第6話  すべては内供の鼻のせいにて候 「恋と芥川」

 我々のクラスが文化祭で演劇をやろうとしたのは、今考えれば大変無謀なことであったに違いない。なにしろ演劇経験者などいない。勢いだけとはこのことだ。

 ただし彼女にとっては計画通りだったのか。



 あと40分ほどで幕が上がるわけだが、主役のマサルがやってこない。舞台上では2年生の女子がダンスを踊っている。次の次が我々の番だ。舞台の女の子が派手にグルグル回ってさかんに拍手を浴びている。




 前日、我々は通し稽古げいこというものをやっていた。中身やレベルはともかく順調だったと思う。


 芥川龍之介の「鼻」をベースにした舞台だ。脚本は俺が書いた。監督はハナちゃん、彼女は俺が3年間片思いを捧げている女の子だ。学級委員の彼女が体育館の使用許可を実力とくじ引きで何とか勝ち取ってきたことは、俺たちを喜ばせ、そして俺を幾分不安にさせた。俺たちだけで劇なんてできるのかね。




 まったくモテない高校教師の主人公、彼の鼻は巨大で垂れ下がっている。いつも彼は生徒の視線を自分の鼻に感じ、コンプレックスを募らせている。モテたい一心で彼はクラスの生徒に相談し、ネットで調べた様々な方法を試みる。


 その甲斐あって彼の鼻は小さく常人並みにしぼむのだ。だがその普通の鼻が何とも居心地が悪い。生徒達も何となく落ち着かない…というお話で、まあ原作とさほど変わらない?が。




 主人公の教師役を誰がやるかは揉めにモメた。結局男子で負け残りのじゃんけんをやって決めた。

 もちろん俺は脚本家の特権を利用してその罰ゲームに等しい主役を回避した。文句あるか。


 帰宅部マサルが主役に決まって男子は盛り上がった。


「適役だ。モテないし、モテないし、何よりモテない」「うむ、異議なし」


 マサルはブーブー言っていたが練習は真面目にやった。やつにとってはこのくらいが目一杯だろうなと周囲が納得する程度には。

 そんなマサルは前日こう言った。

「まあ、どんなヘボ脚本であっても、俺の輝けるデビュー作であることは間違いないし」


 何言ってんだか全然わからない。





 ところが文化祭当日、朝からマサルがいない。家は出たようだが…と担任に行方不明を告げられ、絶対サボりだと俺は確信した。俺の手には本来の持ち主を待っている大きな鼻がある。ああ、気味が悪い。あ、もちろん作り物だぞ。




 劇中では普段から自分の超でっかい鼻を気にしてる教師マサルのために、調理部の女の子が鍋で鼻を煮詰めたり蒸し器で蒸しあげたりした後、掃除機で水分を吸い取る。さらに野球部のヨシオがバットでこの鼻を叩いたり伸ばしたりした上に相撲部のカンタが四股でこの鼻を踏みにじるのだ。


 で、気を失ったマサルが眼をさますと鼻が小さくなっていて大喜び。俺たちはマサルを胴上げしてワッショイワッショイと舞台から客席まで練り歩く。 


 だがその途中でたくさんの女生徒から「鼻の小さいマサル先生なんてキモーい」などと言われるという、眼も当てられないストーリーだ。





 さて舞台上でダンスが終了した。マサルはやってこない。先生の話では学校への欠席や遅刻連絡はない。俺もバットを持ったヨシオも何回かメールを送ったが既読がつかない。マサルはどこだ。


「おい、コーヘイ。何か考えた方がいいんじゃないか。絶対こいつサボりだし」


 四股しこを踏みながらカンタが言った。ドンドンうるさいな、こいつ。

 ヨシオもカンタもそれほどマサルの主役にはこだわってないみたいだ。いい加減なやつらだなあ。



「わからないぞ。もしかしたら登校中、腹の大きな妊婦さんに出会って、そこで陣痛が始まり…」


 俺の言葉をさえぎって、ヨシオが言う。 


「主役がいないのだから、代役を立てなくてはな」


「いやいや、中止も視野にいれるべきだろう」


 俺は言ったが、しかし女子学級委員のハナちゃんが何故かきっぱりとそれをはねつける。


「幕は開けます。中止はしません」


 何故かカンタが四股をやめ、ニヤリとしてハナちゃんを見る。


「でも主役がいないぞ」


 ハナちゃんは鼻で笑って俺の持っている鼻を指さす。はなだらけだが。


「10分ばかりの寸劇です。マサルくんのセリフだって『俺モテないんだ』とか『鼻が小さくなった!モテるかな』とかそんなバカセリフが数えるほどでしょうが。誰でもできます。こんな馬鹿脚本」


 …馬鹿な脚本で悪かったな。





 ステージでは幕の前で司会がなにやら軽妙なやりとりをしている。その間に見るからにのリア充たちが楽器のセッティング中である。我々の前のバンドのやつらだな。いけ好かないぜ。リア充滅びろ。




