4.いにしえの竜
「ぼくの本名は、ユークレース=ウィル=マグノリアといいます」
イージス帝国におけるぼくの肩書はいくつかある。指名手配書を出される時点で、もう城の関係者なのはみんなわかりきっているだろうけど。
「マグノリア家は代々宮廷魔術師を輩出する帝国の筆頭貴族です。ぼくは宮廷魔術師の長で、国王陛下のお側で軍を指揮して、他国を侵略する戦争の最前線に立っていました」
「へえ、ユークって貴族だったんだあ」
興味しんしんに目を輝かせるレイシェルの隣で、ヴェルクはなるほどなとつぶやいた。
「筆頭貴族の当主で、宮廷魔術師で軍師か。帝国が必死になって探し出そうとするわけだ。戦争がおさまったのも、ユークが国を出奔したせいもあるのかもな」
肯定の意味をこめて、ぼくはひとつ頷く。
「おそらくは。ぼくが帝国を出たのは五年前です。国を巡りながら世界を見て回って、最後にジェパーグまで行き着きました」
湯のみに入ったお茶をひと口飲んで、喉を潤す。
自分のことを改めて話すのって難しい。緊張する。
「国を出奔したきっかけは、カイ――海竜が封印されたからです」
「えっ」
目を見張って、シルはぼくを見た。
もしかして知り合い、なんだろうか。おかしいな、シルは竜の島を出たことないはずなのに。
「海竜は“精霊の統括者”に封じられたの? それって最近のことかい?」
「え、ええ。そうですけど。五年前、ぼくが国を出奔する直前のことです」
「……そう。ユークは理由を知っているのかな?」
「知っています」
無意識に膝の上にのせた手のひらを強く握りしめる。油断したら、涙が出そうだった。
「帝国の郊外には風の聖地があるんですけど、その近くに住んでた水竜がちょっと人族を害したことがありました。被害を受けたのは帝国の国民です。城にまで陳情書が上がって発覚したのですが、相手はいにしえの竜だったこともあってどうしたものかと悩んでいた時に、精霊の統括者ウラヌス様が訪ねてきたんです」
城内に一人でいた時に、その人は現れた。
闇の衣をまとった、背の高い男の人。額の変わった紋様や人ならざる透けるようなまっすぐで長い黒髪、光を呑み込む切れ長の瞳。ひと目見ただけで、初対面なのにぼくには分かってしまった。それだけ彼のまとっていた魔力は大きくって。
「ウラヌス様は言いました。すでに水竜を封印してきたと。あの方は世界の均衡を保つために、いにしえの竜を封じるのだそうです。今回は人族を竜が力で害したので、行動に出たみたいですね。ただ、その時に厄介な問題が起こったのです」
「厄介な問題、とは?」
尋ねてきたのは、それまで静観を保ってきたミストだった。中身が少なくなった湯のみに備え付けのポットからお茶を注いでくれる。
ぼくはミストが席に座るまで待ってから、答えた。
「ウラヌス様が封印する直前、最後の抵抗で水竜が大地に呪いをかけたのです。水の渇きの呪いです。呪いの範囲は帝国の広い領土の中でも聖地の近くの地域だけですが、放っておくと間違いなく人は死にます。作物は不作になり、飢餓が生じる可能性もありました。水は国民や家畜が命を保つのにも、作物を育てるのにも必要不可欠なもの。ですから、事情を聞いた国王陛下は深刻な事態だと判断し、早急に問題を解決すべくウラヌス様へ指示を仰ぎました」
返ってきた答えは。
視界が潤みそうになって、ぎゅっと目を閉じる。それでも、ぼくは話を続けた。
「あの方の指示は、他の竜の犠牲です。竜による呪いは、竜の魔力によって相殺すべきだと。同じ水を司る竜ならば、その身に宿る魔力で大地に水の恵みをもたらすことも可能だと保証しました。そこで」
「……そこで、白羽の矢が立ったのが海竜だったんだね」
沈んだ声に目を開けて見ると、シルは目を伏せていた。彼の揺れる瞳は悲しそうだった。
「何それ。そんなのひどいよ! まるで生贄じゃん」
「落ち着け、レイシェル。俺たちがいくら理不尽だと思っても、精霊の統括者直々に指示されたんじゃあ国としてはやるしかなかったんだろ」
「そうかもしれないけどさっ」
