7.帝国の宮廷魔術師と騎士団長
翌朝。空がまだ明るくならないうちに、ぼくたちは出発した。
ぼくとヴェルクとレイシェルは昨日と同じように、フード付きのマントを着込んで外に出る。ミストは
作戦は驚くほど、うまくいった。
街の正門でのチェックも難なくクリア。宿場街リルムを無事に出ることができた。
ここまで来れば、後は水竜の洞窟へと進むのみだ。
進んでいけば行くほど、広かった街道が狭まっていく。ついには踏みならされた獣道だけになった。聖域へと近づいている証拠だ。
「今のところは順調だな」
歩きながらミストが言った。すぐ後ろでヴェルクが頷く。
「ああ。何かあるとすれば、そろそろかもな」
「なになに、どういうこと?」
レイシェルが、傍らにいたヴェルクの袖を引っ張る。すぐ後ろにいたぼくも思わず、彼に視線を傾けた。
「世界屈指の強さを誇るイージス帝国の目を、そう簡単に欺くことなんかできねえってことさ」
ヴェルクの声はいつになく低く、隙がない。突然ミストが立ち止まる。当然、彼の後ろにいたぼくたちも足を止めた。
直後。
「当然です!」
聞き覚えのある怒声に、ぼくは肩をすくめる。けど、怯えている場合じゃあない。布を巻いて隠してあった杖を握りしめて、臨戦態勢へと移る。
「我らの敬愛するシャウラ国王陛下の目から逃れることができるなどと、自惚れるのも大概にしてほしいですわ」
さく、さくと。草を踏み分けて現れたのは、太陽の光を弾く金髪の女性。もちろん
彼女が着ている白地に紺色のラインが入ったローブは、帝国の宮廷魔術師の証。かつて、ぼくが面倒を見ていた部下だ。
「ユーク。彼女は帝国の刺客、だよな」
「はい、おそらくは。彼女はダイアナ=ハーシェル。宮廷魔術師の一人です」
もう顔を隠していても意味はないだろう。フードを取って、ぼくは立ちはだかるダイアナをまっすぐに見る。
「ダイアナ」
「ユークさま、お久しぶりです。わたくし、あなたにずっとお会いしたかったですわ。ユークさまのご存知の通り、同じ宮廷魔術師のロ―ウェルはサボってばかりで、わたくしに仕事を押し付ける始末。やはりユークさまがいなければ。ユークさま、今なら陛下だって許してくださいます。もう戻って来てはくださらないのですか?」
ミストやヴェルクの後ろにいても、ダイアナの表情を見ることができる。薄緑色の瞳を揺らして、縋るようにぼくを見る彼女。以前なら手を取って慰めてあげたけれど、今のぼくはそういう立場にはいない。
「ダイアナ、ごめんなさい。ぼくはもう帝国には戻るつもりはありません。ぼくにとっての最優先事項は、水竜の呪いを解くこと。どうか道を開けていただけないでしょうか」
「なぜ竜に関わろうとするのです。水竜の呪いはもうすでに解決したではありませんか。あの海竜が自らの身を差し出したおかげで、呪いは相殺されたはずです」
「海竜を救うために、水竜の呪いを解くのです。水竜の呪いがなくなれば、海竜の解放をウラヌス様は約束してくださいました」
「おかしいですわ、ユークさま。忌まわしき竜の解放を願うだなんて。竜一匹のために国も、栄誉ある立場も、身分も捨ててしまうなんて! あなたは誰よりも、シャウラ陛下の寵愛を受けていたではありませんか!」
手にしていた杖を掲げて、ダイアナはその先をぼくたちに向ける。眦を決して、叫ぶ。
「ここは一歩も通しませんわ! さあ、スヴェン、シェダル出番ですよ。国王陛下の名のもとに、この者たちを捕らえなさいっ」
ダイアナの号令と同時に現れたのは、紅い髪の
最悪だ。昨夜の夢は予感だったんだろうか。よりにもよって、この2人だなんて。
「て、帝国の近衛隊長と騎士団長です。まずいですね……」
前のほうで、ヴェルクの乾いた笑いが聞こえた。
「向こうは本気で捕まえに来たってことだな。どうする?」
「もちろん、力づくで押し通ります!」
前に出てきた赤髪の二人を見据えて、ぼくは前に出た。
背の高い方がシェダルで、その隣にいるのがスヴェンだ。
こうして現実に、もう一度シェダルと顔を合わせる時が来るだなんて。子供の頃からよく知っている幼馴染は今も顔色ひとつ変えずに、茜色の目をぼくにまっすぐ向けている。
仕事において公私混同はしない。それはぼくも、シェダルも同じだ。
二人は炎属性。選び取るのは、彼らにとって弱点の光魔法。
「雷獣、召……!?」
「ユーク、あのお姉さんが出てきてから変なんだ。ボクも魔法使えなくなってる」
振り返ると、レイシェルの顔は青ざめていた。無言でヴェルクは庇うように彼の前に立つ。
既視感のある現象に、ぼくは手を強く握りしめる。
緊張なのか、恐怖なのか。心臓が強く鼓動する。魔法が使えない状況が自分の身に降り掛かってくるだなんて、予想していなかったわけじゃないけど。
「ダイアナ、何かしましたか?」
冷静に努めてみた。でも、無駄だった。ぼくの動揺する心を見透かしたかのように、ダイアナはクスクスと笑った。
「分かりませんか、ユークさま。今まであなたが勝ち取ってきた戦で、同じように魔法を使えないようにしたことがあったでしょう?」
やっぱり。杞憂であって欲しかったのに。
ひとつため息をついて、ぼくはダイアナを見つめる。