「コーヘイくん、主役やりなさい」


 ハナちゃんから唐突なご指名だ。


「いやです」


 俺は即答したが、ヨシオが笑ってハナちゃんを応援する。


「お前が考えたしょーもない話だ。セリフだってちゃんと頭に入ってるだろ」


「『俺モテないんだ』とか『鼻が小さくなった。モテるかな』とかそういうバカセリフは言いたくない」




「舞台の権利を得るためにどれだけ私が頑張ったと思ってるの。許しません。幕は開けます」


 ハナちゃんが俺を羅生門の侍のような眼で睨む。羅生門の侍、見たことないけど。


 もう一度スマホの画面を覗く。いまだマサルの既読はつかない。


 劇の最後に「女なんて嫌いだー!俺はモテたいぜー!リア充は滅びろー!」って言って舞台の幕が下りるんだけど、あれが嫌だったんだろうな。だよなあ。俺だったら、そんなセリフ言うくらいなら学校休むね。




「考えたのだが」


 カンタが台本の変更についてアイデアを述べる。


「モテモテで困ってるコーヘイが鼻を小さくしてモテないようにする、というのでどうだ」


 意味がわからない。ハナちゃんも言った。


「意味がわからないわ。カンタくん」


「意味不明だ。ボケカンタ」と俺。「デブは黙ってろ」とヨシオ。


 カンタが俺たちに張り手を当てる。


「いててっ」「やめろ、デブ」


「フン、よく考えたらコーヘイがモテる役なんておかしいものな」


 お前にだけは言われたくないものだよ。


 ヨシオが言う。


「じゃあいっそ、鼻が大きいんじゃなくて、チン○ンが大きいっていう…」


 ハナちゃんがヨシオのスネを思いっきり蹴り飛ばした。


「ぎゃっ」






 いかん。バンドが「最後の曲です」とか言ってる。

 この後いったん幕が降り、簡単な大道具をセットして、そしてもう一度幕があがったら俺たちの舞台だ。

 どうする、どうする。地獄変だな。


 ハナちゃんが正面から、じっと俺を見る。


「コーへーくん」


「はい!はいっ!」


 俺はハナちゃんに弱い。

 大概の女子には弱いが特に絶対的にハナちゃんは俺の天敵だ。女神だけど。


「コーへーくんならできる!主役……やって♡♡」


「…やります」


 クラス全員が生温かい眼で俺を見て拍手しやがった。

 マサル許すまじ。あの河童野郎…意味不明だけど。







 幕が開いた。教師の象徴としてネクタイをつけ、あの大きな鼻をつけた俺が登場しただけで爆笑と拍手が起こった。ん?あれ?これはけっこう悪くないかも。


 俺が意外な快感に身を任せながら下手くそな演技をしていると、クラスの奴らもすっかりノリノリで芝居を楽しみだした。カンタとヨシオがアドリブで「コーヘーはモテない。ホントにモテない。これはフィクションです」と言ったのは許せないがね。




 鼻が小さくなって、俺はみんなに胴上げされる。


「ワッショイ!ワッショイ!」


「童貞コーへー!一生童貞!コーへードーテー!」


 何だこいつら、悪ノリしすぎだろうが。あれ?そこにいるのはマサル!

 胴上げの一団の中にちゃっかりマサルが混じっている。


「おい、マサル。何だこら」


 俺が小声で上から声をかけると、マサルは両手で拝むポーズ。


「ごめん。登校中に産気づいた妊婦に出会って…」


 なるほど事実は小説より奇なりだな…って誰が信じるかい!




 胴上げされながら観客席を回る。生徒がみんな笑顔で俺を、俺たちを見ている。ま、ホント悪くないね。




 さあ、ラストシーンだ。一夜明けたら鼻が元に戻っていた教師が、あらためて片思いしている女教師に告白して、やっぱり振られる…というオチだ。ようやくここまできた。






 何でそこにハナちゃんが?

 俺が告白する女教師役はあっちの舞台袖にいる真面目女子だったはずだ。彼女がフンと冷たく笑い、「鼻の大きさは関係ありません、私には夫がいるんです!」と言うのが最後のセリフだぞ。



 ハナちゃんが俺をジッと見る。


「鼻、元に戻ったんですね」


「ええ、えっと、えっと、それで」


 自分の書いた馬鹿脚本のセリフが出てこない!


 後ろからコソコソとマサルの声がする。舞台後方のカーテンの裏か。


「…ハナさん、…あらためて僕と…」あれ?そんなセリフだったか。

 もういい。これが俺の蜘蛛の糸だ。




「ハナちゃん!俺とつきあってください。大好きです!」


 何かちょっとアレンジして本心を100%込めてしまった。


 ハナちゃんが顔を真っ赤にしている。んんん?何かがおかしいのか?観客席もザワついている。



「はい!私もコーへーくん、大好き!」



 えええええええええええええっ!


 体育館に響く大きな拍手と、舞台袖から聞こえる笑い声と悲鳴みたいな歓声。








「…というわけでマサルくんと私で企んで」


 帰り道、ハナちゃんと歩く。下校デートってやつだぜ。文句あるか。


 クラス全員がグルだったとはまさに芥川どころか、クリスティもビックリだ。




「ずっと、ずっと、そのハナちゃんは、えっと、俺のこと」


 ハナちゃんの恥じらう顔に俺はメロメロだ。


「うるさいなあ。ずっとずっとだよ。下手したら一生モノかも」


 そんな、もったいない、俺みたいな或阿呆の…一生だなんて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る