頬を膨らませて興奮するレイシェルを、ヴェルクがなだめる。そのいつもと変わらない態度に、ホッとした。
良かった。ぼくだけじゃなかった、怒りを感じたのは。
「レイシェル、ぼくも納得できませんでした。だから、ウラヌス様に直談判して交渉しました」
「……ユーク、本当に統括者と交渉したのかい?」
信じられない顔でぼくを見るシルに、力強く頷く。
「ウラヌス様は言ってくれました。水竜の呪いを解くことができたら、海竜を開放する、と。それでぼくは今も、水竜の呪いを解く方法を探しています」
世界を一巡りしたって、解呪の方法は分からなかった。人族が竜の呪いを解くなんて、やっぱりできないのかな。
ぼくにはもう、星の奇跡の魔法にすがることしかできない。その現実が、なんだか悔しい。
「海竜とは知り合いだったのか、ユーク」
「ヴェルク達も知っての通り、帝国の国王陛下は人喰いの
ぼくはセイレーンの部族で水属性だからか、海が好きだった。仕事が休みの時は血の匂いがこもった城を逃げるように出て、よく海に泳ぎに行っていた。
カイはもともと帝国の付近の海に棲んでいた。
当時のぼくは大好きな海へ行っても、座ってぼんやり眺めるだけで。端から見れば、死人のような顔をしていたのかもしれない。最初に声をかけてくれたのは、カイだった。
「海で泳いだり、一緒に魚を釣って食べたり、浜辺でおしゃべったりして。カイと共に時間を過ごすうちに、ぼくは正気に返りました。カイのおかげで、ぼくはヒトに戻ることができたんです。だから、今度はぼくが、カイを助けるんです」
言い切った後、涙があふれてきた。
隣に座っていたミストがおしぼりを差し出してくれる。黙って受け取り、顔に押し付けて涙を拭った。
「ねえ、ユーク。海竜は今、どんな状態なの? 封印されたって言ってたケド」
「……水竜が封印された洞窟の奥に、岩のような状態になっています。その洞窟が呪いの起点なんです。国を出る前にも立ち寄りましたが、すでに足首のところまで浸水していました」
「そっか」
時間が経ったせいか、熱かったおしぼりはすっかり冷たくなってたけど、それがかえって心地よかった。ずっと抱えていたモノを打ち明けたことで、何も解決していないのに不思議と気持ちは落ち着いてくる。
ひとつ息を吐く。おしぼりを顔から離して、机の上に置いた。すると、まるでぼくがそうするのを待っていたかのように、シルが話しかけてきた。
「ユーク、話してくれてありがとう。そういう事情なら、僕は喜んできみに力を貸すことに決めたよ」
「ありがとうございます、シル。気持ちはありがたいんですけど、やっぱり竜の呪いは人族には解けないのだと思います。あきらめるわけではありませんが、水竜の呪いに関しては解呪の方法を模索するのをやめた方がいいんです」
「うん。たしかに僕も竜の呪いは人族が解くのは無理だと思う。けどさ、ユーク。同じ竜になら、可能だと思わない?」
「――――え?」
一瞬で、周囲の音がかき消えた。
ぼくはただぽかんと口を開けて、シルを見つめることしかできなかった。彼は穏やかな目を細めて、微笑む。
「改めて自己紹介するよ。僕の名前はシルヴェストル。時と運命を司る銀竜だよ」
思考停止しかかったぼくの脳内で、彼の言葉が巡る。
銀竜。時と運命。それはつまり、銀河の属性。ぼくが何度もあこがれた、あの――。
「あなたが無属の竜ってこと、ですか?」
だって、目の前にいるシルヴェストルという彼は人と変わらない。尖った耳が特徴の、六種族の中でも闇の民として知られる
「……こりゃ驚いた」
目を丸くしているのはヴェルクも同じみたいだった。にこにこと笑うシルを観察するようにじっくりと見た後、言う。
「竜って、意外と人と変わらねえんだな」
「そ、そんなことはありません!」
居ても立ってもいられなくなる。勢いよく椅子から立ち上がって、ぼくは抗議する。
「地面に穴を掘って巣を作るほど、竜は本来とっても大きいんです。それこそ、この蕎麦屋にだって入れないくらい。……まあ、でも器用な竜は人の姿をとるみたいですけど。カイもそうでしたし。でも、カイはシルほど完璧な人の姿ではありませんでした」
