第21話 逃走

   *由奈由*


 キリクさんが一歩、また一歩、と私の方へと近づいてくる。

 長い腕が伸ばされ、白く細い指がそおっと、頬に触れる。

 夢で見たような光景。


 段々と、その美しい顔が近づいてくる。私は、何かを覚悟して目を閉じた。

 しばらく落ち着いていた振動の鼓動が、バクバクと今までで一番、大きな音を立てる。

 カアァンと、大きな金属音がなった。

 驚いて、目を見開く。

 目の前の光景を視界に入れる。


「は? え?」


 目の前には、先ほどと同じようにキリクさんがいる。けれど、その手には、先ほどまで全く存在しなかった、大きな鎌が握られている。

 それだけじゃない。その背後には、大きなシャベルを振り下ろした姿勢の水無月さん。


 どうやら先ほどの金属音は、この死神のような大きな鎌と、振り下ろされたシャベルとがぶつかり合って鳴り響いたものらしい。

 あまりに非現実的な光景。意味不明な現状。


「な、なに……、なん……なの?」


 2人のうちの、誰に問いかけるでもない言葉。あえて言うなら、自分自身に問いかけた言葉。それに反応してくれたのは、水無月さんだった。

 私に視線を向けて、焦ったように大きな声を出す。


「早瀬さん! 逃げて!」


 逃げる……? 思考が、まるで追いつかない。そんな私の背後から、誰かが近づいてきて、抱え込むように脇のしたに手を入れられた。


「! ザクロ、くん?」


 お姫様抱っこのような姿勢になったことで、抱え込んできた人物の顔を見上げることとなった。


「よ、早瀬。お前恋愛運ないな〜」


 私よりも小さな体躯なのに、軽々と抱き上げて、あまつさえ駆け出した。

 私たちがその場を離れることを感知したのか、キリクさんが追いかけてくる。


「あ、待っ」


 さらにその背中を、水無月さんが追う。意味不明の状況。意味不明なりに、状況を整理しようと試みるが、ぐるぐると戸惑いがめぐるばかりで、何かを手にしようとしては何かを取り零していくような感覚がある。


「ど、どういうことなんですか!」


 怒鳴るように、目前のザクロくんに問いかける。しかし、問いかけに答える余裕は彼にはないようだった。

 真剣な表情。「飛ぶぞ」と一言。

 抱え上げられたまま、ブワッと浮かび上がる。先ほどまでいた箇所に、鎌の刃先が突き刺さる。


「おーい、ちゃんと抑えとけよ!」

「善処してますぅっ!」


 水無月さんの声。彼女は私たちと、キリクさんとの間に立つように滑り込んできて、まるで刃のようにシャベルを構えた。

 住宅街のど真ん中だが、人気はない。何が起こっているのか、どうするべきか分からないまま、私は2人の様子を見つめる。


 大鎌を構えたキリクさんと、シャベルを構えた水無月さんは、お互い動き出さない。明らかな緊張感があって、それがこの周りに電波していくような気がした。

 そんな中、キリクさんが、ふっと力を抜いた。少し鎌の刃先を下げて、水無月さんに向けて笑いかける。


「なんでボクの邪魔をするのかな? 水花」


 ザクロくんと同じ、水無月さんの呼び方。


「さあ? あんたが嫌いだからかな」


 くすくすとキリクさんが笑う。


「違うね。その子、君のクラスメイトだろう」

「なんだ、知ってたの」

「まあ、クラスメイトだからって、わざわざこうして助けに来るってところは論外だけどね。賢い君らしくもない、感情的な行動だ」


 水無月さんは一瞬だけこちらを振り返った。その瞳は、見たこともないほど険しい。


「別に、知られて困ることでもないでしょ。てか、不用意に他人に漏らしたって、信じてもらえるわけもない。狂ったと思われるだけ」

「まあ、そうかもね」


 キリクさんが動いた。長い足で一気に距離を詰め、大鎌を振るう。水無月さんは素早い動きでそれを避けつつ、私たちを守るかのように、シャベルを振り下ろす。

 目にも止まらぬ動き。

 鳴り響く金属音。


「行くぞ」と、ザクロくんの声。抱え上げられたまま、私たちはその場を離れていった。

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