第5話 きみといつまでも しろみもまたいつまでも   「恋とTKG」

「ハナさんを僕にください」


 ここまで大きな失敗はないはずだ。俺は頑張った。


「澤村さん、いや太郎君」


「はい」


「ふつつかな娘ですが、よろしくお願いします」


 ハナちゃんのお父さんとお母さんが一緒に頭を下げる。


 


「ありがとうございます。必ずハナさんは幸せにします」


「お父さん。お母さん。ありがとう」


 今度は俺がハナちゃんと共に頭を下げた。ホッとした。




 今日はハナちゃんの家へ両親に結婚のお許しをもらいに来たのだ。


 緊張したが、どうにか乗り越えた。

 まあ、普通娘が「お父さんお母さん、会って欲しい人が…」と言えば、どういう人間が家へ来るのか大概の親は察する。

 そしてよっぽど何かアラがなければ「駄目!」ってこともないはずだ。




「太郎君、食事をしていきなさい」


「はい、ありがたく頂戴ちょうだいします」


「そんなに堅くならないでいいのよ。太郎さん」


 お父さんもお母さんも緊張していたのだろう。

 ようやく柔らかな表情で俺を食事に誘ってくれた。




 食事は俺の好物の鶏の唐揚げを中心に、サラダや味噌汁など定食風のものだった。俺の好みをハナちゃんが伝えてくれていたのだろう。寿司とか鰻とかステーキとかより、この方がずっとありがたい。


 うまそうだ。俺は酒を飲まないので白い飯をもらう。

 おお、炊きたての白飯。この世で俺の大好きツートップはハナちゃんと白飯で決まりだ。いかん、緊張が解けて、腹が猛烈に減ってきた。




 ふとお父さんの手元に目がとまる。生卵…だ。間違いない。ああ、いいなあ、卵かけご飯。卵かけご飯。2回繰り返したが、腹が減っているとき、こんな魅力的な3文字があるだろうか。いや、3文字はTKGだ。言うまでもなかろう。


「太郎さん、生卵ほしいの?」


 ハナちゃんが俺を横からのぞき込む。さすが俺の最愛のハナちゃんだ。その通り、俺は卵がほしい。


「いいかな?お父さんの持っているのを見て、うらやましくなっちゃって」


 その時、お父さんお母さん…だけでなくハナちゃんも含めて家族全員の眼がキラリと光ったことに俺はまだ気づかなかった。




 俺の手元には熱々の炊きたて飯大盛りと生卵がある。もう食っていいのかな?


「太郎君」


「はい?」


 いきなりのお父さんの呼びかけに俺の声が上擦る。


「その卵、君がどうするのか拝見しよう」


「…へ?」


「太郎さん、負けないで」


 ハナちゃん、何の話?


「場合によっては結婚の話も考えなおさせていただきます」


「ええええ?」


 お母さんの突然のちゃぶ台返しみたいな発言に俺はただ驚きのうめき声だ。




「我が家が『卵飯道』宗家そうけの家柄であることはまだ言ってなかったかね」


「ら、卵飯道?」


「ごめんなさい。太郎さん、私の家の室町時代からのごうなの。逃れられない運命なの」


 な、何をおっしゃってるんでしょうか、僕の婚約者は。


 口をあんぐり開けたままでいると、お母さんが鋭い目線でギロリと睨む。


「先手。宗家、お父さん!」


 お父さんが生卵の殻をテーブルで割ると中身を器にデロリンと出した。


「お見事ーっ!」


 ハナちゃんが大きな声で叫んだ。結婚相手間違えたかもしれない。




「後手。婚約者太郎さん!」


 お母さんの声が掛かる。つまり、卵を割ればいいのかな?何か罠があるのか?

