8.すべてを捨ててでも

 シルやミスト達と合流するまで、ぼくたちは言葉を交わさないままだった。

 竜の姿のシェダルは無言のまま飛び続けたし、ぼくはシェダルの足にしがみつくので精一杯だった。だって、手を離したら最後、落下して死んでしまう。飛んでいた時間はわずか数分だったけど、速度はかなりのもので、ぼくは途中から下を見ないようにして必死にシェダルの足にしがみついていた。


「あっ、ユーク! おーい!」


 下の方から明るい声が聞こえてくる。レイシェルだ。

 シェダルも気付いたのか、ゆっくりと下降する。ぼくが着地しやすいように、低く飛んでくれた。


「よ、っと……」


 手を離してジャンプする。多少よろめいたけど、尻もちをつくことなく地面に降りることができた。運動オンチのぼくにしては上出来だ。


「皆さん、ご無事ですか?」

「ああ、大丈夫だ。彼が逃してくれたおかげでな」


 逃げる時に広げていたミストの翼はすでになくなっていた。口元を少しだけ緩めて、ミストはシェダルに目を向ける。つられたようにレイシェルやヴェルクも視線を向ける。

 紅い竜の姿のシェダルは地面に降り立つと瞑目した。その途端、白い光に包まれる。光が消える頃には、紅竜は紅い髪の魔族ジェマの姿に変わっていた。


「いつ見ても、魔族ジェマの【本性変化トランストゥルース】は不思議だよなあ」


 ゆっくりと目を開けて向き直るシェダルを見て、ヴェルクは腕を組んでぽつりと言う。たぶん、素直な感想なんだと思う。


「ねえ、ユーク。トランストゥルース……って、何だい?」


 人の姿に戻っていたシルが首を傾げて、ぼくをまっすぐに見る。

 ……近くにはレイシェルやヴェルク、ミストだっているのに、なんでシルはぼくに答えを求めてくるのだろう。

 頼りにしてくれてるってことなのかな。たぶん。あんまり自身はないけれど。


魔族ジェマの生まれ持った能力ですよ。ぼくたちは部族によって本来の姿が異なるんです。たとえば、ミストは天馬ペガサスの部族なので、本来の姿は翼を持った馬です。ぼくは海歌鳥セイレーンの部族なので、本来は水鳥の翼を持った人の姿ですね。【本性変化トランストゥルース】というのは、本来の姿に変身する魔族ジェマの種族魔法なんですよ」

「そうなんだ。でも、普段は人の姿なんだよね?」

魔族ジェマも闇の民として知られる人族ですからね。それに、部族によっては本性が好きじゃないって人も多いので、好んで変身したりはしないです。ぼくは本性トゥルースになれば無限に水の中で呼吸できるので、割と頻繁に変身しますけど。海で泳ぐのに便利ですし」


 鱗族シェルクのレイシェルと気が合うのは、ぼくがセイレーンだからなのかもしれない。セイレーンの魔族ジェマは水属性の子しか産まれないくらいだし。海と相性がいい部族だとぼくは思っている。


