』が面白くないだろ」
俺も鍋を探り、当たったものを器にとってフーフーしてから口に入れた。
「当たりだ。カニだ!カニ。やはり真面目に生きているといいものが当たるんだよ。ハナちゃん」
ププッと吹き出す音が聞こえて、フーちゃんの声がする。
「それはカニカマですね。私入れましたから」
「ハハハ、太郎の馬鹿舌だ」
ツトムがからかって一同また笑う。
『何でも闇鍋』が進み、同時にアルコールの進み方も早くなった。
どれだけ飲んだかが判らないので、グイグイいってしまう。
「む、何だこれは。堅いものをつかんだぞ」
俺が言うと、ハナちゃんが「もうっ」と怒りの声を出す。
「誰なの。食べられないもの入れた人が太郎の他にもいるのね」
「…すみません。それ、私のお箸です」
フーちゃんの消え入りそうな声だ。
「あっ、ごめん。お互いでお箸をつかみ合っちゃったんだね」
「いいえ、…私こそ」
何かフーちゃんの声がいつもと違うな。ちょっと酔っ払ったのかもしれない。
「あの…」
「何だ何だ。フーちゃん、まさか太郎に告白か。鍋の最中に」
ツトムが吹き出しながら言う。
「えっ?…えっと、えっと」
フーちゃんの様子がいよいよおかしい。
「もうっ!
これはハナちゃんの声だ。
「ええええ。そ、そうなの」
鍋の最中に告白を受けるとは。
フーちゃんの恥じらうというか、ちょっと酔いの回った声がする。
「で、でもそれは言えなかったの。だって
「それはいいの!蕗!」
「でもきっと太郎さんは華の方が…」
「そんなことないよ。絶対、太郎は蕗の方だよ、蕗」
「ううん。やっぱり華の」
「違うって、蕗」
暗闇の中、俺はほぼ無視され二人で話し合いが進んでいる。
何だ何だ。この展開は。
「あのさ」
ツトムの声が闇に響く。
「じゃあ、二人とも太郎のことが好きってこと?」
「…うん」「はい」
…俺、モテモテじゃん。なのにこの『蚊帳の外』感。
ツトムの声が続ける。
「あの、…僕もここに好きな人がいるんだ」
「ごめんね。ツトムくん」「悪い、ツトム。それは」
女の子二人から同時に振られるとは器用な奴。何だかゴメン、ツトム。
「違うんだ。ハナちゃんでもフーちゃんでもなくて」
ええ?それってどういうこと?
「僕も太郎が好きなんだ」
「…?」「…!」「…!?」
三者三様の「…」が闇に浮かぶ中、ツトムがさらに続ける。
「ホントは言う予定なかったけど、二人が勇気を出して告白してるの聞いてたら、やっぱり僕だけ黙ってるのは卑怯だなって」
「ツトムくん」
「ツトム、何て男らしいの」
その感想でいいのかな。俺は誰に何を言っていいのか。
何が何だかわからず、俺は暗闇でお玉を握りしめている。
「私、自分にそんな覚悟があって告白したかっていうと、何か違うような気がしてきた」
「ううん。私もこんなこと言い出した自分が恥ずかしいです」
「いや、僕なんかが首を突っ込むべきじゃなかったかも」
「ううん。勇気を出して素直に気持ちを言えたツトムくんは立派だと思う」
「私もそう思います」
「そうよね。ツトムが笑顔でいてくれるのが一番かもしれない」
何だか変な話になっていないか。
「私やっぱりハナちゃんとツトムくんに譲ります。太郎くんは好きだけど、二人の告白の邪魔になりたくない」
「そんなことないって。フーちゃんが言い出さなかったら、僕はずっと気持ちを表に出せなかったんだから。フーちゃん、ありがとう」
「そうだよ、フーちゃん。フーちゃんの真っ直ぐな気持ちが一番だよ」
「大げさです。よく考えたら、私はそれほどでもないって気がしてきました」
「ううん、そんな強がり言わないで。私だってさほど好きじゃないっていうか、むしろ太郎のガサツさとか嫌いだし」
「そんなこと言ったら、私だってあの顔はそんなタイプじゃないです」
「僕も顔は好みじゃないかも」
「足だって臭いし」
何だ。なぜ悪口大会に。
「…やっぱり勇気を一番出したツトムくんが幸せになるべきだと思う」
「いやいや。何だか僕は遠慮したくなってきた。付き合いの長いハナちゃんに譲るよ」
「いらないわよ、あんなの」
「私はツトムくんでいいんじゃないって思います」
「私もそれでいいや」
「いや、遠慮します」
どういうことだ。いつの間にか、俺を全員で押しつけ合っている。さっきまでモテモテ期だったのに、知らないうちに三回ぐらい失恋した気分だ。
まずは俺の気持ちというものを確かめるのが筋だろう。
「なあ、ちょっと、待ってくんない?」
俺は恐る恐る口を出す。
「太郎さんは黙ってて」
「太郎、今は私たちが話し合ってるの」
「そうだ、太郎。邪魔するな」
えええええええええ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます