9.決戦前夜

 結局。


 話し合いが終わった頃には空がオレンジ色に染まり始めたのもあって、その日はみんなで野宿をしようということになった。

 テントとか寝袋はさすがに持っていなかったけど、万が一のためにミストが人数分の毛布を宿場街で購入してくれていたらしい。さすがにシェダルの分までは想定外だったみたいで、足りなかったのだけど。


「俺の分までは気にするな。最初からバックレる気でいたから、荷物は自分で用意している」


 と言って、ちゃっかり野営道具を持ってきたばかりか、雨風を凌げそうな洞窟にまでぼくたちを案内してくれた。

 帝国の郊外ということで、土地勘のあるぼくでも今いる場所がどこなのか分からなかったのだけど。どうやらシェダルによると、聖地の近くらしい。持っていた地図に印をつけて教えてくれた。

 さすが風の聖地。洞窟の中にいても風の下位精霊シルフが入り込んでくるわけだ。


「近くには、はるか昔から聖地の管理を任されている魔族ジェマの村がある。聖地にある風の塔は風の女王の住処だし、聖地の周りは無国籍領域だ。帝国も手を出しにくいだろう」


 風がないはずの洞窟の中でも、シェダルの髪は絶えず揺れている。近くにいるシルフ達が風を起こして遊んでいるのだ。

 もっとも、根っからの騎士であるシェダルには精霊は見えていないのだけど。


「なるほど。よく下調べしているな、シェダル」

「この5年の間、何もせず仕事に没頭していたわけではないからな」


 そう言って、シェダルはヴェルクに笑いかけていた。

 初めて会ってから1日も経たないのに、シェダルはすっかりヴェルクやミスト達とすっかり打ち解け始めている。

 ぼくはなんだか、それが面白くなかった。







「ユーク、なんだか元気がないね」


 ひとまず焚き火ができるように、力仕事が得意なシェダルとヴェルクとミストは薪を拾いに行ってしまった。

 魔法で光を灯して毛布の上に座り込んでいたぼくに、傍らにいたシルが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「大丈夫?」

「あっ、はい。大丈夫ですよ」


 なるべく笑うように努めてみた。ちゃんと笑えてるかは、鏡がないから分からないけど。

 ぼくやシルに加えてお留守番組のレイシェルは、包丁を片手に野菜を嬉々として切り始めている。鼻歌まで歌っていて楽しそうだ。


「光の魔法を使い続けているから疲れてない?」


 あ、そっちの心配か。


「ぼくはもともと人より魔力が多い体質なので平気です。それに、もうすぐシェダル達も戻ってくるでしょうし」

「……うん、そうだね」


 頷いてから、シルはくすくすと笑い始めた。

 何がそんなにおかしいのだろう。変なこと言ったかな、ぼく。


「ユークはシェダルのことが気になっているみたいだね」

「えっ。なんでですか!?」

「だって今日はシェダルの顔ばかり見ていたし、今も思わず彼の名前を口にしただろう? まあ、みんなの目の前であんなことを言われたら、気にならないってことの方がおかしいのかもしれないけれど」


 通り過ぎようとしていたシルフが、座っていたシルの膝の上にちょこんと乗っかかってきた。シルは笑みを浮かべたまま、優しい眼差しで見ている。

 満面の笑顔でシルフは風を起こし始めて、シルの前髪が翻った。


「ユークはシェダルのことは、どう思っているの?」


 ……そうだよね。気になるよね、やっぱり。


「分からないんです。もちろん嫌いではないんですけど。ぼくはそういう対象で、シェダルのことを見たことがなくって」

「そっか」


 風を送って満足したシルフはシルの頭の上に乗っかる。そのままシルが視線を落とすと、シルフも銀色の頭を滑っていって落ちていく。


「僕たち竜は誰かに恋するというのはあまりないから、分かってはあげられないかもしれない。でも、これだけは言える。ユーク、きみはシェダルにどのような返事をするのか、考えなくちゃいけないよ」