「
「はい。ユークさま、あなたは魔法道具を作ることにおいて、ほんとうに天才だと思っています。あなたが発明したこの道具で、他国侵略への難易度がぐっと下がりましたもの」
ダイアナが取り出したのは、黒く光る金属製の杭。黒曜石でできたそれにはぼくが考案した術式が刻まれていて、四方に打ち込むことでその空間だけ魔力を打ち消してしまうという代物だ。
「ぼくはその道具を作ったことは、後悔しています。本当に。でも、ダイアナ。それにはデメリットがあることも知っているでしょう。それを使えば、敵味方関係なく魔法を使うことができなくなるんですよ」
「ええ、分かっています。ですから、帝国でも強さを誇る騎士として知られるこの二人を連れてきたのです。スヴェン、シェダル、後は任せましたわよ」
薄い笑みを浮かべてダイアナは後ろへ下がる。背が低い方の赤髪の
「承知した」
前に出たスヴェンはオレンジ色の目でぼくを睨みつける。金属音を立てて剣を抜き、切っ先を向けた。
「ユークレース殿、あなたは最早帝国の反逆者だ。個人的に恨みはないが、覚悟してもらおう」
迷いのない言葉。容赦なく向けてくる鋭い目に、身体が震える。
何度も戦場で見てきた。初めてではない。睨むだけで射殺してしまいそうな殺気。心臓が凍えそうだ。
どうしよう。さすがに騎士相手では勝ち目がない。ましてや、魔法という武器を取り上げられて、ぼくは丸腰同然だ。
「ユーク、下がれ。捕まったらやばいぞ!」
「そ、それは分かっているんですけど……っ」
まずい、一歩も動けない。腰が抜けちゃったみたい。
ああ……! ぼくのバカ!!
「安心しろ。殺しはせん」
スヴェンが間合いを詰めてくる。剣を振り下ろす。
舌打ちが背後で聞こえた後、腕を引っ張られた。と、同時にヴェルクが前に出る。反動でぼくは地面に座り込む。
だめ、間に合わない。まだヴェルクは剣を抜いていない。
このままじゃ、ヴェルクが斬られる。そんなのダメに決まってるのに……!
でもぼくは、こわくて、心臓が止まりそうで。思わず目を閉じた。
ガキィン――!!
金属音。剣の刃が重なり、ぶつかり合う音だ。戦場で何度も聞いた。
でも、なぜ今?
「シェダル、貴様ッ!」
焦燥にかられたようなスヴェンの声に、ぼくはおそるおそる目を開ける。
そこで、見たものは。
「どう、して……」
ぼくとヴェルクを背に庇うように立ち、迫り来るスヴェンの剣を自分の剣で防いでいる幼馴染の姿だった。
「どうして、そんなことを」
つぶやくようなぼくの声は、シェダルには届かなかった。力任せにスヴェンの剣を押しやると、シェダルは息を吸い込んで叫んだ。
「お前ら、逃げるぞ! 空を飛べる者はいるか!?」
「俺なら飛べる。
即座に反応したのはミストだった。次に答えたのは一番後ろにいたシルだ。
「僕も竜になれば飛べる。二人くらいなら運べるよ」
「なら、
「分かった」
背後で、濃密な魔力の気配を感じた。シルが竜の姿に戻ったらしい。ミストはすでに背中から翼を出して、上空にいた。
「ユーク、お前は俺の足に掴まれ! 俺も
「えっ」
急展開すぎて、事態が飲み込めない。けど、ぼくを見る茜色の目は真剣で。言われるままに、ぼくはシェダルの足にしがみついた。
直後。目の前が真っ白になり、ぼくの身体が宙に浮いた。
すぐ近くで翼の音がする。鳥の翼を持つ
おそるおそる見上げるとシェダルがいた。けど、彼は人の姿をしていなくて、固い翼を持つ赤い竜の姿の幼馴染だった。
次は下を見て、ぼくはあまりの高さに意識を手放しそうになった。見なきゃいいのに、と自分でも思うけど。
下にいるスヴェンとダイアナが少し小さく見えた。やっぱり浮いている。自然と、シェダルの足にしがみつく腕の力を込める。
「シェダル、何の真似ですか!? あなたは今、自分が何をしようとしているのか、分かっているのですかっ」
聞こえたのがダイアナの叫び声だった。シェダルは何も答えない。
ぐら、とぼくの身体が傾く。シェダルが少しのけぞったみたいだ。その動作の意味するところを知るぼくは、頭が真っ白になる。
ちょっと待って、シェダル。
ぼくが制止の言葉をかける間もなく、紅竜の姿の幼馴染は大きな口を開けて、炎のブレスを吐き出した。
当然、下で声にならない悲鳴が聞こえてくる。熱風が舞い上がってきて、少し熱い。
「ダメです、シェダル。ダイアナやスヴェンを殺しては……!」
紅色の鱗がびっしり生えたシェダルの足に必死でしがみつきながら、ぼくは声を荒げる。
誰も殺したことがないってほど、ぼくの幼馴染は清廉潔白ではない。戦場では帝国の騎士として容赦なく多くの命を刈り取ってきた。
でも、ここは戦場じゃない。だからこそ、今この場で彼には誰も焼き殺して欲しくはない。どうして今この局面で、ぼくを助けるような真似をしたのか、まだ理由を聞いていないもの。
シェダルはぼくの言葉には何も答えなかったけど、それ以上彼らに何もしなかった。
黙ってぼくを足にぶら下げたまま上空を飛び、先に逃げていたシルやミストを追いかけ始めたのだった。
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