カイも器用な方だったんだろうけど、完璧な人の姿はとれてなかった。耳は
なのに、シルは耳もぼくと全然変わらないし、尻尾だってない。
「もしかして、疑ってる?」
頭をもたげていたモノがそのまま顔に出てたのか、シルに逆に聞かれた。頷こうとしたら、ミストが先に口を挟んだ。
「お前が嘘をついている、という可能性はないのか?」
ミストの水色の目はまっすぐシルを見ていた。端からすると睨んでいるようだけど、観察してるだけのようにも見える。
「ユークは帝国でお尋ね者のようだし、お前が連れ戻しにきた帝国の手の者ということもありえるんじゃないか? 帝国にしか出回っていない手配書も持っていたみたいだしな」
「ああ、確かにそうだね。うーん、どうしようかな。じゃあ、証拠を見せたら信じてくれるかい?」
「証拠、ですか?」
オウム返ししたら、シルは笑顔で頷いた。
「僕が銀竜と呼ばれる理由を見せてあげよう。屋内じゃ無理だから、外の広い場所へ移動してもいいかな」
蕎麦屋で会計を済ませた後に向かった先は、首都ツクヨミを抜けた先のぼくたちが住む山小屋だった。
狩った獣を捌くのは主にミストやヴェルクの仕事で、彼らが作業しやすいように山小屋の周辺は木は切り倒せれ、草も刈り取っていて、開けた原っぱになっている。
ぼくたちが知る「外の広い場所」は、そこくらいしか思いつかなかった。他国からきたぼくたちはジェパーグの国民じゃないから、ツクヨミ以外はあまり知らなかったんだよね。
「うん、ここなら大丈夫かな。危ないから少し離れてくれるかい」
周囲を見渡して満足そうに笑うと、シルは後ずさってぼくたちと距離を取った。もちろん、ミストは彼に対する警戒を怠ってはいなくて、目を離さないでいるみたいだった。ヴェルクもレイシェルも、ただじっとシルを見つめている。
そして、シルが瞑目した瞬間、彼の身体から光があふれる。あまりの眩しさに、ぼくは思わず目を閉じてしまった。
「目を開けて、ユーク。大丈夫だよ」
言われるままに、目を開ける。優しい声音だった。
目の前に立っているのは、たしかに竜だった。ぼくがイメージするよりはだいぶ小さい。
大きさは山に棲む熊くらい。銀色に輝く毛並みと硬い翼。頭と鼻先には小さな角があった。尻尾まで続いているたてがみまでもが銀色で、毛が少ないところは鱗で覆われている。
正真正銘、本物だ。
「ユークが思っているよりも、僕はだいぶ小さいかもしれないね。世界中に存在しているいにしえの竜の中でも、僕はまだ若い方だから」
「そう、なんですね」
けど、間違いなく本物のいにしえの竜だ。根拠は竜の姿だけじゃない。肌で感じるシルの持つ膨大な魔力が、ぼくをそう確信させた。
「ほんとうに、助けてくれるんですか?」
希望を持ってもいいの?
ぼくなんかの力じゃ、解呪は無理だってあきらめかけていた。星の奇跡の魔法に縋るしか方法がないって。生きている間は無理かも、って。
銀竜の目は出会った時と変わらず、穏やかなあのシルの青い目で。彼は見上げるぼくを見下ろして、ニコッと笑った。
「きみは立場や国を捨てただけでなく、人生そのものを懸けて海竜を救おうとしてくれている。だから僕はきみに力を貸したいんだ。……ユーク、手を出してくれる?」
「え?」
なんで、と目で訴えてもシルはにこにこ笑っているだけだった。悪意はない、と思う。そう信じられる。
近づいて、ぼくは言われるままに右手を差し出してみた。シルの青い目がうれしそうに輝いた。その時。
目の前が真っ白になった。
「誓おう。銀竜として、僕はいついかなる時もきみの味方であることを」
気がつくと、シルは青年の姿に戻っていた。片膝をつき、ぼくの手を取って見上げている。
不覚にも。どくん、と心臓が震えた。なのに。
「――って、人族の習慣を真似てみたんだけど、合ってたかな?」
こんな気の抜けたようなセリフを言うもんだから、ぼくは気が抜けちゃって。その場でしゃがみこんで、大号泣してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます