第19話 ただただ

   *由奈由*


「とっても美味しかったです。ご馳走様でした」


 予め言うべきことは決めていたためか、つっかえることなくすんなりとそう言うことができた。隣を歩くキリクさんはにっこりと笑う。


「お気に召したなら良かった。お世辞じゃないといいけれど」


 スープ以外は、世辞ではなく、本当に美味しかった。あの後出てきた肉料理も、パスタも、ドルチェも。


「送っていくよ」


 いつの間にか、もう夜の8時台になっている。部活動に所属している訳でもなく、友達もいないため、確かに私にしては、夜遅い時間になり始めている。

 この街はそれほど治安が悪い訳ではなく、駅前に学習塾などもそれなりにある。小学生でも出歩いているような時間だけれど、送ってもらえると言うのなら甘えてしまおう。

 もちろん、その方がこの夢のような時間を、もう少しだけ長く堪能できると言う意識もある。


「……キリクさんは、どこの国の方なんですか?」


 会話のきっかけとして、そう尋ねてみる。

 キリクさんの綺麗な金髪も青色の瞳も白い肌も、明らかに外国のものだ。どこの国出身か、という話から、その国のことや、日本との違いなどで話を広げていこうと思ったのだが……。


「日本だよ」

「あ。そ、そうなんですね」


 すんなりと当てが外れた。確かに、この街には初めてきたと言っていたけれど、日本に来たとは言っていない。

 それに、日本語だってとても流暢だ。当然、そう言った場合もあるだろう。

 会話が途切れる。他には、ええと、他には、どんな会話をするのがいいのだろう。

 話題を探し、ぐるぐると頭が回転する私に、救いの手を差し伸べるかのように、キリクさんがにこりと笑った。


「ユナは死についてどう思う?」

「え」


 しかし、放たれたのは、会話下手の私でもわかるほど、至極ぶっ飛んだ問いかけだった。


『死』


 当然、意味は理解している。知っている。しかし、ほぼ初対面でお互い何も知らない男女の間で交わされるべきテーマではない。

 いままで、完璧な振る舞いをしていたキリクさんの輪郭が、ぐにゃりと歪むほどの衝撃があった。


「え、えっと……死って、死ぬことの、死……ですよね?」


 イントネーションの間違いで、詩や私であったのではないか、と問いかける。それなら、まだ理解できるような気がしたからだ。しかし、無情にも首は縦に振られ、肯定される。


 どうしてこんな問いかけをしたのか。

 そんな疑問の答えを、知りたくて、隣を歩くキリクさんの様子を伺ってみる。しかし、その横顔は彫刻のように整っているだけで、なんの感情も読み解くことができなかった。続けられる言葉もない。


「……正直言って、あまり、考えたいことじゃないです」


 私の口から零れたのは、そんな空虚な言葉だった。

 考えたことがないわけじゃなかった。むしろ一時期は、考えないことがなかった。

『あの事故』の後、四六時中考えて、どうして、こんな事になったんだろうと考えて。

 答えなんて出なくて。だから、苦しかった。


「それは、どうして?」


 続けて降ってきた、優しい声。けれど、残酷な響きを含んだその問いかけに、私の脳は歪む。


「それは……」


 唇を噛み締める。そんな私を置き去りにして、キリクさんが一歩二歩と先に進む。

 それから、立ち止まる私に気がつき、振り返った。長い金の髪がふさりと揺れる。

 月明かりと街灯の淡い光が彼を照らす。

 近づいてきたキリクさんが、腰をかがめて、私の瞳を覗き込んでくる。

 青い、宝石のような綺麗な瞳。そう思っていた眼が、どこまでも怪しく光っている。

 答えたくなかったはずなのに、その瞳を見ていると、答えなければならないような気分になってくる。


「……私にとって、死が、とても身近だから……。だと、思います。た、たぶん」

「死が、身近」


 透明な声が、私の言葉を繰り返す。

 そう、死は、とても身近だ。

 いつでも私たちの隣を歩いている。いつ手を伸ばし、繋がれても、解くことはできない。事象を覆すこともできない。


 人は、いつか必ず死ぬ。

 そんな、幼稚園生でも知っているような当たり前のことを。私は、同年代の誰よりも、実感している自覚がある。

 ぼやけた青白い天井。二つの長い台。その上に横たわっている、父と母の遺体。

 当たり前のように一緒にいて、当たり前のように生きていたのに。


「ふうん、そっか」


 ざらりとした、肉食獣の舌のような声音。

 腰をかがめるのをやめて、キリクさんが背筋を伸ばす。私の視線はなぜか、吸い付けられるように彼の瞳を追い続ける。

 見上げた青年は、別人のようだった。


 整った顔立ちはそのままに、どこか残酷で、退屈な瞳。

 それでも、彼はにこりと笑う。

 その笑みだけは、いつもと同じように、ただただ、美しかった。

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