第3話 彼女と行列と期間限定 「恋と待ち合わせ」 

「『リーダース・バーガー』で待ち合わせでいい?」


 電話の先の彼女が言う。明日のデートはまず人気のハンバーガーショップで食事をということになったのだ。


合点がってんだ。君はバイト上がりで来るんだから、僕の方が多分先に着くだろうね」


 あの店の人気の期間限定ハンバーガーを思い浮かべて僕は早くも楽しみになった。


「そうね。ギリギリになったらごめんなさい」


「気にしなくていいさ。黒豚肉汁バーガー、楽しみだなあ」


「相変わらず、あなたはコッテリしたものが好きなのね」


「デートの時くらいカロリー計算は忘れたいね」


 電話の向こうからは彼女の笑い声が聞こえた。


「デートだからこそよ。あなたその脂っこい口でキスとかできるの?」


「…ええええ」


「フフフ。グウの音も出るまい」


「…参りました。でもさあ」と僕は話を変える。




「人気の店だから行列必至だね」


「美味しいから人気、ということよね。仕方ないわ」


「人が多くて見つけにくいといけないから、横の古着屋さんで待ってていいかな」


 少しの間、彼女が黙った。何か変なことを言ったかな?


「行列が出来てるんだから、並んでてほしいわ」


「え。行列に僕が並ぶのはいいけれど、君はどうするの?」


 また間がある。何か理解の仕方に齟齬そごが生じているのか。


「あなたが列に並んでてくれれば、私がそこに入れるでしょう」


 今度は僕が一瞬黙り込んだ。


「…駄目だろう」


「…何で」


「…いや、何でって」




 二人ともしばらく黙り込む。お互いがお互いの言ってることを理解できないときはこうなる。


 彼女が不思議そうな口調で僕に尋ねる。


「えーと、何が駄目なの?」


「…えーと、待ち合わせの場所に行列の中は非常識だと思うのだけれど」


「何で?」


「えっ。えっ。何でって何で」


 話が進まない。僕は要点を整理する。


「えええと。僕は行列で待ち合わせをするのはマナー違反だと考えたのだけど、君はそんなことないだろうと。そういうことでよいだろうか」


「そうね。たいしてマナー違反だとは思わないわ」




「ではですね」


「はい、何でしょう」


 あらたまった僕の口調に彼女はクスクス笑って応じる。


「例えばあなたが何だろう…大好きなアイドルグループ限定グッズ販売の列に並んでるとします」


「またレアなケースを出してきたけど、いいでしょう。並びました」


「限定だから、ちょっとドキドキするよね」


「限定の場合、普通は先に整理券とか出るからドキドキしない」


「整理券は出ませんでした」


「運営の不手際に文句を言うわ」


 話が進まない。




「ごめん。例が悪かったようだ」


「ごめんなさい。ケースがレアすぎて想像しにくかったわ」


「君は人気ラーメン屋の行列に並んでいます」


「ラーメン屋の行列には並ばないわ」


「今日からあなたは、すごいラーメンマニアです」


「仕方ないわね。私はクレージーラーメニストでいいです」


「そんな呼称を聞いたことはないけれど、まあいいや。ラーメニストのあなたは行列に並びました」


 何の話をしているのか、迷子になりそうだ。


「人気ラーメン屋の行列にラーマーの私が並んだのね」


「さっきと呼称が違うな。ラーマーってマーガリンかい。まあいいけど」


「確かに。私バターよりマーガリン派だわ」


「これ以上、話が脱線すると明日のデートに間に合わない」




「ごめん、それは困るわ。とにかく私は行列に並んでいるのね」


「うん。そこで君の前に別のラーメンマニアの男が一人いて」


「どんな人?」


「それはいいじゃないか」


「だって、この後の展開を考えると、たぶんこの人が行列で待ち合わせするんでしょ」


「急に理解が早くなったね」


「だとすると、この人の『人となり』はとても重要よ。礼儀正しくて清潔感がある人物なら、後から待ち合わせして入ってくる人、3人まで許せるわ」


 …意味がわからない。




「そうすると君も行列での待ち合わせ自体は基本不快だと感じているわけだね」


「愉快な人がいたら会いたいものだわ」


「僕は小学校の時、担任の山田先生に『自分がしてほしくないことを他の人にしてはいけません』と言われたことを今でも人生の指針にしているんだ」


「山田先生の言葉に逆らうつもりはないけれど、程度の問題だと思います」


 僕の山田先生に異議を唱えるとは。


「山田先生はこうも言った。『太郎君は素直だから、将来変な女の人に騙されないようにね』」


「よかったわね。変な女の人に騙されないで」


 自分が変な女の人だとは1ミリも思っていないようだ。


「つまり君は自分の前の人が3人くらいまで、待ち合わせして入ってきても常識の範囲内だ、と」




「そりゃ、私だって前に18人の筋肉質の男達がドドドドッて割り込んできたら、文句のひとつも言って一番弱そうな男のスネを蹴って、ダッシュで逃げると思うわよ」


「凶暴だな」


「あるいは前にいる人が幸薄さちうすそうなお母さんで、夕刊を配り終わってやってくる我が子を待っていて『父親との親権争いに敗れて、この子とはこれが最後のラーメンで』とか言われたら」


「そりゃ順番を譲ってしかるべきだろうけど。そもそもその幸薄そうな母親は君になぜそんな打ち明け話を」


「要はケース次第ということよ」


「むさ苦しいラグビーチームは駄目で、薄幸の母親はウェルカムということかい」


「ようやく判ってくれたようね」


 彼女はそうでしょうそうでしょうという口調となる。どういうこと?何か論破された?


「何を?」




「極端な例とはいえ、あなたも行列の待ち合わせは状況次第、程度の問題ということに納得できたでしょう」


「そんな馬鹿な。原則禁止、ということに変わりはないよ」


「じゃあ、あなたも思い浮かべてください」


「ええっ、攻守交代ということかい」


 フフフというささやくような笑いが聞こえた。




「あなたはとっても可愛い女の子を好きになりました」


「まさかとは思うけど、その可愛い女の子というのは自分のことじゃないだろうね」


 僕の言葉を無視して彼女は続ける。


「あなたの前にはたくさんの男の子が求愛の行列を作っています」


「なんという傲慢ごうまんな例え」


「文句あるの?」


「ありません」




「さて、あなたは行列の一番後ろも後ろ、このままでは絶対自分の番になる前に売り切れです」


「…その、売り切れっていうのはどういう状態なんだい」


「あなたはそれがわかっていても、おとなしく列の後ろについてますか?」


「…ええと」


「さあ、答えるがいい、私の彼よ」


「…」


「フフフフ。グウの音も出るまい」


「ちょっといいかい?これは行列での待ち合わせは是か否か、という話だったよね」


「そうよ。ホントに欲しい期間限定のもののためには、少しぐらいの策略を練ってもいいかどうかという話よ」


「…」


「フフフフ。グウの音も」


「うう、出ません。参りました」


 アハハハハハと彼女が快活に笑う声が電話の向こうに響いた。




「大丈夫よ。あなたの生真面目きまじめなところ、私は嫌いじゃないわ。あなたが心苦しいようだったら、待ち合わせは隣の古着屋さんにしましょう」


「あのさ」


「何よ」


「あの、…君が売り切れになる可能性ってあったのかい?」


「言わせるかね、私の彼は。…ずっと前からあなたに売約済み。行列に割り込む人がいようが、待ち合わせがあろうが、あなただけへの限定販売よ」




「…そういうことを堂々と言うんだね」


「フフフ。グウの音も出るまい」


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