竜を追いかけて
依月さかな
0.プロローグ
「旅に出ようと思います。カイを助ける方法を見つけ出さない限り、戻ることはないでしょう。心配しないでください。さようなら」
いろいろ悩んだものの、結局それしか言葉は思いつかず。
ぼくはペンを置いて立ち上がった。生まれ育った国を捨てるという決意を、どう書き表せばいいか、どうしてもまとまらなくって。
すみません。ごめんなさい。謝っても許されないのは分かってるけれど。
それでも。
ぼくは行かなくちゃいけないんだ。カイを助けるために。
荷物を抱えて、ぼくはそろりと部屋を出る。荷物といっても、肩掛けバッグひとつのみ。ぼくは女だから力がないし、目立ちたくもないからそんなたくさんは持っていけない。
廊下に出ると真っ暗だった。今は真夜中だから誰もいない。なるべく音を立てないようにして移動する。
誰かに鉢合わせたりしたら、絶対に引き止められる。それだけは確信してる。だから、みんなが寝静まる夜まで待ってから出て行くと決めていた。
玄関まで来た。ゆっくりと扉を開ける。外に出ると、空には星が輝いていた。
とてもきれいだった。思わず目を奪われる。
そういえば、今まで夜空を眺める余裕なんてなかったっけ。
「ユーク」
呼ばれて、ぼくはとびあがりそうになった。振り返らなくたって、声だけで誰かはわかる。
――なぜ。
どうして、キミがここに。
「シェ、シェダル……」
無理やり笑顔を作ってみる。でも、ぼくは思っていることがすぐに顔に出るタチだから、あまり意味がない。特に、幼馴染相手には。
「どうしたんですか、シェダル。夜分遅くに」
落ち着け、ぼく。冷静になれ。ここで家出が失敗しては意味がない。ぜんぶ無駄になってしまう。
「“例の事件”があってからおまえは話しかけてもうわの空だったし、思いつめているようだったからな。気になって、立ち寄ってみた」
「立ち寄ってみたって……」
夜も更けた、こんな時間に? 誰もが寝静まるような深夜に?
月明かりの下で見えるシェダルの表情は、いつもと同じであんまり変わらない。なにを考えているのか。シェダルは思っていることがあまり顔に出るタイプじゃないから、なんか掴みづらい。
普段とは違って、シェダルは軽装だった。子どもの頃ならともかくお互いに仕事に就いてから顔を合わせる時は、シェダルの服装はたいてい鎧姿なだけに、なんだか不思議な感じがする。
「それでお前は、どこに行くつもりなんだ?」
ええと。さっそく答えづらい質問してきたな、シェダル。何と言ってごまかそうか。
「国を出るつもりなのか、ユーク」
「な、何を言ってるんですか、シェダル」
うわあ、最悪だ。こんなおキマリみたいなセリフ、絶対バレるに決まっているのに。
どうしよう、どうしよう。連れ戻されるわけにはいかない。チャンスは今夜しかない。一度失敗すれば、それだけ国を出るリスクが高まってしまう。
考えろ、ユークレース。考えるんだ。どうすればこの場をしのいで、出国できるか。
そうしてぼくはひとつの結論に達した。
――よし、逃げよう。
魔法の詠唱をしている暇はない。ちょっともったいないけど、【
「逃げるな、ユーク」
ウソ――!? なんでわかるかなあ!
