1.竜の島と銀色の魔術師

 世界へ飛び出してから五年後。ぼくは、まだ水竜の呪いの解呪への糸口を見つけられずにいた。

 無属性についての研究はあまり進んでいなくて、どの国の図書館へ行っても参考になる魔術書は存在していなかった。もともと国に一人存在するかどうかと言われるほどの、珍しい属性なのだから仕方ない。


 この頃のぼくは仕事も安定してきたのもあって、時間を見つけては時々竜の島へと赴くようになっていた。

 世界地図を広げると中央に位置する竜の島は、どの国にも属していない無国籍領域だ。その首都であるセンターポイントには太古から存在する文献や物品、遺跡が存在している。研究者から見れば、珍しいものばかりの一級品が揃えてあるってわけで。

 世界中をめぐっても何も得られなかった以上、センターポイントの図書館にしかもう頼れる場所はなかった。


「もうちょっとなんだけどな……」


 しんと静まり返った図書館で、ぼくは本棚に手を伸ばしていた。……うう、高くて届かない。

 ここはほんとに品揃えが良くて面白いものが多いのだけど、本棚がとても高い。踏み台はすでに探したけど見つからなかった。

 あと一センチくらいなのに、どうしても届かない。

 どうしよう。司書さんに相談してみようかな。うーん、でもさっき踏み台の在り処を聞くために話しかけたら睨まれてしまったし。また聞きに行くのいやだなぁ。


「取ってあげようか」


 背後から声が聞こえてきて、はっとする。すぐ近くには背の高いお兄さんがいた。ぼくが答えずにいるとお兄さんはニコッと笑って、目の前にさっきまでぼくが取ろうとしていた本を差し出してくれた。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう……ございます」


 本を受け取ってから、改めてぼくはお兄さんを観察してみる。

 耳は短く尖っているから、ぼくと同じ魔族ジェマだろうか。肩より長い、まっすぐな銀髪。切れ長の青い目。体型は痩せ気味で、スラッとしてる。魔族ジェマは容姿が整った人が多いけど、このお兄さんはその中でもかなりの美形だ。そして、なにより親切でカッコいい。


 そう、親切なんだよね。それがおかしい。

 センターポイントにいる住人は、知識や魔法の研究に没頭している浮き世離れした人たちが多くて、他人のことなんて興味がない。どこで誰かが困ってようと、気付く人もいない。話しかけようものなら、ここの司書さんみたいに睨んでくる人がほとんどだ。

 だからこそ、すぐに気づいた。ぼくと同じく、お兄さんはセンターポイントの住民ではない。


「無属の研究をしているの?」


 ――へ? 話しかけてきた。


「え、あっ、はい。無属の魔法全体というよりは、呪いと解呪を専門に研究してますけど」

「そうなんだ。他には?」

「ええと、いにしえの竜についてですね」

「……へえ、なるほどね。魔法や精霊ならともかく、竜について研究する人は初めて見たなぁ」


 そう、だろうか。まあ、ぼくの国でも竜を毛嫌いする人ばかりだったからなあ。

 いにしえの竜は太古の昔から存在する竜で、ヒトよりも想像を絶するほどの魔力をその身に宿しているという。それこそ、本気になったら国ひとつ滅ぼしかねないほどの力。

 けれど、カイみたいに穏やかで優しい竜もいる。仲良くなれば友人みたいな関係もなれるし、そういう面ではヒトと変わらないと思うんだけど。


「ねえ。ちょっと話さない? 僕、君の研究分野について興味があるんだ」


 え、今!? 何この突然の展開。

 でも、ぼくは悪い気はしなかった。ちょっと驚いたりはしたけど。大抵の人なら顔をしかめる竜の話題を出しても、お兄さんは顔色を変えないどころか興味を持ってくれたから。

 ぼくは嬉しかったんだと思う。


「いいですよ。図書館を出たところに公園があったと思うので、そこで話しましょうか」

「ありがとう。あ、僕の名前はシルヴェストルっていうんだ。長いから、シルでいいよ」

「ぼくはユークレースです。みんなはユークって呼びます。よろしくお願いしますね」







 魔法や知識への探求者が集まるセンターポイントでは、図書館以外では必要最低限の施設しかない。食事処は簡易食堂のみ、通りに出ているお店も勉学に必要な筆記具や日用雑貨のみという徹底ぶり。

 だから、とりあえず簡易食堂の購買でサンドイッチと冷たい紅茶を買って、近場の公園のベンチでくつろぐことにした。

 公園は人通りが少なくて、静かだった。といっても、みんな部屋や図書館にこもって勉強ばかりしているから、外はどこだって人はあんまりいないんだけどね。


「うわあ、おいしそうだね。いただきます」


 青い目を輝かせて、シルは野菜サンドイッチにかぶりつく。

 うれしそうだなぁ。サンドイッチは購買部で一番の人気だけど、おいしいはずはないのに。だって、手を汚さずに食べれるから人気なわけだし。そもそもセンターポイントで出される食事は、はっきり言ってどれもおいしくない。


 なのに、だ。

 シルは満面の笑顔であっという間に、野菜サンドを平らげてしまった。


「……美味しかったですか?」

「うん、とっても。やっぱり誰かと食事をとるのはいいね。いつもよりおいしく感じちゃうよ」


 半信半疑で問いかけてみれば、返ってきたのは純粋無垢な笑顔。

 こう言っちゃなんだけど、おかしな人だ。大陸からここにやってきて食事をした人は、たいていは不味いって顔をしかめるんだけど。


 もしかして、少しは味が改良されたとか? 他大陸から来た人が「もうちょっと美味しくしてほしい」って要望を出したとか。……あり得るかも。

 ほんの少しの希望を抱いて、シルに倣いぼくも野菜サンドにかぶりついた。


 ――う。やっぱり、おいしくない。


 パンはパサパサ、野菜もカピカピ。食べれなくはないけど美味しいとも言えない、相変わらずな微妙な味。


「どうしたの、ユーク」

「いえ、なんでもないです」


 いつまでも口の中に残りそうなサンドイッチを無理やり紅茶で流し込んだ。やっぱり、シルは味覚オンチなのかもしれない。


「ねえ。ユークは魔術師なのかい?」


 ストレートの紅茶をまたおいしそうに飲みながら、シルは聞いてきた。その隣で、ぼくは口直しに、常備しているチョコレートを食べる。甘いものは好きだから、いつもカバンに入れてあるんだよね。うん、おいしい。


「ぼくは精霊使いですよ。シルもここに来るからには、賢者か魔術師なのでしょう?」

「うん、そうだね。僕は魔術師、かな。でも、ここ以外はあまり知らなくて。他の国にも行ってみたいなと思っていたんだけど、まずどこに行ったらいいかなと悩んでいたところだったんだ」

「そうなんですか」


 竜の島出身の魔術師かあ。てっきり大陸の人だと想ってた。

 珍しいけど、あり得なくはないよね。学問や魔法の研究をこよなく愛していて、竜の島に骨を埋める気で永久滞在する人も、まれにだけどいるみたいだし。だから、ここの食事がおいしいと感じるのかもしれない。

 カバンの外ポケットからチョコを取り出して、シルにあげてみた。やっぱり予想に違わず、嬉しそうな顔でありがとうと言って、シルは受け取ってから食べた。


「これ、おいしいね!」

「えへへ、そうでしょう。ぼく、チョコレート好きなんですよね」

「そっか。でも、チョコレートはここでは、売ってないよね。どこに行ったら買えるのかな?」

「チョコレートは他の大陸に行かないと売ってないですねぇ。シルは他の大陸に行ってみたいんですよね?」


 だいぶチョコレートに心を奪われたみたい。ちょっと安心した。センターポイントの野菜サンドがシルにとっておいしいなら、どの大陸の食事でも感動しちゃうんじゃないかな。


「うん、そうなんだ。図書館で世界地図を見てみたけど、それだけじゃどういう国なのか分からないし。ユークは知っているの?」

「はい、知っていますよ。最近まで行ける国は全部見てきましたから」


 竜の呪いに関することや無属の魔法については、何もつかめはしなかったけれど。でも、見てきたことやその国で感じてきた経験は生きてきたはず、と思いたい。ここで役に立つのなら無駄足じゃなかったって、ことだよね。うん、きっとそうだ。

 カバンにしまってある世界地図を取り出して、広げる。隣のシルに見せながら、指で示しながらぼくは説明することにした。


「大国と呼ばれているところはノーザン王国とイージス帝国ですね。ノーザン王国もイージス帝国も魔族ジェマの王様が治めています。シルは魔族ジェマなので大丈夫だと思いますけど、他の種族の方にイージス帝国はあまりお勧めできません」

「どうして?」

「帝国の王様は戦争が好きなお方で、他国を攻めて領土を広げていっているんです。最近は落ち着いたみたいですけど。それに、他種族を喰らうことを国民にも推奨しているので、住んでいる人は魔族ジェマしかいないんですよ」


 世界に存在している六種族の中で、他種族を喰らうのはぼくたち魔族ジェマだけだ。魔族ジェマの王が結んでいた協約から離反し、独立を宣言してからというものの、今の時代は他種族を害さない魔族ジェマの方が少ない。

 特にイージス帝国に住んでいる魔族ジェマは、積極的に他種族を殺し、喰らう人が多い。


「じゃあ、帝国の国民はみんな誰かを食べているってことなのかい?」

「そういうわけではないですよ。強制ではないですし、勧められても断る人もいるみたいです。ただ、お城の人は直接王様に勧められるみたいですけど……」


 言ってから、ぼくは後悔した。みるみるうちにシルの顔が沈んでいく。

 そうだよね。こんな話聞かされたら悲しくなっちゃう。歴史の一種として受け入れている冷たいぼくとは違って、シルみたいな優しい心を持った人なら、なおさら。


「そっか、なんだか悲しいね。じゃあ、もうひとつのノーザン王国は?」


 イージス帝国の話なんてやめておけばよかった。暗い雰囲気にはしたくないのに。ここは切り替えていかなければ。

 がんばれ、ぼく。がんばれ、ユークレース。


「ノーザン王国も魔族ジェマの王様が治めていますね。でも、ここの王様は他種族を受け入れる心が広いお方だと、王都でよく聞きましたよ。十年前は大きな事件があったみたいで荒れてたみたいですけど、今はすっかり復興も終わったみたいで。国民の生活も豊かですし、賑わっていました」


