3. 蕎麦屋と手配書

 結局。あれからレイシェルとは解散する羽目になり、徹夜執筆は阻止されてしまった。

 仕方がないから、朝早く起きて書くしかない。まだ太陽が出ている時間なら注意されずに済むし。期日ほんとにギリギリなんだけどなあ!


 夜型だったぼくが朝型へと生活リズムを変え、部屋にこもって仕事すること数日。ようやく締め切り日前に原稿を送ることができて、ぼくは脱力した。ベッドで昼間からゴロゴロしていた。

 ついにぼくは開放されたぞう! まとまった収入がきたら、それを資金にしてしばらくはまた研究を――、と。


 これからの予定を脳内でシュミレートしていると、ドアをノックする音が聞こえた。続けて聞こえてきたのはミストの声。


「ユーク、仕事終わったか?」

「はい、終わりましたー」


 終わったことへの安心感なのか、頬が緩んでしまう。あまり表情を変えず、けれど少しだけ水色の目を和ませてミストはぼくに言った。


「お疲れ様。良かった。それなら、今日はみんなで出かけないか?」

「お出かけですか?」


 首を傾げると、ミストは頷いてぼくに手を差し伸べた。


「ああ。ツクヨミの蕎麦を食べに行こう」







 ジェパーグには大陸にない飲食店がたくさんある。刺し身、寿司、うどん。初めて聞くものばかり。中でも、今回ミストの興味を引いたのが蕎麦、だったらしい。


「この間、夕飯の肉を買いに行った時に美味い蕎麦屋を聞いたから、みんなで行こうと思ってな」


 またジェパーグ国民のご婦人方からの情報かなあ。無表情ながらも、なんだかミスト、うきうきしてるような……。前から行きたかったのかもしれない。


「ツクヨミって、蕎麦屋たくさんあるからどこ入ったらいいのか分かんねえもんな。いい店だったら、ノイシュとシェルシャにも教えてやろうぜ」

「そうだねー。あんまり混んでないといいけど」

「早めに出てきたから大丈夫ですよ。まだ食べるのに早い時間だったら、お店を見てまわってもいいでしょうし」


 空を見上げると、今日は雲が少なくてよく晴れていた。ぽかぽかとした日差しが心地いい。

 ツクヨミの市街地は行き交う人が多くて、固まって動かないと迷子になってしまいそう。店の外で呼び込みする人、出店に群がるお客さん、看板を持ってなにか叫んでいる人――。あっ、今、城の警邏隊が看板を持ってる人を追いかけていった。追う人も追われる人も、すぐに人混みの中に消えていく。