「それなら彼も人族なんだよね? いにしえの竜ほどの魔力は感じないし」


 シルが気になっているのは、やっぱりシェダルのようだった。それもそのはず。この無愛想なぼくの幼馴染は、シルの目の前で紅竜に変身してみせたのだから。


「ああ、その通りだ」


 ぼくが口を開くよりも先に、シェダルは前に出た。同時に彼が身に付けている銀の鎧が、カチャカチャ音を立てる。


 ちょっと待ってよ。テンポが早すぎる。

 シェダル、せめてキミのことをみんなに紹介させてくださいよっ。

 そんなぼくの気持ちをシェダルが分かるはずもなかった。相変わらずにこりとも笑わずに、みんなを見渡してから話し始める。


「俺はワームの部族だ。名前はシェダル=バイオレット。俺たちの部族は竜の姿になれるし、ブレスを吹いて攻撃することができるんだ。戦いの時には便利だから多用している」

「なるほど。人族といっても色々だね。興味深いよ」


 のほほんとシルは笑う。本当にマイペースな竜だ。

 ぼくとしては事の次第をシェダルに追求したいし、みんなにシェダルのことを紹介したいのに。シルは呑気に笑ってるし。話を切り出すチャンスが掴めない。


「シェダルだったな。お前は帝国に所属しているんだよな?」


 先に話の核心に触れようとしたのはヴェルクだった。腕を組んで、さり気なくレイシェルを背中に庇って立つあたり、まだシェダルに対して警戒を解いてはいないみたい。

 問い掛けと言うよりは、確認なんだと思う。


「その通りだ。俺は帝国の騎士団に所属していて、騎士団長という役目を陛下から賜っている」

「そうか。で、俺達を帝国の手の奴らから逃した上でここにいるってことは、味方だと思ってもいいんだな?」


 ヴェルクの紫色の目が、まっすぐシェダルを射抜く。

 ただ見返して、シェダルは頷いた。


「そう思ってくれて構わない。覚悟の上での行動だ」


 うそ。

 嘘だ、そんなの。


「何を言ってるんですか、シェダル!」


 気がつくと、ぼくはシェダルに掴みかかっていた。シェダルの方はただされるがままだ。


「自分が今、何をしているのか。何を言っているのか、分かっているんですか!?」

「ちょっ、ユーク!?」


 戸惑ったレイシェルの声が聞こえたけど、ぼくは構わなかった。

 追求しなければならない。もし、シェダルが自分の行動の意味を分かっていないのなら、理解させなければならない。


「分かっている」

「いいえ、分かっていません。ぼくは陛下の命令に従わず、国を出奔したいわば裏切り者なんですよ!? その謀反者に加担するなんて、シェダルも陛下を裏切るつもりですか」


 声を荒げても、シェダルは何も答えなかった。

 それでもぼくは言葉を止めるつもりはない。ううん、もう自分でも止められない。

 シェダルがこちら側に来ていいはずがないのだから。


「あなたは他種族の者を食べない代わりに、陛下に忠誠を誓いました。命を賭して、陛下に尽くすと。今なら間に合うかもしれません。早くダイアナ達のところへ戻ってください。シェダル、あなたはぼくと一緒に来ちゃいけないんです」

「五年経った今になってそれを言うのか。一緒に来るな、と。ユーク、お前はひどいヤツだな」


 口許を緩めて、シェダルはそう言った。どちらかというと、苦笑いに近い顔だった。


「ユーク、五年だ」

「え」


 言っている意味が分からない。

 だけどぼくは、今になって気付く。シェダルの目は真剣だった。


「お前が出奔してから五年の間、俺は覚悟を決めた。陛下に対する誓いを反故ほごにして、俺はお前について行く。そう自分で決めた。だからダイアナ達に剣を向けたんだ。それだけのことなんだよ」

「どうして、ですか」


 そう言わずにはいられない。

 シェダルには貴族という地位がある。騎士団長まで上り詰めるために、毎日血の滲むような努力をしていたことをぼくは知っているもの。

 その結果、シェダルは人を食べて力を得た同胞達よりもずっと強くなった。騎士団の中では誰もシェダルと肩に並ぶ者がいないほどの実力を身に着けた。

 そのすべてをぼくは知っている。ずっとそばで見てきたから。


「どうしてですか。ぼくなんかと一緒に来たら、ぜんぶ失うんですよ? 一生懸命がんばって強くなって、やっと陛下にも認められるようになったのにっ」


 言い切った後、聞こえてきたのはシェダルのため息だった。

 半眼でぼくを見るシェダルはどこか呆れ顔で。

 なんかちょっと腹立つ。


「お前がいないのなら、騎士団長になっても意味がないだろ」

「へ?」


 この時のぼくは、きっと間抜けな顔をしていたと思う。

 ぽかんと口を開けたまま見上げると、シェダルは笑った。いつも仏頂面だった、あのシェダルが。笑ったまま、ぼくの手を取る。


「子供の頃にお前に言ったこと、覚えているか?」


 唐突な話題にますますワケが分からなくなる。

 答えを求めていたわけではないらしい。何も返せずにいても、シェダルは続けた。


「お前を陛下に、俺は必ずお前の力になると一方的に約束した。俺にとっては、あれが生まれて初めての誓いだったのかもしれない。だが、作法も何もあったもんじゃない。何も知らないガキだったから、まあ仕方ないのだが。だから、改めて正式に誓わせてくれ」


 ぼくの手を取ったまま、シェダルは地面に片膝をつく。人喰いに関わらない代わりに自分の命を捧げると陛下に誓った、あの日のように。

 胸に手を当て、シェダルはぼくをまっすぐに見上げた。


「ユークレース=ウィル=マグノリア様。俺は幼い頃からあなたのことをお慕いしていました。この命が尽きるまで、この我が身はあなたの盾となり、剣となりましょう。長い間待たせてしまいましたが、今度は必ずお守りすることを誓います。俺の残りの人生を賭けて、必ず」


 夕焼け色の目はいつだって揺るぎなく前を向いている。

 ……恥ずかしすぎる。まともにシェダルを見ると、顔が熱くなる。心臓がドキドキどころか、バクバクしてきた。今にも飛び出してきそう。


 いつの間に腰から下げていた剣を取っていたのか、シェダルに無言で鞘ごと渡される。

 有無もないよ、こんなの。率直すぎるこんな申し出を断れるはずがない。

 ぼくはおずおずと剣を受け取る。


 ――て、重っ!!


「大丈夫か?」

「だ、だいじょぶ、です……っ」


 震える手でなんとかシェダルに剣を返す。これで、一応誓いの儀式は完了だ。略式だし、ぼくは見よう見まねだけど。

 これに何の意味があるのだろう。改めて、ぼくの力になってくれるってこと?

 言いたいことがそのまま顔に出ていたのだろう。立ち上がったシェダルは腰のベルトに剣を装着し直してから、ぼくを見るなり吹き出して笑った。


「ユーク、これだけ言っても分かっていないようだから、改めて言ってやろうか?」

「あ、はい」

「地位とか名誉とか国とか。すべてを捨ててでも、そばにいて守ってやりたくなるくらいお前が好きだってことだよ、ユーク」


 え。



 えええええええ!?


