5.殻を破り、手を取り合って
「ごめんね、ユーク。きみを悲しませる気はなかったんだ。本当だよ」
空が夕焼けのオレンジ色に染まる頃。泣き止んですっかり気持ちが落ち着いてきたぼくの様子を感じ取ったのか、シルが頭を下げて謝ってきた。
場所は山小屋内のリビングで、ミストは夕飯の準備をしている。テーブルについているのはぼくとシルの他に、ヴェルクとレイシェルだ。
「べつに悲しくて泣いてるわけじゃないんですよぅ……。シルが騎士みたいなことをするから、なんかおかしくて肩の力が抜けちゃったというか」
「一度やってみたかったんだよね。作法は合ってたかなあ?」
「国によってそれぞれですけど、たぶん、全然合ってないです」
キッパリと言うと、シルは見るからにうなだれた。
本当のことだもん。カッコいいって思っちゃったのも、なんだか悔しいし。最近は誰かにときめくってことは、ここしばらくなかったのに。
「残念だなあ。次はもっとよく観察して、真似しないと」
「シルはどうして人の真似をするの?」
尋ねたのは、テーブルについていたレイシェルだ。
にこりと笑って、シルは答える。
「僕はね憧れているんだ。きみたち人族に」
「憧れてる?」
「うん、そう。竜の命は人族とは性質が異なるから転生はできないから、諦めているんだけどね。僕は人になってみたいと思ってるくらい、きみたち人族を憧れているんだ。本来竜は名を持たないものなんだけど、人族を真似て自分でシルヴェストルって名前を考えて付けたんだ」
「へぇ、そうなんだ。どうして?」
それは、レイシェルだけじゃなくてぼくも純粋に抱いた疑問だった。竜よりも力がなく寿命が短い人族になりたいだなんて。
あらかじめミストが出してくれたお茶を飲みながら、シルは嬉しそうな顔で続ける。
「僕たち竜は人族のように器用ではないし、竜同士であっても関わりを持たないことが多いんだ。おいしい食事を作って家族で食べるということを人族はするけど、竜はしない。僕の巣穴があった場所も近くに人族の村があってね。いつもあたたかな光が灯った家から、楽しそうな笑い声が聞こえてきていたよ。いいな、素敵だなあって思ってた」
「そうなんですか。シルの巣穴がある国はきっと栄えているんでしょうね」
夜は家族と笑い合って食事だなんて、ぼくはあまり経験してこなかった。ヴェルクたちに出会うまでは。
豪華な食べ物でなくても、みんなで食べて笑い合うだけでしあわせな気持ちになる。心があったかくなる。
あたたかな光と楽しい団欒の声があちこちの家からもれてくるってことは、穏やかな国なのだろう。国民が安心して夜を過ごせるような。
「そうかも。僕の巣穴はイージス帝国の辺境にあるから。あそこは世界で一番大きな国だもんね」
のほほんと笑って意外な事実を告白するシルに、ぼくは思わず身を乗り出した。まさか、シルの巣穴が帝国にあったなんて!
「そうなんですか!? 一体、どこなんですか?」
辺境だとしても、帝国の領土内ならどこでも把握できる。他国を侵略する多くの戦の指揮を取っていたのは、他ならないぼくなのだから。
「うーん、どこだろう。一年のほとんど雪が降っているところだったよ」
「そ、そうですか……」
帝国で雪がずっと降るような寒い場所はひとつしかない。正確には、そこは最近帝国の領土になった場所だ。五年前、ぼくが国を出る少し前に。
もともと国を治めていたのは
交渉の末、相手はすぐに降伏したけど、彼がどうなったかぼくは知らない。誰も教えてくれなかったし、ぼくは知ろうともしなかった。だけど。
侵略の果てに、陛下が王である
だから、これ以上シルには何も言えない。ヴェルクやレイシェルにも。
「なるほどな。シルの巣穴が帝国にあるから、ユークの手配書を持ってたんだな」
ヴェルクの声に顔を上げると、彼は例の手配書を眺めていた。ぼくの似顔絵がきれいに描かれていて、何度見てもどきりとしてしまう。ほんと、コレ誰が描いたんだろう……。
「うん。村長の家の前に貼ってあったから、一枚もらったんだ。センターポイントでユークにあった時は、すぐに思い出さなかったんだけどね」
「あはははは……」
もう乾いた笑いしか出てこない。良かった、すぐに思い出さないでいてくれて。
そうして一段落して、話が落ち着いた頃。湯気の立つ鍋を持って、ミストがぼくたちに声をかけてきた。
「おまたせ。さあ、ごはんにしよう」
「これは何という料理なんだい?」
テーブルの中央に置かれた大きな鍋を覗くと、肉や野菜が煮込まれている。漂ってくるのは、香ばしい匂い。ますますお腹がすいてきた。
「これは猪鍋というジェパーグの料理なんだ。俺はイノシシを狩るのが得意だから、よく猪鍋を作るんだよ。ウチは人数も多いし」
「そうそう。まあ、今日はたまたま二人いないんだけどね。いつもはみんな揃ったら五人だもんねー」
ウキウキとした表情でレイシェルは、自分の小鉢をヴェルクに手渡す。よそってくれということらしい。まるで彼がそうすることが当然とした顔をしているレイシェルをヴェルクはちらっと見たけど、すぐにあきらめたみたいで、あからさまにため息をついた。無言で彼の小鉢を受け取る。
「ジェパーグの一般家庭では、よく家族でひとつの鍋料理を仲良く食べるみたいですよ。シル、ぼくがよそってあげましょう」
「いいのかい?」
「はい。シルは今夜のお客さまですから」
鍋の中では肉と彩りのよい野菜がぐつぐつと煮込まれていて、ぼくはなるべくバランスよく器に盛ってあげた。せっかく一緒に食べるのなら、シルには楽しんでもらいたい。