 地面に落ちたシルフを両手ですくい上げて、シルは立たせてあげた。それからぼくの顔を見て、笑う。


「シェダルは返事はいらないと言っていたけどね。でも彼は本心では、ユークからの返事を求めていると思うんだ」


 それは、ぼくもそうだと思う。

 今まで数百年間の時間をかけて手に入れたモノすべてを、ぼくのために捨てたんだもの。そばにいて、守るだけでいいって。

 いくら幼馴染で気心の知れた間柄とはいえ、彼の親切に無条件で甘えてしまうほど、ぼくは無神経ではない。


「そうですよね。分かりました、シル。この旅、カイの封印を解くまでに真剣に考えてみます。そして答えを出して、シェダルにちゃんと言います」

「うん、それがいいよ。きちんと向き合った上で彼に返事をした後、どんなことになっても。ユーク、忘れないで。僕はきみの味方だから」


 胸の奥がじん、とした。熱を帯びて、あたたかくなる。

 穏やかなシルの微笑みにホッとする。


「ありがとうございます、シル。ぼくの友達になってくれて」

「どういたしまして。困った時はお互いさまってね。きみたち人族はそう言うんでしょう」

「ふふっ、そうですね。それじゃあ、シルが困った時はぼくが力になりますよ」


 笑ってみせると、シルも満面の笑みになる。

 ぼくたちの楽しそうな感情を敏感に感じ取ったのか、足元のシルフがひときわ大きな風を起こした。


「あ、」


 そこそこの重さがある荷物はともかく。隅に畳んで置いてあったミストのレジャーシートが洞窟の外へと風にさらわれて、遥か彼方へと飛んでいった。







「レーイーシェールー! なんだこれはぁ!?」


 夜も更けた頃。焚き火を囲うような形で腰を下ろし、シェダルが作った具だくさんスープをみんなで食べようとしていた時のことだった。

 木製の器の中のスープの具を見るなり、ヴェルクが叫んだ。洞窟だから奥の方にまで、ヴェルクの怒声が反響していく。


 ちなみにスープの器やスプーンは、シェダルが持ってきたものだ。スープの野菜や干し肉まで、食糧もばっちりで。もうここまで用意周到だと、かえって呆れてしまう。


「何って、ボクが作ったおいしい具沢山スープだよ?」

「俺が言ってんのはそういうことじゃなくてだな。お前が切った、この野菜を見ろっ」


 思わずぼくも自分の器のスープをスプーンですくう。そこにはウサギやネコにかたどられたニンジンやジャガイモ。

 すごい。……器用に切ったなあ、レイシェル。


「いいじゃん。カワイイでしょ? レイシェル特製のおいしくて可愛い具だくさんスープはね、2倍おいしいんだからっ」


 にこにこにこ。満面の笑顔で、さらにVサインつきで言われれば、ヴェルクはもはや突っ込む気も起きなかったらしい。深いため息をついて、自分の定位置に戻って黙々と食べ始めた。


 ああ、平和だなあ。

 ヴェルクとレイシェルが些細なことで言い合うのはいつものことだ。口喧嘩する割に険悪な雰囲気にならないのは、きっとお互いを大事に思っている友人同士だから。

 2人のやり取りを聞いていると日常に帰ってきた錯覚を覚えてしまって、気を緩めてしまう。

 明日はいよいよ水竜の洞窟へ行って、陛下と対峙するというのに。


「ヴェルクとレイシェルは、いつもああなのか?」


 思わず、心臓がはねた。

 ぎこちない気持ちを押さえつつ視線をめぐらせば、首を傾げるシェダルの顔。

 ダメだ。変に意識しちゃってる、ぼく。


「そ、そうですね。ヴェルクにとってレイシェルは恩人、なので。なんでも命を助けてもらったとか」

「そうか。だから彼は、レイシェルの助けになろうとしているのだろうな」


 こんなにぼくがドギマギしてるのに、シェダルはいつもと変わらない。興味の対象はヴェルクとレイシェルみたいで、じゃれ合いながら食事をしている2人を観察しているようだった。


鱗族シェルクは海ならともかく陸地となると不利になる種族だし、精霊使いともなれば狙われやすくなる。さらにあれほど好奇心旺盛となれば、同じ剣を扱う者としてヴェルクの心中を察してしまう。おそらく幾度も肝が冷える思いをしてきたことだろう」