さすが幼馴染。ぼくの行動パターンなんてお見通しらしい。大抵の相手になら、これで逃げてこられたのに。
「何も言わずに逃げるな。俺にとって、おまえは大切な友人だ。おまえはそうじゃないのか」
まっすぐに見据えてくるあかね色の目を、ぼくはそらすことができなかった。
知ってる。知っているよ、シェダル。
キミはいつだって、ぼくのことを心配してくれてる。
そして、いつも誰かを気遣っている。
それにひきかえ、ぼくは自分勝手だ。自分のことしか考えていない。だから、シェダルがどんな思いでいるのか、分からない。ううん、今もぼくは分かろうとしていない。
「すみません、シェダル。手紙を書いたから、もういいかなと思ってました。ごめんなさい。最後に、シェダルにだけは挨拶すべきでしたよね」
顔を上げて、シェダルをまっすぐに見る。ぼくの決意がどんなに強いものか知ってもらうために。他の人とは違って、キミは。キミだけは、ぼくの言葉を聞いてくれるから。
「ぼくは国を出て、旅に出ます。竜の呪いを解くために」
「竜の呪いだと? あれは、おまえが人の手では解くことができないと言っていただろう」
「はい。今の魔法技術では、世界中の国をくまなく探したとしても解ける者は存在しないでしょう。ですが、解呪の可能性はゼロではありません。ぼくは国を出て、呪いと解呪について研究し、そのための術式を作り上げてみせます」
一息ついて、ぼくは空を見上げた。
満天の星いっぱいの夜空。こどものように手を伸ばす。当たり前だけど、届かない。届くはずがない。それをつかむには、あまりに遠すぎて。
「ユーク?」
ぼくの不可解な行動に、さすがにシェダルは訝しんだようだった。それをあえて無視して、ぼくは続ける。
「竜の呪いを解く鍵は、この銀河です。銀河の属性とも呼ばれる無属性の魔法。無属性の魔法を扱えるのはごく少数の人で、ぼくも使うことはできません。それでも研究すれば、解呪の糸口を見つけ出せるはずです」
シェダルのため息が聞こえてきた。
「――で、その水竜の呪いを解くことができたなら、海竜の封印を解いてやるとでもあの人に言われたのか」
ぼくはうなずく。
「あの方は確実に約束を守ります。あの方はどちらにも味方することがない、中立的な立場です。水竜の呪いが大地に渇きをもたらしたので、あの方は動かざるを得ませんでした。ですが、それはカイが自由を奪われる理由にはなりません。だって、カイは何も悪くない!」
言い終わらないうちに涙はあふれてきた。視界がにじんでくる。
ぼくの大切な友人カイは、太古から存在するいにしえの竜だ。
ぼくたち人族よりも大きな身体と力を持つ竜族は、昔から恐れられている。だけど、カイは一度だってヒトに危害を加えたことがない、優しい竜だった。なのに。
「カイは大地をもとに戻すために封印にされました。カイはいつも通り海で穏やかに暮らしていただけなのに。こんなのおかしいです。絶対おかしいんですよ、シェダル。カイはいにしえの竜だと理由で、国王陛下は全く取り合ってくれませんでした。他の人もそうです。ぼくしかいないんです、カイを助けられるのは」
外套の袖で、ぼくは涙をぬぐった。
夜闇の中、銀の杖にはめ込まれた海色の宝石が月の光を弾く。カイがくれた、竜の魔石だ。杖を握る手に力を込めて、ぼくはシェダルに言った。
「だから、ぼくはカイを助けるために、旅に出ます」
これはぼくの決意表明だ。それだけの時間が、年月がかかろうとも、絶対にあきらめない。
「……ユーク、国にいながら研究するのでは駄目なのか?」
「それができないのはシェダルが一番よく分かっているはずです。水竜が大地を呪ってからというもの、陛下を始めとしてみんな竜に対して否定的なんですから」
「そうだな。だが、女の身で一人旅など、危険すぎる。おまえは自分が国にとってどれほど価値ある存在なのか分かっていないだろう」
シェダルが反対してくるのは予想済みだ。キミはいつもぼくを心配してくれるから。
――ごめんなさい、シェダル。
あなたは大切な幼馴染ですが、ぼくが大切にしているものを理解はしても応援してくれないことは知っていました。だから、あなたの弱点、利用させてもらいます。
ぼくはここで立ち止まるわけにはいかないから。
シェダルにぼくは笑って見せた。ごく自然に。
「それなら、シェダル。ぼくと一緒に国を出てくれますか?」
「そ、それは……」
シェダルは困惑したように、目を泳がせた。その隙を逃さないように、ぼくはさらに畳み掛ける。
「できないでしょう。あなたは国王陛下に忠誠を誓った騎士です。ぼくとは違って、あなたは国を捨てることなんてできません。だから、ぼくはひとりで行きます」
石のように固まっているシェダルに背を向けて、ぼくは
「さようなら。最後に会えて良かったです、シェダル」
こうしてぼくは祖国を後にした。もう二度と戻る気はなかった。
そして、この時からぼくの竜を追う旅は始まったんだ。
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