小鉢を手に取ると熱が伝わってきて温かかった。まあ、当たり前なんだけど。でも、ぼくたちにはこの当たり前の温度も、食卓のあたたかさも、シルには初めてなんだよね。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
手渡してあげると、シルは青い目を輝かせて、小鉢を両手で受け取った。まるで宝物を大切に受け取るかのような、丁寧な仕草だった。なんかかわいい。
「嬉しいな。あたたかい食事に、あたたかい光。まさか僕もあずかれる時がくるなんて」
「それほど喜んでもらえると、俺も作った甲斐がある」
水色の瞳を和ませてミストが言うと、ヴェルクがぼくたちを見渡して声をかける。
「冷めないうちに早く食べようぜ。食い終わったら、すぐにこれからのことを話し合おう」
☆ ★ ☆ ★ ☆
「ヴェルク、これからのことって何ですか?」
食後のお茶を飲みながら、ヴェルクを見る。彼はぼくをまっすぐに見て、にいっと笑った。
「もちろんおまえと一緒に、水竜の呪いを解きに行くに決まってるだろ」
「――え?」
ちょっと待って。何言ってるの、ヴェルク。
「そ、それはダメですっ。昼間に話した通り水竜の呪いの起点は、風の聖地の近くです。つまりは帝国の領土の近くなんですよ!?」
「知ってる」
ヴェルクは全然分かってない。他種族を自分達の食糧としか考えていない帝国の国民性や、帝国のものをすべて自分のものとする陛下の恐ろしさを。
イージス帝国は人喰いの
「いいですか? 水竜の洞窟まで行くには帝国の宿場街リルムを通っていかなければなりません」
棚にしまってあった筒から帝国の地図を取り出して、テーブルに広げる。水竜の洞窟がある場所にペンでしるしをつけて、説明する。ヴェルクの無茶を止めるために。
「洞窟は水竜の巣穴でもあるので、魔法が使えなくなっています。竜の巣穴はきまって魔力の干渉ができない仕様なんですよ。その上に、洞窟の周りには不用意に国民を近づかないように見張りの兵士がいるんです。だから」
「だったら、なおさら俺達が一緒に行ったほうがいいだろ。お前はシルと二人だけで行こうとしてたんだろうけどさ。よく考えろ。シルは竜だから人相手には戦えない。ユークは精霊使いだから魔法が使えない場所となると何もできねえんだし」
「う」
たしかに、その通りだけどっ。ぼくの取り柄なんて、魔法を使えるくらいなもんだし。
ああ、なんか自分で言ってて悲しくなってきた。
「ユーク、僕も行くから大丈夫だ。僕も
泣きそうな心境になってうなだれていたぼくの肩を、ぽんと優しく叩いたのはミストだ。水色の瞳は力強く輝いていて、彼にしては珍しく口元も緩めている。
――いやいやいや! そうじゃないんです。ぼくが言いたいのはそういうことじゃなくって。いくら傭兵経験があるミストでも、帝国の兵士に敵うはずがないんですー!
そうぼくが口にする前に、次に発言したのはレイシェルだった。
「はいはーい! ボクも行くからね、ユーク。今回は陸地じゃないと入れなさそうだけど、ボクだって精霊使いだし。占いもできるしっ」
「レイシェルは
「まあ、俺もレイシェルに関しては不安もあるけど、言い出したら聞かないから仕方ない。それに、みんなで行けばなんとかなるさ」
みんな、何言ってるの。そんなの、ダメに決まってる。
「なんとかなるわけないじゃないですか! 帝国の
もしも。みんなが、ヴェルクやレイシェルが、喰われるようなことになったら――。
きっとぼくは耐えられない。もう家族なんだもの。血は繋がっていないけど、ぼくにとってはかけがえのない人たちで。
失うくらいなら、一緒に行かない方がましだ。
「これは、ぼくだけの問題なんです。ヴェルク達を、巻き込めないですよ」
テーブルに置いた手を、ぎゅっと握りしめる。そのぼくの手の上に、誰かのてのひらが重なった。顔を上げると、手を重ねたのはシルだった。
「ユーク、思いつめないで。話をさせたのはもとはと言えば僕だけど、彼らが話を聞いてしまった瞬間からきみは彼らを巻き込んでしまっているんだ。でも、それは悪いことではないんだよ」
「でも」
「精霊魔法の使い手なら、きみも知っているはずだ。精霊は人を愛する性質がある。だから、人の望みを叶えようとする。同じ願いを持つ人達が集まって、その願いを叶えるために行動を起こすなら。きっと、それは叶うよ」
「それって、みんなで力を合わせればなんだってできるってことですか」
「うん。ベタだけど、そういうことだね」
にこり、とシルが笑う。つられてぼくも、口元を緩めた。
「ユーク、きみは海竜を助けたいという願いをずっと持ち続けていたからこそ、銀竜の僕と出会った。そして、彼らともこのジェパーグで出会った。大丈夫、きみの望みは叶うよ。きみのことが大好きで、力になりたいと思っている人達がこんなにいるんだから」
「そうそう。ジェパーグに来たばかりの時、右も左も分からなかったボク達を助けてくれたのはユークだったし」
「だな。俺たち、もう家族みたいなもんだろ」
「ああ、そうだ。力になりたいと思っている。心の底から」
レイシェル、ヴェルク、ミスト。次々とかけてくる言葉が、ぼくの胸をつく。
そして、やっぱり最後にまとめるのは、ヴェルクだ。
「だからさ、ユーク。みんなで一緒に海竜を助けに行こうぜ」
ぼくは頷くしかなかった。断る理由なんて、もうなかった。
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