 ……なんか。言葉の端々にカチンとくるのは、なぜなのだろう。

 まるで自分のことを言われているような錯覚を覚えてしまう。


「レイシェルは賢い子ですから、無茶なことはしないですよ」

「頭がよくても、無茶なことをしないとは限らんさ。お前だってそうだろう、ユーク」


 茜色の目がぼくに向けられる。

 やっぱりぼくのことを言ってたんじゃないか。


「ぼくがいつ、無茶なことをしました!?」


 声を荒げて反論しているというのに。シェダルときたら、吹き出して笑い始めた。


「しただろう。海竜の封印を解くために、人ならざる者である精霊の統括者に直談判。挙げ句の果てに、人の身では解けない水竜の呪いを解くために国を出奔。これが無茶でないというのなら、何なんだ?」

「そ、それは……。シェダルだって、人のこと言えないじゃないですか。陛下に騎士の誓いを立てて置きながら、裏切ってここにいるんですから」

「人のことを言えたクチか。お前だって俺と同じく、人喰いに関わらない代わりに陛下に誓いを立てただろうが」

「うっ」


 それは、その通りだけどっ。


「そもそも」


 まだ何かあるの。

 胡乱げにシェダルを睨むと、彼はぼくを見てなかった。

 茜色の目は遠くを見ていた。ここではない、どこかを。


「……そもそも、もともと他種族を喰わない代わりに命を賭して仕えると誓いを立てるなら、チャラにしてやるなんていうのはな。取引として成立しないんだ、ユーク」

「えっ。それはどういうことですか」

「陛下と俺達は対等ですらない。それも当然だろう。俺達は臣下で、陛下は絶対服従すべき国主だ。どんな命令でも迅速に従わなければならない。その内容が自分にとって嫌なものでも、俺達臣下に拒否権はない。断れば、切って捨てられてもおかしくないんだ。だが、」


 言葉を切り、シェダルは目を細める。

 誰を見ているのだろう。もしかして、陛下のことを思い出しているのかな。


「陛下は俺やお前だけにではなく、人喰いを嫌う幾人かの臣下に命を賭けて誓いを立てるなら見逃してくれた。いわば、恩赦に近い対応だろう。まあ、陛下が気に入っている臣下に限られているけどな」


 そんなふうに考えたこともなかった。

 ぼくの中の国王――シャウラ陛下は、立っているだけで圧を感じるほどの恐怖の対象でしかない。顔を見るだけで、声を聞くだけで、従わざるを得なくなるような。強い魅了の力を持った夢魔の王。


「ユークも知っているだろうが。あの方は王として即位する前から、今は亡き前王によって幼少の頃から他種族を喰わされてきた。人を喰った魔族ジェマはたしかに力を得るが、同時にその精神は狂気に侵される。無慈悲に他国の人々を殺し、喰らってきたから恐怖を覚えるのも仕方ない。だがな、それでもシャウラ陛下は自分に尽くしてくれる臣下をあの方なりに愛しているし、とことん甘くなる傾向がある」


 茜色の目がぼくの顔を映す。ひとつ瞬きして、ぼくはその目を見返す。


「お前が背を向けた人はそういうお方だということを忘れるな、ユーク」

「……シェダルは、陛下のことが好きなんですか?」


 もちろん、告白のことは忘れていない。

 もし、お仕えするのが誇らしくなるくらい、主君として陛下のことをシェダルが好きだったのなら。今シェダルは陛下を裏切って、ぼくと一緒にここにいてもいいのかな、と思ってしまった。……のだけど。


「いや、全然。むしろ嫌いだ」


 あっさりと、さっきの言葉とは裏腹に陛下を全否定するものだから、ぼくはますますシェダルが分からなくなってしまった。


「俺が好きなのは、今も昔もお前だけなんだぞ。ユーク」


 ちょっ……!

 うっわ、不意打ちだ。顔が一気に熱くなる。


「そういうことじゃなくてですね……! もう、それは分かりましたからっ。何度も言わなくてもちゃんと理解してますー!」

「どうだかな。お前は頭がいいくせに、鈍感なところがあるし」


 しれっと、いつもの仏頂面で言われたのが無性に腹が立ったので、とりあえず立てかけてあった自分の杖でシェダルを殴っておいた。

 普段から鍛えているシェダルには、非力なぼくがちょっと殴った程度では効果がなかった。

 挙げ句の果てには、危ないからとなぜかシルに杖を取り上げられてしまった。

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