 そもそも俺は何をやらされているのだ。


 迷っていても仕方ない。俺もお父さんと同様に卵を割って、器に中身を出した。


「おおおっ!」


「迷いがないわ…」


「太郎さん、素敵!」


 何を褒められているのかがわからない。




「再び先手、お父さん!」


 お父さんが醤油さしを持って器に注ぎ、かき混ぜ始めた。


「ちょっと、待った!」


 突然2階から若い男が降りてきて、物言いをつける。誰だお前。


「ごめんね、太郎さん。お兄ちゃんなの」


 俺はあわてて立ち上がり、頭を下げた。


「お兄さんでしたか。これは失礼しました。僕はハナさんとお付き合いしている…」


「そんなことはどうでもいい!」


 ええっ、どうでもいいんかい。お兄さんはお父さんの器を指さす。




「宗家、いや父さん。いやさ宗家父、違うなパパ宗家」


 どれでもええがな。


「この前、卵は飯の上においてから黄身をつぶすことで決着がついたはずだ、父さん」


「むむむ、だが、宗家の流儀は…」


「違う!流儀でなく、どちらが美しいか美味いかで決めていくことにしたじゃないか」


 家族でケンカになりそうだ。思わず俺は仲裁に入る。


「えええと、この際どちらでもいいんじゃないかと…」


「素人は黙ってろ!」

「太郎君、君の出る幕ではない」

「お静かに太郎さん」

「太郎さんうるさい」


 …4人同時に怒鳴らなくてもいいじゃないか。








 4人が黄身をいつ崩すか争っている間にせっかくの飯がさめてしまう。卵かけご飯が台無しだ。

 俺はそっと卵を熱々の飯の上に作った窪みにのせる。食卓にあった味の素を2振り、醤油をほんのちょっと、ムヒヒヒ。後は黄身を崩しながら食べるのみだ。



 その間にも4人は言い争いを続けている。


「待て!お前はこの宗家卵飯道の神髄をないがしろに」


「違う!伝統と本道王道は、また変わっていくのもので」


「あなた、黄身と白身を分離しておいて別々にかける手もあるわ」


「やめて、母さん。ややこしいわ」


「そもそもお前は気に食わん。何でバターを足すのだ」


「うまいじゃん。父さんのイカの塩辛まぶしなんて美しくないよ」


「やめて、二人とも。私のために争わないで」


「誰もお前のために争ったりしてないわい。阿呆が」


「何ですって。どういうつもりでこの間、朝帰りだったのか、あの『お替わり深夜喫茶メイドちゃん』の名刺について説明しなさいよ」


「なな、な、何を子供の前で」


「お父さん、フケツッ!」


「親父、まだそんな悪さしてんのか」


「待て、論点がずれておる…ん?」



 俺はうまいうまいと卵かけご飯一杯をかき込み、2杯目を勝手によそってきた。

 そして台所に寄ったついでにオリーブオイルを見つけて持ってくる。再びご飯の上に卵をのせ、今度はオリーブオイルと醤油を垂らした。ついでに食卓の味付け海苔を崩してパラリとかけた。

 おお、この香り。熱々炊きたてご飯の甘い匂い、オリーブオイルのコクのある芳香…そこに日本人なら誰もが郷愁を覚える海苔と醤油のハーモニー。




 ムホホホと俺が口いっぱいにご飯を頬張ると、お父さんがこちらを見て泣いているのが視界に入る。


「…?」


 何だ何だ。変な家族の変な会話の隙に俺がご飯を食べているのがショックだったのか。いかんな。結婚の承諾をもらいに来たのだった。忘れていた。

 俺は白飯と共にハナちゃんもこよなく愛しているのだ。ちょっと変な子だって事もわかったけど。


「お父さん、すいません。お腹が空いてしまって」


「ううう、そ、それは…?何だね(泣)」


 俺の茶碗をのぞき込みながら号泣する婚約者の父親に、俺はドン引きしながら説明する。


「えーと、オリーブオイルと味付け海苔と醤油の卵かけご飯ですね。僕は『のりたまショリーブ』と呼んでいますが」


 もちろん『のりたまショリーブ』は俺が今考えた口から出まかせだが、ハナちゃん一家4人は雷を受けたように眼を見開いた。




「王だ。王の降臨だ」とお父さん。


 いや平社員です。


「卵の妖精が私たちの家に」とお母さん。


 誰が妖精やねん。ちなみに陰性でした、この前の検査。


「太郎さん、やっぱり運命の人だったのね。TKGKINGよ」とハナちゃん。


 TKGKINGって。KとGが入り組んで読みにくいなあ。


「悪かった、弟よ。いやこの『のりたまショリーブ』を知ったからには兄貴と呼ばせてもらうよ」とお兄さん。


 どっちなん。












エンディングであって余談であって




①ほどなく俺とハナちゃんは無事結婚した。結婚式で卵かけご飯を出したいというハナちゃんと一家のリクエストを俺は渋々承諾した。意外なことに食事の締めに出たこのメニューは招待客の絶賛を浴びた。




②結婚後、ハナちゃんの実家には何回かお邪魔したが、もう卵かけご飯をリクエストすることはなかった。面倒くさいからね。




③孫が生まれたら『男なら卵太郎らんたろう、女なら卵々らんらん』とお父さんは主張し、お母さんからは『いいえ、男の子だったら卵駄無らんだむ、女の子なら卵出舞らんでぶーよねえ。太郎さん』と言われ、両方とも断固却下した。何言ってんだこの祖父母は。


 ちなみにハナちゃんは『赤ちゃんができたら、卵で産むわ』とつぶやいている。冗談に聞こえなくて何か怖いっす。




おおむね俺とハナちゃんは円満に新婚生活を送っている。ハナちゃんは何たって可愛いし、二人で半分こした家事もキチンとこなすし、何しろ可愛いし、気配りが出来るし、何より可愛い。


 ただ時折、俺の前に生卵と熱々ご飯を置き、じっと俺の様子を正座で見つめるのはやめて欲しい。


 室町時代から続く何だかの跡継ぎにはならないよ、俺。


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