 今でもノーザンは良かったなあと思い出す。図書館も大きくて充実していたし、滞在しやすくて、国の雰囲気も穏やかだった。食べ物もおいしくて。警邏隊が定期的に巡回してるから、治安も良かったし。だから、シルにはオススメかもしれない。


「そっかぁ。やさしい王様なのかな」

「たぶん、そうだと思います。さすがに滅多にお城からは出てきませんけどね」


 よしっ、なんだか調子が出てきた。あとは、ぼくが個人的にイチオシなトコロを教えてあげよう。

 指を滑らせて、ぼくはシルに他の小さな島々に注目させた。


「ぼくが一番オススメなのは、ここジェパーグです。ここはちょっと閉鎖的な国柄なので永住は向きませんけど、観光にはオススメですよ。独特の文化があって、食べ物や衣服、建物がとっても変わっていて面白いんです。色んな種族の方が仲良く暮らしてますし。ぼくも気に入っちゃって、今王都に滞在しているところなんですよー」

「へえ、そうなんだ。ユークが気に入っているなら行ってみたいな」


 にこにこと笑って地図を眺めるシルを見て、ぼくはようやく胸を撫で下ろした。


 他国に赴くにあたって、気をつけといた方がいいこととか先に言っちゃったせいで、話が暗くなっちゃったから。

 心配だった。やっぱりやーめたってシルが思ってしまわないか。

 たしかに他大陸は危険なトコロはあるのだけど、でもそれ以上に素敵なところもいっぱいあって。知らないままでいるのはもったいない、とぼくは思う。

 五年前に初めて祖国を飛び出して、世界にはこんなに美しいところもあったんだって。ぼく自身が感動したから。


「ユークはすごいね。地理もくわしいし。呪いと解呪と、あとはいにしえの竜について研究だってしているんだろう?」

「そんなことないですよー。こんなの一般的な知識ですし。それに研究は、ぼくの本分なんです」


 ほんとにシルはなんにも知らないんだなあ。ノーザンも帝国もジェパーグも、誰でも知っている有名な国だ。無知ってほどではないけど、シルは外の世界を何も知らない。五年前のぼくとおんなじだ。


「ねえ、ユークはどうして呪いについて研究しようと思ったの?」

「へ?」


 思考が止まる。


「呪いと解呪、いにしえの竜。どれも好奇心で研究する人はあまりいないよ。特に竜なんか、魔物の一種だとかで敬遠する人がほとんどだし。だから、ユークはなにか理由があって調べているのかなぁと思ったんだけど」


 それは一番触れられたら困る問いだった。

 正直話すと、巻き込んでしまう。迷惑をかけてしまう。もしかすると、バレて国に連れ戻されるかも。

 それは絶対に嫌だ。それだけは避けなくちゃいけない。

 でないと、カイはずっと自由を奪われたまま、独りぼっちになっちゃう。ぼく以外でカイを助けられる人はいないのに。


「べ、別に理由なんてないですよっ。誰も手を出してない分野だからこそ、好奇心がそそられるじゃないですか」


 顔を上げて、笑顔を作ってみる。けど、だめだ。どうにもぼくはポーカーフェイスが苦手で。

 その場でうまく誤魔化せたと思えても、相手にはバレバレ。嘘は通用しない。だからこそ、長居は無用。


「あっ、ぼくもう行かないと。連れが待っているので、失礼しますね。シル、行くならさっき言ったようにノーザン王国かジェパーグがいいと思いますよ。それではっ」

「ユーク、ちょっと……」


 シルの声を背中に受け、ぼくは振り返らなかった。けど、なぜだか彼のことが少しだけ気になっていた。

 純粋な心を持った子どものように、シルが世界を何も知らなかったからなのかもしれない。

 だから。


「あなたの旅に精霊からの幸運があらんことを。すべてがうまくいくことを祈っていますね」


 思わず、心からの祝福と祈りを言葉にしてしまった。


 人を愛する精霊は、純粋な願いを聞き入れることがある。カタチになった言葉は、幸運を引き寄せることがある。

 まるっきり信じたことはなかった。精霊の導きによる奇跡なんて、起こるはずがないって。

 ううん、違う。ぼくの場合は、精霊の本質を理解していながら、全く信じていなかったんだ。




 これがぼくとシルとの出会い。スタート地点にも立っていなかったぼくが、ようやく扉を開いた瞬間だった。

 もっとも、ぼく自身はまだ、そのことに気付いてすらいなかったんだけど。

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