 またまた、もろに顔に出ていたのだろう。シェダルはさらに言った。


「返事はいらない。お前が俺のことをそういう意味で意識していないってことは、十分すぎるくらいよく分かっている」









「――で、要するに。お前はユークの幼馴染で、前から好意を持っていて。国王を裏切って、ユークの手助けをするために俺達を助けてくれた。そういうことだな?」

「ああ、そういうことだ。分かってくれて感謝するよ、ヴェルク」


 状況を判断し、みんなを導くのは決まっていつもヴェルクだ。

 向かい側に座っているシェダルが頷くと、ミストは水色の目を和ませた。


「騎士団長が味方についたということか。それは心強いな」


 今ぼくたちはとりあえずシェダルと話し合うために、平原にある大木の根本にレジャーシートを敷いて腰を落ち着けていた。

 ちなみにレジャーシートはミストが持っていた。場所を選ばず食事ができるように、荷物の中に入れておいたらしい。


「それなら帝国側が把握している情報も掴んでいるんだろ。話してくれねえか?」

「もちろん。最初から情報は共有するつもりでいたからな」


 隣に座っているシェダルはいつもと変わらない。ぼくはと言うと、さすがに落ち着かないでいる。だって、さっき告白されたばかりだもの。まともにシェダルの顔が見れない。

 それなのにシェダルはすっかり仕事モードになってて。仏頂面どころか、どこか憑き物が落ちたかのような顔でヴェルクと話している。


 ……言い逃げなんて、ズルい。


「さっきダイアナやスヴェンに迎え討たれたことから薄々察していると思うが、国王陛下にはすべてお前たちの行動は筒抜けだ。帝国を甘く見るな。諜報員はお前たちが泊まった宿も把握していたし、水竜の洞窟までのルートを予測した上で俺達を使って奇襲をかけた」


 シェダルのその言葉で、ぼくは意識を現実へ引き戻した。顔を上げて、シェダルを見上げる。


「ということは、陛下は警護の者を誰もそばに置いていないってことですか」

「それほどお前を気に入っているし、高く評価しているんだ。国の重要機密を知っている者をそうやすやすと見逃すはずがないだろう」


 いや、そう言われればそうなんですけど。

 それでもあまりに無謀すぎる。だって。


「だからって、騎士団長も近衛隊長も自分のそばから離れさせたのか。ある意味すげえな。フツー誰か警護させるもんだろ、王サマって」


 何事も鋭く察するのが得意なヴェルクが、ぼくの言いたいことをそのまま言ってくれた。

 そうだな、と言って、シェダルは視線を落とす。それは僅かな時間だけだった。すぐにヴェルクをまっすぐに見て、言った。


「だが、お前達は陛下の実力を知らないだろう。あの方は強い。おそらく俺よりも。歴代の国王の中でも剣の強さにおいては右に出る者はいないだろう。そして陛下は水竜の洞窟で、お前たちを待ちわびているはずだ」

「だよなあ。大丈夫なのか、シェダル。さっきまで主君だったヤツに剣を向けることになるんだぞ。俺もそれなりに強いという自負はある。だが、人を喰って力を得た魔族ジェマに太刀打ちできるかって言われれば、あまり自信がない」

「そうだな。実はそのことで、折り入って頼みがある」


 次の瞬間、ぼくは息をのんだ。

 穏やかだったシェダルの目が急に鋭くなったからだ。


「シャウラ陛下の相手は俺だけでさせてくれないか」


 ……はい?


「シェダル、何言ってるんですか!?」


 さっきその口で言ったじゃん。陛下は自分よりも強いって。人喰いの魔族ジェマの中でも頂点に立つくらいの強さだってことは、毎日陛下を手合わせしていたシェダルが一番よく分かってるはずなのに!


 やっぱり、シェダルには言って聞かせるしかない。

 ぼくなりに決心してシェダルに掴みかかろうとした時、ヴェルクに腕を掴んで止めてられた。ヴェルクはやめとけ、と言った。

 そして、シェダルの顔をまともに見る。


「ケジメをつけたいんだな、シェダル」

「ああ。お前は理解が早くて助かる」

「そりゃどーも。なら、任せたぜ。俺は手出ししないし、ミストも何もしない。なあ、ミスト」

「ああ。そういうことなら、シェダルに任せよう」


 トントン拍子に話が決まっていって、ますますぼくは混乱した。

 ヴェルクもミストも何言ってるの。


「で、でも! シェダルが陛下に勝てるっていう保証はどこにも」

「ユーク」


 ぽんとやさしく肩に手を置かれる。レイシェルだった。

 相変わらず可愛い顔でにっこりと笑って、レイシェルはぼくに言った。


「少しは男ゴコロってやつを、分かってあげなよ」


 ……。

 レイシェルは男だってことは、よーく分かっているのだけど。

 それは、レイシェルにだけは言われたくなかった。

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