 いつもと変わらないジェパーグの街。みんな自分たちの生活のことで一生懸命。人が多いところだと、ぼくたちみたいな他国の者が入り込んでても、気付かれることはない。

 意識して、探さない限りは。


「ユーク。やっと見つけた」


 名前を呼ばれて、はっとして立ち止まる。

 振り返ると、銀色の髪の男性が立っていた。穏やかな青い目。センターポイントで出会った魔術師のシルヴェストルだ。


「……どうして、シルがここに」

「きみを探していたんだ、ユーク。少し話せないかな」


 え。なんで。

 シルとの縁はあの一度きりの邂逅で終わっていた。いや、終わらせていた。少なくとも、ぼくはそう思っていたのに。


 ――どうしてキミはぼくに会いに来たの。


 と、口に出して言いたかったけど、シルの穏やかな笑顔の前では言い出せなかった。ああ、ぼくの弱虫っ。


「ユークの友達か?」

「あ、はい」


 思わず頷いてしまい、後悔する。しまった。

 ああ、この先の展開が読めてくる。普段愛想笑いしない割に意外と親切で社交的なミストは、穏やかな声でこう言った。


「今、俺たちは昼食をとりに蕎麦屋へ行くところなんだが、よければキミも一緒に行かないか」







 幸か不幸か、ミストが連れてきてくれたお店は完全個室だった。大衆食堂みたいなお店だったら、まだ話どころじゃないって言い訳して断れたのに。

 もとはと言えば、長く関わるとぼくの方がボロ出ちゃうからシルから逃げたのに。どうして、またこうして顔を合わせる羽目になるのか。泣きたくなってきた。

 落ち込んでいても時間は一方的に過ぎていくわけで。いつの間にか誰かが注文したみたいで、お蕎麦が次々と運ばれてくる。食べないでいるのももったいないし、食べてみる。


 ――おいしい。この天ぷらサクサクしてる。濃い色のスープあったかくて、ホッとする。

 ちょっとだけ、気持ちが落ち着いてきたかも。


「それで、話って何ですか」

「うん。センターポイントで別れてから、きみのことがどうしても気になってしまってね。聞きたいことがあるんだ」


 月見そばをすっかり食べ終えたシルは、顔を上げて向かい合わせに座っているぼくを見る。

 まっすぐで揺るぎのない青い目に、どきりとした。ぼくはこの目を知っている。何かを成そうと決意した、強い光が宿った目だ。


「呪いと解呪、そしていにしえの竜について研究する理由を聞いた時、きみの目はなぜか泣き出しそうだった。だから、思ったんだ。ユーク。もしかしてきみの友人か家族、もしくは恋人が呪いにかかっているんじゃないのかい? そして、その呪いはいにしえの竜によるものなんだろう」

「……それは、あの」


 これは、予想外だ。ここまで突っ込んで聞いてくるとは思ってもみなかった。どうしよう。なんて答えれば、この場をしのげるのかな。

 またぼくは逃げることを考えてる。


「シルだっけ。呪いに関してはユーク個人の問題だと思うんだけどな、俺は。あんたはユークの事情に首を突っ込んで、何がしたいんだ?」


 黙っていると、ヴェルクが助け舟を出してくれた。シルは穏やかな表情を崩すことなく、答える。


「うん、そうだね。たぶん僕はきみの役に立てることができるから、理由次第では力を貸したいと思ってる。ユークはどうやら、大変な身の上みたいだし」


 そう言って、シルは机の上に紙切れを置く。ぼくだけでなく、ヴェルクやミスト、レイシェルが見えるように。そして、ぼくとシル以外の三人は固まったように、ソレを凝視する。


「ちょ、ちょっ、なんてものを見せるんですかー!?」


 見ちゃだめです、と隠したかったけど、もう後の祭りだった。ひょいっと紙を拾い上げて、レイシェルが紙とぼくの顔を交互に見る。


「うわあ、ユークそっくり」

「完全にそれユークだからな、レイシェル。ここにユークの名前が書いてあるだろ」


 ああ、これはもう逃げられない。


 ――逃げる?


 何からだろう。彼は国に連れ戻しに来たわけではない。シルは力を貸したいと言ってくれてるのに。わざわざぼくに会いに来てまで。

 今が、みんなに打ち明ける時なのかもしれない。


「これはぼくの手配書ですよ。レイシェル、見せてもらってもいいですか?」

「うん、いいよ」


 立ち上がって、レイシェルの手から紙を受け取る。そこには精緻に描かれたぼくの顔と、名前。そして賞金額が記されていた。


「うわあ、これ誰が描いたんでしょうねー。百万クラウンって、陛下も奮発しすぎですって。怖いなあ」

「ユーク、きみの出身はやっぱりイージス帝国だったんだね」

「はい」


 今にして思えば、結構バレバレだったかもしれない。先日のシルと二人で世界地図を見ながらのやり取りを思い出して、やっぱりぼくは嘘がつけないタイプだと再認識してしまう。


「きみから色んな国について教わったけど、帝国の内部事情にはとても詳しかった。だから、帝国の人なのかな、と。あの時、すぐ別れたのも、もしかして僕に連れ戻されると思った?」


 う。完全に見透かされてる。


「はい。でも、ぼくは帝国に帰るわけにはいかないんです。連れ戻されたら最後、今度こそぼくはぼくでなくなってしまうかもしれません」

「それは、どういうこと?」


 不思議そうに首をかしげるシル。魔族ジェマの人喰いの習慣を話しただけで心を痛めた優しい彼は、ぼくをどう受け止めるのだろう。分からない。

 それでも彼はここにいて、ぼくのことを探しに来てくれた。理由はそれだけで十分だ。


「すべて話します。ぼく自身のこと、そしてなぜ国を出奔して呪いや竜の研究をしているのかを。……みんなも、聞いてくれますか?」


 ヴェルクもミストも、レイシェルも。みんな黙って頷いてくれた。

 ぼくは目を閉じて、よしっと気合を入れる。大丈夫。彼らになら、話せる。

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