6.宿場街リルム

 翌日の早朝にぼくたちは出発した。

 ジェパーグからイージス帝国へ向かうとなると、移動手段は普通に考えると船になってしまう。けれど、ぼくは今指名手配中の身だから、入国手続ができない。

 となると、魔法で移動するより他にない。


 魔族ジェマだけが使える種族魔法のひとつに、転移魔法テレポートがある。他の場所へ瞬時に移動できる、とっても便利な魔法だ。ただし、移動先は術者がよく知っている場所でないといけない。

 だから、帝国を知ってるぼく一人で、四人を運ぶ羽目になった。もともとぼくの魔力は普通の人より多いから平気だけどね。


 魔族ジェマ転移魔法テレポートは他種族の人にとって酔いやすい。だから、ひとまず宿場街で休息を取ってから水竜の巣穴へ向かおうということになった。


「うっわあ、見事にジェマだらけだねー」


 部屋の窓から身を乗り出して、レイシェルが顔を出した。びっくりして振り返り、ぼくはあわててレイシェルを部屋の中へと引っ張って、窓を閉めた。外から見えないようにカーテンも閉める。


「ダメですよ、レイシェル! ただでさえ、鱗族シェルクは目立つんですから」


 昨日のぼくの話をちゃんと聞いてたのかなあ、この子は。鱗族シェルクなんて、人喰いの魔族ジェマにとって格好の獲物だというのに。


 今ぼくたちがいるのは聖域の近くにあるリルムという宿場街だ。領土の端っこといえど、ここも帝国。表通りでは普通に翼族ザナリール獣人族ナーウェアの子どもが売られているし、どこを見回しても魔族ジェマしかいない。

 他種族の人がいたらすぐに捕らえられて、帝国の魔族ジェマに喰われてしまう。だから、指名手配犯のぼくだけでなく、人間族フェルヴァーのヴェルクや鱗族シェルクのレイシェルにはフード付きのマントを着込んでもらっている。

 とりあえず、今日一日宿に泊まって明朝に発つ予定だ。宿の手配は一番安全面で心配がない、ぼくと同じ魔族ジェマのミストがしてくれた。


「レイシェル、くれぐれも危ねえ真似はするんじゃねえぞ。街の警邏隊に捕まったら、俺もおまえもヤバいんだからな」

「分かってるよー。けど、お腹すいたんだよねぇ」

「ミストが街で何か買ってくるみたいだから、一緒に待っていようか。さすがに、街中で食事はできないよね?」


 ぼくを見てシルは首を傾げる。もちろん、ぼくは強く頷いた。


「いいか? ミストはすぐ帰ってくるから、おとなしく待っていてくれ。頼むから」


 レイシェルの隣に座り込み、いつものようにヴェルクは言い諭す。でも、ぼくには哀願のようにも聞こえる。

 後から聞いた話だけど。もともとヴェルクは、レイシェルが海から出て陸に上がることには反対だったらしい。


 今は帝国だけでなく、他国でも他種族を喰らう魔族ジェマが多い時代だ。鱗族シェルクは滅多に陸に出てこないから喰われるのが少ないってだけで、たいていは真っ先に標的にされる。海の中にある鱗族シェルクの国にとどまっていれば、危険がないのだけど……。


 レイシェルはこの通り、ヴェルクの反対を物ともせず、今もこうしてちゃっかり付いて来ている。どんなに言っても聞かないから、最近はヴェルクも諦めているみたい。


「分かってるってば。じゃあさ、何か話をしようよ」


 ベッドの上に投げ出した足をパタパタと動かして、レイシェルは元気よく言った。

 たしかに。こうしてただ待ってばかりいるのも退屈だし。気も紛れてくるかも。


「いいですね。何の話をしましょうか」


 あてがわれた部屋には人数分のベッドが置かれている。なんとなくベッドの端に腰を下ろすと、レイシェルはごろんと寝転がったまま挙手して提案した。


「えっとねー。ボク、海竜のことをもうちょっと聞いてみたい」

「カイのことですか?」

「うん。ユークの友達なんでしょ? どんな竜なのかなあって。シルは知ってるの?」


 話題を振られたシルに目を向けると、彼はぼくと同じようにベッドに腰掛けたまま首を傾げていた。


「昨日も言ったように、竜は他の竜とはあまり交流しないんだよ、レイシェル。……でも、うん。ある程度は知ってるかな。海竜はいにしえの竜の中でも永い時を生きている、僕の先輩だからね」

「そうなんだ。キケンな竜ってわけじゃないんでしょ?」

「うん、もちろん。もともと彼は人族と関わらないように海で静かに暮らしていたし。だから、彼は統括者に封印されたと聞いた時は、正直驚いた。彼は勇ましい性格をした竜だけど、それは自分より格下の竜相手であって、人を害することは絶対にないタイプだったから」


 え。勇ましい?? しかも格下の竜相手に? まるで、カイが竜相手には力を振るうみたいに聞こえるんだけど。


「じゃあ、竜相手にはケンカとかするってこと?」


 頭の中を疑問で埋め尽くしていたぼくに代わって、レイシェルがシルに尋ねてくれた。シルは頷く。


「うん。統括者は竜同士なら、大地を損なわない限り放って置いてくれるからね。竜は巣穴を作って暮らすんだけど、海竜は海が住処だから巣穴は作らないみたい。その代わり、海そのものが彼の縄張りだから。それに、本来竜は自分の欲しいものは奪ってでも手に入れる性質もあるし」

「でも、おまえはそういうふうには見えねえなあ」

「あ、うん。僕はしないね。争うのはあんまり好きじゃないし、喧嘩するくらいなら相手に譲るかな」

「そっかー。シルらしいねぇ」


 あ、そうだよね。いつもにこにこ笑っている優しいシルが、そんな力任せに他の竜と喧嘩するわけないよね。いや、そうじゃなくて!


「あの、シル」

「何かな?」

「カイは、勇ましいですか?」

「うん、割と。どちらの竜が上か意識してるところはあると思うけど」


 そう、だろうか。ぼくの知ってるカイとは、なんか違う。

 記憶の中でのカイは、眩しい笑顔でいっぱいで。ぼくに合わせるためだけに人の姿になってくれて、魚を焼いて食べさせてくれた。一緒に泳いだ時は海の中を案内してくれたし、浜辺ではぼくが知らない海のことを教えてくれた。


「ぼくが知ってるカイとは、勇ましいとは程遠いような……。そりゃ口は乱暴ですけど、カイはとても優しい竜だと思います」

「そっか。それはたぶん、ユークだからだろうね」


 穏やかにシルは言った。嬉しそうな顔で、くすっと笑う。


「ぼくだから、ですか?」

「うん。僕に対してもそうだけど、彼にとって他の竜達は競争相手であって友人ではないんだよ。でも、ユーク相手に海竜が優しくしたのなら、大切な友人として接していたんじゃないかな」

「そう、なんですね」


 ともだち、と思ってくれてたのかな。

 ぼくにとっては、もちろん大切な友人だ。でも、カイも同じような気持ちでいてくれてたのなら。

 こんなに嬉しいことはない。


「早く助けてあげたいです。たくさん、話したいことがありますから」


 再びカイと顔を合わせる機会が来たら、何を話そう。

 まずはお礼を言いたい。こんな、人を傷つけてばかりのぼくと友達になってくれたから。人形みたいだったぼくと一緒にいてくれて、ぼくをヒトに戻してくれたから。


「いいね。きっと、彼も喜ぶと思うよ」


 シルはにこりと笑いかけてくれた。つられて、ぼくも口元を緩めた。




 ☆ ★ ☆ ★ ☆




 その日、ぼくは夢を見た。子供の頃の夢だ。

 当時の宮廷魔術師の長だった父に連れられて、ぼくは初めて城に入った。二十歳になる頃で、今から三百年以上前のことだ。

 朝早くに支度をして応接間に行くと、父上はぼくに言った。


「おまえはいずれ私のあとを継ぎ、国王陛下にお仕えするのだ。おまえのすべてを、陛下にお捧げしなさい」


 屋敷を出る直前、母上は泣いていた。慰めてあげたかったけど、父上が時間だからと腕を引いたので何もできなかった。

 外は雨だった。傘を差して、すでに用意されていた馬車へと足を進める。乗り込む直前、聞き覚えのある声がした。


「ユーク!」


 振り返ると、幼馴染のシェダルがずぶ濡れのまま立っていた。紅色の髪が雨水を吸って、ぺちゃんこになっている。


「シェダル?」

「ユーク、城に行くのか?」


 ぼくは頷いた。変なシェダル。ぼくが城へ上がって、王子殿下に謁見するのは前から分かっていたことなのに。


「王子殿下がぼくをご所望なんですって。それに、ぼくはいずれ父上の跡を継いで宮廷魔術師の長になるんですよ」

「そう、だな」


 シェダルは俯いて黙り込んでしまった。雨はざあざあと降り続けている。地面に強く打ち付けた雨が跳ね返って、ぼくのドレスの裾を濡らす。

 いつもシェダルは、困った時に黙り込んでしまう。ほんと、何しに来たんだろう。

 ――と、思っていたら、突然シェダルは顔を上げて、口を開いて何か言いかけたようだった。でも、すぐに口を閉ざしてしまった。


 ああ、シェダル。キミは何しに来たの。もう時間がないのに。

 父上の責めるような視線が背中に感じる。これ以上待っていられない。

 ぼくはシェダルに背を向けた。


 その時。

 歩き出そうとしたぼくに、シェダルは言った。


「ユーク、俺もいずれ騎士として城に上がる。だから、それまで待ってろ。困ったことがあったら必ず力になってやるから!」


 思わず振り返る。傘を上げると、シェダルはぼくを見ていた。まっすぐに。夕焼けを思わせる、あの茜色の瞳で。







「な、懐かしすぎる……」


 夢で見た映像も、音も妙にリアルで。気分も最悪だった。

 窓を見るとまだ三日月が出ていた。まだ真夜中みたいだ。


 ぼくが女性だということから、ミストはぼくだけ個室を取ってくれていた。幸い他のみんなは隣の部屋だ。最初は申し訳ないなと思ったのだけど、今この時だけは自分一人だけでいることにホッとする。

 どうしたの、って聞かれたら、正直困る。

 今まで三百年以上生きてきた中でも、あれは最悪な記憶だ。

 父上は人喰いの魔族ジェマだった。狂気に侵された心のまま、父上はぼくを王子殿下に差し出した。

 ぼくは二十歳で、城に上がった。そして、王子殿下のお手付きになった。

 当時の王子殿下は、今では国王として帝国を治めている。陛下は夢魔ナイトメアの部族で、魅了の力がとても強い。将来自分の臣下になるぼくを、魅了にかけるために呼んだんだと思う。


「シェダルは、知っていたのかもしれないですね」


 ぼくが城に上がったら、何をされるのか。だから、心配して見に来たのかも。

 それでも、シェダルはぼくを呼び止めるだけで何もせず、騎士になる宣言だけして帰っていったんだっけ。

 あの時、シェダルは何を言おうとしていたのだろう。もしかして、行くなとでも言おうとしたのだろうか。


「そんなわけ、ないですよね」


 力になると言ったのに、シェダルはぼくと一緒に国を出奔してくれなかった。

 それもそのはず。シェダルは国王陛下に忠誠を誓った騎士だから、ぼくみたいに国や陛下を裏切れるはずもない。だからこそ、見限ってぼくは一人で国を出たわけだし。


 朝になったら、水竜が封印されている洞窟へ向かうことになっている。

 ぼくの悲願はもうすぐ果たされる。シルの銀竜の力で水竜の呪いは解けて、ぼくはその事実を突きつけるために再び精霊の統括者に会いに行くのだ。交渉がうまくいけば、カイは解放される。

 集中しなければ。

 海竜を助けようとすれば、帝国は反対してくるだろう。シェダルは帝国の騎士だから、今はぼくの敵だ。


「誰にも、邪魔なんてさせません」


 掴み取った大きなチャンス。それを手放すほど、ぼくは馬鹿じゃない。今回を逃せば、もうチャンスは巡ってこない。

 待っていて、カイ。もうすぐ助けてあげるから。


 夜空に浮かぶ三日月を見上げる。ぼくは胸元に手を添え、ひとり強く誓った。

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